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だが、あの日、女は自らの先入観を指摘された際、反論はせずに自省を見せた。
そんな女が手柄欲しさに憶測や決めつけでネタを追うとは思えないのだが………いや、そう決めつけるのはそれこそ先入観だ。
俺は、まだあの女のことを何も知らないのだから。
階段を上り切った俺は、副大臣から教えられた彼の秘書にメッセージを送った。
どうやらあの女記者は副大臣の弟が通う中学近辺にも出没していたようで、ここ数日は念のため登下校の時間帯に彼の私設秘書がそれとなく見回っていたらしい。
弟に不安を与えぬよう、学校側にはまだ報告していないということだが、今朝も女が姿を見せたので、副大臣を通してまずは俺に連絡があったというわけだ。
秘書からの報告によると、女は特に副大臣の弟だけをマークするのではなく、学校の周辺をうろうろし、生徒の姿がなくなる頃には、近くのカフェに入ったということだった。
そしてまだ女に面が割れてなさそうだと判断した秘書は、女のあとを追ってカフェに潜入した。
副大臣は不在だったが、俺はこの秘書と連携をとり、このあと女と接触するつもりでいた。
俺がメッセージを送って数秒も経たないうちに秘書から返信が届いた。
女はまだカフェにおり、パソコン作業をしているらしい。
俺は自分もこれからその店に入ることと、俺を見ても他人のフリをするように指示し、カフェに急いだ。
副大臣の弟が通う学校は初等部から大学までを広大な敷地に有しているのだが、今向かっているカフェは、その中等部の正門からほど近い場所に位置していた。
俺は利用したことはないが何度か前を通ったことがあり、ごく自然に記憶していた。
想像するに、保護者会やら説明会やら、何らかの集まりの行き帰りなどによく利用される店なのだろう。
都会的な明るさはあるものの、私立の伝統校に子供を通わせる親に多い保守的な客に好まれやすそうな雰囲気もあったから。
店の外から窺うと、女は出入口近くの席でノートパソコンを開いていた。
ちょうどいい、接触の機会を作りやすいポジションだ。
瞬時にそう判断した俺は、素早く扉を開いた。
「いらっしゃいませ。お好きなお席にどうぞ」
愛想のいい店員の声かけに会釈で応じ、迷わず女の席方向に進んでいく。
ほんの少しの魔法を施しながら。
そうして女の横を通り過ぎるタイミングで、故意にテーブルにぶつかってみせたのだった。
ガタガタと揺れるテーブル。
慌てて飲み物のグラスに手を伸ばす女。
不自然なほど自然に傾いていくパソコン。
その傾きはどんどん大きくなっていって、そして次の瞬間には………
「あっ!」
女の焦った顔がこちらに向くのとほぼ同時に、俺は両腕でしっかと女のパソコンをキャッチしていた。
床に落ちる寸前のところで。
もちろん、魔法をかけられたパソコンは床に叩きつけられたところでビクともしないのだが。
「すみません!ありがとうございます」
女が焦り顔を安堵顔に変えて俺を見上げてくる。
俺と目が合っても特に反応はない。
やはり記憶消去は間違いなく完了しているようだ。
「いえ、こちらこそ申し訳ありませんでした」
俺も初対面の態度で女にパソコンを返す。
「一応床についてはないと思いますが、念のため正常に動くか確認していただけますか?」
「あ、そうですよね。ちょっと待ってください……」
女はすぐさまパソコンを開き操作する。
「…………大丈夫みたいです。どこも問題なさそうで………あれ?おかしいな」
「どうかしましたか?」
俺はさも気遣わしげに女に顔を近寄せる。
「いえ、さっき落ちたのとは関係ないと思うんですけど、ファイルが足りないみたいで…………おかしいな、同じフォルダなのに………どこかに移しちゃったのかな…………」
女は俺に顔を向けずキーボードを鳴らし続ける。
その様子は動揺というよりももっとカジュアルで、なんでだろう?と不思議がっている感じだ。
だがそれはそうだろう。
俺が魔法で少々操作したファイルは、女がしばらく開いてない上にごく軽いものだったからだ。
そこまでの重要性も緊急性もないはずだった。
だから、何が何でも今すぐに見つけなければならないものでもない。
けれど、
「あの、差し出がましいようですが、もしよろしければ手伝わせていただいてもよろしいでしょうか?」
「え?」
予定通りに申し出た俺に、女は驚いたように手を止めて見上げた。
「パソコンは得意なんです。それにやはり、さっきぶつかってしまったのが原因かもしれませんので、お詫びさせてください。もちろん、他人にパソコンを触らせたくないというのなら遠慮いたしますが……」
前回は捕まえる側と捕まえられた側という立場だったことを考えると、今俺がこの女に対してここまで丁寧な話し方をしているなんて違和感大ありだが、政界経済界のお偉方と仕事する際の面倒に比べたらまだましだ。
そんなことを思いながら女の返事を待っていると、女は決めかねているようだった。
だが問答無用で拒否しないところを見ると、まだ付け入る余地はありそうだ。
俺はさらに女に接近し、「実は…」と耳打ちする近さで告げた。
「知り合いのご家族がそこの中等部に通っているのですが、たまたま今日仕事でこの近くを通りがかって、そういえば知り合いがとてもいい学校だと言っていたなと思い出したんですよ。それで、ちょっとした好奇心で見に来たんですが、考えてみたら、名門校の近くをウロウロする不審者に間違われないかと不安になりまして……。不審者のまま終わらないためにも、どうかお役に立たせてください」
事実の中にほんのひと匙ほどの嘘を紛れ込ませて説明する。
さて、俺を ”あの学校の在校生の関係者” と知った女はどう出てくるだろう。
すると女はわずかに躊躇ったのち、安堵色をさらに濃くして言ったのだった。
「じゃあ………すみません、見ていただいてもよろしいですか?実は私、パソコンがちょっと苦手で………」
「お任せください」
これで、接触は成功だ。
女の隣に腰を下ろしながら、俺は、目の前をノータイのスーツ姿の男が通りすぎていくのを確認した。
互いに他人のフリをしつつも、一瞬のみ視線を交わせて。
それは、副大臣の秘書からバトンを渡された瞬間だった。