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卑屈な者の恋  作者: 神 伊織
第1章
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第1話 出会い


 ―2006年4月6日、天気は快晴。

  

 工場地帯の中に、ポツンとそびえる白色の3階建校舎。


 校舎前には野球とサッカーはできるくらいのグラウンドが広がる。昭和の時代に建てられたと思われる、伝統的な公立校のデザインを色濃く残した校舎の前に、ささやかな桜並木(さくらなみき)が配置されている。


 薄ピンクの花びらが、ふわっと温かみのある風にヒラヒラと舞い、時折ボクの頬にぶつかる。


 (綺麗だ。こんな感覚、初めてかもしれない。こんなにも何かを綺麗だと思ったこと、今までなかったな。)


 去年も同じ光景見たはずなのに、満開に花咲く桜の美しさに、ボクは桜を初めて見たような、そんな錯覚に陥っていた。


 ボクの高校2年の初登校日は、例年通り桜が八分から運が良いと満開まで咲き誇る4月の始めだった。


 その日、通学路も、校庭や校舎だっていつもと変わらないはずだったのに、ボクと桜との遭遇は、鮮烈だった。もしかしたら、ボクは不思議と、今日起こる特別な何かを予兆していたのかもしれない。


 初めて沸き起こる美しさに対する感情に、ボクの心が高鳴り、色々な方角に気持ちが動いては収まる。ボクは、そんな自分の心の鼓動に応えるよう、軽い足取りで新しいクラスへと歩を進める。


 クラス替え自体は、すでに昨学期末に決まっており、ボクは自分が何組になるのかは知っていた。ボクの学校は、2学年進級時に文系と理系で別れる。そして成績順位で特進クラスと普通クラスに更に別れ、ボクは2(ふた)組ある文系特進クラスへの進級が決まっていた。

 

 ボクこと、 真木(まき) (いわお)は、2年1組への進級を昨年末の3者面談で担任より告げられており、"1組"という言葉の響きだけで、少しだけワクワクとした明るい気持ちを抱いていた。


 ただ、文系クラスだけあって、35人いるクラスの中で、男子は五十音順で最後尾のボクを合わせて15人と、数的には少数派だ。そうであったとしても、ボクは自分が希望した文系クラス、そして2年1組への進級というだけで十分な満足を感じていた。


 去年までは、1学年フロアがある1階に教室があったが、2学年からは2階のフロアに全7クラスが配置されている。


 足取りも軽やかに新フロアに向かうべく、ボクは1学年と変わらない下駄箱へと向かい、真新しい2学年用の青色の上履きへと履き替える。 


 この学校では、1年学年は赤、2学年は青、3学年は緑へと上履きの色が変化するのが決まりとなっていた。下駄箱の学年、番号を確認し、ボクは履いてきた白いスニーカーから青色の上履きへと履き替えていると、1学年から同じクラスだった真田(さなだ) (ゆい)が、陽気な声でボクに声を掛けてきた。


 「あ、”やもめ”じゃーん!」 

 「おはよう、真田。」

 

 彼女の明るくハキハキとした声が、下駄箱にぶつかってボクに響いてくる。彼女とは、1学年で同じクラスだった時に少し仲良くなった。


 社交的な彼女から、”苗字がなんか似ている”と話しかけれらたのが縁となり、すれ違う時などに声を掛けたり、少し立ち止まって話したりするような間柄になった。

 

 最も、彼女は誰に対しても同じような距離感で接するので、ボクと似たような距離で、彼女の衛星みたいな存在として言葉を交わす学友は多くいる。ただ、そんな交友範囲が広い彼女が、唯一、独特な愛称(ニックネーム)で呼ぶのは、おそらく学内でもボクくらいなものだろう。


 それは、1学年の学内夏期講習の時、古文の時間に独身男性の意味である”やもめ”を覚えた彼女は、その直後の昼休憩時間に入ると、間髪入れずにスタスタとボクの前まで一直線に歩いてきて、突然、思いもよらない言葉を浴びせた。


 『あのさ、真木君って彼女いるの?』

 『え、いないよ?』

 『じゃ~あ、真木君はさ、”やもめ”って事だよね!ね、これから”やもめ”って呼んでいい?』


 これまでの人生の中で、異性から"彼女がいるのか?"と問われた事がなかったボクは、真田からの急な問いかけに対して、きっと上ずった変な声で答えていたと思う。そして、それにも増して、彼女からボクへの初めての提案として出てきた愛称(ニックネーム)は、その前の質問同様、ボクの思考を困らせ、必然的に情けない直立不動へと表層化させた。


 彼女は、立ち尽くすボクの心情など、少しも気に掛ける素振りはなく、魅力的で悪戯な笑みを浮かべながら、ボクをじっと見つめて、何らかのリアクションを待っていた。


 彼女が、なぜボクの事を”やもめ”と呼びたかったのか、ボクには分からない。ボクからしたら、16歳前後の男子なんてものは、彼女がいる人間の方が少数派だ。なのに、ボクにだけ”やもめ”というレッテルを当てはめて、人前でボク史上最も恥ずかしい問いにかける暴君のような彼女に対し、当然怒りの感情が沸き起こると思ったのだが、存外ボクは、不思議と彼女を憎いと思えなかった。

 

 彼女の問いに対して、気の利いた返答も、自分の中にある繊細な気持ちを言語化する能力も持ち合わせていなかったボクは、短い言葉で彼女へ返答するしかなかった。


 『なんか嫌だけど。う、うん、良いよ。』

 

 ボクは、この真田との一連のやり取りで葛藤(かっとう)という言葉の意味を初めて体感した。


 真田はそれから、ボクの事を見つけるたびに”やもめ”と呼ぶようになった。不本意な呼び方であるけれど、友達の少ないボクにとって、真田は数少ない、学校生活に色彩を加えてくれる貴重な存在であるのも確かなので、ボクは真田のつけた愛称(ニックネーム)を受け入れ、ボクらの日常生活へと織り込むこととした。

 

 「あれ、やもめさぁ、休み前と全然変わってないじゃん。」

 「2週間くらいじゃ、人間、そうも簡単に変わらないよ。」

 「じゃあ、まだ”やもめ”は”やめも”のままかぁ。」


 2学年へ進級しても彼女の調子は変わらない。1学年の時と同様、ボクに対して何の遠慮もない言葉を投げてくる。ボクは、彼女のこういう配慮のない物言いを心の近さの表れだと感じ、清々しいとさえ思っていた。


 「そういえばさ、やもめって何組なの?」

 「1組だよ。一番端っこの教室だよね。」

 「え、一緒じゃん!そういえば、やもめも文系にしたんだったね。」


 ボクらは、話しながら階段を登り、新しい教室の前まで来た。教室の中に目線をやると、どうやら黒板に座席表が貼り出されているようだ。黒板の前で少し人だかりができている。ボクと真田も、知った顔に挨拶をしながら、座席表の中から自分の名前を探す。


 「やもめ~、ウチら前後ろの席だよ!」

 

 正直、嬉しかった。廊下側の前から3番目と4番目の席。ボクは廊下側の窓の真隣に位置する席だ。休み時間に人の行き来を眺めたりして、暇をつぶすことができる場所として、ボクは廊下側の窓の近くの席が好きだった。そして、認めたくない気持ちもあるものの、気兼ねなく会話することのできる真田の席から近いことが、その時のボクにとっての嬉しい出来事の一つでもあった。


 真田と座席表に示された席に着席し、ホームルームまでの時間をつぶした。新学期という事で新しい担任、副担任が交互に挨拶し、2学年として心構えを説かれる。当然、受験に向けた大切な時期であることもそうだが、ボクらの学校は文武両道を謳っていたので、当然、部活動も飛躍を狙いたい学年だ。


 …君達のこれからの人生にとって最も大切な時間が訪れている…


 両名から熱い気持ちの発散があったが、ボクの心には文字通り発散し、ほとんど上の空で、どんな内容だったか具体的には思い出せない。ただ、ボクの席から反対側の窓から見える空を合間合間に見やっては、雲の一切ない、透き通るような青空だったことだけは覚えている。


 ホームルームからの続きで、一限目:現代文の初授業もこなし、ボクらは休憩時間を迎えた。休憩に入ると、前席の真田がガバッと後ろを向いて話しかけてきた。

 

 「お~う、どうだね”やもめ”君。久しぶりの授業は満喫できたかね?」

 「なんで無意味に巨匠口調なんだよ。」

 

 あはははっ、という真田の笑い声が教室に響く。その笑い声を聞いて、自然と彼女の周りに衛星達が集まってくる。彼女は、人気者だった。そんな中、廊下側の窓から、聞きなれない声が聞こえてきた。


 「あれ~、唯にゃん、1組だったの?」


 ボクは、その声に釣られて、声の主の方向へと目線を移動させた。そこに、君が立っていた。


 ―朝、校庭で見た桜並木と同じ感覚。

 

 君は、明るい光を背に、ボクに対して柔らかい表情で笑いかけているように見えた。ボクは、自分の感情に大いに混乱した。

 

 (この子は誰なんだろう?)


 ボクは、きっとこの時、君を始めてみる美しい存在だと思ったはずだ。


 でもボクは、この感情が何なのか知らなかった。この感情がなぜ沸き起こるのか。


 (どうして君を目にした時に、こんな気持ちになるんだろう?)


 ボクは分からなかったが、そうであったとしても、この時のボクは、君から目線が外せず、ただずっと、君の顔を見ていた。


第一話をご覧頂きありがとうございます!

作者の(みわ) 伊織(いおり)です。

お楽しみ頂けましたでしょうか?

是非、ご感想、高評価、ブックマークなどリアクション頂けますと嬉しいです。引き続きのご愛顧を宜しくお願いお申し上げます。

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