88話 暗殺者ダヴィド
今回はエミール視点です。
「くそ! くそ! くそーー!! あの冒険者達めー!!!」
そう言って、怒声をあげているのはヴェインの領主エミール。
エレン達に手を出した結果、公衆の面前で裸土下座をさせられたエミールは、怒りに任せて自室のありとあらゆる物を破壊していた。
その時、ノックの音と共に、執事であるブレットが部屋に入ってくる。
「失礼致します。……おやおや相当荒ぶっておられるようですね」
ブレットが部屋の惨状を見ながら言う。
「当たり前だ!! くそ、絶対タダでは済まさん!! 必ず貴族である私に逆らった報いを受けさせてくれる!」
「それは止めた方がよろしいかと思われます」
憤るエミールに対し、ブレットは冷静に待ったをかける。
「何だと!? どう言う事だ!?」
「エミール様が彼女達に手を出した挙句敗北、謝罪し、もう手を出さないと宣言した事はもう町中に知れ渡っています。それを無かった事にしてしまえば、ヴェルモン家の信用は地に落ちるでしょう。それはエミール様の破滅を意味します」
「ぐ……! なら、暗殺してしまえば……」
「リスクが高いと思われます。たとえ成功したとしても、ヴェルモン家の関与は確実に疑われてしまうでしょう。エミール様がなすべき事は、宣言通り彼女達に手を出さない事だけです」
「く……!」
憎い相手に報復することが出来ない。
怒りを抑えられないエミールは、次にブレットに矛先を向ける。
「大体貴様が助けに入っていればこんな事にはなっていなかったのだ! 部屋の前で待機してたんだろう!? 騒ぎが聞こえたはずだ! 何故入って来なかった!?」
エミールはブレットに疑問をぶつける。
「理由は簡単です。”聞こえなかった“のですよ」
「何だと!? そんな言い訳が通るとでも……」
「エミール様、お忘れですか? 五年ほど前から応接室と自室を”防音性“に作り変えた事を?」
「そ……それは……」
エミールは言葉を失う。
ブレットの言う通り、エミールは中からの音が聞こえないよう、二つの部屋を防音性にしており、扉をノックする時も、少しだけドアを開けなければ聞こえないほどだった。
それでは、中の騒ぎが聞こえるわけがない。
「エミール様、大変申し上げにくいのですが、そんな部屋に部下の一人もつけずに、彼女達に手を出した貴方に非があると言わざるを得ません。そもそも何故防音に部屋を作り替えたのですか? 我々従者はその理由を一切聞いておりません。この機に教えて頂けると助かるのですが……」
「うるさい! お前達が知る必要はない!」
エミールがそう言い放ち、ブレットは追求をやめる。
「それよりも……エリックは見つかったんだろうな!?」
「申し訳ありません。ご子息様の消息はまだ掴めておりません。町の何処かに潜んでいるとは思われるのですが……」
「く、あのバカ息子が!」
エミールの息子エリック。
彼は何年も前に書き置きを残し、消息を絶っていた。
書き置きの内容は、エミール以外誰も知らない。
「もういい! お前の顔は見たくない! とっとと失せろ!」
「分かりました。ただ一つだけ、これにサインをお願いします」
そう言って、ブレットは一枚の紙を差し出す。
「何だこれは?」
「本日破壊された壁の修理費です。ついでに部屋をメイドに片付けさせますので、一旦別室に移動をお願いします」」
「ふざけるな!!!」
その後、エミールは乱暴にサインし、一人応接室に移動した。
「くそ! どいつもこいつも……!」
ソファーに座り、悪態をつくエミール。
その時。
「執事に当たるのは感心しないな……彼は何も悪くないと言うのに」
「……っ!」
急に真横から声をかけられ、反射的に振り向くエミール。
そこには、一人の男が立っていた。
黒い軽装の服をし、腰や内側ポケットにはいくつもの暗器とナイフを仕込んでいる。
その上から黒いフードを被り、顔には灰色首から鼻まで隠れるフェイスマスク。
目元からは唯一彼の白い素肌が見え、ギラギラとした血のように赤い瞳がエミールを捉えている。
彼の名はダヴィド。
エミールが五年前から秘密裏に雇っている“暗殺者”である。
「ダヴィドーー!! 貴様!! よくも私の前に顔を出せたな!!」
エミールは立ち上がり、ダヴィドの首元を掴みながら怒りをぶつける。
「俺の名を大声で叫ぶとは……防音性の部屋といえ、感心しないな」
ダヴィドは呆れながらそう言う。
エミールが二つの部屋をわざわざ防音性に作り変えたのは、ダヴィドとのやりとり、もしくは招いた客を暗殺する際、外に騒ぎを気づかれないようにする為であった。
「うるさい! 貴様のせいで私は……!」
「ああ、屋敷の窓から見ていた。見事な裸土下座だった」
その言葉を聞き、エミールはさらに激怒し、ダヴィドの胸ぐらを掴みながら言う。
「ふざけるな! 貴様が私の命令を無視していなければこんな事には……!」
「いや、無視したわけではない。俺はその時部屋にいなかった……いや、入る事が出来なかったのだ」
「なに……? それはどういう……」
「……俺の存在に気づかれた」
「何だと!?」
エミールは驚愕し、ダヴィドを掴んでいた腕を離す。
ダヴィドは優れた暗殺者であり、特にスキルを使った潜伏能力の前には、どんな相手でも気付かれる事なく暗殺出来る力を持っていたためである。
「奴らが屋敷に入った時、潜伏し観察をしていたのだが……。奴らの一人が、突如俺に向かって武器を構えて来た。あれは偶然では無い。俺に気付いた上で、明確に敵と認識していた」
「馬鹿な……お前に気付いたのは誰だ? あのアルテナという女か? それともクリスウィスか?」
「……どちらでも無い。俺に気付いたのは……エレンという黒髪の女だ」
「馬鹿な!? 奴らのことは調べていたが、あの女は魔道具の扱いに長けているだけの筈だ! お前に気づくなどあり得ん!」
エミールは再び驚愕する。
エミールはエレン達のことを入念に調べ、その上でエレンを大した事がない人物だと判断していた為である。
「……だが俺に気付いたのは事実だ。その手段が魔道具か、自身の力かは分からんがな。だが……これで分かっただろう? 俺が部屋に入ることが出来なかった理由が……」
これまで、エミールは幾度となく身勝手な理由でダヴィドに暗殺を依頼して来た。
万が一その事が露見すれば、貴族とはいえ裁きは免れないし、ダヴィド自身も追われる事になる。
部屋に潜んだ結果、エレンに気付かれるというリスクは負えなかったのである。
「なら……一体どうすれば……!?」
「執事も先程言っていただろう? 奴らに関与しなければいい。そうすれば言葉通り、笑い話で済むのだからな」
「し……しかし……うっ!?」
ダヴィドは、復讐を諦められないエミールの首に、ナイフを突きつける。
「……感情に流されるな……。安心しろ。奴らがお前にとって本当の障害となった場合……その時は、五年前の契約に基づき動いてやる……。それ以外の事は一切するな……互いのためにな……」
「わ……分かった……」
エミールが力無く答えると、ダヴィドはナイフを下ろす。
そして、エミールは脱力するようにソファーに座り込んだ。
「では、今日のところは失礼させてもらう……。その前に、一応聞いておこう。奴らの前で、俺の名を口にするような真似は……していないだろうな?」
「するわけがないだろう……。もういい、今日の所は下がってくれ……」
「ああ……精々その頭を冷やすんだな」
そう言って、ダヴィドは一瞬のうちに姿を消した。
まるで最初から誰もいなかったかのように。
この時、エミールは気付いていなかった。
一度だけ混乱し、ダヴィドの名を口にした事に。
そして、エレンにその事をしっかり記憶されてしまっていた事に。




