祈年祭
笛や太鼓がにぎやかな音を奏で、曲芸師が技を披露している。
大人は酒を嗜み、子どもは串に刺さるカオの飴煮を舐め、和気あいあいとした雰囲気が村全体に流れている。皆小さいながらも開かれた祭りに心躍っていた。
祈年祭が始まった。
チュムは皆が楽しむ中一人そわそわとしながらファウ姫が登場するのを今か今かと待ち続けた。
ファウ姫は祭りに外部の不浄を持ち込まないよう、一か月前から外部との接触は禁止され、身体を清めるのだ。チュムにとってその一か月は一年に感じるほど長かった。
「おっチュム、楽しみだな。いやー、お前の姉さんが姫様に選ばれるとはな」
わしゃわしゃとチュムの頭を撫でるのはガクおじさん。父親の仕事仲間で一番付き合いが長く、チュムが小さい頃からこうしてよく気に掛けてくれる気さくなおじさんだ。ガクおじさんの近くでは他の仕事仲間が盃を片手に大声で笑っている。おじさん自身からも酒の臭いがし頬は赤い。酔っていることもありいつも以上に上機嫌のようだ。
「いやーほんと、鼻が高い。なんせゾビの娘だ、アチェは決めたことはやり遂げようと努力をする子だから、きっと素晴らしいものになるだろうな。な、チュム」
隣で父親のゾビが嬉しそうに目を細めチュムを見つめた。チュムも自信満々で頷いた。以前こっそりと見せてくれた舞が脳内をちらつく。あれだけ美しい舞なら誰もが見惚れてしまうに違いない。それに皆が知っているのは仕事熱心で男性にも劣らない逞しさを持つアチェなのだ。太陽の日を浴びて仕事に精を出す彼女も美しいが、ファウ姫へと変化を遂げた彼女はまた違った美しさを持っていた。自分だけがその素晴らしさを知っていることを自慢したかったし、どれほど美しいかったかこと細かく話してしまいたかったがグッと我慢した。
「おいチュムー、こっち来いよ」
ガングルが手を振りチュムを呼ぶ。ガングルはガクおじさんの息子でチュムより2歳ほど上だ。さっぱりとした性格で村の子ども達の兄貴分として頼もしい存在であり、チュムも慕っている。アチェ同様、父親の仕事を手伝っていたのでよく関わっていた。
「なあ、この木の上だったら舞台がよく見えそうだぜ。来いよ」
そういうとガングルは近くの桃色の花が咲く木にするすると登る。それに続きチュムも登ると確かに舞台が端までよく見えた。舞台は簡素な木材で作られていたが周りには枝が垂れ下がった木々が桃色と紫色の花を咲かせ幕のようになっており、上品な美しさを放っていた。
「きれいだな。」
「うん。ねえアチェも、アチェもきっとすごくきれいだよ」
チュムが言うと「うん」と言いガングルは大人しくなった。彼はアチェのことになると途端に口数が減る。その代わり何かを思い出し、愛おしく思うような表情を浮かべる。彼の中で淡く燃える恋心にチュムはなんとなく気づいていた。
音楽が変わりどこからか鈴の音が聞こえる。あれほど賑やかだった音が一つになり、皆が一斉に音の鳴る方角を見て静かに待っていた。
「始まった?」
「多分。ばあちゃんが鈴の音と一緒に舞台まで歩いてくるって話してた」
ひそひそと話していると段々と鈴の音が近づいて来た。
「来た。」
そう呟いたのはどちらか。ごくりとガングルが息をのむ音が聞こえた。
シャン。
「あ。」
アチェ。
言おうとした言葉は吐くだけで音を成さなかった。
アチェは、アチェであったがアチェではなかった。
髪を結いあげ、いたるところに生花が差し込まれている。袴には細かく花が刺繡され歩く度艶やかに輝く。帯にもいくつもの花が描かれ、長い袖は春の穏やかさを表しているように波打った形であった。
手には神楽鈴を持っており、一歩進む度、シャン、と小さく鳴る。しかし足取りは軽やかで宙を浮いているようにも見え、慈悲深い笑みは雪を溶かすように暖かかった。
これがファウ姫か。
誰もが息を飲む。
そしてファウ姫がゆったりと舞台へ上がると今まで吹いていなかった風がふわりと舞い、袖や鈴についた帯を優しく引っ張っていく。
舞が始まった。
しなやかに舞うその姿は、以前見た時よりも洗練されていた。
鈴の音、かすかに紡ぐ祈りの詩。全てが完成されていた。表情もいつものアチェとは違う微笑み。
ファウ姫が乗り移ってる。チュムはそう思わざるを得なかった。
シャン。
鈴の音が響く。くるりとアチェが回って、また嬉しそうに微笑んで…
胸に矢が刺さった。
シャン。
鈴がアチェの手から落ちる。
じんわりと白い上着に血がにじむ。アチェが膝をつき、真っ青な顔で自身の胸に手を寄せる。一瞬時が止まり、周囲に悲鳴が上がる。
何が起きたのか、理解が出来ない。
「ア゛、アチェ‼」
はっと隣を見るとすでにガングルが木から飛び降りアチェの元へ駆け寄ろうとしていた。固まる人の輪からはみ出た瞬間、待ってましたと言わんばかりに頭に矢が突き刺さり倒れた。
「…!!?ぁあああガングルッ⁉ガングルッ‼」
ガングルの母親が慌てて駆け寄り息子を揺さぶるが動かない。ガクおじさんを呼ぼうとしたのか母親が顔を上げるとその左目に矢が刺さる。つんざく悲鳴が鼓膜を揺らした。風がいたずらに血の臭いを周りへこぼす。
そしてこれを合図かのように、逃げようとした村人たちが次々と矢に射られ始めた。
舞う砂ぼこり、減っていく悲鳴、誰かの泣き声。何事もないようにはらはらと散る花びらがちぐはぐで気持ちが悪い。
チュムは目を逸らしたかった。だが出来なかった。
なに、これは。
本当ならば今頃アチェが舞い続け、皆が楽しそうに歌い始め、日が暮れるまで祈年祭という行事を心行くまで味わっていたはずなのに。終わったらアチェに駆け寄り、とてもきれいだったと伝えようと思っていたのに。実際は阿鼻叫喚の地獄祭りだ。日が暮れるまでに皆、死ぬのだろうか。
なんだこれは。
混乱の最中、チュムの頬がサッと熱くなり痛みが襲った。どうやら矢がかすめたようだ。一段と濃くなった血の臭いは、己の死の気配を運んでくる。
見つかった。チュムはそう感じた。だがそれでも恐怖で動けないでいた。
ここで皆と死ぬのか。そう思った時、辺りに煙幕が張られた。視界が遮られ、さらなる恐怖で体が震える。どこから矢が飛んでくるのか、どこ刺さるのだろうかと想像してしまいもう一刻も早く痛みなく死んでしまいたくなった。
「チュム!さあ早くこっちに」
下から声が聞こえた。目を凝らすと姉様が立っている。恐る恐る木から降りると強く腕を掴まれ、舞台とは反対の方向の茂みへ進んでいく。
「姉様…アチェと、ガングルは」
「お前まで…お前こそ死なせてなるものか。」
その気迫は焦りと怒りが混ざった感じがし、いつもよりもピリピリと肌に刺さった。前を歩く姉様はいつもの香に混ざり、焦げたようなにおいがした。
「ここなら見つからない」
連れていかれた先はチュムの家だった。舞台から遠いこの家はいつもと変わらない、生活感のある暖かい雰囲気のままだった。それがチュムの恐怖を和らげてくれ、先程のことは夢だったのではと思わせた。そうだ、己は今森から帰ってきたのだ。父さんは仕事で母さんは隣の家へ用があって、アチェは姉様の家にいて…。そうだそうだ、そうに違いない。
しかし、グイっと腕を強く引っ張られ、土足のままずかずかと入り込む姉様の切羽詰まった表情を見て、やはりこれが現実なのかと受け入れざるを得なかった。そんなチュムの様子を気にすることなく姉様は囲炉裏の灰を急いで掻き出していた。泣きそうになりながらその不思議な行動をぼぉっと眺めていると次第に中から扉が現れた。
「扉?」
「あぁ。何かあった時の地下壕だ。お前はこの中で待ってなさい。いいかい、私が開けるまで、決して出てくるな。」
「姉様は?」
「私はしなくてはいけないことがある。大丈夫さ、終わり次第戻る。」
そう言うと姉様は扉を開け、チュムを押し込む。中は一人しか通れないような狭く急な階段になっており体勢を崩したチュムは慌てて壁に手を伸ばすがその間に扉は閉められた。階段の奥はうっすらと明るくなっていたため完全な闇に包まれることはなかったがそれでも夜のように暗い。姉様、と叫ぶが外からの反応はない。あっという間に姉様に去られてしまい一人ぼっちになってしまったチュムは早く姉様が戻ってくることを祈りつつ、その場にうずくまろうとしたが暗い階段に一人でいることが怖かった。扉と奥を何度か交互に見つめた後覚悟を決め、恐る恐る座りながら階段を降りていった。
下につれてうっすらと明るくなっている、土の臭いが充満する階段を下りた先には細い道が伸び、またその先が明るく光っていた。どうやらそこから光がさしているようだ。ひたすら進み光の下へたどり着くと急にやや広い場に出た。先ほどまで土だった床や壁と異なり、真っ平な白い石で全面が覆われており、隙間から植物が伸びていた。そして天井には透明な円板が埋め込まれており日差しはそこから差し込んでいるようだった。
目を細めながらさらに辺りを見渡すと向かいに半円状の入口のようなものがあるが、隙間なく岩で塞がれており進むことが出来ないようになっていた。
摩訶不思議な空間であったが差し込む日差しが柔らかく、温かい雰囲気を作り出していた。色々と探ってみたかったが気を張っていたのだろう、チュムは急に疲れと眠気を感じ、探ることを諦め端っこで丸くなった。
目が覚めた時に、姉様がいますように
そう願いながら目を閉じた。




