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その後、俺は大臣や副大臣とも別れを告げた。
副大臣は例の男子生徒のことを気にかけていた。
意識が戻ったとか、父親が逮捕されたとか、知ってる間柄ならば心配するのも当然だが、詳細はまた後日ということで納得してもらう。
そして俺は、人目のつかない場所で ”転移の魔法” を使った。
もちろん女を抱えながら。
”転移の魔法” が仕込まれた扉や鍵を用いていないので、ある程度の力は消費されてしまうが、俺にとっては微々たるものだ。
例えそうでなくとも、もう今夜はこれ以上 ”魔法” を使うこともなさそうだ。
すべては解決したのだから。
俺は気を失ったままの女を抱えながらも、どこか任務を終えた充足感と解放感に浸っていたのかもしれない。
転移はまったく問題なく完了し、俺達は、もうとっくに面会時間も消灯時間も過ぎている病院の階段室に移動していた。
今日の朝……いや、もう昨日の朝になるが、俺と女がやり合ったのも病院の階段室だった。
そういえば俺達がはじめて接触したのもあのホテルの階段室だったな。
それにしても、男子生徒は転院しているわけで、今朝の階段室とはまったく別の病院のはずなのに、あそこもここもほとんど変わらない。
俺の記憶力をもってしてもそう感じてしまうのだから余程だろう。
そんなどうでもいいことを思い浮かべながら、”魔法” の気配を辿って男子生徒の病室に向かう。
部屋番号を聞いてはいなかったが、そんなのはあえて聞くまでもない。
俺の同僚が付き添っているはずだし、その同僚の ”癒しの魔法” で意識を戻したというのなら、男子生徒本人からも ”魔法” の気配が濃く漂っているはずだ。
しん、と静けさが満ちる廊下を進み、俺は迷うことなく、まっすぐにその病室に辿り着いた。
他の病室と似た扉ではあるが、その扉だけは他と違い縦長の明かり窓が入っていない。
入院病棟の一番奥に位置するこの部屋はおそらく特別室だろう。
女を横抱きにしたまま、俺は小さくノックを三度鳴らした。
深夜だが、任務を終えたあと必ず立ち寄ると伝えてあったので、誰かしらは起きているはずだ。
するとすぐに、音もたてず、目の前の扉がス―――ッと動いていき、室内の明るさが薄暗い廊下に流れ出てくる。
「ごきげんよう。お待ちしていましたわ」
黒いレースのワンピースを着た同僚の女が、穏やかに出迎えてくれた。
彼女は彼女で男子生徒の意識を戻すという大きな任務を完璧に終えたあとだが、疲労感など微塵も浮かべていなかった。
「お疲れ。向こうは片付いた」
「こちらも滞りなくってよ。ところで、こちらの方は?」
「例の女だ。自分の ”魔法の元” を暴走させて、こうなった。後で頼めるか?」
「もちろんよろしくってよ。けれど、後でよろしいのかしら?」
「ああ。まず先に、」
男子生徒の様子を窺おう、そう言いかけた俺を遮って、病室の奥のベッドから細い叫び声があがったのだった。
「え、先生っ!?」
その声に反応して同僚が体の向きを変えると、ベッドで上半身だけを起こした男子生徒が今にも飛び降りんばかりの姿勢でこちらを凝視していた。
俺が同僚に目で問うと、彼女は「まだ何も説明できておりませんの」と首を振った。
仕方ない。彼はまだ中学生の子供で、長い眠りからやっと目覚めたばかりなのだから。
同僚の ”魔法” で意識だけでなく体力や身体的なものも全快復しているだろうが、メンタル面については配慮が必要だ。
俺はひとまず抱えていた女をソファに寝かせた。
「その人、うちの高等部の先生ですよね?」
「ちょっと待ちなさい。その前に言うことがあるでしょ?あの、すみません、少しお待ちください。今担当医の先生をお呼びしますから」
母親が男子生徒をとりなし、ナースコールで俺の訪問を知らせた。
「あなたがいらしたらお知らせするように言われてたんです」
母親が短く説明をしてくれたが、次の瞬間には姿勢を正し、深々と頭を下げた。
「このたびのこと、本当に、本当にありがとうございました。感謝してもしきれません。あなたのおかげで、息子はこうして、また…………」
母親の声が涙声に染まる。
「………すみません、本当にどう感謝の気持ちをお伝えしたらいいのか、胸がいっぱいで………うまく言葉にできませんけれど、ただただあなたに心からの
感謝を申し上げたくて………すみません」
同僚がそっとティッシュを差し出し、それを受け取った母親は目や鼻に当てながら顔を上げた。
「ともかく、このご恩は一生忘れません。あなたのことも、MMMコンサルティングの方々のことも。本当にありがとうございました」
母親がもう一度深くお辞儀すると、ベッドの上にいる男子生徒も
「ありがとうございました!」
と、マットレスに額がくっつきそうなほどに頭を下げた。
「俺はただ仕事をしたまでですので」
俺はいつものように返したが、男子生徒の疑問に満ちた眼差しにはどこまでを伝えるべきか決めかねていた。
まだまだ幼さの残る、けれどまっすぐな瞳に、嘘や誤魔化しで塗り潰した真実は似つかわしくない。
そうは思っても、彼はまだ、精神的に未成熟な中学生なのだ。
だが、俺がそれを決める前に、男子生徒が何かを訊いてくる前に、扉がノックされたのだった。
さっきと同じように、同僚の女が扉を操作して開くと、白衣を着た男性医師と看護師が穏やかな様子で入ってきた。
「ああよかった、いらっしゃるのは朝になるかもしれないと思っていましたから」
医師は優しげな笑みで俺の横に並ぶ。
「夜分に失礼いたしました」
「いえいえ。御社にはいつもお世話になりっぱなしですので。……気分はどうだい?」
男子生徒に医師が問いかけると、看護師がすかさずバイタルチェックしていく。
「僕は問題ありません。でも………」
即答しながらソファを見やった男子生徒。
その視線を医師も追った。
「こちらの方は?」
「MMM案件ですので、ご心配には及びません」
「そうですか。でしたら心配いりませんね。ただ、彼が気にかけているようなので…」
「彼女は同じ学校の教師だったようです」
「ああ、それで……。この人に任せておけばきっと大丈夫だから、あまり心配しないで。体に障るからね」
医師は男子生徒を安心させるように言ってから、「彼は身体的にはどこも問題ありません」と俺に向き直った。
「一通りの検査は終えてますので、明日にでも退院できますよ。目が覚めたばかりとは思えないほど、体力もすっかり回復しています。医師になってそこそこ経ちますが、ここまでの快復ははじめて見ました。感服です」
医師の中には ”癒しの魔法” を忌避する者もいるが、患者の病や傷が癒えるのなら医学でも ”魔法” でも構わないという者も多い。
どちらが正しい、間違っているとは言わないが、この医師は後者なのだろう。
そして経験上、後者タイプの医師は人柄が良い場合が多いということもわかっていた。
この医師なら、男子生徒のことを任せられると思った。
もし真実を知った彼が、大きなショックを受けたとしても。




