薄明光線
水の宇宙人マナブと破壊の概念インテリタスが紡ぐ連作短編です。
天使の梯子という可愛らしい単語を見ました。とても可愛いし、薄明光線をこれほどいい感じに翻訳した単語もないと思っています。
■いる人
インテリタス…破壊の概念。少女の姿を得た。人間勉強中。決して重くはない。
マナブ…水の宇宙人。美青年。世話焼き。インテリタスを姫抱っこできない。ひょろがり。
空から降りてくる幾つもの梯子。その先の雲からは柔らかな光が降り注ぎ、天上全体が輝いているようだった。差し込んでいるのは太陽光か、あるいは空に住む者たちの囁き声の象徴だろうか。どちらにせよ、地上の者からは神秘的な光景であることは間違いない。
あの雲の向こうには何があるのだろう。窓から薄明光線を眺めていたインテリタスは、誘われるようにして空き地へと出た。雲は厚く空を隠していて、見上げても様子は確認できない。梯子の先には何が。梯子を上り切った先には何があるのか。
まだ、午後になって間もなかった。あの光の梯子を登って、天を確認し、それから直し屋の屋敷に戻ってきても十分な時間はあるはずだ。天から伸びる梯子は十分怪異と言えたが、インテリタスには登らないという選択肢はない。あの向こうにあるもの、輝いている何かを確認したい。光り輝くものに手を伸ばす。インテリタスの衝動のうちの一つである。それを──人はそれを欲求というのだろう──止める術を、まだインテリタスは知らない。
白く艶めく梯子。それに手をかけ足をかけ、ゆっくりとインテリタスは登る。日常生活を送るのにもままならない、動きづらい人間の身体だが、緩徐に手足を動かせば梯子を登る動作は問題なさそうだ。想定外の出来事が起こらない限りは登り切れる。インテリタスはそう判断した。ただ、裾の長いスカートが大いに邪魔である。この類の衣服しか与えられていないため仕方がないが、服の形態のためにとっさに手足が出ないこともままあった。今、着用している型でないものを着れば、もっと微細に動くことができるのだろうか。この少女の未発達の筋骨では期待しても無駄かもしれない。
『お前、足あったのか』
夏、男の一言を思い出す。その男はインテリタスの先端に足指を認めたのだった。他人に規定され、触れられて初めて得た足先。その判明した身体を辿るとその奥に何があるか、あの男なら知ることがあるかもしれない。人間に近づく異界の身体。それが、完全な人間になったと認識した時、インテリタスは男に何を言われるのだろう。完全な人間になりたいと切望している男に。
余計なことを考えたのがいけなかった。インテリタスが自分の身体に思いを馳せていると、不意にずる、と足が下に落ちた。思いもよらぬ衝撃が身体を襲い、落下。咄嗟に梯子を手で掴む。身体の全体の重さが肘にかかった。インテリタスが感じたこともない軋みが腕全体に広がっていく。関節が延ばされ、じんわりとしびれるその感覚──痛い。これは痛い、だ。
急激に腕全体を襲った強烈な刺激に、インテリタスは自分の表情が歪んだのがわかった。脚を梯子にかけようとしたが、長いスカートが邪魔をする。滑る足を動かすほど、腕が攣る。腕が持たない。そう判断して、インテリタスは足を動かすのをやめた。
梯子を腕で掴んだままの宙づり。完全に動けなくなっている。その静止も程なくすれば、落下に転じるに違いない。今すぐ手を離して落ちるか、腕の限界が来て落ちるかのどちらかだ。
果たして、人間の身体を持ちつつあるこの身体は衝撃に耐えうるのか。
落ちるタイミングを決めかねている所に、男が現れた。
「インテリタスっ!」
首をひねると、インテリタスを見上げて目を剥いている男が確認できた。いつになく慌てた表情で、美しい顔が台無しである。
「何やってんだお前!」
今から行くから、とか、手を離すなだ、だとか男は騒いでいた。数多くインテリタスの窮地を救ってきた男だが、今回ばかりはこの身体の崩壊を目にするだろう……と、インテリタスは思った。手も腕も限界である。それを察したのだろう。男はインテリタスへと向かって、両手を伸ばした。
「飛び降りろ! 絶対、僕が抱き留めてやるから!」
……この水の宇宙人は非力すぎて、インテリタスの身体を抱き上げるどころか、下敷きにすらなるというのに、何を宣っているのか。
しかし、この人間ができないことを言わないのもインテリタスは知っていた。
「マナブ」
男の名前を呼んで、インテリタスは梯子から手を離した。
今度こそ本当に落下していく。地面にひきつけられていく。速度をあげて、下へ、下へ。髪も洋服もはためいて。インテリタスはコップを床に落とすとなぜ割れるのかがわかった気がした。力が強いのだ。インテリタスの力と同じように、この特区は強い力を持っている──。
重力。それを身体で感じながらインテリタスは自分が壊れるだろう、と思っていた。強い力を受けたものは、すべからく壊れるのである。この身体は地面に叩きつけられて壊れる。マナブはインテリタスの崩壊を止められない──。
想像した衝撃はなかった。バチャンと水音が響き、インテリタスの細い骨と薄い筋肉、それを埋める無数の細胞でできた身体は、柔らかい水の上に落ちた。冷たく濡れた顔をあげると、インテリタスの下でマナブが半壊していた。水の宇宙人の身体は衝撃で飛び散り、肉体から引きちぎったような透明な欠片が本体を求めて凝集し始めている。半透明の腕がインテリタスをしっかりと抱きかかえ、崩壊したのはインテリタスではなくマナブの方だった。
何やってんだよ、とマナブが半身でつぶやく。スライムの発声器官は十分に整っていなくても、声を出せるのだとインテリタスは初めて知った。
「大丈夫か?」
「こわれ、なかった」
「そうだな。壊れたのが、お前じゃなくて良かった」
凝集しきっていない顔。マナブの表情はまだわからない。それでも、インテリタスはマナブが笑っているような気がしていた。
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