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魔法使いには向かない職業   作者: 有世けい
【番外編】魔法使いにしかできない職業
73/85






さらさらと、まるで澄んだ川の流れのように淀みなく演説する男は、それが幸せに結びつくのだと心底信じ切っているようだ。


「さあ教えてください!あなたの中で一番悲しい記憶は、なんですか?」


男は今にもスキップして飛び跳ねそうなテンションで尋ねてくる。

でも、その純粋そうな眼差しは、逆に怖くもある。

記憶を操作して消すなんてそんな魔法みたいな話、何も信じたわけではないけれど、やっぱりここは適当に乗って返事してお引き取りいただくのが最善だろう。


私は少し考えてから答えた。



「あの、一番悲しい記憶じゃなくてもいいですか?」

「え?ああ、ええ、もちろんですが………では、最もお辛かった記憶になさいますか?」


男は意外そうに小さく首を傾げた。

私はすぐに首を振った。


「いいえ、辛かった記憶でもありません」

「そうですか、では、どのような記憶をお掃除希望でいらっしゃいますか?」

「そうですね、言うなれば………最近で一番恥ずかしかった記憶、ですかね」


そう告げると、男は目をぱちくりさせ、驚きを隠さなかった。



「恥ずかしかった記憶、でございますか?しかも最近ということは、それは、亡くなったご親友との記憶ではありませんよね?」

「そうですけど………いけませんか?」

「いけなくはありません。ですが、あなたは先ほどもこちらで涙を流されていたではありませんか。それに、ご親友とのことでとても後悔してらっしゃる。そのようにあなたの心に暗い影を落としている記憶こそ、お掃除して明るい未来に進まれたらいかがでしょうか?」


おそらく男は親切心でそう提案しているのだろう。

もし仮に私を騙すことが目的だったとしても、騙してまで彼女との思い出を聞き出したところで男に何か得があるとは思えない。

私が後悔してることをどうして知ってるのかとか、そういう奇妙さはあるものの、今この場では、そういう類のことには蓋をしておこう。

変に男に問い質すよりも、私は一刻も早い男の退場を望んでいるのだから。



「それは…………遠慮しておきます」

「なぜですか?」

「確かに彼女との別れは、私にとって今までで一番の悲しみであり、辛さであり、苦しみです」

「それでしたら、」

「でも、彼女との記憶は、決して悲しいものではありませんから。彼女との別れは悲しくても、彼女との記憶はどれも楽しくて、愛おしいものばかりなんですよ。だから、消したくなんかありません」


これは嘘でも強がりでもなく、心からの本心だ。

すると男は「そうですか………」と呟いたあと、「では、恥ずかしかった記憶、というのは何でしょうか?」と、にこにこ笑顔を復活させて訊いてきた。


「私が今一番消してもらいたい恥ずかしい記憶は、今朝起こった出来事なんです」

「今朝でございますか?」

「そうなんです。私、実は昨夜あまりよく眠れなくて、今朝家を出る時間がギリギリになってしまったんです。しかも、喪服なんて着慣れてませんから、慌てて着替えたせいでスカートを後ろ前に履いてしまってたらしくて………さっきフラワーショップの店員さんに教えていただくまでまったく気付かないままだったんですよ」


これも嘘ではない。

実際、指摘されたときは顔から火が出そうなほどに恥ずかしかったし、店のトイレで着替えさせてもらうときも、恐縮しきりだったのだから。


男は相変わらずにこにこ顔だったけれど、私の申し出に対し、念を押すように尋ねてくる。


「それで本当によろしいのですか?」

「いいんです。彼女との思い出は、例え適当でも(・・・・・・)消したいなんて言えませんから」

適当(・・)?」

「あ、いや、なんでもありません。とにかく、それでお願いします」


私はさっさとこの男から解放されたいのだ。

ところが、男はまだ引き下がらず、まるで最後の切り札とばかりに思わぬことを言ってきたのである。



「そこまで仰るのでしたらそちらで承りますが、では、あなたのお部屋にある日めくりカレンダーをあの日(・・・)から進めることはできるのですか?」


ついさっきはじめて会ったばかりのこの男に、私はもう何度も驚かされている。

その都度奇妙に感じたり、訝しんだり、不気味に思ったり、怖くなったりしたけれど、もしかしたら今の問いかけは、今日一番の衝撃だったかもしれない。



「日めくりカレンダー……ですか?」

「ええ、月齢がイラストされているカレンダーですよ」



私は今の部屋に引っ越してからは誰も、それこそ親友の彼女でさえ、招き入れたことはなかったのに。

しかも、私が日めくりカレンダーを使ったのは去年がはじめてで、イラストも含めて誰かに話した覚えもない。

もちろん、彼女の事故以来、めくることができなくなってしまったことも、誰にも話してはいない。

つまり、私以外の誰も知らないはずなのだ。


私以外に知りようのないことを、当たり前のようにいくつも把握している男。


私は、日めくりカレンダーという、より具体的な例を出してきたことで、この奇妙な男の怪しさに、リアルを感じてしまった。

こういう類のこと(・・・・・・・・)は今は無視しよう、そう決めたはずなのに………

否定一辺倒だった考えに少し変化が起こった瞬間だった。



男の言うことがあまりにもあり得なさ過ぎて、全然繋がりを想定もできなかったけれど、私が出会ってきた中で、この男のように、まるで相手の考えていることを読み取ってるんじゃないかと思うほど勘が鋭く、やたら頭の回転がよくて、異常な記憶力の持ち主である、存在自体が掴みどころのない男が、もうひとりいるのだ。



「あの」

「はい、なんでしょう?」

「あの、私、正直言ってあなたのことを信じたわけじゃありません。記憶を掃除するとか、馬鹿げていると思ってます。ごめんなさい」

「いえいえ、お気になさらず。みなさまそう仰いますから」

「でも、たぶん、それが本当かどうかは別として、たぶん、たぶん………あなたに私のことを依頼したという人は、私のことを心配して、あなたに、まあその……お掃除を依頼したわけですよね?」

「ええ、ええ、まったくその通りでございます!」


男は大喜びという表現がぴったりなほど、嬉しそうに何度か頷いた。


そして私は私で、その依頼人にたったひとりだけ思い当たる人物を見つけて、心なしかホッとして、少しだけ嬉しく思えた。



「たぶん、私、その人のことわかります……」


男は大喜びを一瞬止めたけれど、すぐにまた満面のにこにこ顔を見せた。


「おやおやおやおや、そうなのですか?」

「たぶん、当たってると思います」



新聞記者時代の私に、報道の人間は絶対に先入観を持ってはならない、一方的な正義感は偏った報道しかできない、政治家や権力を持った人間が皆悪事を働くわけではないのにそう決めつけて取材する時点で偏向報道はすでにはじまっている、例え自分の価値観や信じるものと違っても、それを否定せず公平に扱わなくてはならない………そう教えてくれた人。


報道倫理すら学ばないまま記者を名乗って一方的な正義感を振りかざしていた私に、記者はこうあるべきだと説いてくれた人だ。


その人とは一連の事件がきっかけで知り合い、事件が終結したあと、会わなくなった。

ただ、クールな物言いとは裏腹で実は義理人情に厚い人だったから、事件に深く関わっていた私のことを気にかけてくれたとしても不思議はない。


事件が幕を下ろした日、私は具合が悪くなり意識を失ってしまって、関係者の誰にも別れの挨拶すらできなかった。

その後、警察関係と政府関係の数人とは会う機会があったものの、私に教えてくれたその人は担当部署が変わったとかで一度も会えていない。

だから、もしもう一度その彼に会うことができたなら、伝えたいことがあったのだ。



「あの、でしたらその方に伝えていただきたい言葉があるんですけど………」


断られるかな、不安が過ったけれど、男は意外とあっさり了承してくれた。


「よろしいですよ。ですが、私の依頼主とあなたが思い描いてらっしゃる方が同一人物とは限りませんので、そこはご承知いただけますか?なにしろ守秘義務がありますので、例えあなたの想像された方が私の依頼人だったとしても、それが正解だとは申し上げられませんので」

「もちろん、わかってます」

「では、なんとお伝えいたしましょう?」


男は明るいばかりだった笑顔を、穏やかな微笑みに移した。



「では…………ありがとうございました、と。あなたのおかげで、記者として、スクープよりもフェアな記事を書くことの重要性と必要性を学びました。それが実行できそうになかったので新聞記者は辞めることになりましたが、今は、いろんな方々のご協力をいただき、本の執筆に励んでいます。一連の出来事についての本です。もし、無事に出版できました暁には、あなたにも読んでいただきたいです………そうお伝えいただけますか?」

「承知いたしました。それでは、さきほどあなたが仰った今朝の恥ずかしい記憶のみ、お掃除させていただきますね」

「…………よろしく、お願いします」


別に男の言うことすべてを信じたわけではないけれど、これからいったい何が起こるのか、それとも何も起こらないのか………私は、何とも説明しがたい妙な緊張感を握りしめていた。



「では、はじめますね」


男は微笑んだまま美声を響かせて、私に手のひらを向けてくる。



徐々に私の見える世界が男の手のひらに覆われていき、

その視界の隅にあったさっき彼女に供えたカラーの花を残して、

他は何も見えなくなって――――――――――






次に視界が明るくなったとき、私は、自分の部屋にいたのだった。












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