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「…………………え?」
見慣れた天井、見慣れたカーテン、見慣れたテーブル、見慣れたテレビボード、見慣れた観葉植物、見慣れた…………日めくりカレンダー。
私は、今、自分が自室のベッドの上で横になっているという状況を把握して、それからゆっくりと体を起こした。
目を開く直前に見ていたのは白いカラーの花だった。
けれど、起き上がった私の視界を一番に染めたのは、喪服の黒色だった。
「喪服…………ああ、そうか、今日はあの子の命日だったのよね………」
それでお墓参りに行って、帰ってきて着替えもせずにベッドに横になっちゃったんだ………
なんだか妙にすっきりしている頭で思い返し、うーん、と伸びをした。
「今何時だろ………ちょっとお腹空いたかも」
枕元に置いてあったスマホで時刻を確認すると、夕方の四時をまわったところだった。
少し眠ったことで、頭は結構クリアだ。
晴れて澄み渡っていると言ってもいい。
私は早めの夕食か、ちょっとした間食でもとろうとベッドから立ち上がったけれど、そこでふと、自分が何かを忘れているような感覚がして、立ち尽くした。
「……………何か忘れてる?…………何忘れてるんだろ?」
今日は、午前はあの子のご家族やご親戚が集まるからって、私のお墓参りは午後からにして、それから帰ってきて…………あれ?やっぱ何か忘れてるよね?
……………何だっけ?
立ったまま腕を組んで、今朝起きてからのことを頭の中で辿っていったものの、墓地を出てからのことがすとんと記憶から抜けているのだ。
でもそれは”忘れた”というよりも、”もともと覚えていない”と言った方が正しいだろう。
特に記憶に残すほどの印象的な出来事はなかった………そんな感じだ。
「ん―――――ま、いっか。大事なことならそのうち思い出すでしょ」
こんな時はいくら頭をひねったとて思い出せないものだと、早々に諦めた私は、着替えのためにクローゼットに向かった。
が、その途中で、すっかり時を止めてしまった日めくりカレンダーに目がとまったのだ。
「……………いい加減、今年のカレンダーにしなきゃよね」
私は足の向きを変え、テレビボードの引き出しを開いた。
「確か、ここにしまっておいたはず………あったあった」
見つけ出したのは、今年用の日めくりカレンダーだ。
去年のはあの日以降、めくることができなくなっていたけれど、今年のはじめに気持ちを切り替えるつもりで購入していたもの。
だけど、いざ交換しようと思ったとき、どうしても、去年のものを取り外すことができなかった。
でもそれは、彼女の死を認めたくないとか、そういうことじゃない。
たぶん、あの日のままカレンダーの時間を止めておくことで、彼女の気配を、残しておきたかったのだと思う。
たぶん、だけど。
私は、その時を止めたカレンダーの前に立つと、そっと手を伸ばした。
「今日で一年。いつまでも、前に進まないわけにはいかないよね………」
命日である今日、彼女のお墓に行ったことで私の中に区切りが引けたのか、私は、私のカレンダーを進める決心がついたようだ。
「私は、生きていくね。あなたと一緒に」
まるで彼女がそこにいるかのように日めくりカレンダー相手に語りかけ、その隣に、今年の日めくりカレンダーを飾った。
「今日は同じ日付。でも明日からは、私は一日ずつ前に進んでいくから。私がちゃんと人生を歩んでいるか、どこかで見ていてね」
親友を失った世界でも、私は生きていかなくちゃならない。
この一年、私を生かしていた大きな原動力は、彼女を死に追いやったものへの怒りだった。
でも今は、ちゃんと、それ以外のたくさんの感情を感じている。
大丈夫。
私はちゃんと、生きていくから。
最期まで教師として生徒を守ろうとした親友に恥じないよう、私も、今やるべきことを最後までやり抜こう。
どんな困難があっても。
生きている限り、絶対に諦めないから。
亡き親友に誓いながら、私はふたつ並んだ日めくりカレンダーを目に焼き付けていた。
※
「お疲れさまです!毎度おなじみシアワセ・クリーン・サービスです!ご依頼の完了をご報告いたします!」
「忙しいところ、正規以外の仕事を頼んで悪かったな」
「いえいえ、とんでもございません!”魔法” の使用許可の件ではいつも融通を利かせていただいておりますので、そのお礼としてはまだ足りないくらいです。いつでもお声をおかけくださいませ!」
「ありがとう、助かるよ」
「では、ご報告に移らせていただきますね。まず、お気にされてるようでした ”魔法の元” の封印についてですが、何の問題もございませんでした。お相手様が嘘をつかざるを得ない状況を作ってみましたが、それらしい気配はまったく感知いたしませんでした。ご本人様も、自分自身で何らかの異変を感じ取ってらっしゃるようでしたが、あの状態を見ますと、今後、お相手様が ”魔法の元” を暴走させたり発動なさることはないかと存じます。そもそも、MMMでもかなり上位の力をお持ちのあなたが封印をなさったのですから、ご心配は無用かと存じますが?」
「そうだとは思うが、相手の人生を変えてしまった自覚はあるからな。俺自身の施した ”魔法” には、最後まで責任を持つ必要がある」
「なるほどなるほど。責任感のお強いあなた様ならではのご依頼だったというわけでございますね。では、続けてのご報告をさせていただいても?」
「ああ、頼む」
「お相手様は新聞社を退職されてからも、お元気のご様子でした。今は本の執筆に勤しんでおられるようです。こちらにつきましては、お相手様よりご伝言をを承っておりますので、のちほどお伝えさせていただきます。そして肝心の記憶のお掃除についてですが………おっと、これは失礼いたしました。あなた様の前では ”お掃除” は禁句でございましたね。申し訳ございません」
「そうだな。人の記憶を操作して、さも悪しきものを片付けたかのような”掃除”という言葉を使うのはどうかと思うが、お前達はうちの社員でもないからな。社名にも”クリーン”と使っている以上、それはお前達なりの考えがあるのだろう。自分と考えが違うからといって、別の団体に属している者にまでは強制するつもりはない。だが、俺の前では二度と使ってくれるな」
「肝に銘じておきます」
「それで、あの女はお前の申し出を受け入れたのか?」
「結論から申し上げますと、その通りでございます。あなた様は、おらくお相手様は記憶の消去を望まれないだろうと予測しておられましたが、お相手様は、ある記憶の消去をご指定なさいました」
「それは何の記憶だ?」
「それは………………今朝ご自身の身に起こった、恥ずかしい記憶でございます。ご親友に関しての記憶は、やはりあなたの仰ったように、記憶の消去は望まれませんでした」
「そうか………」
「嬉しそうでございますね」
「いや、嬉しいというよりは…………まあいい。それより、あの女からの伝言は何なんだ?」
「では、お相手様からお預かりしましたメッセージをそのままお伝えいたします。『ありがとうございました。あなたのおかげで、記者として、スクープよりもフェアな記事を書くことの重要性と必要性を学びました。それが実行できそうになかったので新聞記者は辞めることになりましたが、今は、いろんな方々のご協力をいただき、本の執筆に励んでいます。一連の出来事についての本です。もし、無事に出版できました暁には、あなたにも読んでいただきたいです』………とのことです」
「………そうか」
「まことに僭越ながら、ひとつ、申し上げてもよろしいでしょうか?」
「何だ?」
「私どもは、記憶を操作するという、魔法使いにしかできない仕事をさせていただいております。自分達の仕事に誇りも持っております。ですが、今日お会いしましたお相手様は、とてもまっすぐで、今も嘘をつくことには抵抗感をお持ちのようでした。いくら ”魔法の元” を封印したとしても、大なり小なり、それは性質として一生残るものだと存じます。そしてまた、そのような性質をお持ちのままでは、”魔法使い” として生きていくことは困難かとも存じます。何を申し上げたいのかといいますと、あなた様がお相手様になさったご選択は、お相手様にとって最善であったということでございます。ですから、どうかもう、そのことについて考えることはお控えくださいませ。あなた様の貴重なお時間を、これ以上そこに費やすことがありませんよう…………もしよろしければ、お掃除させていただきますが?」
「その言葉を使うなと言っただろうが」
「これはこれは、大変失礼いたしました。これ以上失言を繰り返さないうちに、私はこのあたりで失礼いたしますね」
「お疲れ。気遣いには感謝する」
「いえいえ。それでは、失礼いたします。この度はご依頼いただきまことにありがとうございました!またのご利用を心よりお待ちしております!毎度おなじみシアワセ・クリーン・サービスでした!」
魔法使いにしかできない職業(完)
誤字をお知らせいただき、ありがとうございました。
訂正させていただきました。




