Ⅱ 熱帯
秋を感じることを拒んでいるが
起きてみるとやはり肌寒く、裸のままでは
風邪を引いてしまいそうだった。
現実は律子を存分には濡らせてはくれない事に
嫌気が差す。
夫の雅哉も目を覚まし、まどろみから開放される頃、
律子は朝食の準備を始める。
少し厚地のロングワンピースを裸に羽織って
キッチンに立つ。
コトコトとコーヒーメーカーが出す音を聞いて
部屋中のカーテンを開け放つ。
晴れた空を見渡し、そして明るい太陽を見つけては
俊は今日は仕事に行っているだろうと思う。
雨の日には、私に俊から誘いの電話が入るだろうと
跳ねる気持ちになる。
淡い恋だったと無情にも刻は流れて行く。
スリッパをパタンパタンと鳴らせて階段を下り来る、
夫と娘。
現実の音なのだと律子は黙々と食事を作る。
晴れた火曜日。
俊は仕事に向かいましたね。
私はあなたに作るはずだった朝食を作っている。
当たり前の光景なのに、こちら側から見ると、
なんとも他人行儀な私です。
描いては消す理想にいつも傷付けられる。
理想は現実になりつつあった。
今はただの理想に戻ってしまった事に、
言いようのない不安や寂しさが襲いかかる。
「今日も忙しくなるよ。」
夫はトーストを軽快に頬張りながら言う。
「分かった。夕食は?」
横に首を振る雅哉を見て、毎日同じ会話に、
律子はつまらなくて重い気持ちになる。
ギャンブルに負けたような気持ちに似ているかも知れない。
無論、この夫婦はギャンブルなどはしないのだが。
コーヒーを啜ると湯気が顔に当たり、
変えがたい日常の中にすっぽりと納まっている自分に
朝の濡れた感触は引き波のように無くなって行く。
ギャンブルだったのだ。
夫をチョイスした日に、この男に人生を賭けた。
負けたに違いない。
律子の視線は律子のカップを持ちながら
腕を見ている。
細い腕には包帯が巻かれている。
近い太陽と共に、言い様のない不安を募らせる。
愛がある生活でした。
俊が私を守ってくれて居ました。
今はどうでしょう。
あなたは遠くなり、
約束と言う僅かな
希望も私には叶わないのではないかと
不安で仕方がないのです。
律子の心は熱を帯びたまま
まだ恋しいと躯は叫び続ける。