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副大臣の話を聞きながら、俺は、ある言葉が口を突いて出ていた。
「………人は、信じたいものしか信じない………」
「そうですね………。僕もそう思います。その生徒は…というより彼の父親は、僕の家が一億で学校側に口止めを行ったと思い込んだんです。一億も払うほどの悪事があったと断定して、弟を悪者に仕立て上げようとした……!」
俺の知ってる副大臣は、人懐こくてよく笑い、冗談好きな一方では実直で、自分にも厳しい男だ。
おそらく弟だからといって、頭からすべてを信じて擁護するようなことはなかったのだろう。
いくつもの可能性を鑑み、俯瞰で見て、判断したに違いない。
だからこそ、今の彼からは嘘の気配が微塵も感じられないのだ。
俺はそっと頷いた。
「例えあなたのご家族がお祖父様の名を利用し、実際に寄付金で口止めが行われたのだとしても、そしてそれが一億という大金だったとしても、その額の大きさは口止め内容にはリンクしないはずです。たったひとつの消しゴムを万引きしただけでも、それを何が何でも隠したい人間なら一億払うかもしれませんからね。ただ、大勢の人間にとっては一億はとてつもない大金です。容易く用意できる額じゃない。だから人は、自分が用意できないほどの大金を払ってでも隠したい出来事なのだと、勝手に自分の物差しのみで計って自分の解釈で結論付けてしまう。ちょっと冷静になればそれがいかに愚かな思考かわかるはずなのに。人は、情報を己の都合に合わせて取捨選択する生き物ですからね。実に愚かだ」
俺は思ったままを口にした。それだけだった。
なのに副大臣は、その童顔を際立たせている大きめの目をこちらに向け、驚きを隠しもしなかったのだ。
「……あなたがそんなふうに仰るなんて、意外でした」
「そんなふう?」
「今みたいに感情を表に出すことなんて、滅多にありませんよね?」
「まあ、あなたとお会いするのは仕事中だけでしたからね。今は厳密には仕事中ではありませんので」
「そうですけど、いつも僕が冗談を言ってもクールにスルーされてしまいますから、今みたいに怒ったように話すのを聞いて、ちょっとびっくりしました」
「怒ったように……まあ、そうですね。仕事を離れれば、同僚からは不機嫌だの不愛想だの偉そうだの散々な言われ様です」
フッと、副大臣の息に微笑が乗る。
「不愛想というのは、わかる気がします」
「それは否定しません」
俺は素直に認めただけなのに、副大臣はそこでもまたフッと笑った。
そしてすぐ、真顔に戻る
「………なんだか今の会話で、いい感じに気が抜けました。おかげでここから先はフラットに説明できると思います。もう少しだけ、聞いてください」
「ええ、もちろん。聞かせてください」
長い打ち明け話のクライマックスはこれからということだ。
まだ誰も、死んでいないのだから。
「男子生徒の訴えは、当然学校側に否定されました。でも生徒と父親は頑なにそれを受け入れなかった。そして例の女性教諭も、男子生徒側についたんです。自分は他の教師陣とは違い当初から相談を受けていた、そんな自負が彼女を突き動かしていたようにも見えました。学校側としては寄付金は一億もないこと、今回の件よりも前から決まっていたこと、内部生、編入生を区別したりしないことを何度も説明しましたが、彼らは聞く耳持ちませんでした。ところが、思わぬ物によって、男子生徒の主張がすべて嘘だったと明るみになったんです」
「何か証拠が出てきたということですか?」
「その通りです。きっかけとなった僕の弟と男子生徒が最初に揉めた際の動画を、撮影していた生徒がいたんです」
「動画を……」
それは動かぬ証拠になるだろう。
すべては、その男子生徒がきっかけだったという証拠だ。
つまり……
「いじめを受けたと訴えていた側が、逆転した」
「はい。男子生徒の嘘がばれたわけです」
「その動画には、暴力行為も?」
「その瞬間は映ってなかったようですが、音声は入っていたそうです。そしてそれを隠そうと言い出した男子生徒の声も」
「でもなぜ、今になってその動画が出てきたんですか?」
それまでにも学校側は調査や面談などを行っていたというのに、その時は隠したままだった動画を、なぜ?
だがその理由は、非常に中学生らしいものだった。
「動画を撮っていたのは、編入組の生徒でした。彼は掲示板に張り出された自分の名前を記録していたんです。写真を撮るつもりだったようですが、揉め事が起きて、思わず手元が狂ったそうです。学校内での携帯機器の使用は禁じられていたこともあり、自分が騒ぎを録画していたとは名乗り出られなかったようなんです。編入組の自分は、もしかしたらより重い罰則を受けるかもしれないと、怖かったと言っていました。でもそのうち、どんどん内部生や弟が悪者になっていって、罪悪感に押し潰されそうになっていたといいます。そんなところへ、二度目の試験結果が発表になりました。結果は、弟は一位、例の男子生徒は三位、そして、動画を撮っていた生徒は二位となりました。その結果に、男子生徒がまたもや腹を立てたんです。どうせお前の親も寄付金を積んだんだろうと言い掛かりをつけられて、抑え込んでいた彼の中の罪悪感が爆発した………それが理由だそうです」
どうしようもない生徒だな。
うっかりそう言いかけてしまいそうになり、すぐに飲み込んだ。
もちろん俺が言いたかったのは、動画を撮影していた生徒ではなく言い掛かりをつけてきた学年三位に下がった生徒のことだ。
どれほど勉強ができるのか知らないが、ここまでくると利口とは真逆だろう。
だが、その生徒の父親なら俺も知っている。
やたらプライドが高く、やたら特権意識を持っていて、頭を下げることをとてつもなく嫌う、絵に描いたような傲慢な男だった。
そんな父親の影響下では、子供の思想が偏ってしまうのもやむを得ないかもしれない。
だからといって、クラスメイトを傷付けていいわけではないが………
「それで、その動画が出てきてからどうなったんですか?」
先を促した俺に、副大臣はにわかに頬を強張らせて告げた。
「その生徒は、自死を選びました」