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臆面もなく訊いてくる少女に、さすがに俺も一瞬は表情が硬くなったが、あのとき男子生徒の病室での会話を聞かれていたのだとしたら、そう思われても仕方ないかもしれない。
いくら認識阻害の ”魔法” をセットしていたとしても、条件が揃えば侵入できたり音声を聞き取れたりする可能性は皆無ではない。
それを完全に防ぐためにはかなり強固な設定を施す必要があるのだが、あのときはそこまではしていなかった。
これは俺の落ち度だな。
そう認めた俺は、変に少女の記憶操作などはせずに対応することにした。
他のMMM社員はどうか知らないが、俺は、非魔法使い相手には不必要な ”魔法” はなるべく避ける方針なのだ。
「すごいな。もし本当にそんなことができたら、俺は魔法使いだ」
少女は「魔法使い!」と両手を叩いた。
「わたしね、もしお兄さんにあえたら、おねがいしたいことがあったの!」
「何かな?」
「あのね、わたしのおばあちゃんが、こうそくどうろ で ニンジャショーを見に行ってから、おしゃべりができなくなっちゃったの。だからね、お兄さんの魔法で、わたしのおばあちゃんが今なにを考えているのかをおしえてほしいの」
…………こうそくどうろでニンジャショー…………?
一度聞いただけではまったく意味不明な言葉に、俺は珍しく返事に詰まってしまう。
こうそくどうろ…というのは、おそらくあの高速道路のことだろう。
だが、ニンジャショーとは………?
まさか高速道路でそんなショーが開催されるわけがないし、いったいこの少女の発言は何を指しているのだろう………
「高速道路で、忍者ショー………?」
「うん、そうなの。こうそくどうろ で ニンジャショー」
まあ、幼児の言うことだから、大人が話していたことを聞き間違えているのだろうが、そういう場合は、”魔法” で心の中を覗いても真相には辿り着けない。
なにしろ、言ってる本人がそう信じ切っているのだから、いくら ”魔法” を駆使したとて、真相はおろか嘘か否かの判定さえもできないのだ。
「だからね、お兄さん、お願い!おばあちゃんが心の中でなにを言ってるのかおしえて!お兄さんならできるでしょう?」
少女は期待のこもった眼差しを注いでくるが、ちょうどそのとき、
「やっと見つけた。こんなところで何してるの?」
ロビー奥にある階段を下りてきた女性が少女に声をかけたのだ。
叱りつけるというより、呆れ口調のように聞こえた。
「あ、ママ!」
「勝手にウロウロしちゃだめっていつも言ってるでしょ?おばあちゃん、目を覚ましたわよ」
「え、本当?じゃあすぐお部屋にもどらなきゃ!お兄さん、またね!」
くるくる感情を着替え、少女は俺に手を振って行ってしまう。
だが、母親は少女の後は追わず、俺に申し訳なさそうに尋ねてきた。
「あの、娘が、何かご迷惑をおかけしませんでしたか?」
「いいえ、大丈夫ですよ」
俺が仕事用の丁寧な微笑みを浮かべて答えると、母親はホッとしたように「それならよかったです。それでは、失礼しますね」と告げ、娘の上っていった階段を追っていった。
そしてその直後、
「お待たせして申し訳ありません」
俺が面会予定だった方の母親が、スマホ片手に現れたのだった。
「息子から電話がかかってきたものですから、ちょっと外に出ておりまして………」
「いえ、大丈夫ですよ」
俺がそう返すと、母親は「すみませんでした」ともう一度詫びてから、「食堂で待ち合わせしているんですが、よろしいですか?」と訊いてくる。
もちろん、俺はすぐに了承し、母親の案内で食堂のある二階に移動する。
この総合病院には、職員や入院患者以外も利用できる外来食堂があり、俺も仕事で立ち寄った際に何度か昼食をとったことがある。
パーテーションで区切られた半個室もあるので、”認識阻害の魔法” を用いなくとも多少のことなら話せるはずだ。
だが、この母親がいったい俺を誰に会わせたいのか、会わせたうえで何を求めるのかわからない以上、念のため ”認識阻害の魔法” をセットするつもりではいたけれど。
………さっきの少女のこともあるし、今回はしっかりかけておこうと心に決めつつ、俺は母親に息子の近況を尋ねた。
「息子さんの電話は大丈夫でしたか?その後、いかがですか?」
すると母親は嬉しそうに目を細めた。
「おかげさまで、毎日元気に学校に通っています。あなたにもとても会いたがっていましたので、今日も同席する予定だったんですが、急に部活のミーティングが入ったとかで、さっきの電話はくれぐれもあなたによろしく伝えてほしいという念押しでした」
「そうですか、元気ならよかったです。意識が戻ってからは色々と大変なこともあったと聞いていましたから、気にはなっていたんです」
長い眠りから目覚めたというだけでも心身の負担は大きかっただろうに、あの男子生徒の場合は、続け様に父親の逮捕、世話になっていた教師の自死を知らされ、そののちには両親の離婚、引っ越し、復学、そしてその合間合間には病院での精密検査や、 ”魔法” を受容したことで生じるMMMコンサルティングからの調査など、さまざまなイレギュラーを経験しているはずだ。
それは、やっと意識を取り戻したばかりの少年には、いささか厳しい状況にも思えた。
だが、母親は明るくポジティブだった。
「気にかけてくださってありがとうございます。でも、あのままずっと眠ったままだったらと思うと、あの子が目を覚ましてから起こったことなんて、どれも乗り越えられるものばかりです。あの……」
嬉しそうに話していた母親がふと足を止めたので、俺も立ち止まる。
「なんでしょう?」
「もう何度もお伝えしていますが、息子のこと、本当に、ありがとうございました」
頭を下げた母親に、俺は「35回目ですよ」と笑った。
「え?」
頭を上げる母親に、俺は繰り返し告げた。
「あなたからそうやって感謝の言葉をいただくのは、35回目です」
「ああ……そんなに……。でも、全然足りないくらいです。あと100回お礼を伝えても、きっと私はまだ足りないと思うと思いますから」
”魔法” でチェックせずとも、母親のその言葉に嘘はないだろう。
MMMコンサルティングに勤めてから、こうやって感謝の言葉を伝えられることは何度もあったが、ここまでのものはなかなかだ。
だが無理もない。息子が人生を取り戻したのだから。
母親の想いも理解できた俺は、礼は礼として受け取り、やんわりと母親を食堂に促しながら、話題を移したのだった。
「お気持ち、ありがたく頂戴いたします。息子さんが元気でいてくれて、本当によかった。そういえば、さっきちらっと仰ってましたが、息子さん、部活をはじめたんですか?」
俺がそう問えば、母親は少し落ち着いたトーンに声を落とした。
「ええ、そうなんです。ボランティア部に入りました」
「ボランティア部ですか」
「息子なりの、罪滅ぼしのようです……」




