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「そういうお前は最近ウロチョロしてる新人記者だな」
俺は女の手首を両方ともまとめて掴み直しながら告げた。
あくまでも質問ではなく断言だった。
女はにわかに眼差しを揺らすと、
「新聞記者一年目の私のことまでチェックしてるんですか?」
訝しさを隠しもせず問うてきたのだ。
不快感というよりも不安感を滲ませた顔色である。
確かに女の反応も致し方ないだろう。
俺は政府の人間ではなく、あくまでもMMMコンサルティングという一般企業の従業員に過ぎないのだから。
まさかそれが魔法使いの集団企業だなんて知る由もない人間にしてみたら、ただのビジネスマンが政府機関に出入りし、総理はじめ閣僚官僚方とも顔馴染みであること自体疑問を持つだろう。
俺の存在が表に出ることは極めて稀だが、新聞記者という立場で政府関係者や官僚の近辺にまとわりついてるこの女なら、政治家でも官僚でもないのにやたら視界に入り込んでくる俺の存在に目がとまっても不思議はない。
そしてそんな俺が直接会話したこともない自分の情報まで把握していたとなると、警戒するのは当たり前だ。
「お前が俺のことを知ってる以上には、俺はお前を知っている。そんなことより、ちょっと付き合ってもらおうか。スイートルームに入れるなんて貴重な経験だろう?有難く思え」
「え?スイートって、ちょっ……!」
手首を引き、女の体を回転させる。
女のショートヘアがふわりと靡いた。
女は物理的な抵抗こそ見せなかったが、腐っても記者というところか、自由の利く口で俺の情報を引き出そうとしはじめた。
「………ねえ、あなたもともとは雑誌の記者だったんですよね?有名らしいじゃないですか。雑誌でも新聞でも記者からMMMに転職した人なんて初めてだって、うちの先輩が噂してましたよ」
サイドにわけた長めの前髪の間からのぞく双眸は相変わらず不安色が濃かったが、そこに好奇心のような色味が足されているようにも見えた。
”MMM” の人間を前にした記者というのは、やはり似たような反応になるんだなと、俺はいつぞやの自分自身を思い出していた。
「MMMっていったら、新規採用をなかなかしないで有名じゃないですか。いったいどうやって転職したんですか?」
「さっさと歩け」
俺は女を無視し、階段を上がるように女の体を押した。
さっき女を確保するために用いた特殊な方法は、ここでは使わない方がよさそうだと判断したのだ。
だが、女は足を動かしながらも口は止めなかった。
「ひょっとして、何かコネでもあったんですか?」
ショートヘアの頭がくるりと振り返る。
「記者だったら、色々な人と知り合えますしね。コネとかも作りやすいんじゃないですか?例えば………議員からの紹介とか?」
ネズミの戯言など聞き捨てておけばいいのだが、俺は今の質問にいささか違和感を覚え、立ち止まったのだった。
「お前、今日ここに何しに来たんだ?」
「は?」
女は一瞬虚をつかれたような顔をしたが、すぐさま
「そんな意味不明な質問返しで誤魔化せると思うんですか?」
今度はムキになった様子で声を張り上げた。
弱い犬ほどよく吠えるのいい例だ。
だが俺はその返答でこの女が野良ネズミであると察し、息を吐いた。
どうやら、今回の案件の対象者ではなかったようだ。
「なんですか?そんなため息吐いて、ひょっとして私のこと、若い小娘だと思って馬鹿にしてます?」
敵愾心むき出しの姿はネズミというより威嚇してくる猫のようだが、たとえこの女が希少価値の高い三毛猫のオスだったとしても、今日の案件対象者でない限りは価値がない。
俺のため息は無駄な時間を費やしたことへの自嘲である。
だがそうと知らない女は気分を害したようで、それはさっきまでの不安を蹴散らしてしまうほどに膨れ上がったようだった。
「自分がちょっと有名企業に転職したからって、私達記者のことを見下してるんじゃないですか?」
俺はそんなわけないだろうと内心で反論しながらも、意識はイヤホンから聞こえてきた部下の報告に傾ける。
どうやらエレベーター側では男二名の確保が完了し、客室に連行したとのことだった。
「――――了解。こちらも女一名確保済みだ。これから客室に向かう」
そうイヤホンの向こうに告げたのだが、俺がイヤホンをしていると気付いてない女は、またもやそれでキャンキャン吠え出した。
「了解って何ですか?意味がわからないんですけど!」
曲がりなりにも仕事中の記者がこんな感情的になるなんて、こいつ大丈夫か?と本気で心配してしまうレベルだが、それを言ったところで聞くタイプでもなさそうだ。
俺は忠告したりせずにただ女を所定の場所に連行することだけに集中した。
ところが、女は無視されたくらいで大人しくなったりするタイプでもなかったのだ。
「だいたい、やましいことがあるから答えられないんじゃないですか?やっぱり、コネで転職したんでしょ?コネじゃなかったら、記者をしてるときに入手した情報をネタにして誰かをゆすったりしたんじゃないですか?」
この女が俺の怒りを引き出そうとしてそんな質問をぶつけてきてるのかもしれないが、だとしても、持っていき方が乱暴すぎるし計画性のカケラも見当たらない。
俺は記者という職業に誇りを持っていたし、転職した今でも、元記者という肩書に矜持もある。
ゆえに、記者の品格を自ら下げるような振る舞いを見せる連中には日頃から苛立ちと情けなさを覚えていたのだ。
ちょうどいい機会だ。
スイートルームまではまだ数フロア上らなくてはならないし、暇つぶしにはもってこいだろう。
俺は女のうるさい質問に返すことにした。
それがただの気まぐれなのか、積もり積もった鬱憤のせいなのか、そんなの知ったことではないが、少なくとも俺がこの女を記者として認めたくないと思ったのは間違いなかった。