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「…………俺に、時間はまだあるのかと、”魔法使い” さんは忙しいのではないかと、お祖母さまはそうお尋ねになってます」
俺は周りにそう伝えてから、また車椅子の前に膝をついた。
「仰る通り、ここに滞在できる時間は、そう長くはありません。ですが、あなたの思っていることをご家族にお伝えするくらいの時間は、大丈夫ですよ。……………『そういうことらしいから、ほら、訊きたいことがあるなら早くなさい』と、お二人に仰ってます」
くるりと俺が顔を向けると、少女の祖母もやや遅れて自分の娘と孫に目線を流す。
だが、母親の方はわかりやすく狼狽えていた。
「訊きたいこと………急に言われても、たくさんあり過ぎて………」
はなから ”魔法” のことを信じるつもりもなかった母親は、当然何を訊こうか、何の話をしようかなどと考えていたわけもない。
言葉を発さなくなった自分の母親と突然会話ができるようになった今、質問や話題の優先順位に戸惑うのは無理もないだろう。
だが、やはり純粋無垢な少女の方は、すっかり ”魔法” への心構えを終えていたようだった。
母親が迷っている隙に
「じゃあ、わたしがおばあちゃんにきいてもいい?」
はい!と手を挙げたのだ。
「もちろん、どうぞ」
俺が促すと、少女は嬉しそうに祖母の手の指先を握手するように握り、楽しそうに話しかけた。
「あのね、おばあちゃん。わたしね、本当は、もっといっぱいおばあちゃんに会いにきたいなって思ってるんだよ?でもね、みんなが、そんなに何回も会いにいったら、おばあちゃんがつかれちゃうって言うの。でも、おばあちゃん、わたしに会えなかったらさびしくない?」
「………『寂しいけど、大丈夫よ。でもね、おばあちゃん、前みたいに立ったり歩いたり、お出かけしたり、おしゃべりしたり、好きなものを食べることができなくなったでしょう?だからね、おばあちゃんの分まで、あなたにはお友達と遊んだり、おしゃべりしたり、楽しいことをたくさんしてほしいの。でも、おばあちゃんのところに来てたら、それができないでしょう?だから、おばあちゃんのところに来てくれるのもうれしいけど、あなたが他の楽しいことや好きなことをしてくれるのも、おばあちゃんはとっても嬉しいわ。わかったかしら?』」
それを聞いた少女は、握った指先をぶんぶん揺らし、「うん!わかった!」と大きく頷いた。
「………『そう。いい子ね』ってお祖母さんが言ってるよ」
少女の祖母の声も嬉しそうだった。
そして続けて、母親の方に尋ねる。
「…………『それで、あなたの訊きたいことは決まったの?』と、お母さまに仰ってます」
母親が「決まったわ、お母さん」と返すと、祖母の顔がゆっくり、ゆっくりと母親に向けられた。
「いろいろ、訊きたいことは、あるけど、まず、どうしても、教えてほしいことを、訊くわね」
少女の母親は、聞き取りやすいように丁寧に言葉を区切った。
すると、祖母がかすかに頷くように動いたのだ。
母親は一瞬驚いた反応を示したが、すぐに質問に移っていった。
「三年前、お父さんが倒れてそのまま亡くなったとき、手続きのことで大変だったから、お母さんは、前以てちゃんと準備しておくわねって、言ってたでしょ?」
「…………『そうね』と言っておられます」
「必要なことは、ノートに書いて、残しておくって言ってたけど、家族みんなで探しても、そのノートが、見つからないの。どこに、しまってるの?あと、そのノートには、お母さんの介護の希望とかも、書いてるって言ってたけど、間違いない?」
「…………『間違いないわよ。介護のことも、延命治療のことも、お葬式や遺産のことも細かく書いてあるわ』」
「お葬式って、そんなのは今はいいのよ!………ともかく、介護についてはお母さんの希望がわかるならその通りに……」
少女の母親は早口で言いかけて、途中で自分の母親が聞き取りやすい速度に言い直した。
「だから、介護は、お母さんの、希望を、叶えてあげたいの。私の言ってること、わかる?」
すると俺の頭の中には、吐息のような笑い声が聞こえてきた。
「………お祖母さま、笑ってらっしゃいます。………『それはどうもありがとう。ノートは、お父さんの書斎にある本棚のアルバムの間にあるわ。ピンク色のノートよ。遺影もそのノートに挟んでるから、よろしくお願いね。ああそれから、クッキーのレシピが書いてあるノートは、キッチンの後ろにあるパソコンデスクのところにあるから、確認しておいてね』と仰ってます」
「遺影って………」
その言葉は、少女以外の大人の気持ちを繊細に沈めたが、当の本人はいたって前向きだった。
「………『しっかりなさい。人間、誰だっていつかは死ぬんだから。子供が先に逝くなら話は別だけど、順番でいったら私があなた達より先に旅立つのは自然な流れでしょ?遺影ひとつとっても、お父さんの時にみんなあれだけ困ってたんだから、私が自分で準備したっていいじゃない。あなただって、まだ若いけどいつ何時何があるかわからないのよ?遺された人のためにいろいろ準備しておいて損はないのよ』」
「それはわかってるわよ。でも、」
少女の母親がまだ何か続けようとしたが、それを遮るように祖母の心の声が大きく聞こえてきたのだ。
「『それより、他に訊いておきたいことはないの?こちらの魔法使いさんを私達のところに引き止めておくのはご迷惑よ。話しておきたいことがあるなら早くなさい』……と仰ってますが、そんなに急がなくても大丈夫ですよ」
男子生徒の母親から依頼を受けて、ややこしい案件の可能性も考慮していたので、ある程度の時間は見越してここに来ていた。
だが、少女の母親は、そこではじめて思い出したように俺にあることを願い出たのだ。
「あの、急がなくてもいいなら、あと一時間、いえ三十分で構いませんので、待っててもらえませんか?私の夫と兄家族をここに呼びたいんです!」
車椅子から俺に向き直り、頭を下げた母親。
彼女にしてみれば、自分と娘以外の家族にも祖母の心の声を知らせてやりたいと思ったのだろう。
だが、俺が今日ここに来てこうして心の声を通訳してるのは、あくまでも男子生徒の母親の頼みだったからだ。
「申し訳ありませんが、それはできかねます。俺がお祖母さまの心の声を ”魔法” で読み取っているのは、あなたのためではなく、もともとはこちらの女性に頼まれたからです。こちらの女性には以前仕事関係でご恩がありまして、そのお礼も兼ねて頼みをお聞きしましたところ、どうも大変だった時期にあなたのお嬢さんにとても癒されたそうで、彼女は彼女でお嬢さんに恩返しがしたいと言うものですから、巡り巡って、こうして俺がお嬢さんの願いを叶えるため、お祖母さまの心の声をみなさんにお伝えしているのです。ですから、あなたのご依頼をお受けすることはできません。ご理解いただけますか?」
「じゃあ費用をお支払いいたします!それなら私でも依頼できますか?何も今日でなくてもいいんです!来週でも再来週でも来月でも半年後でも!また、こうして母と間接的にでも会話したいんです!どうかお願いします!」
もう一度、さっきよりも深く頭を下げてくる母親に、場の空気が瞬時に硬直する…………かと思いきや、俺と母親の間にいる少女が急に笑い声をあげたのだった。
「ママ、へんだよ!だってママ、私にはこのお兄さんのことをほかの人には話しちゃだめって言ってたのに。だから、おじちゃんにもおばちゃんにも話してないんだよ?なのにママが話しちゃうの?さっき、このお兄さんと、魔法のことはだれにも言いませんって約束したのに、ママは約束をやぶっちゃうの?それって、へんだよ!」




