テスト前の帰り
教科書の入ったバッグが肩に食い込む。そのついでに肩にかかっているストレートの髪の毛も巻き込まれ、予期しない痛みに顔をしかめた。
怠惰なルイはいつもなら机の中に勉強道具を全て置いているのだが、さすがにテスト前には持ち帰らなければならない。
一応は、赤点を免れる程度のお勉強はするつもりだからだ。
「重いんでしょ」と現れたクラスメイトのレイコはルイのバッグの持ち手の片方を引っ張るとお互いに目を合わせて笑った。
「ちょっと、あんただって同じ状況なんだから悪いよ」
ルイは言った。
「どうせ自転車置場までなんだから、いいよ」
さらに持ち上げて見せて誘導するように引っ張り上げ、二人の間でバッグは揺れた。
レイコは背が高いし、小さい頃やっていた水泳のせいなのか、肩はがっちりとして運動神経も良かった。腕力も当然有る。それに比べてルイは身長も低かったし細く、体力が無かった。
レイコは、ルイのそういった種類の振る舞いが、女子に当てはめて言うには変だけれど、こういうのが紳士的か、と思ったりもしていた。共学で校内の半分は男子だったが、たくましい女子というのはレイコだけでなく他にも沢山いたので、今ひとつ頼りなく、肝心な男子、本来紳士になるはずの方からは『うちのクラスは女子プロレスラー』などと、十代の麗しき乙女におおよそ相応しくない極端に子供じみたからかいをするだけだった。
「ねえ、レイコさあ、歴史のテスト範囲の話聞いてた?」
ルイは聞いた。一時間目であった為に眠たくて聞いていられなかったのだ。動画サイトが悪いのだ。それ以上に、レイコをアテにしているというのもある。
「ルイ、寝てたもんね」
レイコはあまり大きくない目を細めて笑い、今朝の眠そうな顔は今思い出しても面白いとからかってきた。
「えー!!そんな酷かった?ノーメイクだとやっぱりだめ?!死ねるわ……」
落ち込んだ様子を大げさに演じて見せると、レイコは笑ってそんなことないよ、と言った。
ルイは、自信過剰と思いながらもレイコの言った「そんなことないよ」が本当に思っていそうだ。と内心感じていた。なんとなく、友達という対等感より一方的に可愛がられている感じでもあるし、自分も甘えていると思うのだった。
「着いたよ」
自然にレイコは重いバッグをルイの自転車のカゴに入れた。重みで前輪、ハンドル部分が横に向く。
「ありがとう、……で、ねえ、どこどこ?」
ルイはバッグの中から歴史の教科書とシャープペンシルを取り出した。
「え、ちょっとここで?」
レイコは、何台か向こう側のレイコの自転車に自分のバッグを置くとルイの側に寄ってきた。甘い香りがする。さっき、ホームルームが始まる直前に渡したミルキーだろうか、とルイは思う。いつ口の中に入れたのだろうか。
「範囲はねえ、ここの、この表の下から……」
指を差して、次々にめくってページ番号を丸で囲んでいく。
そこへ、クラスメイトのありさが話しかけてきた。
「マジ最悪~!良かったあ、二人がいて」とルイとレイコの間に割り込むように教科書を除き込んできた。
そして、一方的に彼氏と連絡が取れないから独りで帰宅するハメになったとか、それは浮気の疑いがあるからだとか要するに男の、恋の話をしてきた。ルイはレイコがその手の話を嫌うのを前から知っていた。多分、恥ずかしいからだろうけど、いささか不思議にも思う。ルイは、じれったさを感じる。ルイが自分の恋の話をしたい相手はいつだってレイコだっていうのに。そんな思いでルイはレイコが愛想笑いを浮かべてただ、頷くのを見ていた。
「ところでさ、二人は彼氏とか作らないわけ?」
ありさが興味深げに言ってきた。
「作らないって言うか、出来ないっていうか?」
ルイはふざけて言うと、レイコが口を開く。レイコの瞳がじっとルイを見据えてきた。
「ルイは、好きな人いるよね?」
「え?いや、ただカッコイイ……ってか憧れのような、幻想……」
ルイはそのレイコの質問に動揺して答えた。そんな話は直接は話していない。誰かから聞いたのだろうか。だとすれば、それは気まずい。一番仲がいいのはレイコであるしレイコも多分そう思っている。何だか、自分が薄情に思えてくる。だけど、それには言い分がある。何となく恋愛の話題を避けがちなレイコの為なのだし、しかも今ルイが自分で発したようにその相手に持っているのは恋にまで発展するものではないのだ。だって、相手は学校の帰りに買い食いするたこ焼き屋の大学生らしきアルバイトの男の人なのだから。
「え、そういうレイコは?」と慌ててルイは聞いた。
「私はルイが好き」
レイコは少し、不敵な笑みを浮かべていた。ルイは反射的にそれは冗談だと思った。きっと、レイコは自分が抱いた二人の友達関係に対する気まずさを払拭するために言ったのだろうと考えた。
「わかる!!それ~!何かルイってウケルよね。基本ドジっ子だから、しっかり者のレイコが構いたくなるのもわかるよ、ちゃんとしてないって言うか、アハハ!!」
ありさは屈託なく笑った。
「ハア!?何二人!?バカにしてるの?」
「そうじゃないけどさ……ありさ、携帯鳴ってない?」
レイコは着信音に気がついた。
ありさは慌てて携帯に応対する。それから聞こえる話と態度からすぐ相手はさっきまで文句を垂れていた彼氏からのものだとわかった。そして、ありさはやはり彼氏を優先して下校するということが推測できた。
「じゃあ、あの、悪いけどそこまで来てるって言うからアタシもういくわ」
そう当たり前のように言うと正門の方角へ走って行った。
「あの子一体なんなのさ、ったく」ルイは言った。
「本当!だだかき回して嵐のように去って行っちゃって、さあさ、たこ焼きでも食べて帰ろうか」
冷やかすように言うとレイコは自転車を押し始めた。
「ねえ、たこ焼き屋のお兄さんの話……誰かから聞いたの?」と出していた教科書類をしまうとルイは聞いた。
「聞いたって言うか、あんた大きな声であーちゃんとか、さとちゃんにベチャクチャ喋ってたのが聞こえたの」
レイコは呆れたような声を出していた。
「話してなくて、ゴメン……何となく、話しづらくて、その……」ルイは言った。
「恋愛とするには淡すぎるし、進展があるわけでもないから、報告の必要もないって思ってたってところかなあ?違う?」
レイコは自転車を止めて振り返った。
「そう!なんて言うか、近づく作戦とか具体的に他の子みたく考えられないし、その……レイコは!?レイコはどうなの?大体、あんまりそんな話しないからしそびれちゃったの」
ルイは思い切ったように言った。
「私は、今言った通りだもん」
「それはだって、冗談でしょ。それなら私だってレイコのことが好きよ。今だってだから傷つけたかなと思って謝ったんだもん」
「そっか、そうだよね」
レイコは薄く笑って再度進行方向へ向いた。
「いやいや、そうだよね。とかじゃあなくてさあ……」
ルイは知りたい。レイコは誰を、何を本当は想っているのかと。どうしてそうなのか、と。でも、この追求は少し意地悪かもしれないと思った。すると、レイコは振り向いてこう言い放った。
「じゃなかったらどうなの?キスがしたいって言ったらさせてくれるの?」
「……え?そんな、そんな風に……」
ルイはギリギリ冗談で突っ切るところで引き返さなかったレイコに驚いていた。だけど、そうかなって気はしていたことは確かだった。恋愛の話、男の話が嫌い、苦手、恥ずかしい、レイコの心の中を自分が決めつけていることが変だと思っていた。それを不思議だなんて曖昧にしていたが、本当はわかっていて仲良くし続けていたのだ。
ルイは混乱に陥った。ここでレイコを失いたくなかった。だからといってその気持が恋愛とは違うような気がする。でも、ある時まさかレイコ?と心のなかで疑った時、そして今も嫌悪感はなかった。
ただ、どうかすると今までのようにいられないのかということが、想像することが怖かった。
「ごめんね。追い詰めるような言い方して。嫌だったよね」悲しげにレイコは言った。
「ううん……でも、ワカンナイけどさ、レイコが嫌だとは思わないよ」
「思わないの?」
レイコは驚いた声を上げた。見開かれた瞳にはよく見るとうっすらと涙が浮かんでいた。
「どうしてかな、好かれて悪い気はしないってやつなのかな……ねえ、誰もいないからしてみていいよ、キス」
ルイはそれをまだしたことがなかった。だから、それはレイコの恋を利用してキスの感触を知るという好奇心がそれを口走らせた。軽薄かも知れなかった。
「ひどいね、試しにってこと?」
「そ、そっか。ならいいや……ゴメン」ルイは誤魔化すように笑をたたえた。
「ダメ、するよ。ルイが言い出したんだから、ほら目を閉じて」
レイコは少し強い口調で言って、自転車を止めると近づいて来た。パーソナルスペースというやつを超えたあたりでレイコの体温で存在感を知った。知ると、とたんにルイに緊張が走り、心臓が高鳴った。閉じた目に少し力が入ると唇にレイコの唇の接触した。レイコは少し角度を変えて唇同士でやわらかく触れ合った。
「……悪くないね」ルイは、自分の指で唇を確かめた。
「何その感想。お腹すいたし、行くよ」レイコは急にそっけなく自転車のハンドルを掴んだ。
「何処行くの?私やっぱりクレープがいいなあ。甘いものの方がいいよ」
ルイはそう言いながら、自転車に乗ってレイコを追い越した。