第18話 オラエノ伯爵と妹ジレーナ
オラエノ邸に戻って来ると、セバスワルドは馬車から降りながら、俺に指示した。
「もう旦那様はおかえりのようです。モブさんは、急いでタキシードに着替えてテーブルセッティングしてください。わたくしは、旦那様と執事のところへ行きます」
「俺は、旦那様に挨拶しなくていいんですか?」
「使用人からの挨拶は不要です。とにかく急いで、いつもの業務に取り掛かってください」
屋敷の勝手口から入ると、セバスワルドは速足で伯爵の元へと向かった。
俺は使用人部屋に入って、タキシードをクローゼットから出す。
「フットマン、お疲れさま。君の靴を磨いておいたよ」
ボーイがピカピカになった俺の靴を手渡して言った。
ファミレスの制服で転移してよかったと、この時ほど強く思ったことはない。
何故なら、日本から履いてきたのはスニーカーではなく、黒い靴だったからだ。
「ありがとう、えっと、君はファーストだっけ?」
「僕はセカンドだ。ややこしいだろうから、ボーイでいいよ。さぁ、急いでいるんだろ。お礼なんかいいから早く着替えなよ」
「サンキュ」
ボーイが部屋から出て行くのを確認してから、俺はスマホを取り出してSiriに話しかけた。
「収納魔法って使える? 剣をしまいたい」
「収納画面を開きます」
空中にゲームのアイテムボックスのような映像が出て、そこに俺は剣を収納し、×印をタップして閉じた。
思い付きでやってみただけだったが、意外にもこのスマホは俺の空想が現実化するようだ。
いやぁ、思った以上に便利、便利。
夕食の給仕に就いた。
食堂にはあの日サットガ邸のバルコニーで見たお父様であるオラエノ伯爵と、妹のジレーナが現れた。
伯爵の横に付き添って席に案内している男が執事らしい。
背が高く黒髪で目つきの鋭い紳士だ。
セバスワルドは、副執事としてジレーナの席を案内し、椅子を引いて座るのをサポートしていた。
「マリアンはどうした」
マリアンの父であるオラエノ伯爵は、長女マリアンが食堂に姿を見せないことを心配した。
セバスワルドがマリアンの様子を説明する。
「マリアンお嬢様は、お食事はお部屋でとるそうです」
「そうか。今回の件で心を痛めているだろうが、食事くらい顔を出したらどうなんだ」
「傷が癒えるには、もう少しお時間が必要かと存じます」
セバスワルドはマリアンを思いやっていた。
「妻が生きていれば、どうやって娘のマリアンを慰めたであろう。わしには娘の扱い方がよくわからん」
俺は、食器を並べながら伯爵の話に耳を傾けていた。
そういえば、マリアンのお母さんって見たことが無いし、話にも出て来ない。
亡くなっていたのか。
「また、お母さまのお話ね。嫌だわ。わたしを産んですぐ亡くなってしまったお母さまなんて、わたしの記憶には存在いたしません。つまらないわ、お父様のそういう話」
「ジレーナ、すまなかった。お前にも寂しい思いをさせてしまったな」
「お姉さまがお部屋から出て来ないのは、わたしのせいですわ。今回の婚約でわたしのことを、お姉さまは憎んでらっしゃるのだわ」
「そんなことがあるはずない。お前たちは姉妹ではないか。マリアンだって、時間が経てば部屋から出てくるだろう」
「別に、わたしはお姉さまにずっと引きこもっていただいても、よろしくてよ」
「ジレーナ、そう言うな。お前もマリアンもわしにとっては大事な娘なのだから」
そう言いながら、この伯爵は末娘のジレーナの話術にはまっていることにすら気が付いていない様子だ。
末娘が可愛くてしょうがないのだろう。
料理を給仕しながら、俺はこの家族の歪みを薄々感じとっていた。
婚約破棄された娘を、傷心しきっていると心配する父。
婚約破棄された姉を、傷心してこのまま部屋から出なければいいのにと願う妹。
俺の知る限り、父も妹も予想を外している。
実際は、マリアンはいたって元気なんだが。
給仕の途中で、キッチン側に戻ると執事が俺を待っていた。
執事は鋭い視線で俺を下から上まで舐めるように見回すと、こう言った。
「新しいフットマンかね」
「はい、よろしくお願いします」
「ワインをサービスするのはわたくしの仕事ですから、君はここで待機してください」
「承知いたしました」
へえ、そんなものなんだ。初めて知る貴族の執事の世界。
ポカンと口をあけながら、執事のワインをサービスする所作を眺めていた。
無駄がない。所作がかっこいい。
セバスワルドは、既に次の料理の給仕に取り掛かっていた。
「モブさん、ボケっとしていないで空いた皿をさげてください」
「あ、はい。すみません」
俺はテーブルに並んだ食器の状態を確認しながら、空いた皿を回収しはじめた。
ジレーナの前の皿で、お伺いを立てた。
「こちらの皿は、おさげしてよろしいでしょうか」
「ええ、お願い。…あら、あなた新人さんね。見たところ、背も高いし、オリエンタルな顔立ち、素敵なフットマンだこと」
突然、ジレーナは馴れ馴れしく俺の腕にすがりついてきた。
「あ、あの、ちょっ、近づきすぎ………」
大胆なジレーナは、まるで動揺している俺をからかっているようだ。
ジレーナのあまりの大胆さに、オラエノ伯爵は注意してきた。
「おいおい、ジレーナ。そんなところをホジネオノ様に見られたら、焼きもちを焼かれるぞ」
「だってぇ、素敵な方じゃない? このフットマンを採用したのはどなた?」
「恐れながら、わたくしでございます」
セバスワルドが、ジレーナに新しい皿を置きながら、軽く頭を下げた。
「かっこいいフットマンですわ。ねぇん、このフットマンをわたくしのお世話係にしてくださらない?」
「申し訳ございません。すでに仕事が決められておりまして、これ以上の仕事をこなすのは無理かと存じます」
「あら、そうなの? 残念。まさか、お姉さまのお世話係なんてことはないでしょうね」
ライバル意識バチバチのジレーナの勘は鋭かった。
セバスワルドは、一瞬だけ「うっ」と詰まったように見えた。
「マリアンお嬢様に、異国の言葉や慣習を教える仕事をさせています。婚約破棄から早く立ち直るためには、何か新しいことに夢中になるのが近道かと思いまして」
「あら、そ。お姉さまの教育係なの」
配信を教えているのだから、異国の教育というのは間違ってはいない。
「つまんなーい」
「これこれ、ジレーナ。婚約発表したばかりだぞ。あまり私を困らせるな。フットマンだって困っているじゃないか」
優しい、オラエノ侯爵! ナイスです。あざーっす!
「はーい、わかりましたぁ」
ジレーナは、やっと俺の腕から離れてくれた。
こんな妹と一緒に暮らすことの、マリアンのストレスがよくわかった。
俺はやっと解放されて、キッチン・カウンターの前に戻ると、メイドのアルケナがやってきた。
何だ、今度はメイドからの告白シーンかなと勝手に妄想が膨らんだ。
いやいや、モテる男はつらいよ。
そんな俺の期待とは裏腹に、アルケナはマリアンからのメッセージだと言って、メモを渡してきた。
なんだ、告白じゃないのか。
そのメモを開くと
『ジレーナの誘惑に要注意! 夕食の給仕が終わったら配信します。スマホ持ってわたくしの部屋へ来ること!』
ジレーナの誘惑? まるで見ていたかのようにマリアンのメモには書かれていた。
そして、配信します、と。
やれやれ、人使いの荒いお嬢様だ。
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