訪問
柔らかな日差しがチュムを照らした。
もうすぐ祈年祭がやってくる。ファウ姫に選ばれたアチェは祭りのために姉様と呼ばれる村長の姉の元で生活を始めた。
村で過ごす少女達は生涯外に出ることは少ない。また小さい村ということもあり全員が小さい頃から知り合いだ。上下関係もそれほど強くなく、都のように発展した工業も制度も学校もない。そのため教養はそれほど必要がなく、基本両親から最低限度しか学ばない。
だがたまに村を出て都で働く者がいる。現在まじない師をしている姉様も、若かりし頃は宮廷で奉公していたとのことで、舞だけでなく様々な分野にかけての教養があった。そういった経験や教養を身につけた年配者にファウ姫に選ばれた者は学ぶ必要があるのだ。
アチェは姉様に教わったものは草木も眠る時間になってもひっそりとひたすら練習していた。努力家であり、家族に恥をかかせたくないという思いもあったのだ。その甲斐もあってだろう、チュムが会いに行くたびにアチェはどんどん上品に美しく変わっていった。
変わったのはアチェだけではなかった。姉様の家は村に繋がる低い山の頂上にぽつんとある。低い山と言っても木々が生い茂り、急な斜面のため体力を奪われるのだ。さらに冬になると雪の影響で大変滑りやすくなる。最初は息切れ疲れた様子のチュムだったがアチェの代わりに父親の仕事を手伝うようになってからは枝のように細かった手足にも筋肉がつき、走ってもくたびれることなくアチェの元へ行けるようになっていた。
その日も白い息を吐きながらアチェの元へ向かった。山道に積もる雪が歩くたびにキュと音を立てる。周りの草木の冬芽はわずかに開いており、春が近づいているのを感じた。
「待ってたわ。いらっしゃいチュム。」
アチェが玄関からちらりと顔をのぞかせ、にこりと笑いかけた。傷つかぬよう緩く結ばれた艶やかな髪がはらりと垂れる。
「寒かったでしょう?今、お茶を入れますから、どうぞお入りになって」
さあ、とチュムを招き入れた。例え家族であっても上品に接し、気を抜かないのはアチェらしい。
アチェらしくないな、と段々と記憶の中の彼女と変わっていくことを不安に思いつつも、そういった「らしい」ところが垣間見えると安心する。
玄関に入るといつものように待つよう言われ、アチェが奥へと消えた。姉様にチュムが来たことを伝えているのだ。すぐに戻ってくると静々と応接間へ案内し、チュムを席へ座らせた。今はもう慣れたものだが初めて訪れた時は、村の家にはないその部屋に驚き、飾られている骨董品やらワァジという樹液が塗られた高級そうな椅子やら机を思わずまじまじと見渡し、アチェにくすりと笑われたものだ。
そのアチェは小瓶を開けると茶杯にパラパラと乾燥させた花弁や木の実、果実を入れていく。慣れた手つきでゆったりと茶杯に湯を注いでいくとふんわりと優しい匂いが広がり、チュムは寒さで肩が上がっていたことに気が付いた。
「カオ、今年もたくさん出来そうだよ、です。」
「まあそれは良かった。さすがお父様ね、素晴らしいわ。さあお茶が出来ました。この中にもカオを入れているの。どうぞ、熱いから気を付けてくださいな。」
「いただきます。」
チュムもアチェの行動を参考に段々と礼儀が身についていた。礼をしてからお茶を一口飲むと爽やかな匂いが鼻をくすぐり、ほんのりと甘さが広がった。
「飲んだことない味…でもちょっと甘くておいしい、です。」
「このお茶は体を温めて疲れに効くの。お口に合って良かったわ。」
にこりと笑うとさっと服の端を整えてからアチェが座った。その姿も随分様になっていた。
「祈年祭、もうすぐだね。」
「ええ、あっという間だったわ。どうかしら?ちゃんと私、ファウ姫になれそうかしら」
少し照れたようにアチェが言う。
チュムはまじまじとアチェを見つめ、改めて本当に変わったな、と思った。
仕事のためにときつく縛りまとめ、日に焼け傷んだ髪はしっとり艶やかに、欠けて不揃いだった短い爪はつるりと輝いている。肌も以前よりかは白くなり、仕事をしていないため筋肉が落ち、ややほっそりしたように見える。そして何より仕草がたおやかな女性を彷彿させるもので上品さを引き立てていた。誰が見てもファウ姫になったアチェが容易に想像出来るだろう。
「アチェなら大丈夫。すごく、すごくきれいだもん。早く舞を見てみたい」
「本当に?…私にこんな大役が務まるのか、皆の想像するファウ姫様になれるのか、不安で怖くて仕方がなかったの。…ありがとう、私、頑張るね。」
にこりと笑うと応接間の入口を確認し、姉様が近くにいないと分かるとしぃと人差し指を口元にあてた。そして囁く声で
「本当は駄目なのだけど、少しだけ。」
そう言うとアチェはゆっくりと物音を立てずに舞を踊り始めた。
その滑らかさ、たおやかさ、美しさに息をのむ。まるで周りに花が咲き、全てに祝福されているような素晴らしいものだった。
ファウ姫そのものだ。アチェは本当にファウ姫だったんだ。チュムはそう思わざるを得なかった。
「ここまでね。どうかな?まだまだ納得のいく舞にしていきたいの」
まだ感動から冷めない体をどうにか動かしチュムは首を横に振る。
「あ、アチェ、すごいよ。神様、アチェを気に入って連れて行っちゃうんじゃないかな」
そわそわしながら祈年祭を想像する。華やかな舞台で美しい衣装に身を包み、この素晴らしい舞をする。皆が見たらどんなに驚くだろう。自分の姉がこんなにもすごいんだと誇らしい気持ちになり、誰かに話したくてたまらなくなった。
「ありがとう、チュム。祈年祭楽しみにしていてね。」
「ちょっといいかい」
アチェがそう言い終わると同時に外から声が聞こえた。戸を開けアチェが礼をするとチュムも同じように礼をする。外にいたのはアチェを呼びに来た姉様だった。姉様は二人を見てこくりと頷いた。
「…悪いね。今から稽古の時間だでな。」
「そっか。姉様、お邪魔しました。」
チュムは再度礼をし玄関へと向かう。いつもは見送らない姉様がその後ろをついていきアチェがそっと支えた。それに気が付いたチュムが慌てる。
「姉様、足が悪いんだからこっちに来なくても」
「いやいや、家主として、教育者としてたまには見送らせておくれな。それに、今日は調子がいいんだ。」
そう言いながら杖をカツカツと鳴らし、心配するチュムを横目に玄関へと歩く。チュムはそっと姉様を支えようとすると「二人も無用だよ」とカラカラ笑われた。
「チュム、いつも来てくれてありがとう。またね。」
「あんたが来てくれるおかげでアチェがくじけずやってるよ。またおいで。」
姉様の言葉にアチェが照れながらも頷いた。チュムは嬉しくなり「また来ます!」と元気よく言うと姿が見えなくなるまで手を振りながら帰った。
「…う」
「姉様!やはり調子がよろしくないのでは」
「いい、いい。お前は片付けをしておいで…稽古の時間がなくなる。」
チュムが見えなくなると気が抜けたように姉様がよろめいた。慌ててアチェが支えるも息切れをしながらその手を振り払い歩き始めた。心配そうに見つめるアチェに「早くしな」と急かすとちらちらと姉様を見つつ、すぐに応接間へと向かっていった。
「…どこまで未来は変えられるのか。あの子はどちらに変わるのか、はたまた生まれるのか」
はあ、とため息をつき祈祷室へ向かう。
チュムが手を振り、玄関を出た瞬間、未来が見えたのだ。今まではこちらから一定の手順を踏んでから念じない限り未来は見えなかったが、年を取ってから急に未来が干渉してくるようになった。未来視は見えないものを無理に見ようとするためか、かなり体力を消耗する。チュムという客人がいる手前、気を張っていたがそれが勝手に起こってしまうのだから倒れそうになるのも無理はない。
「…一体、どうすればいいのか。」
姉様は祈禱室につくと香を焚き、ゆっくりと椅子へ座った。独特な香りが部屋中を満たすと目を瞑り、先ほどの未来を思い浮かべ一度深呼吸をする。全てを知るのは彼女と。




