本当に好きな人
アリスは子爵家の長女。仲の良い両親、そして3つ年上の妹思いの兄マイクとの田舎暮らし。
男爵であった研究者の祖父が、隣国で流行った感染症の特効薬を開発し、その功績で子爵を与えられた。ただ、研究者気質の祖父もその息子である父も爵位には興味がなく報奨金は全て研究費。邸宅は昔ながらの質素な作り、そんな家でアリスは育った。
アリスが14歳になって、我が家に爽やかな風を吹き込んでくれたのはリアム。
「アリス、前に話してた王都で人気のパティスリーのバームクーヘン、買って来たよ。」
「アリスが読みたいって言ってた本、持って来たよ。」
いつもアリスに優しく声をかけてくれた。リアムはよく通る声をしている。アリスは密かにリアムの声のファンだった。
リアムは兄、マイクの学友。王都にある学園に入学した時に寮の部屋が同じで仲良くなったらしい。長期休暇になるとリアムは必ず我が家にやってきた。公爵家のリアムにとって、子爵家の我が家など慎ましく質素な暮らしのはず。王都から離れて華やかさもない田舎暮らし。それを面白いと思ったのかリアムは長期休暇のほとんどを我が家で過ごした。
アリスは少し人見知りなところがある。ただ、リアムにはすぐに打ち解けられた。それはリアムの親しみやすい雰囲気にある。リアムはいつも笑顔を絶やさず穏やかな性格だった。そして、アリスに対していつも紳士的に接してくれる。アリスがリアムを好きになるのに時間はかからなかった。
ある冬の日、いつにもなく雪が降った。王都は雪が降る事は滅多にない。降っても積もる程は降らない。王都から離れたこの町でも30センチを越える積雪は数年ぶり。アリスはマイクと早朝から外に出て雪だるまや雪うさぎ、雪のお城を作った。領地の子どもたちが喜ぶ顔を思い浮かべながら。
雪の上に寝転がってスノーエンジェルを作っていると慌てた様子でリアムが
「アリス、今、助けるから。」
と言いながら走ってきた、と思ったら雪に足を取られて身動きできない様になっていた。
マイクと二人でリアムを起こしに行くと
「アリス、大丈夫?」
雪だらけの体でそう聞いてくる様子に兄妹で大笑いしながら、
「私、雪の上にエンジェルを作ってたのよ。新雪の上に大の字で寝転んで、こうやって手と足を水平に動かして、そっと起き上がると、ねえ、見て。天使の形。」
アリスが言うと、雪にできた天使とアリスを見たリアムは
「本当、天使だね。」
と、優しく微笑んだ。
その笑顔にますますアリスはリアムを好きになった。
「リアム、私、あなたとずっと一緒にいたい。」
アリスがもうすぐ学園に入学する、その前の長期休みに思い切って告白した。リアムは、微笑んで
「アリス、君と一緒にいると楽しいよ。」
そう言って、両親に婚約の許可を取ってくれた。
「アリスを頼む。」
マイクも兄らしい事をリアムに言ってくれた。
リアムにも兄がいるらしい。だが、公爵家を継ぐのはリアムで、アリスが学園を卒業すればリアムの家に嫁いで欲しいと言われた。もちろん、この家はマイクが継ぐのだからそれが当然だと思って了承した。リアムと一緒にいられるならどこにでもよい、そう思った。
そして、アリスは学園に入学した。
入学してしばらくは学園生活に慣れるのに忙しく、学年が違う事もあり、リアムやマイクに会う事も見かける事も無かった。寮で同部屋になったサラとは気が合い、学園でも一緒に過ごしていたから寂しく感じる事はなかった。サラは王都に構えた邸宅で生まれ育っている事から、最近の流行りや貴族社会の人間関係に詳しく、話を聞くだけで何時間でも過ごせた。
入学から10日程たったある日、昼休みの中庭で遠くから歩いて来るリアムを見かけた。
「リアム。」
アリスが呼ぼうとしたその時、
「あそこにおられるのは辺境伯の一人娘、ユリア様よ。本当にきれいな方。肌は透き通っていて、髪はストロベリーブロンドでサラサラ。来年度は学園の生徒会長も務められると聞いているし、皆の憧れの的なの。」
サラがリアムの隣を歩いている天使のような淑女を見てアリスに言った。
「隣を歩いておられるのが公爵家のご子息、ノア様とリアム様。お二人とも、ユリア様を大事にされていて。どちらと結婚されるのかしらね。」
そう、サラから聞かされた瞬間、心に影が差した。リアムを自分の婚約者として紹介してもよいのか、分からなくなった。
「サラ、私さっきお昼を食べたベンチに忘れ物をしてきたみたい。ちょっと取ってくる。」
そう言って、急いでリアムから遠ざかった。リアムに気づかれていない事を願って。
その日の夕方、マイクから連絡がきた。次の学園の休日にリアムの家に両親と共に挨拶に行く事が決まったと。
婚約はまだ正式なものでは無い。リアムから公爵家から了承を得ているとは聞いているが、両家の顔合わせさえ済んでいない。
両親、兄と一緒に公爵家を訪れて、その邸宅の大きさ、豪華さに気後れしそうになりながら玄関に入った時、リアムが迎えに現れた。
「アリス、ようこそ。」
入学前に話したきりで、半月ぶりのリアムの声。やっぱりリアムが好きだと意識した。
「学校で見かけても気付いてもらえないみたいで悲しかったよ。」
もしかして、この前の事、気付かれていたんだろうか。
「リアム、そんな所で話してないで中に入ってもらいなさい。」
リアムの父だろう。リアムより低い声だけどリアムと同じよく通る声。部屋に入ると公爵夫妻の隣にノアとユリア。ユリア同様ノアも整った顔で美男美女、絵に描いたようなお似合いの二人。リアムの両親を紹介された後、
「こちらが兄のノア。来年からは辺境伯見習いとなるんだ。そしてノアの婚約者のユリア。マイクとは同じクラスだ。そしてこちらが」
リアムがアリスを紹介しようとしたのを遮って、
「何て可愛らしいのかしら、あなたが、アリスね。」
ユリアがアリスを抱きしめた。
「こんな可愛いい子が義妹なんて、私は幸せ者ね。」
そう言ってもう一度抱きしめた。抱きしめられながらアリスはリアムの顔を探した。リアムはユリアを見ていた。でも、すぐにアリスを見てくれた。目が合った途端優しく頷かれて、アリスは少し不安には感じたが、気付かないふりをした。
「おいおい。ユリア、気が早いよ。僕らは結婚してないし、リアムなんて婚約もまだなんだから。」
ノアな困ったような顔をしていたが、ユリアのこの様子が婚約を後押ししてくれた。ノアはユリアと結婚して辺境伯として爵位を継承し、リアムは公爵家を継ぐ。辺境伯の溺愛を受けているユリア、そしてリアムとノアの両親から信頼を受けているユリアの意見に誰も異議を唱えるものはいなかった。
そして、アリスの両親、マイクは温かい目でその光景を眺めていた。
それからの学園生活、マイクはその血筋からか学園の研究室に籠ることも多く、出会う事は少なかった。ノアはリアムより1つ歳上、今年学園を卒業する年で卒業論文と辺境伯についての勉強で忙しいらしく、学園に来るのは週に一度程度らしい。
必然的にリアムとユリアが二人でいる姿はよく見かけた。でも、アリスが気付くよりも早く
「アリス、会いたかったわ。」
ユリアが駆け寄ってきてくれる事がほとんどだった。
「ユリア様、お会いできて嬉しいです。」
後ろからリアムが笑いながらユリアを追いかけてくる、誰が誰の婚約者だろうと思いながら少し心が痛む気もしたが、でも幸せな時間だった。
サラには婚約が正式に決まった後にちゃんと報告した。
「不安にさせるような声、言ってごめんね。でも、学園にいる級友、それから家族を通じて社交界にはリアムはアリスの婚約者ってちゃんと訂正しておくから。」
って言ってくれた。
そして、月日は流れノアが卒業し、隣国との国境にある辺境伯領に行く日となった。
「ノア、私も一緒に行きたい。離れたくない。」
そう言って涙を流すユリアの姿は本当に綺麗だ。そんなユリアに寄り添うノア。二人の姿は芸術作品を見ている様な美しさ。誰もが見惚れていた。アリスも、そしてリアムもじっと二人をを見ていた。
「ユリアの学園生活は後、1年だ。それまでにユリアの父上に認められるように精進してくるよ。ユリア、離れていても一緒だよ。」
ノアは力強い言葉と共にユリアを抱きしめる。
「うん。」
ユリアも、最後は笑顔を見せた。そして、護衛と共に王都からは1週間程かかる地に向かって出発した。
リアム、ユリア、マイクは最終学年に、そしてアリスも1つ学年が上がった。
「アリス。」
相変わらず、ユリアはアリスを見つけると駆け寄ってくれる。そして後ろから走ってくるリアムも相変わらず。一つ変わった事と言ったら
「お姉様。」
ユリアの希望でアリスはユリアの呼び方を変えた。
そんな学園生活が続くと信じていた、長期休暇の直前の事だった。
「アリス。」
授業が終わったタイミングでマイクが教室までやって来た。
「どうしたの?」
珍しい事もあるもんだと悠長に構えていたが、マイクの顔が真っ青な事に気付いた。もしかして、リアムの身に何か悪いことが、そう考えて顔が引き攣った瞬間、マイクが重い口を開いた。
「落ち着いて聞いてほしい。ノア様が事故に遭われた。」
ユリアから長期休憩中、辺境伯領の実家に帰るため王都までノアが迎えに来てくれると聞いていた。ユリアを迎えに来る途中でノアは事故に遭ったのだ。
「ノア様は、意識が無いらしい。心臓がいつ止まるか危険な状態らしい。」
一息ついて、マイクは続けた。
「ユリアが冷静さを失って誰かが見ていないと駄目らしい。辺境伯もこちらへ向かわれているらしいが、1週間はかかる。今はノアの両親とリアムがユリアから離れられないらしい。しばらく、アリスに会えなくなるかもしれないとリアムからの伝言だ。」
そして3日後、ノアが息を引き取った。
そう、長期休暇の初日、アリスは両親から聞いた。
誰も予想できない事故だった。馬で王都に向かう途中、火の手が上がる一軒の家を見つけた。ノアは護衛より早く、逃げ遅れた子どもがバルコニーにいるのに気付き、一人、救助に向かったのだ。そして、子どもを連れて戻ってきたノアは全身に大きな火傷を負っていた。
護衛が王都まで運んできたが、その時にはすでにノアは意識もなく息も絶え絶えであった。名だたる王宮医からはすぐにでも心臓が止まると言われた。ただ、そんな状況で、ノアは3日、生き続けた。3日も命が続いたことさえも奇跡的な事で、もう一度奇跡が起きて回復するのではと言われていた矢先の死だったそうだ。
アリスの両親はマイクから今回の事故を聞いてすぐに、王都に出て来ていた。葬儀までは王都にある祖父の研究所と隣接する邸宅で過ごした。
両親、マイクと共にノアの葬儀へ向かった。
そして、真っ先に目に入ったのがユリア。目の下には濃いクマ、そして絶望感漂うユリアの姿に参列した誰もが心を痛めた。そして、その横にはリアムが寄り添っていた。
棺に入ったノアを見る事を拒否して、リアムの胸で泣き続けるユリアを誰も止める事は出来なかった。
「アリス。」
マイクが何か言いたげにアリスを見るが、気付かないふりをしてアリスは前を見つめていた。
葬儀が終わってからは両親と共に家に戻った。長期休憩、本来であればマイクがリアムを連れて帰る予定だった。ただ、いつまで待っても二人は来なかった。
そして、長期休暇が終わる少し前にマイクが一人で帰って来た。
「アリス、元気か?」
マイクの探るような目を避けて
「元気よ、兄様。」
できるだけ明るく答えた。
学園にいる頃、聞こえないふりして聞いていた噂。
「ユリア様を先に好きになったのはリアム様らしいわよ。それをノア様が後から好きになって。結局、ユリア様はノア様を選ばれたから...。」「リアム様も素敵だけどやっぱりノア様よ。何でも器用にこなされて。成績も騎士としての素質も右に出る者はいないらしいわよ。」
多分、リアムが長期休暇をマイクと一緒に田舎に来たのはノアとユリアが一緒にいる姿を見たくなかったから。そして、顔合わせの時は最初、アリスでなくユリアを見ていた。ノアが辺境伯領に行く時、ユリアを見つめていた。思い出すとリアムがユリアを好きだという光景が後から後から頭に浮かんでくる。リアムがユリアが好きなのか、確認する事もできず、だからといってリアムを諦める事もできず。
アリスは自分がリアムにとって二番目かもと心の隅では思っていた。でも一番好きなユリアはノアが好き、だからアリスを選んでくれた。二番目かもしれないと思ってもアリスはリアムが好きだった。ノアががいなくなった今、リアムとユリアはどうなるのだろう、そう考えると夜もなかなかぐっすり眠れなかった。
その夜もなかなか寝付けず、少し水を飲もうとキッチンに続く廊下を歩いていると両親とマイクの声が聞こえた。
「では、王都ではユリアとリアムが結婚すると噂になってるのだな。」
父の声だ。
「ユリアはまだノア様を亡くした事実が受け入れられないみたいで、常にリアムを側に置きたがっているらしい。ただ、リアムはこのままでよいとは思っていないとは言っていた。」
マイクは今もリアムの味方だ。
「でも、現に今もリアムはユリアさんの側にいるでしょ。アリスが二人の中を引き裂いているって噂が王都では持ちきりって。昨日、王都から私の学園時代の友人が来てたでしょ。そう、教えてくれたわ。」
母だ。
「その噂は...、僕も聞いている。僕にも、アリスから婚約解消を言い出すように伝えてくれって言う奴がいる。リアムとユリアの障害になっているって。だけど、リアムはアリスと結婚すると言っている。」
マイクの声に両親は黙り込む。
「私、婚約解消するわ。」
突然のアリスの声に3人は一瞬、固まった。そして、アリスのいる方に目を向ける。
「兄様、迷惑をかけてごめんなさい。王都で肩身の狭いを思いをさせて。」
そんな事ない、と言いたそうなマイクを制してアリスは続ける。
「私は、もう王都には行かない。学園は辞めて、家に戻るわ。明日から婚約者探しをするわ。今度は私だけを好きになってくれる人。兄様、よい人を見つけてきてね。そうしないと、私、ここに居ついちゃうから。」
「アリス、リアムはアリスの事が好きなんだよ。」
マイクが口を挟む。
「私、知ってるの。ユリア姉様はリアムの初恋の人でしょ。休暇をこの家で過ごしたのだってノア様とユリア姉様の二人を見たくなかったからって、皆、噂してたの。それに兄様、今の状況、誰が見てもリアムが好きなのはユリア姉様よ。私は二人の中を割く悪者にはなりたくない。自ら身を引くの。お父様にもお母様にも兄様にも心配かけない素敵な人と出会うから、だから。」
それだけ言うと後を続けられずアリスは泣き崩れてしまった。
次の日の早朝、マイクは王都に向けて出発した。アリスが寝ている間に。昨夜、泣き崩れたアリスは、ノアが事故にあったと聞いてから初めて熟睡できた。マイクがいない事を知ったのは昼過ぎに目を覚ました時だった。遅めの昼食を、両親と共に済ませた。久しぶりにぐっすり眠れたアリスの姿に両親は少しホッとした様子だった。婚約解消を決めた事、アリスの気持ちは沈んだままだったが両親を安心させるためなるべく明るく努めた。リアムの事は考えないようにして。そうする事でアリスの傷も癒えるような気がした。このまま少しずつリアムを忘れて前に進もう、そう思っていたのに。
夜になって、マイクがリアムを連れて戻ってきた。
久しぶりに見るリアムは疲れている様子だった。労わる言葉をかけたかったが、我慢した。
「兄様、王都まで往復するなんて無茶しないで。」
代わりにマイクに声をかける。その様子を見ながらリアムが声をかけてきた。
「アリス、久しぶりだね。」
声を聞くとやっぱりリアムが好きだと自覚した。でも、もうリアムを自由にすると決めている。
「お久しぶりです。遠路はるばるお越しくださりありがとうございます。」
他人行儀な挨拶をする。
「そんな玄関先で話をせず、中に入ってもらえ。」
父の言葉に
「リアム、とりあえず家に入ろう。」
マイクが声をかけた。
母がお茶を用意する間、父とアリス、そして向かいの席にマイクとリアム。誰も口を開こうとしない。母がお茶を手にして入ってきた時
「リアム様、婚約を解消させてください。そして、私の前には二度と顔を見せないでください。」
そ言うと、アリスは椅子から立ち上がり部屋を出て行こうとした。
「待って。」
リアムがアリスの手を掴む。
「アリス、お願いだ。話を聞いてほしい。今、ユリアはノアを亡くして自暴自棄になっている。」
「だから、ユリア様の側にずっといてあげてください。私はリアム様の婚約者でいる事に疲れました。」
アリスはそう言うと掴まれた手をほどいて部屋から出ていった。
リアムは次の日の朝、王都に戻って行った。その後ろ姿を部屋の窓のカーテンの陰から姿が見えなくなるまでアリスは見つめていた。
そのすぐ後に
「コンコン。」
アリスの部屋をノックしたのはマイクだった。マイクは部屋に入るとすぐ窓辺にいるアリスを抱きしめに来てくれた。
「兄様。私、ちゃんと自分から婚約解消を伝えましたよ。」
もう泣かない、アリスは決めていた。
そう言うと、マイクは
「アリス、リアムからのお願いだ。アリスを悪者にする噂は学園の休暇が終わるまでに公爵家の名を使って訂正する。だから学園は辞めないでほしいと。」
勝手な事ばかり言う、とリアムに腹が立った。でも、正直に言うと学園は辞めたくなかった。
「俺がアリスの事は守る。ずっと一緒にいる。だから、学園に戻ろう。」
そう話すマイクに
「大丈夫。兄様は研究室で籠って、大切な研究を進めてください。私が強くなるから。誰に何と言われても私がリアムを振ったんだから。リアムとユリア様の邪魔はしない。」
アリスは学園に戻る事を決意した。
新学期、アリスは学園に戻った。学園が始まる前日、寮でサラと再会した時、強く抱きしめられた。そして、サラから
「おかえり。」
と言ってもらった。その言葉に、不安に押し潰れそうになっている気持ちが少し軽くなった。
そして新学期、リアムとユリアかいない事を除いては何も変わらない日常が戻っていた。王都で流れていた噂は嘘のように。緘口令が引かれているかと思うぐらい、誰も事故の事、アリスとリアムの事を話す者はいなかった。公爵家から何か申し入れがあったのかもしれない。
そして、4ヶ月が過ぎた。ノアの死から半年近く経った。
いつも研究室に籠っているマイクが教室を尋ねて来て、学園の休日で予定が空いてる日を聞かれた。
ちょうど次の休み、サラはお付き合いをしている彼を家族に紹介すると言っていた。
少し前、アリスは同じクラスの男の子がサラに好意を寄せている事に気付いた。サラも好意を寄せている事を確信したアリスは二人を誘って観劇に連れ出し、途中、具合が悪くなったふりをして先に帰った。次の日、学校で二人から付き合う事になったと聞いて上手くいったと一人、ニヤニヤしてしまった。今までは休日はサラと過ごす事が多かった。でも、そろそろサラも自由にしてあげないと、そう思うとリアムの時とは違って嬉しい気持ちになれた。
マイクとは次の休みに会う約束をした。
「美味しいものをご馳走してね。」
そう、明るく言うアリスに
「現金な奴。」
マイクも明るく言い返した。
何もかも吹っ切れたふりをしているが、サラがいない一人で過ごす寮の部屋では夜中に突然、寂しくて泣き出してしまう事もあった。でも、それをうまく隠せるほどには立ち直った気がする、アリスはそう思っていた。
休日の朝、マイクが寮まで迎えに来た。
「どこ行くの?」
と明るく尋ねるアリスに
「ごめん。アリス」
謝るマイクの後ろから現れたのはリアムだった。
「アリス、久しぶりだね。」
リアムの声を聞いて、これだけ時間が経ってもリアムが好きという気持ちに気付いて愕然とする。返事も出来ないで戸惑っていると
「ごめん。二度と顔を見せないでって言われたのに会いに来てしまって。」
黙っているから怒っていると思われたみたいだ。
「大丈夫よ。元気そうでよかった。」
泣いてしまいそうな自分に負けじと強がりを言う。
「少し話を聞いてほしいんだけど。」
不安そうに言われると助けたくなる。でも、リアムは私の助けを必要とはしていないはず。
「ごめんなさい。今から兄様にご馳走してもらうつもりだったからお腹がぺこぺこなの。また、次の機会にしてもらってもよいかな?」
アリスはリアムと早く別れたかった。だから、そう言ったのに
「リアム、じゃあ食事をしながら話せばいいんじゃないか?」
マイクが勝手に話を進める。アリスの了解も得ないまま、マイクは乗ってきた馬車にアリスとリアムを乗せて見晴らしの良い高台にあるレストランへ向かった。この店の事はサラに聞いた事がある。個室のみのレストランで予約を取るのも一苦労する店だと。予約を取るのに半年程待つ店だから、サラはお付き合いをしている彼と半年後の予約を取った。サラの誕生日に。
そんな店の前にマイクはアリスとリアムを降ろすと
「帰りは頼んだぞ。」
と、リアムに告げて去って行った。
アリスがどうしたらよいか戸惑っていると、リアムに背を押されて店の中へ。
「お待ちしておりました。」
オーナーらしき紳士が声を掛けてきた。リアムは親しげに少し話をして、アリスと共にそのまま最上階の個室に流されるように案内された。
なぜかは分からないが仕組まれたらしい事に気付いた時にはテーブルを挟んだリアムの向かい側に座っていた。
「往生際が悪いと思ってほしい。」
唐突にリアムが話し出した。
「最初、マイクの家に行ったのはノアとユリアを見たくない気持ちは少なからずあった。」
何を話されるなか分からないがけど聞きたくない、そんな思いにアリスが
「とりあえず、何か頼みましょう。」
そう、言うとリアムはすごく悲しそうな顔をした。
「お願いだ。話を聞いてほしい。」
そう言われるとアリスは口を閉じるしかなかった。
リアムが続きを話し出した。
「でも、マイクとそしてアリスと過ごす内にそんな気持ちはなくなった。純粋にマイクとアリスと過ごす日が愛おしかった。」
リアムがアリスの手を握ってきた。
「アリスが雪の中に天使を作った時、アリスこそが天使だと思った。アリスはユリアの事を天使みたいってよく言ってたけど僕にとってはアリスが天使だったんだ。だから、アリスにずっと一緒にいたいって言われて心の底から幸せだった。でも、不安だった。ノアを見て心変わりされるのが。ノアは、僕の兄さんは何でも完璧にできる人だった。ユリアもそんなノアにすぐに惹かれた。大概の女の子は僕に好意を持ってもノアを見ると心変わりをするみたいで。でも、アリスは初めてノアと顔を合わせた時、僕の顔を見てくれた。僕だけを見てくれた。僕のアリスだって思った。」
リアムはアリスの手をさらに強く握った。
「だから、ノアが死んでしまった時にもアリスは僕から離れないって勝手に決めつけた。そして、ユリアには誰かが必要だった。僕じゃなくてもよかった。なのに、勝手に僕が支えにならないとって思い込んだ。
だけどあの日、アリスに拒絶された日、ようやく気付いたんだ。僕はユリアじゃなくてアリスの側にいたいって。だからって急にユリアを突き放す事も出来なかった。だから、アリスに婚約解消を宣言された夜、アリスの両親とマイクにはお願いしたんだ。半年、待ってほしいって。それまでにユリアと離れる、僕はノアじゃないって説得する。だから、婚約解消は待ってほしいって。」
リアムはアリスの手を離して姿勢を正す。
「アリス、結婚してほしい。」
そう言って、ポケットから指輪を取り出した。
アリスの答えを待っている、そう思うのに何て言えばよいのか分からない。自分の気持ちが嬉しいのか、悲しいのかさえ。
答えられないアリスを見てリアムは指輪をポケットにしまった。
「返事は急がないから。そうだ。お腹が空いてるって言ってたよね。注文しよう。何か食べたい物はある?」
アリスは何も考えられず頭を左右に振る。すると、リアムは
「適当に頼むね。」
と、言いながら注文をしていた。
注文した料理が届くと
「美味しそう。」
とリアムがすごい勢いで食べ始めた。
「ほら、アリスの好きな海老だよ。食べないの?」
そう、言われて朝にパンを一口食べただけだった事を思い出してしたアリスは無性にお腹が空いてきた。
「食べる。」
アリスがそう言うとリアムはニコッと笑って大きな海老を取り分けてくれた。一口食べると、流石、情報通のサラが予約するだけある、美味しさに思わず笑みが溢れた。
その顔に一瞬固まったリアムだったが、すぐに笑顔になりその後は少しぎこちなくなりながらも食事が楽しめた。
デザートを一品ずつ頼み、お腹いっぱいになった時、リアムが
「もし、この後少し時間を貰えるなら、ユリアがアリスに会いたいと言ってるんだけど。」
遠慮がちに告げた。
アリスは少し迷ったが、ユリアを好きな気持ちは変わりなかった。
「いいよ。」
そう、返事した。
外に出ると公爵家の馬車が待っていた。それに乗って着いたのはマイクが通う研究室だった。リアムの家に向かうと思っていたから少し拍子抜けした。
馬車からアリスが降りたのと同時に
「アリス。」
白衣を着たユリアが走って来た。後ろにマイクの姿も見えた。
「アリス。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」
ユリアはアリスを抱きしめながら何度も謝った。
「ノアを亡くした寂しさを埋めるために優しい義弟のリアムに代わりをさせてしまったの。ごめんなさい。アリスの気持ちも考えないで。」
「ユリア姉様。」
アリスがそう言うとユリアはぎゅーっとアリスを抱きしめてくれた。
「お姉様、痛い。」
思わずアリスが声に出してしまうと、リアムがアリスを助けようと二人の間に入ろうとした。
「リアム、もう少し二人で話をさせてよ。」
リアムを追い払おうとするユリアに
「アリスが嫌がっている。」
執拗に離れさせようとする。
「大丈夫だよ、リアム。私、お姉様が大好きだから。」
その言葉にリアムは少し肩を落とした気がしたが、大人しく後ろに下がった。
「アリス、リアムは私を支えてくれた。でも、決して私を見ていなかった。私の後ろにいるノアを見ていたの。ノアを超えたいって気持ちで私の側にいてくれた。リアムにとって私よりノアが大事なの。で、それ以上に大事なのがアリス、あなたなの。アリス、まだあなたにリアムが好きっていう気持ちが少しでも残っているならリアムとの婚約、続けてほしいの。」
ユリアの言葉はアリスの胸を打った。
だけど、それ以上に気になる事があった。
「姉様。何で言えばよいのか分からないけれど。」
少しの沈黙に周囲の緊張が走る。
アリスは続けた。
「どうして白衣なの?」
周りの緊張が途切れた気がした。
「私、今はここで研究のお手伝いをしているの。行く行くは辺境伯領に帰って一人で研究ができるように今、修行中なの。」
照れながらそう話すユリアは今までで1番輝いて見えた。
その姿を見てアリスは決めた。
「姉様、私、やっぱりリアムが好きです。嫌いになりたいって何度思っても無理だった。」
アリスの言葉にリアムとマイクが目を見開いた。
そして、ユリアが続けた。
「アリス、私もまだノアが好き。忘れたいって思ったけど忘れられない。時々どうしようもなく寂しくなる時があるの。でもね、きっと乗り越えるから見ていてね。」
「もちろん。」
アリスの返事を聞いたユリアは微笑みを浮かべながら、
「マイク、研究の続きに戻るわよ。」
と、マイクの腕を引っ張りさっさと研究室に戻って行った。
後に残されたアリスとリアム。アリスは何となく恥ずかしくなって下を向いた。
「アリス、さっき僕が好きって言ってくれたけど、本当に?」
リアムが不安そうに顔を覗き込んできた。
意を決してアリスは答える。
「リアムを嫌いになりたかった。でも、なれなかった。だから、そのポケットに入れた指輪、やっぱりほしいかな、なんて思ったんだけど」
と言い終わる前には指輪はアリスの薬指にはめられていた。
「えっ。」
と、驚くアリスを見て
「心変わりされたら困るからね。」
リアムは続けた。
「アリス、愛してる。」
その言葉にアリスは息が止まった。
「リアムはユリア姉様が好きだって思ってた。辺境伯領に向かうノアとユリアの姿から目が離せないからこれは絶対って確信してたんだ。」
アリスのその言葉にリアムは大きく首を振る。
「違うよ。二人の絆を見て、僕とアリスも負けて無いって勝手に対抗心を燃やしてたんだ。その時に、ユリアへの気持ちが全然残って無いって気付いたんだ。アリスだけが好きだって。マイクからアリスは僕がユリアを好きだと思ってるって聞いて、反省したんだけど。僕はアリスにまだまだ信頼してもらえてなかったって。」
「ごめんなさい。」
思わずアリスが謝ると、
「違う、全部僕が悪い。サラにも怒られたよ。」
「えっ?サラ?」
サラからリアムの事を聞いたのは学園で初めて見かけた時、後にも先にもそれ1回きり。二人が親しいなんて聞いた事はない。すると、恥ずかしそうに
「実は今日のお店もサラに教えてもらったんだ。アリスに婚約解消を宣言されてすぐにサラに相談して、お店も予約して。オーナーが知り合いだったからちょっと便宜を図ってはもらったんだけど。」
リアムの言葉にびっくりしていると
「でも、サラにはあの店でプロポーズしたら間違い無いって言われてたんだけどな。」
「って事はサラは今日の事、知ってるの?」
「ああ、マイクとサラには今日、アリスの予定を空けるために協力してもらった。アリスに婚約解消を宣言されて、学園にも社交界にも僕とユリアの結婚は無いと、アリスを傷つける者は公爵家に対する冒涜だと伝えた。」
だから、学園生活で誹謗中傷を受ける事が無かったんだ、アリスは納得した。
「アリス。もう絶対に辛い思いはさせない。だから、婚約解消は撤回してほしい。」
必死なリアムにアリスのモヤモヤした心が一気に晴れる気がした。
「リアム、私ね、リアムの声が大好きなの。だから愛してるってこれから先私の隣で言い続けてほしい。」
アリスのお願いに
「アリス、愛してる。ずっと隣にいるからね。」
そして、目を合わせゆっくり二人が強く抱き合おう、とした時
「グスッグスッ。」
鼻をすする音。二人が音のなる方にゆっくり目を向けると、ボロボロ涙を流すマイクの姿が。
「マイク、ちょっとは我慢しなさいよ。」
隣でユリアが怒ってる。
「だってようやく二人が、」
最後まで続けられずにマイクは大泣きしている。
困ったような顔をしながらマイクの涙をぬぐうユリア。
「マイク、ユリア、なんで見てるんだよ。」
恥ずかしそうに上を向くリアム、その姿を見ながらアリスはずっとこの人の隣にいようと思った。




