どこが違うかではなく、どこまでが同じか。
掃除機を購入した。これまで様々な選択の場面で後悔をしてきたので、何かを買うときは売り場で大いに煩悶することになる。軽率な判断で後悔をするのではない。慎重に検討を重ね、熟慮の果てに選択した結果、後悔をすることになるのだ。どちらにせよ後悔するのならさっさと決めてしまった方が楽かもしれないが、私は楽な道を選ぶことを潔しとしない性格だ。何より、困難な道を選んだ上でサボる方が気持ち良いものである。
何かを買う時、事前に情報収集を行い現地では即買いという猛者もいるようだが、私は事前に調べた上で現地でも迷う人間である。カタログに書かれた性能、メーカーの宣伝文句、店員の声、購入者のレビューなどは話半分で受け取っているからだ。だが、事前情報もなしに売り場に突撃する勇気はないので、事前の情報収集は欠かせない。また、少しでも他人の声を参考にしておけば、失敗した時の責任をいくばくか転嫁することが可能になるという計算もある。
掃除用具のコーナーにはサイクロン式掃除機、紙パック式掃除機、円盤型のお掃除ロボットに、ほうきやクイックルワイパーなど多種多少なアイテムがひしめきあっている。どれも床を綺麗にするという目的は同じはずだが、なぜあれほどの種類があるのか不思議だ。
あらかじめ決めてある値段の範囲内で気に入ったものを選ぶことになるが、国産か外国産か、メーカーにも拘りがないので、見た目や性能が決め手になる。親戚が勤めていたメーカーが出している掃除機もあったので多少の義理を感じたが、すでに定年退職している上に仕事が原因でうつ病になったという話を聞いたことがあるので、特段贔屓する必要はないと思い直した。
目を皿のようにしてそれぞれの性能の違いを確認し、比較しながらあれこれ考えていたが、そもそもどの掃除機も床などのゴミを吸い上げるという機能は共通しており、その性能に大きな違いはないはずだ。人を殴ったり、漬物石にしたりするために掃除機を求める人間はいない(世の中には特殊な用途を目的にする人間もいるだろうが、少数派だろう)。
ゴミの吸い上げが可能であれば、掃除機としての機能はどの機種も8〜9割は共通していると言っても問題ないと思える。残りの1〜2割の瑣末な違いのために頭を悩ませるのは実に奇妙な話だ。極論、値段の問題をクリアすればどの掃除機を買っても問題ないはずなのだ。
それなのになぜ瑣末な差異に心が囚われてしまうのか。それはメーカー側が小さな違いを独自の強みとして強調するからだ。競合他社の中から自分たちの製品を選ばせるために、本質とはちょっとずれたところに注意を向けさせているのだ。
買い物に限った話ではない。誰かを排除しようとするときの根拠として、肌の色や言語、思想・信条、生活様式といった差異が持ち出されることが多い。確かに、人間同士には様々な差異があるが、それにも増して共通することが多い。生物としての共通点を前にすれば、文化的・風土的な違いなど高が知れている。だが、そのわずかな違いを根拠にして、人間という生き物は数々の醜悪な所業が重ねてきた歴史を持っている。
差異というのは人を誘導しようとする場合に都合良く利用されがちであるから、そのような場合は、逆に相互に共通点は何かということを考えてみた方が良いだろう。それらを比較をすることで、主張の根拠の薄弱さが明らかになることもある。自分が当たり前だと思っていた認識が、いかに頼りない土台の上に乗っていたかに気付かされることもあるのだ。
共通点があまりに当然の内容である場合、普段から意識することが難しいが、差異、違いは一見して分かりやすいものが多い。分かりやすいが故に欺かれるポイントにもなり得る。
何かを選択する際、どこが違うかという点ばかりに気を取られるのではなく、まずはどこまで同じであるかという点に気をつけたほうが適切な判断が出来るように思える。終わり




