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俺と女を乗せた車は、まるで魔法の絨毯で空を飛んでいるかのようにするすると、信号に引っ掛かることもなく目的の場所に着いた。
霞ヶ関にほど近い高層ビルだ。
その上層階が一般向けの住居になっており、車は地下駐車場に入っていく。
「あの、ここは……?」
女が車窓を見ながら、我慢しきれないという様子で訊いてきた。
「見ての通り、タワーマンションだ」
「それはわかりますけど、どうして私をここに連れてきたんですか?」
「お前を連れてきたというより、今夜ここで俺の仕事があるからだ。お前はあくまでもついでだ」
率直に説明したが、女はここでは顔色を変えずに、「ああ、そうなんですね」とすんなり納得したようだった。
やがて車は停止し、待ち構えていたMMMコンサルティング社員によって物理的に後部座席のドアが開かれる。
「降りろ」
「……はい」
女は素直に指示に従うものの、細かく見まわして車内や地下駐車場をチェックしているようだった。
「お疲れさまです。すでに皆さんお集まりです」
「わかった。引き続き車の出入りを見てくれ。予定外の来訪者はすぐに報告を」
「わかりました」
この社員は自身に ”認識阻害の魔法” をかけている。
見張りや潜入の任務には欠かせない ”魔法” だ。
そういうことから、女にはこのMMMコンサルティング社員の姿は見えているのに、意識の外にある存在で、俺との会話も聞こえているようで聞こえていない。
「こっちだ」
俺は女の前を歩いた。
俺にとってもここははじめての場所だが、すでにMMMコンサルティング社員によっていくつかの ”魔法”…たとえば ”認識阻害の魔法” や ”記憶操作の魔法” が使われているので、それらの ”魔法” の名残りを辿っていくだけで、自然とナビゲートになるのだ。
俺は迷うことなくエレベーターに乗り込み、フロアボタンに指をかけたところで、女に振り返った。
「………おそらく、今日俺とお前が二人で話せるのはこれが最後だろう。上に行けば、お前が何かを発言するのは難しいと思っておけ。だから今のうちに簡単な状況説明しておく。一度しか言わないからよく聞け。いいな?」
目を見て告げると、女は感情のままに転がらせていた表情をきゅっと締め、「わかりました」と答えた。
そしてそれを聞いた俺は、女に背を向け、フロアボタンを押した。
静かに動き出すエレベーターの中、俺は必要最低限の事情説明をはじめた。
「お前がスクープを狙っているあの副大臣だが、今、ある新法案についての中心人物になっているのは知ってるか?」
「新法案?いいえ……」
「平たく言うと、海外からの人や金の流れを今よりもクリアにするものだが、それが通ると、これまでのように甘い蜜を吸えなくなる連中が大勢出てくる。そしてそういった連中から票を集めていた議員達も困ることになる。そうすると、あの手この手で新法案を邪魔してくる連中が現れてくる。例えば、商社の経営者が、副大臣の弱みを探ったり、でっち上げたり……」
「ちょっと待ってください!………商社?それに、副大臣って………」
察しがいい女に、俺は付け加えてやる。
「このマンションの中に、あの男子生徒の父親が別邸として使用している部屋がある」
背後で、女が言葉を飲み込む気配がした。
「今夜、その部屋に新法案反対派の主要メンバーが集まるという情報が入った。出どころは明かせないが間違いない情報だ。顔触れは、現職議員、閣僚、引退したはずの元議員、企業の経営者や役員、団体の代表……それぞれの立場から、あの手この手で新法案阻止に躍起になっている連中だ。もちろん、真っ当な手段での反対表明ならば問題はない。だが連中は右も左もわからない若者や外国籍の者にスパイまがいのことをさせたり、裏で手を組んで世論操作を目論んだり、ほぼほぼ犯罪のような真似をしているのが実情だ」
「犯罪って、そんなまさか……」
「信じる信じないはお前の勝手だ。だが事実だ。警察も動いている」
「それ本当なんですか?警察って、じゃあまさか、あの子のお父様も……?」
「場合によっては逮捕の可能性もあるだろうな」
「そんな……!」
「自業自得だ。それともお前が記者としてあの父親の潔白を証明してみせるか?あの男が無実だという確固たる自信が、お前にはあるのか?」
「それは……」
「もしどうしてもあの男を助けたいというなら、今からでも遅くはない、すぐに下に戻ってその足で取材に走ればいい。お前に、あの男が絶対にシロだという確信と信頼があるのならな。さあ、どうするんだ?適当なフロアで止めてやろうか?」
俺はフロアボタンに指を当てながら顔を女にまわし、選択を迫った。
だが、女は「いえ……大丈夫です」と首を振った。
「それなら、万が一今夜あの男が逮捕される展開になっても、絶対に口を挟んだりするなよ?」
「今夜…そんな急にですか?」
「さあな。その可能性は否定しないというだけだ。ただ、今夜、何かしらの展開はある。だからこそ、あの男の部屋の隣室に、俺達が待機することになったんだからな」
「隣室?どういうことですか?それに俺達って、どなたのことですか?」
「たまたまあの男の隣の部屋が空いていた。その部屋をMMMコンサルティングが契約しただけだ。そこに、今回の件に関係するMMMコンサルティング社員、新法案に関与している大臣、副大臣、他数名の議員、そして警察関係者が集まることになっている。このままズルズル邪魔されては何も進めないからな。今夜で方を付けることになった」
「まるで大捕り物みたいじゃないですか…」
「みたいじゃない」
「え?」
「今夜逮捕者が出たなら、間違いなく大捕り物だ。よかったな。そんな大事件を目の前で目撃できるなんて、記者冥利に尽きるだろう?」
揶揄したつもりではなかったが、女は複雑そうにしかめた。
「でも、どうせ記事には書けないんですよね?」
「誰がそんなこと言った?」
「いいんですか?口を挟むなと仰ってませんでした?」
「これから起こることの邪魔はするな。だが、政治家や著名人の逮捕を記事に書くなとは言えないだろう?偏りなく事実のみを記して人々に知らせるというのなら、誰も止める権利はないはずだ。例え内閣総理大臣でもな」
「………まさか今回の件って総理も関わってるんですか?………MMMコンサルティングって、いったい何なんですか?」
女が立て続けに質問を投げてきたとき、エレベーターが目的のフロアに停止した。
俺は静かに開ききった扉を腕で抑えながら端的に答えた。
「名前の通り、コンサルティングファームだ。ただ、クライアントが政府だったり警察だったりするだけに過ぎない」
「本当にそれだけですか?」
「業務上の守秘義務があるのでこれ以上は話せない。だが、今夜ここで、お前がずっと信じていたあの男の正体が明かされるのは間違いないだろう。お前自身がその目と耳で確かめたらいい。自分がどう騙されていて、何が正しかったのか、お前の正義感で見定めたらいい」
そう言うと、女がハッとしたように顔つきを改めた。
その刹那、俺は確かに女から ”魔法” の気配が流れてくるのを感じた。
おそらく彼女の ”魔法の元” が反応しているのだろう。
「……やっぱり、私はいいように騙されていたんでしょうか?」
「それを自分で確かめるんだな。どうせ俺がいくら言ったところでお前は信じないだろう。人は信じたいものしか信じない生き物だからな。ここでの仕事が終わり次第、すぐにあの男子生徒にも会わせてやるから、彼からも真相を聞けばいい。ともかく今はエレベーターから降りたら、俺がいいと言うまで何もしゃべるな。何を聞いても、何を知っても黙ってろ。いいな?」
俺は、以前女に向けたものと同じセリフを告げた。
だが、あのときの記憶を消去済みの女は覚えているはずもなく、
「わかりました」
ただただ意志の宿った瞳で頷いたのだった。




