わたくしの義姉の誘惑に、心を奪われた婚約者なんて必要ありません。
わたくしはあの女は大嫌い。あの女のせいで婚約解消をすることになったのだから。
セシリーヌはエレンシア・リセル公爵令嬢の兄嫁である。
元々は子爵家の娘で、嫡男の兄ゼルクが惚れに惚れて、父や母の反対を押し切って、妻に迎えた女だ。兄は金の髪に青い瞳の美しいセシリーヌに夢中で、セシリーヌの為ならと色々とドレスやアクセサリーを買って、溺愛していた。
調子に乗ったセシリーヌは、兄に色々強請ったのだ。
さすがに父リセル公爵や母の公爵夫人は良い顔をしない。
勿論、エレンシアだって、いくら兄が次期公爵だからって、結婚して早々、そんな贅沢はやめて欲しいと思った。
母はセシリーヌに、
「夜会や社交で必要ならば、ドレスもアクセサリーも新調致します。でも、貴方のは作り過ぎです。いかにリセル公爵家といえども、領民の税で生活しているのです。それに我が公爵家が贅沢好きと悪い評判が立ちますわ。ですから、いい加減にドレスやアクセサリーをやたらと作るのは止めて頂きたいわ」
しかし、義姉セシリーヌは、
「お義母様。ゼルク様は美しいわたくしを愛していると言っております。ですから、わたくしは美しく着飾ってゼルク様を喜ばせるのがわたくしの務めだと思っております。ドレスもアクセサリーも必要な物ですわ」
兄は兄で、
「美しいセシリーヌが欲しいと言っているんだ。いいではありませんか。わたくしは美しいセシリーヌが好きなのですから」
と頬を染めて言う始末。
兄は決して美男という訳ではない。
男としては背も低く、顔も平凡な部類だ。
惚れて妻に迎えたセシリーヌに逃げられたくないのだろう。
馬鹿じゃないの。だからお義姉様がつけあがるのよ。
頭に来たので、エレンシアはセシリーヌに向かって、きっぱりと言ってやった。
「お母様に公爵夫人としての仕事を少しは習ったら如何?」
「わたくしは社交に忙しいのですわ。ですから着飾って夫人や令嬢達とお話をしてリセル公爵家の為に役立つのはわたくしの仕事。お分かり?」
といって家の仕事を母から習おうともしない。
そして酷いのは、とある日、エレンシアの婚約者、フリウス・ハーレイ公爵令息がエレンシアに会いに来た時に胸を強調したドレスで、挨拶に来た。
テラスでお茶を飲むフリウスの横に椅子を持ってきて座り、その手を握り締めて、
「フリウス様。わたくし次期公爵夫人のセシリーヌと申します。お美しいのですね。絹のような銀の髪に緑の瞳。見惚れてしまいますわ」
頭に来た。
エレンシア自身も兄に似て、黒髪碧眼のあまり美人ではない令嬢だ。
それを美しい金の髪のセシリーヌが胸を強調した深紅のドレスで、フリウスの隣に座ったら、男だったら誰しも誘惑されてしまわない?
フリウスも頬を染めて、
「困ります。リセル公爵令息夫人。私はエレンシアの婚約者ですから」
「お堅い事は言わないのよ。あんな冴えないエレンシアより、わたくしの方がいいでしょう」
フリウスの手を握り締めるセシリーヌ。
エレンシアはフリウスの事を愛している。
彼は気が弱い所もあるけれども、エレンシアにはとても優しくしてくれた。
婚約者として誠実に接してくれていた。
ただ、フリウスは優しすぎるのだ。
今も、セシリーヌの手を振り払う事も出来ず、頬を染めてじっとセシリーヌを見つめている。
ここはしっかりと断ってよ。
貴方はわたくしの婚約者なのよ。
セシリーヌの誘惑に乗らないでよ。
テラスの目の前のテーブルで堂々と、セシリーヌはフリウスの手を握り締めているのだ。
エレンシアはきっぱりと、
「お義姉様。フリウス様はわたくしの婚約者です。あまりにも距離が近すぎません?お義姉様だって次期公爵夫人でしょう」
「だって、ゼルクは冴えないんですもの。フリウス様は美しいからつい、手を握り締めてしまいましたわ。フリウス様だって、エレンシアよりもわたくしに手を握られた方が幸せでしょう」
この女の頭の中は、スカスカなの???
兄ゼルクがやって来て、
「愛しのセシリーヌ。他の男の手を握るなんて私は悲しくなってしまうよ」
兄も兄である。
もっと怒りなさいよ。だから舐められるのよ。
悲しかった。悔しかった。この女の頬を殴ってやりたい。
今すぐ消えてよ。わたくしのフリウス様を盗らないでっ!
雨が降って来た。
このまま、テラスにいては濡れてしまう。
フリウスはセシリーヌの手を取って、
「濡れてしまいます。さぁ、中へ」
「気を使ってくれて嬉しいわ」
セシリーヌは、ちらりとエレンシアの方を見てにやりと笑った。
フリウスも兄ゼルクもセシリーヌと共に屋敷の中に入っていってしまった。
エレンシアは雨に濡れながら、
酷いと思った。
フリウスはセシリーヌに気を使った。
婚約者のエレンシアにはまるで気を使わなかった。
婚約して一年経つ。
政略で結ばれた婚約。
それでもフリウスが好きだった。
優しい人だと思っていた。
ただ、愛されていなかっただけ‥‥‥
義務で優しくされていただけ‥‥‥
いつまでもエレンシアは雨に濡れていた。
その事があってから、フリウスと二人で会っていても、
「セシリーヌ殿はどう過ごしているのか?」
「お義姉様の事が気になりますの?」
「美しい人だった。ちょっと気になっただけだ」
酷い酷い酷い。
貴方の目の前にいるのはこのわたくしよ。
それなのに、あの女の事を気にしているの?
思い余って母に相談した。
母は、
「あの毒婦が誘惑したとしても、フリウスもフリウスね。あの毒婦の誘惑に心、ここにあらずになってしまうなんて」
「わたくしが美しかったら、フリウス様はお義姉様になんかに心を奪われなかったのかしら」
「フリウスが不誠実な男性だと解って良かったわ。婚約解消しなさい。お父様が決めて来た婚約でしょうけれども、貴方が不幸になるのが目に見えているわ」
「お母様っ」
「それからわたくしからゼルクに話をします。あの毒婦をどうするか。もう堪忍袋の緒が切れたわ」
家族会議が行われた。
居間に父と母とエレンシアと兄のゼルクが集まった。
母はゼルクに向かって、
「セシリーヌと離縁をしなさい。元々、下位貴族の女。貴方がどうしてもというから、家に迎えたけれども、あの女の行動は目に余るものがあります。公爵夫人としての仕事を覚えようとしない。社交だといって、出かけてばかり。ドレスやアクセサリーには金を使う。挙句の果てに妹の婚約者を誘惑する。こんな女にリセル公爵家の事を任せられません」
兄ゼルクは慌てたように、
「セシリーヌにはセシリーヌの出来る事をやっているまでです。着飾ることだって大切でしょう。今はまだ公爵夫人の仕事を覚える余裕がないだけです」
エレンシアは兄に向かって、
「わたくしの婚約者フリウス様をこの間、誘惑していたでしょう。お兄様は見ていたはず。あの女、許せないわ。お兄様、離縁して頂戴」
「私はセシリーヌを愛しているんだ」
黙っていた父リセル公爵が、
「お前は家を出ていけ。あの女と共にな。家に害を及ぼすあの女と添い遂げたかったら、平民になるがいい。この家はエレンシアに婿をとって継がせることにする」
「そ、そんなっ」
エレンシアは一言、
「愛しているのでしょう。お兄様。この家はわたくしが継ぎます。あの女の事を愛しているなら、一緒に平民になって仲良く暮らして下さい」
兄は慌てたように、
「セシリーヌに言い聞かせるから。これからはきちんと公爵夫人の仕事を習うように、ドレスやアクセサリーもほどほどにするように。他の男性を誘惑しないように。言い聞かせるから」
父は兄に向かって、
「公爵家の当主としてお前に命じる。あの女と離縁か、お前が出ていくか二つに一つだ。いいな。ゼルク」
兄は青い顔をして部屋を出て行った。
エレンシアに向かって父リセル公爵は、
「フリウス・ハーレイと婚約解消したければするがいい。それを決めるのはお前だ。エレンシア」
エレンシアは自分を全く気遣ってくれなかったフリウスの態度を思い出した。
あの人はわたくしの事を愛しているわけではない。
貴族の結婚は政略だ。
しかし兄が家を継がないと言うのなら、自分が継がなければならない。
「わたくし、フリウス様と婚約解消致します。この家を継ぎますわ」
はっきりと宣言した。
兄があのセシリーヌを離縁出来ればそれに越したことはないが。
翌日、二人の姿が家から消えていた。
金目の物をごっそりと持って。
兄はセシリーヌと離縁出来なかったのだ。
父も母も、
「どこで育て方を間違えたのか」
「そうね。あの女に騙されて、金目の物を持って家を出るなんて」
フリウスと婚約解消が成立した。
フリウスが慌てて屋敷にやって来て、
「何を怒っているんだ?この間のことか?」
「セシリーヌはもうおりませんわ。家を出て行きましたの。わたくし、貴方には愛想がつきました。貴方はわたくしの事を愛していた訳ではなかった。確かにわたくしはあの女と比べて美しくありませんから」
フリウスはエレンシアに向かって、
「ちょっと、美しい人がいたから気遣っただけだ。気遣っただけなのに?婚約解消されてしまうのか?」
「わたくしを放っておいたでしょう。これから結婚したとして、わたくしより、あの女みたいな女性を優先させたらわたくし、貴方を許せなくなる。もう嫌なのです」
「解った。君の気持ちを尊重するよ。どうかお元気で。もし、気が変わったら連絡をして欲しい」
そう言ってフリウスは部屋を出て行った。
あんな酷い男、気が変わるはずないわ。
わたくしはあの女は大嫌い。あの女のせいで婚約解消をすることになったのだから。
と思っていたわ。
ああ、でもあの女には感謝しないといけないかも。
お陰様でフリウス様が不誠実だと解ったのだから。
本当に好きだったの。優しいフリウス様が。
でも、わたくしはフリウス様の何を見ていたのかしら。
そう思ったら悲しくなった。
しかし、悲しんでばかりはいられない。
しっかりと生きようと気持ちを新たにした。
一週間も経たないうちに兄ゼルクが一人で戻って来た。
床に頭を擦り付けて、
「金を使い果たしてしまいました。どうか父上母上、お許しを」
父は不機嫌に、
「商会に預けて下働きをさせる。金目の物をお前は盗んで逃げた。次期公爵になる器ではない。良いな」
兄はがっくりとうなだれた。
あの女はどうなったのか?
兄が戻って来てから更に数日後、川から死体になってあの女が見つかった。
兄は慌てたように、
「あの女は宿から出て行ったんだ。残っていた金目の物を持って。私は殺してはいないっ」
美しい女が街で一人でうろうろしていれば、格好の盗賊の餌食だろう。
気の毒だとは思わない。
あの女の末路にはふさわしいと思った。
母が色々な貴族の令息の釣書を持ってきてくれた。
「リセル公爵家と縁を結びたい家は多いのよ。さぁ釣書を見て、じっくりと探しましょう」
今度、婚約する人は、女の誘惑に乗らない人がいい。わたくしは美しくはないけれども、わたくしを愛してくれる方と結婚したい。
いくら政略とはいえ、女性は夫に愛されたいの。
母と共に釣書を見るエレンシアの心にはもうフリウスはいない。
雨は上がり空は晴れ渡り、まるでエレンシアの未来のように光が窓から差し込むのであった。
屑の美男を教育する変…辺境騎士団員達は、
「髪色が今までにない銀色に緑の瞳だっ」
「どうする?黒髪碧眼はあったが」
「さらっちゃえばいいんじゃね?美男の屑だし」
「屑の美男だ。三日三晩しっかり教育してやろう」




