風の強い日、星と会話。
“I know what I say”
何を言えばいいかわかってるんだ。
何時だったかもう忘れちゃったけど、お母さんに質問した事があるんだ。
−ねぇお母さん。僕の家が全部タンポポでできてるんだったら、お母さんもタンポポなの?−
って。お母さんは洗濯物をたたみながら僕に言ったんだ。
−そうよ、当たり前じゃない。お母さんもお父さんもタンポポよ−
そして僕は笑顔になってもう一度お母さんに尋ねたんだ。
−じゃぁ僕もタンポポなんだね−
母さんは洗濯物を放り投げて、僕の肩を揺さぶって言った。
−違うに決まってるじゃない!なに言ってるの?あなたは人間なのよ、覚えておきなさい−
僕は泣いてしまった。そしてなぜかお母さんも泣いていた。泣き声でいっぱいの部屋に、やけに通る声でこう聞こえた。
−それが大事なのよ−
それが大事なのよ。確かにそうなのかもしれない。コーヒーを飲みながらそう思った。
「で、これが一緒に住んでる“タンポポに追われてる人”」
と、サンマンに紹介された僕は一言、どうも。と言って彼女に一礼した。色素が薄い、消入りそうな彼女はなんにも言わずに煙草の煙を細く吐き出した。鼻から煙が出ていなかったことに少し好感が持てた。
春が近づいて来ているといっても、この風の寒さは忘れられた冷凍庫の海老のように僕の体を冷やした。彼女が煙草が吸いたいなんて言わなければ、スタバの店内で陽だまりの犬のように暖かかったのに。まぁしょうがない。
「彼はねぇ大変なんだよ。彼のお父さんとお母さんのせいでタンポポに追われることになっちゃったし。」
サンマンは僕の身の上に起こった不幸な話。新品の服が泥で汚されるよりもひどく不幸な話を彼女に説明しだした。しかし、まぁどうでもいいけどサンマンは何時も言動が暑苦しい。そんなサンマンを僕と同じように鬱陶しそうに見ていた彼女は、サンマンの話をさえぎるように口を開いた。
「彼のことなら知ってるわ」
「あれぇ?俺話したっけ?」
「うんうん、話してないわよ。でも知ってるの。彼の親が失踪して、彼の“タンポポの家”の借金がタンポポ達に返せなくなって、差し押さえられて、それでもまだ足りないから彼の体をタンポポたちの綿毛、つまり種の肥料。“苗床”にする契約書に母音を押したのはいいけど、春が近づいてきて恐くなって、逃げ出して、サンマンの家に転がり込んだことはね。どう合ってるかしら?」
彼女は艶やかにあごを手に乗せて、透き通るように僕をじっと見てきた。自信であふれたその顔は何もかもを見通しているようだ。なぜかとっても不安になった僕は視線を外し。左手の中指と、右手の親指はめてある指輪を交互に見た。どうなの、合ってるの?と彼女がもう一度尋ねてきたので僕は言った。
「はい、間違いないです。合ってます。ところでサンマンの言った通り本当にあなたは何でも知ってるんですか?」
「さぁ、どうかしら」
意味ありげに彼女が微笑む。
「まぁいいです。僕の知りたいことさえ知ってればなんでも」
「知りたいことって、タンポポから逃げ切る方法?」
「はい。そうです。知ってますか?」
「ねぇ俺コーヒーなくなっちゃったから買ってくるけど」
サンマンは暑苦しいうえに空気も読めない。それだけ言うとサンマンは立ち上がってカウンターに歩いていった。
「サンマンって暑苦しいけど、いないと困るのよねぇ」
「照らしてもらわないと何にもできませんもんね、僕ら」
そうね。と短く答えて彼女はまた煙草に火をつけた。薄く目を閉じて彼女は言った。
「タンポポから逃げ切る方法ならあるわよ」
「教えてください」
「あなたラジオ体操の歌って知ってる?」
「はい。ラジオ体操第一ですよね」
「それじゃなくて、ラジオ体操の前に歌うやつ。新しい朝が来た♪っていうやつ」
「ああ、ありますね」
「それね、ずうっと流していなさい。寝るときも、ご飯食べてるときも、お風呂に入っているときも」
「そうすればどうなるんですか?」
「タンポポ達は近づいてこれなくなるわ。もちろん綿毛も」
「それだけで?」
「そう。それだけでよ」
僕は彼女に言われた事。つまりラジオ体操とタンポポの関係性の意味を少し考え、又、同時に春の少し浮かれた季節の中で、ずうっとラジオ体操の歌を流している自分の姿の事を少し想像した。正直どちらも、いかれた気違いだと思い、もうなんだかうんざりした。
でも、僕のこの状況を考えたらそれしか道が無いみたいだ。何て獣道だろう。
「外出するときが大変そうですね」
と僕が言った。彼女は本当に鬱陶しそうに、まるで小さなものでも見るように僕を見た後こう言った。
「そうね。でも、私が知ってる方法はそれしかないからしょうがないじゃない。」
僕はぬるくなったコーヒーを飲み干して、風でざわつく街路樹に目をやった。葉の抜け落ちた木は寂しそうに僕の目に映った。サンマンは新しいコーヒーを持って彼女の横に座った。彼女は又細く煙を吐いた。
そして、僕はどうも浮かれた春という季節にラジオ体操の歌をずうっと流さなければ、タンポポの苗床になってしまう事になった。
つまりそういうことだと思う。うん。そういうことだ。
季節は音も無く、目に見えるわけでもないが、確実に春になろうとしていた。
それから僕達は映画を見た。戦争の映画だった。人がいっぱい死んでいった。主人公は何にもしなかった。なんにもね。
映画を見終わった僕達は、やりたい事も見つからなかったから少し時間が早いけど家に帰った。彼女は自分の家に、僕とサンマンは、サンマンのアパートにあてもない空を眺めながら帰った。
サンマンのアパートにつき、夕飯を牛肉とピーマンの和え物にするかシメジと椎茸の卵とじにするかで悩んでいたら、僕の携帯の着メロ。彼女に無理やり変えさせられたラジオ体操の歌が流れた。
電話に出ると、彼女だった。
「ねぇお願い!!ペットが大変なの!!お願いだから助けて」
彼女の声はとても大きく、おもちゃ売り場で泣いてる子供のようだった。電話越しでも慌てている事がはっきりと伝わってきた。
僕とサンマンはパニックに陥っていた彼女を何とか落ち着けさせて、大変なことになっているらしいペットを助けるために彼女の家に行くことになった。
急いで身支度をして、アパートの扉を勢いよく開けた。夜になりかけた群青色の空がとても印象的に僕らを向かえ、強い風が僕らの背中を押してくれた。
電柱の脇に止めてあるサンマンの車に乗り込んで、ワーグナーのタンホイザーを聞きながら彼女家まで急いだ。
めまぐるしく変わる景色の中に違和感を覚えたのは、群青色の空が消え、夜の闇が完全に支配した頃。
いいや、彼女の家が近くなってきたときだった。
知っているのだ。彼女の家があるこの町の事を。なぜ?僕が生まれた町だからさ。道の端にある煙草屋や、看板の無い酒屋、それにこの坂道を下ったところにある“タンポポの家”。
僕はタンポポに見つからないように姿勢をできるだけ低くして、睨みつけるように辺りを見渡した。ワーグナーの曲は僕の心臓の音と見事に調和し、不安がべろの先っぽの方まできていた。
サンマンからサングラスを借りてみたのはいいけども、それでも不安は消えることなんてく、僕を精神的にも肉体的にもざわつかせた。
それでも、車は坂を登り、青い家の前に止まった。
彼女は青い家の前にうずくまっていた。車を降りて、僕とサンマンが声をかけると、彼女は消え入りそうな声でこう言った。
「お願い……もう私の言うことなんて聞かないの……危ないからやめてって言ってるのに……」
昼間会った彼女とは別人のようだ。艶やかで、自信にあふれていた声は無くなっていた。
サンマンが彼女をなだめている間、僕はタンポポ達に見つからないように垣根の隅に隠れていた。だから詳しい事はわからないが、どうも屋根の上にペットが上ってしまったという事らしい。
僕はそっと屋根の上を眺めてみた。確かに風見鶏の横にスーツ姿の男が座っている。サンマンが僕に言った。
「なぁ、俺ここで彼女のこと見てるからさ、悪いんだけど屋根の上に上ってペットに降りてくるように説得してくれないか?」
屋根の上なんてまるでタンポポ達に見てくれなんていってるようなもんじゃないか、嫌だ。
「ごめん嫌だ」
「そんな事言うなよ、お前彼女に貸しがあるだろ」
確かに彼女は無償で僕にタンポポから逃げる方法を教えてくれた。御礼はいつかしなくちゃいけないと思っていたのも事実だ。
ため息が先にこぼれたが、諦めた僕は屋根に上ることにした。
二階から上がれるから、と言った彼女は玄関を指差した。
僕は青い扉を一応ノックしてから開いた。真っ暗な玄関で靴を脱いで、すぐ脇にあった階段を上った。
階段を上りきって二階に来たはいいが、部屋に勝手に入るのも失礼だと思いどうしようかと悩んでいたら後ろから声が聞こえた。
「奥の左の部屋、私の部屋ですからそこからどうぞ、上がってきてください」
振り向くと、階段の向こう側に小さな丸い窓があり、そこからブラブラとスーツ姿の足を揺らしているのが見えた。多分、風見鶏の横に座る彼の足だろう。
僕は言われたとうりに、奥の左の部屋にいった。部屋の中にはベットとテーブル。壁に、空中ブランコに乗る鹿の絵。しかないシンプルな部屋を抜けて、ガタガタの窓を開けてベランダに出た。
一応、携帯の着メロだが、やらないよりはましだと思い、ラジオ体操の歌を流した。ずうっと流れるようにリピートにし、音量を一番ひくく設定して、上着のポケットにしまった。
上半身の力だけで屋根の上まで上がり、不安げな足取りで何とか風見鶏の横に座る彼の横に僕も腰掛けた。
下を見ると、不安そうに彼を見る彼女が見えた。サンマンは彼女の肩を抱いて寄り添っている。タンポポの姿はない。少し安心した。
「ほら。彼女心配してますよ、降りませんか?」
「そんな事をいわれても……これが私の役目ですからねぇ」
僕はここではじめて彼の顔を見た。夜空の星を眺める彼の顔は立派な、完璧な三日月だった。
薄く、金色に光る彼の顔はどこか少し疲れて見えた。
「スーツ……似合ってますね」
「え、あ、これですか。彼女が着せてくれたんですよ。ありがとうございます」
綺麗な笑顔の彼はそれだけ言うと、また夜空を眺めだした。僕は足を抱きよせて、彼とおんなじようにに空を眺めた。僕のポケットから小さく流れるラジオ体操の歌だけがこの沈黙を崩していた。
「その曲……私への……あてつけですか?」
と彼が笑顔で言った。
「え、いや御免なさい。気がつかなくて……そうですよね」
僕はポケットから携帯を取り出して、曲を止めようとした。でも、できなかった。これを止めてしまうとタンポポ達に捕まるかもしれない。そう思うと怖くなって、こんな自分の状況が惨めになって、泣いてしまった。
気がついたら全部話していた。彼に全部、身の上に起こってことをすべて話していた。
初めて会った彼に、泣きながら、情けなくなるほど震えた声で、僕はタンポポ達の肥料なんかになりたくないんだ。と呟きながら。
「大変ですね……」
「……あそこが僕の、タンポポの家なんです」
僕は自分の家を指差した。街道沿いのケバケバしたラブホの明かりで、僕の家は夜だというのに浮き立って見えた。
黄色い花の屋根。緑色の家の壁。綿毛でできた垣根。懐かしい思い出と一緒にまた涙が溢れ出した。
彼は、僕の肩をトントンと優しくたたいた。
「携帯……貸してくれませんか?」
いいですよ。と言った僕は携帯を彼に渡した。
まだラジオ体操の歌が流れているそれは彼の手の中で赤い火の玉になった。
「私にはこんな事しかできませんから」
と、笑顔で彼は言って、携帯だった赤い玉を夜空に投げた。
遠く、夜空に吸い込まれるように赤い玉は消えた。一瞬何が起こったかわからなかった僕は、ただただ夜空を眺める事しかできずにいた。
しばらく、ぼうっとしていたら赤い流れ星がひとつ、夜空に現れた。
赤い流れ星は夜空を自由に駆け回っていく。
いきなり、いや、だんだんとその流れ星を追うようにすべての星が動き出した。最後には空を覆うすべての星が赤い流れ星を追って流れ星になった。
サングラスを外して見たそれは、夜の闇の中を泳ぐ金色の熱帯魚の群れのようで、降り注ぐ金色の雨のようで、どんなものよりも綺麗で怖くて、でも綺麗だった。
「星には願いをかなえる力があるのかどうかは私にはわかりません。でも、流れ星に願いを託すやり方は好きです。さぁあなたのためにやったのですから、願い事を言ってください」
彼は立ち上がり。両手を広げ星達に挨拶した。まるで指揮者のように。
あれから季節は流れ、春も終わろうとしていた。
僕はサンマンと一緒に彼女の家に遊びに来ていた。
「ほら餌よ」
彼女は彼にいい匂いがする混ぜご飯を与えていた。
サンマンはいつもどうり暑苦しく、いつもとおんなじように空気も読めずにこう言った。
「でさぁお前あの時の流れ星になんてお願いして、流れ星に何て三回言ったの?」
僕は綿毛だらけの手でマグカップを持って、彼女の作ったインスタントのコーヒーを飲んだ。インスタントにしてはまともな味だった事にびっくりした僕は、軽い笑顔になった。
彼女はサンマンと、綿毛でまん丸モコモコになった僕を交互に見て呆れたようにこう言った。
「見ればわかるじゃない」
僕は窓越しに外を見た。暖かそうな日差しはキラキラと緑色の芝を照らしていた。
−それが大事なのよ−
と、何時だったか忘れちゃったあの日。お母さんと泣いているときのようにやけに通る声で、どこからか聞こえた。
多分屋根の上の風見鶏が言ったのだろう。
今日は風が強いから。
読んでいただきありがとう御座いました。このモノはさすらいのもの書き様の「三題噺」という企画にそって作りました。他の参加した作者様、さすらいの物書き様、本当に「三題噺」楽しめて書く事ができました。いい企画をありがとう御座いました。又、何かあるときはよろしければご一緒させてください、ね。
***夏苗さん二度もメッセージ有難う御座います。リアクションが少なくて本当に申し訳ないです。返信したかったのですが、どうもやり方がわからず……スイマセンでした。
僕のモノのファンだと言ってくれてもう本当に嬉しかったです、踊りだせるぐらい。
本当に有難う。これからもよろしくお願いしますね。
ピース。