6
そう聞いて、俺は心なしか納得する部分があった。
男子生徒の父親は直接会ったことはないが、その噂は何度も聞いていたからだ。
商社の創業一族の人間で大学を卒業後二か国に留学し、帰国後は取引先企業で数年勤務したのち、ひとまずは本社に配属され、すぐにアジア圏への駐在となり複数の国で成功を納め、本社に戻ってからは順当に出世し役員コースへ。
まさに絵に描いたような華々しい商社マンと言えるだろう。
だがその程度の経歴なら他にもいるはずで、会ったこともない無関係の俺にまで届くような噂としては薄い内容だ。
ではなぜ、彼がそこまで噂になっていたのか。
それはひとえに、彼の外交的な手腕を評価する人間が多かったせいだろう。
彼を知る者は皆、異口同音に言った。
交渉をさせたらあの男の右に出る者はいないだろう…と。
それほど、彼は交渉術や取引の手腕に長けているらしい。
だからこそ、海外勤務で成功を手にすることもできたし、商社勤めとしての輝かしい人生を歩んでこられたのだろう。
その結果、創業一族への風当たりなどどこ吹く風状態で今の地位にまで昇りつめたわけだ。
だが、それはあくまで彼を好意的に見た側の意見だ。
裏を返せば、強引で傲慢、自分の思いのままにならないと気が済まない気質だったとも言える。
それは創業一族ゆえのプライドからくるものだったのだろうが、そのプライドは彼の特権意識を助長させ、己の過ちを認めない、典型的なワンマン社長に育ててしまったのだ。
そんな男を前に、この正義感あふれる若い女教師…今となっては元教師が、色々といいように丸め込まれたであろうことは想像に難くない。
「どう唆されたのかは知らないが、そんなよく知りもしない人間の勧めで簡単に辞められるほど、お前の教師への仕事欲は粗末なものだったのか?」
俺が冷ややかに吐き捨てると、女は真っ赤な顔で睨んできた。
「簡単に辞めたわけじゃありません!でも、それ以外には彼女の無念を晴らす方法なんて思いつかなかったんです!」
「無念ね……。それでお前はすぐ新聞記者になったんだな?どうせそれもその父親の口利きなんだろう?」
「それは………そう、ですけど………」
赤い顔のまま、視線を逸らす女。
変に嘘をついて誤魔化すタイプでないことは評価できるだろう。
それは、この女なりの正義感とも言えるかもしれない。
そして俺は、そんな女の正義感に今回の件の打開を預けてみるのもひとつの手立てと考えたのだ。
「ひとつ確認しておくが、お前は、本気で、あの動画がフェイクだと思ってるんだな?本気で、副大臣側が多額の寄付金でいじめを隠蔽しようとしたと思ってるんだな?」
声色を落とし、真剣に問う。
すると女は、一呼吸置いたのち、
「はい。そう思ってます」
躊躇わずに頷いた。
その答えに、確かに嘘の気配は微塵もなかった。
俺は続けて訊いた。
「じゃあ、男子生徒が母親に送ったメッセージもフェイクだったと思ってるのか?」
当然、俺は同じ回答が返ってくるとばかり思っていた。
だが……
「メッセージ?何のことですか?」
そう訊き返してきた女には、やはり嘘の気配は皆無だったのだ。
―――――あの生徒が母親に送ったメッセージ?
―――――そんなのあったの?
―――――でも、いったいいつ送ったメッセージなの?
―――――まさか、遺書………ってこと?
読み取った女の心の声も、メッセージの存在に驚きの反応だった。
「そうか………ということはつまり、お前は父親に騙されたんだな」
女はさらに困惑の表情を浮かべる。
「騙されたって、どういうことですか?」
「今意識不明になっている男子生徒は、事を起こす直前に母親にメッセージを送っていたんだ。そこには何度もごめんなさいと書かれていて、まるで遺書のようだったそうだ」
「……っ!」
女が口を手で覆った。
心を読まずとも、その仕草だけで、この情報が初耳だったとうかがえる。
眉を歪めて、心底辛そうに双眸が揺れる。
「その様子だと、何も知らなかったんだな」
「………はじめて聞きました」
「生徒の父親からも聞いてなかったのか?」
「はい……」
女が口から手を離し力なく返事すると、俺の口からは「なるほどな」と無意識の呟きがこぼれていた。
すると次の瞬間には女が俺に食ってかかってきたのだ。
「でもそれ、本当の話なんですか?そんな遺書みたいなものが発見されてたなんて、私は誰からも聞いてませんけど?」
「それはそうだろう。事は生徒のごくごく個人的なものだからな。ほんの一部の人間にしか共有されていない情報だ。だが、生徒本人と親しかったお前の同期の女教師や、その生徒の身内である父親はさすがに知っていたはずだ」
「でも私は彼女からも何も聞いてません!」
「何か後ろめたいことがあるから言えなかったんじゃないか?父親だってそのメッセージのことをフェイクだと言って認めなかったようだからな」
「フェイク……」
女はまたもや登場してきたその言葉に、ささやかな引っ掛かりを覚えたようだった。
「そうだ。だが、撮影から時間が経っていた動画と違って、そのメッセージは男子生徒から母親に送られたもので、第三者が介入することは困難。しかも警察が内容だけでなく送受信時刻までも確認していることから、これがフェイクである可能性はほとんどないに等しい。それにもかかわらず、あの父親はフェイクだと言って聞かなかったそうだ。だがメッセージのことを知ってる人間は、警察も含めて誰もフェイクだなんて思っちゃいない。ただ、意識不明の男子生徒が目覚めたときのために、メッセージの件はあまり広がらないようにしようと、関係者達の間で自然とそういう流れになったらしい。メッセージの内容は、男子生徒が自分に非があると認めているものだからな。だから父親は、お前には意図的に伝えなかったんだろう。あの父親は、お前を利用するためにお前に教える情報を自分の都合で取捨選択していたんだよ。まるでどこかの偏向報道のようにな」
「偏向……」
女はきゅっと拳を握りしめた。
その拳からは少なくはない怒りが滲み出ていたが、それは男子生徒の父親に対する腹立たしさというよりも、彼女の並々ならぬ正義感ゆえなのかもしれない。
俺の中には、さっきと同じように確かに魔法の気配が流れ込んでいたからだ。
やはり、女の ”魔法の元” は ”正義感” で間違いない。
俺は再度そう確信すると、それを利用して今回の件を打開するというプランを一気に進めることにした。
「だが、お前は今、こうして隠されていた事実を知ったわけだ。都合よく捻じ曲げられた情報を正しく得た今、お前の正義はどこにあるんだ?」
「もちろん………真実を明るみにすることです」
「そんな偏った情報のどこに真実があるというんだ?お前は、あの女教師の無念を晴らしたいと言っていたが、もしいじめ隠蔽などなかったら?あの女教師がお前に嘘を吐いていたのだとしたら?お前が握らされた証言の方が誤っていたとしたらどうするんだ?一度表に出てしまった情報は、例えそれが全部誤りだったとしても、なかったことにはできないんだぞ?一般人が裏取りもせず簡単に気分やノリで放った情報でさえ、そのまま拡散されて永遠にこの世に残ってしまうんだ。その情報が正しくても、間違っていても関係ない。それを承知のうえで、お前は記者として、偏った情報だけを頼りに記事を書くというのか?それがスクープだから?笑わせるな」
「そんなことしません!もっとちゃんと……取材もしますし、裏取りも念入りにします。だから…」
「その結果、あの意識不明の男子生徒が不幸になってもか?お前の友人の非を公にすることになってもか?」
「え……?」
「その可能性はまったく考えてなかったのか?あの父親が自己都合でお前への情報提供を行っていた場合、あの女教師が自分の都合のいいようにお前に話を聞かせていた場合、お前が今まで頭に描いていた想定とは真逆の真実が明らかになるだろう。そうなったら男子生徒も女教師も、決して無傷ではいられないはずだ。それでもお前は、知り得た真実をすべて明るみにするつもりなのか?」
「それは………」
「そこで即答できないお前は、記者失格だな。他人には厳しく身内には甘い、典型的なダメ記者だ」
「――っ!」
悔しそうに、頬を強張らせる女。
彼女は、本当に嘘の吐けない人間なのだろう。
「だが………適当にはぐらかしたり嘘で誤魔化したりしないお前は、ある意味誠実な記者とも言えるのかもしれないな」
「………どっちなんですか?」
女の瞳は、俺のセリフの真意を探ろうとしている。
―――――この人何言ってるの?
―――――私だって真実が知りたいわよ!
―――――どうして彼女が死ななきゃならなかったの?
―――――でももう彼女には話が聞けないのよ?
―――――遺書みたいなメッセージって何よ?
―――――その情報さえ知らされてない私に、何ができるのよ!?
「……さあな。だが、そんなお前になら、俺が知り得た情報を提供してもいいと思ったまでだ」
「………情報?」
「ああ。例えば、あの男子生徒の意識が戻りそうだ……とか」
俺の提案に、女はサッと顔色を変えたのだった。




