第55話 魔法陣ー①女神ジョイ降臨
「とにかく、これで帰る準備はできた。そろそろ始めるぞ」
「え? この流れで? 早すぎませんか?」
「こういう大きなことをするには、勢いが大事なんだ。」
「勢い?」
「そうだ、時間が経つと決意が鈍って、だんだんとどうでもいい事になってしまう。流れが来たら迷わず乗ること。これが俺の信条だ」
俺は偉そうに言って、魔法陣が描かれた羊皮紙を広げ、地面に描き始めた。
その間マリアンは、リスナーさんたちのコメント欄を読んでいた。
そのスマホも持って帰るから、今のうちに好きなだけ配信させておくか。
でも念の為、配信マネージャーの業務として、そのコメント欄が荒れていないかだけは、チェックさせてもらうよ。
“あ!マリアン! なんかモブ地面に落書きしてるけど?”
“魔法陣じゃねーの? 帰国するの早くね?”
“モブの本当の気持ちを聞いた方がいいよ?”
“俺の話……じゃなくてモブの気持ちを聞けぇ!”
“あいつも大概ツンデレみたいだからなw”
俺は魔法陣を描きながら、時折コメント欄をチェックするという器用なことをしていた。
背中のほうからマリアンの声がした。
「出会った頃、俺杖ー系になると言っていましたわよね? 帰ってしまうということは、もう杖になったってことかしら? でも、あなたがいなくなったら……」
「杖? ああ、つえぇ系な? いなくなったら寂しいとか言うんじゃないぞ」
「あなたがいなくなったら…… スマホもなくなっちゃうから、不便になるわ!」
マリアン、俺よりスマホ命なのか。
まあ、スキルを授かったのはスマホだしな。
マリアンの生活を明るく変えたのも、俺じゃなくてスマホ……だし。
これに関しては、反論の余地もない。
だが、もしも俺がマリアンだったら……、聞きたいことがたくさんある。
例えばこんな風に、
『どうして帰りたいの? もう二度と会えなくなるの? この世界は楽しかったですか? 私との時間はどうでした? 私のこと……どう思っていましたの?』(妄想)
だいたい、こんな感じのセリフが、ラブコメ漫画だったら出て来るだろう。
しかし、俺の期待通りにはいかない。
マリアンは、それっきり何も言ってこなかった。
そして、時間は過ぎ、魔法陣は完成した。
俺はクリスタルを持ってその真ん中に立った。
さあ、帰るぞ。
それから……それから……どうするんだっけ。
そのあと、どうすればいいんだっけ。
ヤバい……
ここまで来て何を唱えるのか、わからない。
いや、何か説明された気がするけど……思い出せない。
俺は、魔法陣の真ん中でがっくりと膝を落した。
落ち着け、俺。
記憶を辿って思い出すんだ。
「どうかしましたのー?」
マリアンは心配しているのか、それともわざとなのか、間延びした声で問いかけて来た。
ここで、帰り方が分かりませんなんて、言えるわけないだろ。
えーーっと、えーーっと、
「あのぅ、すみませんが、まだお時間かかるのかしら?」
お前、何を痺れ切らしているんだ。
さっきまで、泣いていたくせに!!
「俺にわかるわけがないだろ!」
「え、まさかその先が、どうしたらいいのかわからないって? あり得なーい! 常識的に、あり得ないですわ。じゃあ、聞けばいいんじゃありません? 例のドジで間抜けな女神さまに」
「ああ、そ、そうだな。聞けばいいんだよな」
俺は、心の中で助けを呼んだ。
ー『女神ジョイさま、助けてください! 帰り方を教えてください』
「ちょっと、お嬢さん、ドジで間抜けな女神さまって、誰の事かしら?
まさか、わたしのことじゃないでしょうね」
突然、女神ジョイが姿を現した。
冗談半分でからかって言った言葉に、詰問されているマリアン。
この二人は、初対面だ。
「と、突然、現れて…どなたかしら?」
「あなた、今わたしを呼んだでしょう? わたしはね、呼ばれたから来たのよ」
「あら、呼ばれたってことは、ドジで間抜けな女神という自覚があるのですね」
「な、何よ、このお嬢……? 違う、違うわ。わたしを呼んだのは、男の声だったわ。やだわ、わたしったら、またミスった?」
「ほうら、ごらんなさい。ドジで間抜けな女神で合っているみたーい」
「おだまり! まだ本当にミスったかどうか、証拠がないでしょ」
「あら、ご自分でおっしゃいましてよ」
おい、おい、呼んだのは俺だ。
女って初対面でも喧嘩できるのか。
とにかく、女神ジョイに助けてもらわないと。
「あのう、お取込み中すみませんがー、女神様はミスってませんよー。俺です。俺が呼びました」
「あらぁ、マナブさん、ひさしぶりー。その後どうでしたか? ふーん、なるほど。素晴らしい!」
女神ジョイは、地面に描かれた魔法陣を確認するとしきりに感心し始めた。
「見たところ、魔法陣とクリスタル……、完璧だわ! すごいじゃない! ブラボー、ブラボー、大したものね。本当にクリスタルを手に入れたんだ。よくここまでやったわ。
で? ここでわたしを呼んだということは、日本に帰るってことね」
「はぁ、それが……、魔法陣の真ん中に、クリスタルを持って立ったんですけど、ここから先の方法を、どうしても思い出せなくて」
「そりゃそうですよー。だって、その先、教えてないものぉ」
「え? 教えていない?」
女神ジョイは、とても重要なことを軽く言った。
「だって、ここからはわたしの仕事ですから」
「そうだったんですか」
「そうよ。はい、邪魔者はどいて、どいて」
女神ジョイは、マリアンを邪険に岩場の奥へと追い払った。
「嫌です。わたくしは邪魔者ではありませんわ!」
「関係者以外立ち入り禁止です」
「わたくしは関係者です!」
「あら、どんなご関係ですか?」
「えっと、それは、……それは……」
女神ジョイは言葉に詰まったマリアンを、無理やり遠くへ追いやろうと背中を押した。
「ほらほら、部外者はね、岩場の後ろまで下がって、下がって」
「嫌です。離して! 離してください」
マリアンが俺から離れていく。
待ってくれ、まだマリアンに伝えたいことがある。
このまま離れてしまったら、伝えられないじゃないか。
ったく! しょうがねぇなぁー!
「おい、俺のマリアンから手を離せ!」
女神ジョイもマリアンも、驚いて口をポカンと開けたまま、俺を見た。
え、そうして、そんなに驚く?
「モブさん……、足元……」
俺は魔法陣から足が出ていた。
「あ」




