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無関係の俺でさえそうなのだから、女はさぞかし腹を立てていることだろう。
俺は再び女に ”制御の魔法” を使うべきかと逡巡した。
だが女は、唇を噛みながらも向こうの会話を聞き逃さないことのみに集中しているようだった。
《で、その意識不明のきみの息子が、いったい我々に何の関係があるのかね?》
相変わらず怒鳴ったりはしないものの、重低音を唸らせるように響かせた詰問は、さきほどより凄みを増しているように感じた。
《ええ、ええもちろん、関係はございます。それを、これからご説明いたします》
男の口調は、まるでプレゼンを行っているような、取引相手に営業を行っているような、生死を彷徨っていた我が子の話題を取り扱うに相応しくない軽やかなものだった。
俺の不快指数が、もう一段階上昇した。
《実は、息子がああなったのは、事故ではないんです》
《………事故ではない?》
《ええ、そうなんです。息子は……》
男はやたら勿体ぶるように言葉を置いてから告げた。
《…………自分で命を絶とうとしたんです》
《なっ……》
《自殺ということですか?》
《確かまだ中学生でしたよね?いったい何が……》
衝撃の告白に、彼らは口々に驚きを述べるが、さすがかの人物は動じなかった。
《それで?》
またもや、たったひと言で一同のざわつきを制したのだ。
そしてあの男は、またもや我が子を都合よく利用する。
《それが、息子の自殺…正確には自殺未遂ですが、その理由と思われるのが、同級生からのいじめだったんです。そしてその息子をいじめていた同級生というのが、あの副大臣の実の弟なんですよ》
イヤホンからはっきり名指しで聞こえたが、こちら側でそれに反応したのは当の副大臣のみだった。
他の人間は、俺の隣りの女も含めて誰一人、副大臣に振り向いたりはしない。
それだけ職務に集中しているのか、それとも副大臣を気遣ってのことなのかは測り知れない。
だが、あちら側では、副大臣の身内によるスキャンダルだと言わんばかりに喜色めいた声があがっていたのだ。
そしてさらに、調子づいた男が好き勝手に説明を付け足した。
《しかも、息子を自殺未遂にまで追い詰めておきながら、あの副大臣は自らの力と多額の寄付金を使って自分の弟のしでかした罪をなかったことにしようとしたんです!》
「あいつはいじめなんかしてないっ!!」
堪えきれず、副大臣が声を荒げた。
その切なる反論に、こちら側の人間のほとんどが彼に顔を向けたのだった。
頬に熱を灯し、弟の潔白を訴える副大臣。
そんな彼に、そっと近寄っていったのは大臣だった。
怒りが宿って震える肩をトンと叩き、そんなことはみんなわかってる、そう言いたげな表情の大臣に、副大臣からもスウ…ッと感情の温度が下がっていくようだった。
「……申し訳ありませんでした」
「謝ることはありませんよ。誰だって身内のことを悪く言われたら腹が立ちます」
「それが事実でないなら余計ですから」
「嘘はいつかバレるものですよ。だから何も心配される必要はありません」
議員、警察関係者、MMMコンサルティング社員から、まるで代表を担っているかのように一人ずつ副大臣に返していった。
副大臣はそれらを素直に受け取ると小さく頭を下げ、「そう言っていただけると………。すみませんでした。仕事に戻りましょう」と、自らが話題のピリオドを打ったのだった。
その直後イヤホンから流れてきたのは、相変わらずの得手勝手な虚言だった。
《息子は正義感が強くて曲がったことが嫌いな子供でした。だから例え政治家一家の子供だろうと、間違ってることは間違ってると指摘したかったのでしょう。それが相手の生徒は気に食わなかった。いじめは日を増すごとに酷くなっていったといいます。ですが正義感の強かった息子は、いじめなんかに負けまいと、教師に相談し解決策を探しはじめました。ですが相手は父親が元官房長官、兄は史上最速で副大臣となった人気議員で、そのうえ、家は代々子息を同じ学校に通わせている、学校側とのコネクションが強大な一族です。しかも祖父は多額の寄付金を積んでいる。ただ父親が会社経営しているだけの一般人では、到底対等に見てもらえるわけもなかったんです。それどころか、なぜか息子の方が相手をいじめていた加害者扱いされ、学校も教師も同級生も信じられなくなった息子は、とうとう………》
男は一旦言葉を切り、わざとらしすぎるほど情感たっぷりに告げた。
《これまで、息子の名誉のためにもこの話はずっと避けていました。幸い息子は命の炎を消してはおりません。ですから、息子が目を覚ましたとき、大ごとになっていないようにと、細心の注意を払って今日まで参りました。ですが、それをいいことに、あの副大臣は好き勝手、やりたい放題ではありませんか!このままでは一方的な法案まで通ってしまいかねない!そう考えたとき、息子の声が聞こえてきた気がしたんです。『お父さん、僕のことを使ってくれていいよ』という息子の声が!!》
なんてやつだ。
どこまで自分勝手で嘘つきな人間なんだ。
救いようのない大ぼら吹きの悪人、あまりの身勝手さに反吐が出そうになるが、イヤホンの向こうでは、元大物議員の御大が男を冷静に追及していた。
《それで、きみは我が子を利用していったい何をするつもりなんだね?》
すると男は待ってましたとばかりに喜々として自身のプランを披露しはじめる。
《ある記者に息子のことを書かせるつもりです。そうすれば、副大臣はじめあの一族の悪事が次々と表に出てくるでしょう。そんな副大臣が関わってる法案に、世間は納得しますかな?》
「なっ……!」
隣で女が怒り混じりの声をあげた。
女は、男の言う記者が自分のことだと思ったのだろう。
女だけでなく、そう思った人間は複数いたはずだ。
だが、そうではなかった。
《それは、さっき話していた、きみが転職させた女性記者のことかね》
《いえいえ、あの女はダメです。駒として動かすにはちょうどいい小粒ですが、小粒過ぎて、記事の信憑性に乏しくなってしまいますからね。そこはもっと知名度があって、より世間の注目を集める雑誌の方が有効でしょう。ちょうど、週刊誌の有名記者の弱みを握っておりますので、そこは問題ありません》
男は自信たっぷりの提案だったのだろうが、御大はにわかに凄みを増した。
《ほう……弱みね。それはそんなに大層なものなのかね?》
《ええ、もちろんです。もしばれたら逮捕されかねない重大なものですので》
《それは大きな弱みだな。だが、だったらなぜ、もっと早くその有名記者を使わなかったんだね?今になって子供のことなど持ち出さずとも、ここまで我々が不利になる前にいくらでもやりようがあっただろうに》
《それはもちろん考えました。ですが……》
《我々とて融通の利く記者を知らないわけじゃない。これまでに何度も新法案派の連中について記事を書かせてきたのは、もちろんきみも見てきただろう。だが、総理はじめ新法案派の連中は実に用心深い。周りにいる秘書連中も身綺麗な人間ばかりで、記事になるスキャンダルといえば、せいぜい、あつらを妬んでる貧乏人の言いがかりに近いものばかりだ。それを知りながら、きみは今まで我々に本気で協力していなかったというわけだな?ひょっとして、立場が悪くなれば、いつでも寝返られるようにしていたんじゃないのかね?》
低い詰問に、ざわめく隣室。
だが男はこれを即座に否定した。
《ちが、誤解です!!ただ息子のことはあまり公にしたくない親心というものでして、でも決して寝返ったりあなた方を裏切るつもりなどありません!!》
《構わん。事情が変われば裏切るなど、我々の世界では当り前だ。私だって表向きは新法案に反対を表明してるわけじゃない。向こうにとったら立派な裏切者だろう。だが、ひとつ、きみは見落としていることがあるようだ》
今度は御大が焦らすようにゆっくりと男を追い詰めていった。
《………なんのことでしょうか?》
《きみは知らなかったようだが、私もまた、あの学校の縁者だということだ。数年前に孫が高等部を卒業してからは家の者は誰も在籍していないが、再来年にはまた別の孫が通いはじめるだろう。無論、私自身も卒業生だが、ひとつ言えることは、あの学校は寄付金の額で生徒の差別など断じてしないということだ》
有無を言わせない威圧を、イヤホン越しにも感じた。
当然、イヤホンの向こう側ではさらに迫力を感じたはずだが、あの男はすぐさま苦し紛れの弁明を、またもや虚言に染めて訴えはじめたのだ。
《そ…それは………、いえ、あなたの母校だとは存じませんでしたが、確かに仰る通り、多くの先生方はちゃんとされてる方々です。ええもちろん、寄付金なんかで生徒を優遇することもない、公平に生徒を扱ってくださる良い先生方なんでしょう。……ですが、すべての教員がそうとは限りません。息子が相談していた教師なんかがいい例です。彼女は息子からいろいろ聞いていたにもかかわらず、結局息子はあんなことになってしまいました。そしてその教師は、息子のことが公になると、それを苦に自ら命を絶ったんです。何も解決していないのに、その教師は自分だけ逃げたも同然だと思いませんか?そういう教師だっているんですよ!》
男が動揺を誤魔化しながらそう述べたとき、
―――――――バンッッッッ!!!!
何かが弾けて爆ぜるような音が響き渡ったのだ。
この部屋にいる全員が、ひとり残らずその音に反応した。
だが、音の大きさの割に衝撃はない。
爆発音にも似た激しさだったにもかかわらず、部屋のどこにも損傷はなく、誰も負傷していないのだ。
唯一変化があったのは、俺の隣りにいた女が、自力で立っていられないほどに衰弱していたことだった。
俺は咄嗟に女の体を抱き止めた。
その体からは、さっきの比ではないほどの ”魔法” の気配が溢れ出ており、意識もはっきりしないようだ。
全員が、女の状況を把握した。
そしてそのときやっと、音の正体となぜ自分達が無傷だったのかを理解したようだ。
つまり、それが女から発せられた何らかの ”魔法” に関する音で、自分達は ”魔法” が付与されたイヤホンのおかげで無事でいられたのだと。
装着している者を ”魔法” の影響を受けにくくするイヤホン。
もしこれがなければ、おそらくMMMコンサルティング社員以外は立っていることも不可能だっただろう。
自身の ”魔法の元” を暴走させながら女がこの程度で済んでいられるのも、おそらくイヤホンのおかげだろう。
だが、向こうにはそんなイヤホンがあるわけもなく、隔てられた壁一枚なんかで、”魔法の元” の暴走は食い止められるわけもなかったのだ。
《何事だっ!?》
《今の音はなんだっ!?》
《爆発音か?》
《いや、どこにもそんな形跡はありませんよ?》
《とにかく、今夜はもうお開きにした方がいいのでは?》
《そうだな、もし今ので緊急車両が来たりしたら面倒だ》
《ではそういうことで、私は失礼しますよ》
《あ、待ってください、私もご一緒いたします!》
《みなさんお待ちください!まだ話が…》
―――――クソッ!ここで帰られたら計画が台無しじゃないか!お前達、勝手に出ていくな!!
イヤホン越しでなく頭に直接聞こえてきた男の心の声に、俺は急いで振り向いた。
「おい!この女に ”制御の魔法” をかけておけ」
「え?あ、了解っす」
パーカの男に一方的に告げ、女の体を預けると、すぐさま隣室方向の壁際にまで駆け寄る。
そして壁に両手のひらを当て、”魔法” を注いだ。
もちろん狙いはあの男だ。
「な……にしてるんすか?」
背後からパーカの男が尋ねてくる。
恐る恐るといった具合だ。
おそらく、憔悴してる女以外の全員が同じことを思っているのだろう。
俺は自分でも必死感がだだ洩れである自覚はあった。
「”制御の魔法” をかけてるんだよ!」
「え、でもそれなら俺が…」
「向こうにもいるんだよ!」
「誰がいるんすか?」
「その女と同じ、”魔法の元” の持ち主だ!」




