第72話 修学旅行―シンデレラのローファー
「さっきは、ありがとな」
観客に踏みつけられていたところを、マリアンに助け出してもらって、俺は素直に感謝の言葉を口にした。
本当は、怒りたい気持ちもあって、感謝なんてするのはおかしいとは思ったが。
「当然のことをしただけですわ。そんなことより……本当はわたくしを怒りたいのではありませんか?」
マリアンは俺の顔を不安そうに見つめてきた。
「あぁ……探している間は、正直言うとそうだった。でも、オラエノ伯爵に似たヴァンパイアのボス……ボスパイアを見たら、その感情は無くなったよ」
俺は恥ずかしいような嬉しいような、そんな感情が湧き上がり、照れ笑いした笑顔をマリアンに向けた。
「それはなぜですの?」
マリアンは不思議そうな顔で俺を見つめた。
「オラエノ伯爵が……君と俺を会わせてくれたような気がした」
そんなはずはない。
そんなこと俺にもわかっている。
でも、そんな風に感じてしまったのだ。
「そんなわけ……相変わらずおバカさんですわね」
マリアンはどこか泣きそうな笑顔をしていた。
「ボスパイアには会えたのか?」
一応、確認のために聞いてみた。
「えぇ、でも別人でしたわ」
そりゃそうだよな。
伯爵までこっちに来ているはずがない。
マリアンだって当然わかっていたはずだが、確認せずにはいられなかったのだろう。
セバスワルドやアルケナが来ているから、もしやと思ったのも無理はない。
「そうか、残念だったな。あ、これ落ちてたぞ。お前のローファーだろ」
俺はリュックから、マリアンの靴を取り出した。
「あら、ありがとう。そうそう、お昼前だったかしら? 乱暴な殿方にキックした時に、どこかへ飛んで行ってしまいましたの」
彼女はふふふっと笑ってみせた。
「知ってる」
俺からの意外な返事に、マリアンは一瞬なぜ? という顔をした。
それでも、それ以上追及することはなかった。
彼女は、ただ黙ってドレスの裾を少し上げ、靴下だけのつま先を俺に向かって突き出した。
「ん!」
これは……俺に履かせろって意味か?
靴ぐらい自分で履けるだろ。
俺はあからさまに嫌な表情をした。
「ん!」
それでもマリアンは足を突き出す。
「はぁ~……」
俺は大きな溜め息を吐きながら、跪いてマリアンの足に靴を履かせた。
「カボチャの馬車までは用意できないからな」
おっと、カボチャの馬車を用意するのは魔法使いだったな。
まぁここら辺はワンセットってことで。
ん? 何だかビビアンの顔がほんのり赤い気が……
と、そこにタイミング良くボスパイアがやってきた。
「おや、シンデレラ姫。王子様がお迎えに来たのですね」
ニコニコと笑いながら、俺たちを交互に見てくる。
こりゃ、一部始終見られてたな。
俺が苦笑いを浮かべていると、
「この子が転んでケガをして救護室に来たところに、わたしがたまたま居合わせてね。わたしの熱烈なファンだと言って、ダンスを完璧に踊って見せるから、思い出作りとして特別にダンスに参加させたんだよ。
一日限りでも、こんなことは今までしなかったんだが、彼女を見ていたら、なんだか気に入ってしまってね」
と、笑いながら事情を説明してくれるボスパイア。
「あ、ありがとうございます」
お礼の言葉と共に俺たちは頭を下げた。
「さぁ、王子様が迎えに来たのだから、制服に着替えて彼と一緒に行くといい。早くしないと零時の鐘が鳴って魔法が解けてしまうかもしれないよ」
イタズラっぽく笑うボスパイアに、マリアンは泣きそうな顔で
「お父様、感謝しております」
と伝え、再び頭を下げた。
いやいやいや、違う、違う。
ボスパイアはオラエノ伯爵と違うからな?
何ならこっちの方がイケオジだぞ?
俺はチラッと、ボスパイアの顔色を窺ってみた。
すると、彼は笑顔で頭を傾げていた。
この人は、いつまでも笑顔な人だな。
その後、ヴァンパイアたちに見送られた俺たちは、猿橋に電話を入れて、マリアンの無事を伝えた。
園内には修学旅行生の姿はすでになく、一般客のカップルが目立つ時間になっていた。
周りの雰囲気がイチャラブじゃねえか。
イチャラブカップルの中を歩くのが恥ずかしくて、俺はついつい早足になった。
そんな思いを知ってか知らずか、マリアンがそっと身体を寄り添わせてきた。
俺はドキッとして、さらに歩みを早めた。
それでもマリアンは、ほぼ小走りのようになっている俺に、必死に追いついてきて、またすっと寄り添った。
そして俺はさらに歩みを早めた……
こんなことを繰り返していると、
「ちょっと! 歩くのが早いですわ。足を怪我してるんですから、もっとゆっくり歩いてくださる?」
マリアンは、とうとう耐え切れなくなったようだ。
俺を追い越して、前に立ちはだかったかと思うと、腰に手を当て怒り始めた。
足を怪我?
ボスパイアが、救護室で会ったとか言うから心配したけど、転んで少し擦り傷が出来たくらいだったじゃないか。
それに今……追い越すために走ったよな?
「それなら俺だって、殴られ踏まれて、大変だったんだぞ?」
俺は手当てしてもらった頬をさすって見せた。
どうや!
「だったら、お互いに支え合いましょ?」
彼女はそう言って、俺の腕にしがみついた。
振りほどこうかとも思ったが、あまり嬉しそうな笑顔を見せるものだから、俺はそのままにすることにした。
まぁ、集合時間はとっくに過ぎているし、
学校の奴らはもういないだろうからいいか……今日くらいはな。
と思いつつ、念のため周囲を確認した。
「あ……」
いたよ、いやがったよ。
俺の視線の先には、見覚えのあるハンバーガーショップ。
そこには、愛されるべき変態・ストーカー堀田がいた。
まさか本当に、俺の言葉を真に受けて、マリアンに会えるかもしれないと、ずっとここで待っていたなんて。
「マリアン、悪いんだけどさ、この店の中に、俺らの学校の生徒がいるんだけど……、お前の限界オタクだから、ちょっと声かけてきてやってくれないか?」
俺は堀田に対する申し訳なさから、マリアンに頼んでみた。
「まぁ、わたくしの? お話をするくらいでよければ、大丈夫ですわよ?」
ありがたい。
むしろマリアンが行かないと、何があっても動かなさそうだからな。
「タイムリミットは五分で頼む」
猿橋に連絡をしている手前、そんなに時間はかけられない。
これが限界の時間だろう。
マリアンが店に入って、堀田の席に歩いて行く姿を俺は店の外で見守った。
何か話し始めているが、盗み聞きするつもりはない。
まぁ五分だけだしな。大丈夫、大丈夫。
ん?
でもよく考えたら、
もう集合時間が過ぎているのに、誰からも声をかけてもらえなかったのか堀田は。
マリアンが来ると思って、ずーっとここにいるということは……
いや…やめよう……
これ以上は、アイツが惨めすぎる……
俺はスマホを取り出して、時計を見ながら五分経過するのを待った。
その五分は、俺にはとても長いものに感じた。
五分経つと同時に、俺は店の中に入って声をかけた。
「はーい、お時間です。マリアン、堀田、行くぞ」
すると、堀田が顔を真っ赤にしながら
「え? 何で大森までここにいるの?」
恥ずかしそうにしながら、堀田は不思議そうにしていた。
「さっさと集合場所に行かないと、竜崎に殺されるぞ、お前」
俺は事情を先生たちに話しているが、堀田は全く意味の分からない理由だからな。
真っ赤になっていた顔を、今度は真っ青にした堀田を引き連れて、俺とマリアンはハンバーガーショップを出た。
まぁ、相手はあの竜崎だ。
俺たちもどうせ何か言われるんだろうけどな。
すんなり行くはずがないと思いながら、集合場所の入退場ゲートへと急いだ。




