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食堂を出たあと、少女と母親は主治医とともに病室へ向かい、俺と男子生徒の母親は事務長の案内で面談室に向かった。
患者や家族とのカンファレンスに使用されている部屋のようで、俺が仕事の際に通される会議室と応接室を足して2で割ったような趣きだった。
オフィスによくある長机ではなく、例えるなら一般家庭のダイニングにあるような大きめのテーブルに、クッション敷の椅子が10人分セットされている。
俺と男子生徒の母親が適当な席に並んで座ると、事務長は「お飲み物の準備をしてまいりますね」と告げ、面談室を後にした。
必然的に二人になるや否や、母親が俺に体をまわし、座ったまま頭を下げてきた。
「この度は、あなたの了承を待たずに、そのうえ詳しい説明もせずにいろいろと勝手いたしまして、まことに申し訳ありませんでした」
母親は謝罪ののち一旦頭を上げたが、
「でも、了承していただいて、ありがとうございました」
今度は礼として再び深く頭を下げた。
今日、彼女と再会してから何度も感じていることだが、彼女から受ける印象が以前とはずいぶん違っている。
正直なところ、あの男と離婚し、息子を支えながら実家の仕事を手伝っているとは聞いていたが、ここまで強く逞しくなっているとは思わなかった。
子を想う親の力というのは本来こういうものなのだろう。
あの父親がイレギュラーだっただけで、その父親にいいように操られていた彼女もまた、イレギュラーだったのだ。
だからもしかしたら、強さや逞しさも、本来の彼女の姿なのかもしれない。
「ずいぶん変わられましたね」
「え……?私ですか?」
「ええ。息子さんが意識を戻してからは、別人のように逞しさを感じます」
「それは……そうかもしれません。夫の…元夫に催眠をかけられていた頃の私は、自分でもどこかびくびくしていましたから。でもその催眠から解けて、離婚してからというもの、息子のことで心配事はありますが、精神的にも肉体的にも頑張らなくちゃと前に進むしかありませんでしたから………嫌でも逞しくなってしまったのかもしれませんね」
冗談めかして話す母親は、今や余裕さえ感じられた。
「いろいろご苦労されたということでしょうね。ご実家のお仕事を手伝ってらっしゃるとか?」
「ええ、そうなんです。父の会社で秘書として雇ってもらいました。結婚前も父の秘書をしておりましたので、出戻りですね。息子もまだ心配ですから、非正規で時間調整に融通が利くようにしてもらってます」
「そうですか。離婚後の生活基盤がしっかりしてらっしゃるようで安心いたしました」
「ご心配いただき、ありがとうございます」
「いえ、あなた方の離婚に関して我々がまったくの無関係というわけでもありませんので」
あの一件が表に出なければ、おそらくは今も二人は婚姻状態にあっただろう。
それが幸か不幸かは計り知れないが、離婚したが故の苦労はしていなかったはずだ。
だが母親は「いいえ」と首を振った。
「もし、あなた方に関わっていなかったとしても、きっといつかはダメになっていたと思います。目を覚まさない息子とずっと一緒にいて、見舞いにすら来ないあの人の冷たさには幻滅していましたから。それまでは世間体とか息子のためとかいろいろ考えて離婚という二文字を考えないようにしていただけで、息子がああなってからは、そんなのどうでもよくなったんです。ただ、息子が生きていてくれさせしたら、それでいいと思うようになりましたから。でも、あの人の催眠にかかってしまえば、その気持ちも勝手に書き換えられてしまったかもしれません。ですから、催眠を解いてくださったあなたには、心から感謝しているんです。………どうぞ私の心の中を読んで、私が本心を言ってるかどうか確かめてくださいませ」
母親はそう言うと、目を瞑り、スッと姿勢を正したのだった。
だが当然、俺には彼女の心を読むつもりなどなかった。
そんなことをせずとも、この母親が俺に嘘をつくとは考えられないからだ。
「いえ、それには及びません」
俺がすぐにそう返すと、母親はゆっくり目を開いた。
「よろしいのですか?」
「ええ。あなたがそう仰るのなら、それがあなたの真実でしょうから」
言うまでもなく、彼女の気持ちは、彼女自身のものだ。
例え内心で思ってることと口から出てきた感情が違っていても、決して責められるべきではない。
罪を犯したり誰かを意図的に傷付けたり、そういうものに繋がらない限りは、俺達もいちいち拾い上げたりもしないし、それが ”魔法使い” として生きていく上で必要なスルースキルとも言えるだろう。
彼女は俺のセリフにそっと笑み、「そうですか……」と嬉しそうに呟いてから、「それにしても……」と話題を移した。
「言語障害をお持ちの方や、認知症の方の思ってることまで読み取れるなんて、やっぱり ”魔法” ってすごいんですね。実は、実家に帰ったときに父とたまたまMMMコンサルティングさんの話題になったんです。ああ、もちろん、息子がお世話になったことは父にも話してませんよ?ただ、新聞の記事にMMMコンサルティングさんのことが書かれていたので、その流れで、最近社員の方と知り合いになったという話をしたんです。そうしたら、普段無口な父がすごく饒舌になって………どうやら父も ”魔法” のことはそれとなくは知っているようでした。昔、私が生まれる前に父の会社が困難に陥った際、MMMコンサルティングの社員の方にとてもお世話になったことがあるとかで、父は今も恩義に感じているようです。『もし、MMMコンサルティングの方から何か頼まれたり手助けできるようなことがあれば、すぐに知らせるように』と、強く念を押されました。きっと、父なりにずっと恩返しをしたいと思っていたんでしょうね」
「そんなことがあったのですね。俺はまだ10年しか在籍していませんが、思わぬところで弊社と関わりがあったと知り、驚かれる方は多いですよ」
「私もそのひとりというわけですね。私は息子のことがあって、MMMコンサルティングさんのことを詳しく知ったわけですが、MMMコンサルティングさんが依頼をお受けになるのは、政府や警察という公的なものや大企業ばかりだと思ったんです。あなたとお目にかかれたのも、息子の同級生に副大臣の弟さんがいらっしゃったからでしたし。でも、父の会社のように、決して大企業と言うわけではない組織に対しても、手を差し伸べてくださると知って、まるでスーパーヒーローみたいだと思ったんです」
「スーパーヒーローですか?」
俺は思わず笑ってしまった。
「笑わないでください。私は本気なんですよ?でも、だから………あの女の子のお願いも、あなたなら叶えてくれるような気がしたんです。もちろん、特別扱いを望んでるわけじゃありませんし、息子のことを口止めされた理由もちゃんとわかっています。でも、あの子は私の、小さな恩人なので………」
男子生徒の母親の笑顔がさらに柔らかくなったとき、ノックの音が三回鳴り、彼女が「はい」と答えた。
するすると扉が開いていくと、先ほどの親子と医師、そして車椅子に乗ったあの少女の祖母がゆっくりと面談室に入ってくる。
少女の祖母の膝の上には、鮮やかなピンク色のブランケットが掛けられていた。




