第61話 俺の家とマリアン
俺は、家の玄関を開けた。
「ただいまー」
廊下からリビングを覗くが誰もいない。
母さんは買い物にでも行ったのか?
階段を上って、自分の部屋のドアを開けた。
「あら、おかえりなさーい」
マリアンが俺のベッドに寝そべりながらスマホをいじっていた。
「なんだ、来てたのか。母さんは?」
「お母様はお買い物ですわ。『ちょっと買い物に行ってくるから、マリアンちゃん部屋で待ってて』と、言われましたの」
マリアンはスマホを見たまま、俺のことなど気にも留めずに答えた。
こんな光景を見たら、堀田は卒倒するだろうな。
「部屋って、俺の部屋とは限らないだろ。リビングでもいいんだぞ?」
と、マリアンに溜め息混じりに伝えた。
「あ、そうそう。お母様、お弁当間違えてらしたわね。わたくしはもうお弁当箱を洗ったから、あとはあなたの分だけですわ。出しておいていただければ、あとで洗っておきます」
俺の話は、お前の頭の中で洗われて原型無くなったのか?
うまく弁当の話に話題をすり替えられた。
はぁ、と今度は大きく溜め息を吐く。
「いいよ、自分で洗うから。ってか、マリアンには俺の弁当の量だと多かっただろ?」
話を聞かないのはいつものこと、と諦め、話題を変えた。
「あ、お友達と分けたから、大丈夫ですわ」
意外な言葉に驚いた。
「友達って……できたのか?」
マリアンは、ずいぶんと変わり者だから、打ち解けるまで時間がかかるんじゃないかと思っていた。
だが、それは心配しすぎだったみたいだな。
まぁ『人前では』お淑やかで人当たりが良く、可愛らしいお嬢様をやっているからな。
当然っちゃ当然か。
『人前では』な。
マリアンはスマホを置いて、頬杖をつきながら俺の顔を覗き込んだ。
「あら、気になります? 女の友達ですから安心なさって」
マリアンお嬢様が、また都合よく勘違いされておられる。
これもいつものこと。
相変わらず自意識過剰なことで……
別に安心なんて……してないんだからね!
「別に気にしてねーよ」
マリアンに悟られないように、素っ気なく返した。
いや、本当は悟られてもいいんだよ? 何もないからね?
でもほら…何か…うん! あれだよあれ!……わかるだろ?
マリアンは再びスマホをいじり始めた。
「あ、今日、廊下歩いていましたわね」
一人で言い訳をしていると、また話を変えられた。
「廊下ぐらい歩くよ」
マリアンも堀田みたいなことを言うな。
「あの時ね、お母様が弁当を間違えていたわねって、言いたくって、うずうずしちゃいましたわ」
そんなうずくことでもないだろうに。
まぁ、俺は量が足りなくて、何か食わせろってお腹がうずうずしてたけどな!
「気をつけろよ? 学校では他人のふりって約束だからな」
俺の話を聞いているのかいないのか、マリアンはずっとスマホを見ている。
「お前、生徒会に入るのか?」
ベッドでゴロゴロしているビビアンを見つめ、ふと聞いてみる。
「あら、よくご存じですこと。情報が早いですわね」
入ることは決定したのか?
俺はマリアンに、注意を促した。
「もし入るなら、学校にはお前のファンが結構いるから、いろいろと情報は拡散されやすい。気をつけろ」
俺はストーカー堀田を思い浮かべた。
「はーい」
この返事。
絶対聞いていないな。
「そんなことより、今度の修学旅行に行く場所を検索していたんですけど、ユニオンランドって素敵なところですわね」
ほら、俺の話を軽く聞き流した。
そんなことってなんだよ、まったく。
しかし、いつものことだと思えてしまう。
慣れとは恐ろしいものだ。
ちなみに、俺たちの修学旅行は一週間後に控えていた。
一日目が奈良で歴史のお勉強……興味ない。
二日目は京都で歴史のお勉強と自由行動、しかし自由行動の時間は短め。
三日目に大阪で、終日テーマパーク・ユニオンランドを楽しむという超嬉しい予定。
四日目に大阪を軽く観光して帰宅。
修学旅行はグループ行動が主で、
まだ友達がいないマリアンは、不安になるのではないかと心配していた。
が、コミュ力お化けのお嬢様は、そんな俺の心配なんかどこ吹く風のようだ。
すでに友達も作り、今はユニオンランドの動画に夢中になっている。
「この建物は、わたくしのお屋敷と似ていますわ」
マリアンが、動画を見ながら呟いた。
「あぁ、そうだな」
後ろから動画を覗き、俺は軽く相槌を打った。
「それから、このパレードの後ろの方で踊っている方……お父様にそっくりだと思いません?」
マリアンがスマホを、俺の顔の前に持ってきて指差した。
指の先を見ると、
ヴァンパイアのボスらしき男が、中世ヨーロッパ風の服装でマントを羽織って、キレッキレのダンスを披露していた。
「俺は、オラエノ伯爵の下でフットマンしてただけだし、最後は睨まれて終わったからな。よくわかんねー。まぁ言われてみれば、背格好とかそうかも……」
最後に仕事をクビになった日のことを思い出した。
「わたくしもこんな風に踊ってみたいわ。それに、ここに行けばこのお父様みたいな方に会えるのね」
マリアンは目をキラキラさせて動画を眺めている。
「……あー、会うのは無理だな。そのパレードは夜だから、その前に集合時間になって無理」
俺はパレードの時間を検索して、そう教えた。
「あら…そうですの……残念ですわ」
マリアンは、心底残念そうにうつむいた。
可哀そうだが、学校の団体行動ってやつは、時間厳守だからしょうがない。
何とかしてやりたいが、こればっかりは難しすぎる。
そんなことを考えていると、下から母さんの声がした。
「マリアンちゃん、ただいまー。マナブもいるの?」
ドサッと荷物を置く音がした。
どんだけ買い込んできたんだよ。
「わーい、お姉ちゃんだー」
どうやら、俺の年の離れた弟も、買い物について行っていたようだ。
弟は、帰ってくるなり階段をダダダダッと駆けのぼってきて、いきなりドアを開けた。
「マリ姉ちゃん、こんちわー」
弟よ、俺におかえり、はないのか?
「おい、部屋に入るときはノックをする!」
俺は、元気よく飛び込んできた弟を注意した。
「はーい」
弟は、よくマリアンに懐いていて、母さんもマリアンを娘のように可愛がっている。
「今日はコロッケ作るから、マリアンちゃんも手伝ってくれる?」
当然のように手伝いを頼む母さん。
「母さん、マリアンは家政婦じゃないんだぞ。お向かいのセバスワルドさんに、ちゃんと断りを入れてだな……」
と、言っている途中でマリアンに割り込まれた。
「はい、喜んでお母様。ついでと言っては何ですが、アルケナも一緒に、コロッケ作りを手伝わせていただいてよろしいかしら? レパートリーをいろいろ増やしたいそうで」
みんなして俺の扱い、ひどくない?
「マナブ、ほらね。マリアンちゃんはわかっているのよ。家政婦じゃなくて嫁よね!」
母さんの突然の一言に
「違っ……!」
と、全力で焦ってしまう俺。
「兄ちゃん、顔赤いよ。お熱あるの?」
弟よ……
こういう時だけ、真っ先に拾わなくていいんだぞ?
こんなやりとりをした後、父さんが帰ってきた。
結局夕飯は、元マリアンのメイドのアルケナさんだけでなく、元副執事のセバスワルドさんも合流して、にぎやかな食卓になった。
「大森さま、お招きいただきありがとうございます。今日は、ちょっと上物を手に入れましてね……」
セバスワルドさんは、手に持ったボトルを少し上げてみせた。
「ほう! これはずいぶん良いワインを手に入れましたね! わたしも今日はつまみを仕入れたんですよ! さぁさぁ、こちらへ!」
酒飲みコンビがいつものように仲良く席に着いた。
セバスワルドさんが、わりとお酒がいける口とは、以前は知らなかった。
こっちの世界では、父さんのいい飲み友になっている。
俺は異世界のマリアンのお屋敷で、使用人として働いていたから、料理運びは自然に俺の仕事になった。
「アルケナさん、お料理上手だわぁ。さすが元メイドさんね! 手際もいいし、セバスワルドさんも幸せ者ね」
少しすると、そんな話をしながら、料理を持った母さんとアルケナさんが、台所から料理を運んで来た。
「あ、いえ、まぁ……」
母さんのストレートな物言いに、アルケナは恥ずかしそうに照れている。
そんな中、俺は、先ほどのマリアンとのやり取りを思い出した。
こんな賑やかな家族と一緒に過ごしているからか、俺はマリアンの家族のことなんて考えもしなかった。
散々いろいろ言ってきたオラエノ伯爵は、あまりいい父親ではなかったのは事実だ。
しかし、それでも父親は父親。
家を出たとはいえ、向こうにいればどこかで会う機会もあったかもしれない。
しかし突然、マリアンはこっちの世界に転移して、父親とは別れの挨拶も出来ずに、今生の別れとなってしまった。
今でも思わない日はないのかもしれない。
寂しそうな、悲しそうな、そんな複雑な表情をしていたマリアン。
だが、彼女はそんな気持ちを決して言葉にはしない。
強がりは相変わらずだ。
なんとか会わせてやりたいが……
などと考えている俺の思いも知らずに、
今のマリアンときたら、
「よろしくって? ここでこうやって回って、右、右、右、左、左、左、ジャンプ!」
ネット動画で見たゾンビ・デ・ダンスを弟に教えている。
もう覚えたのか。
さすが才女、覚えが早い。
……寂しそうとか、俺の気のせいだったか?




