ラモント男爵の遺児
作者初のヒューマンドラマジャンルです!
よろしくお願いします……!
本作へたくさんのご評価、感想などいただきまして、どうもありがとうございます!!!
【1.異母弟を名乗る者】
天気が良い日だった。
私は自室の窓から外を覗いた。薄雲の浮かぶ空は澄んでいて、丁寧に刈り込まれた庭の芝生は美しい陽の光を浴びてキラキラ輝いている。手入れされた色とりどりの花が咲き乱れているのも見えた。庭はたいそう賑やかだ。
今日はいつになく気分の良い日だった。自分が何か前に進めそうな気分。
私は、執事を呼んだ。
少し躊躇った後、私は意を決して「今日のお茶はお庭でいただこうと思うのだけど……」と言ってみた。
執事は心なしか顔をほころばせた。
「良いお考えと思います。ここのところずっとお部屋の中で静かなお茶の時間ばかりでしたので。少し気分転換になるようなことでもないものかと心配しておりました」
執事は、半年前に父が亡くなってから私がふさぎ込みがちだということを言っている。
それは自分でも自覚していた。
正直なことを言うと、別に私がふさぎ込む理由はなかったのだが。
私たちは仲の良い父子ではなかった。仕事人間の父に特別かわいがられた記憶もなかったし、それどころか父は仕事ばかりであまり邸にいなかった。邸にいないことの方が普通だった。
だから、こうしてどうにも鬱々しているのは、自分でも驚きだった。
いったいこの気持ちが私の中のどこにあったというのか。
唯一言えるのは、母も3年前に亡くし兄弟もいない私なので、父が最後の身内だったということだ。
もしかして、一人ぼっちになってしまったことを私は心の奥深くで嘆いているということなのだろうか。
でも、それについては自分でもだいぶ半信半疑だ。
こんな感じで、私はよく分からない鬱屈した気持ちを抱えながら、父が残した事業をあちこちで忙しく整理している最中なのだった。
さて私が執事に今日のお茶の件を伝えていると、秘書役の一人が廊下を少し足早にやってきて、何事かと部屋の外を覗いた執事に何やら耳打ちした。執事が困惑した顔をする。そして執事はチラリと私を見た。
「どうかしたの?」
私がそう聞くと、執事はもっと困った顔をして、そして戸惑いがちに言った。
「あの……お嬢様の弟と名乗る者が訪ねて来たそうです」
私は飛び上がった。
「何ですって? 弟!? 私に弟はいないわ。帰ってもらってちょうだいな」
「いや、それが。その者は『母は平民だけれども父はラモント男爵だ』と申しているそうです」
私はさらに驚いた。
「え……それは父の隠し子ってことかしら、庶子の……?」
「……ということでしょうか」
執事も困惑を隠さない顔をしている。
愛人に隠し子?
いったいなんてものが出てくるのかしら。あの仕事人間の父にそんなものがいたなんて!
父の遺産や資金の流れをもう少し念入りに見ていかないといけないわね。いろいろ父の残したものを整理しているつもりでも、そんな事実を見落としているんだから!
が、不思議とそれ以上の感情は湧いてきていないことに気付いた。
父の裏切りとかそういったものへ対するがっかりした気持ちは幸いなかった。
私は私に苦笑する。
「とにかく本当に父の子だったら確かに異母弟になるわけだし、むやみには追い出せないわね。話を聞くことにするわ」
そうして応接室に案内されてきたのは私より5つほど若そうな、まだあどけなさを残す少年だった。
私は少年の面影の中に父を見つけた。なるほど、父の子というのは本当かもしれない。
私はまず少年の名前を聞いた。
少年は「トマス・ラモント・ブラウン」と答えた。
私は我が家の姓である『ラモント』以外まるで聞き覚えがないので、軽く首を傾げた。がまあ、母親は平民だと言うのだし、それもその通りかと思い直した。
トマスは少し尻込みしているような口調で、身の上を話し始めた。
「僕は母と街で二人暮らしでした。父から生活費のようなものはもらっていて、そこまで貧しい暮らしはせずに済んでいました。父は僕らの元にはだいたい月に1~2度ほど通ってきていました。幼い頃は僕はその人が誰なのかあまりよく分かっていませんでしたが、そこそこ大きくなると、それが父で、父には別の家があることが分かってきました。とはいえ、僕は生まれてずっとその暮らしだったので、それが変だとは思っていませんでした。月に1~2度の訪問でしたが、父と母は信頼し合っているように見えましたし……。父は母の手料理――下女を置くほど裕福ではなかったので家のことは全部母がやっていました――を嬉しそうに食べていたりとか……、何となくですが仲が良いなと思っていたので……」
そしてトマスは、
「ただし父のことは一切口外せぬようきつく言われていましたから、今日こうしてここで話すまで、僕のこの身の上は誰にも話したことがありませんでした」
と付け加えた。
「それはよかったわ」
私はほんの少しだけほっとした。そんな不名誉な話あちこち吹聴してもらっても困るもの。
それからトマスは歳のわりにはしっかりとした話しぶりで続けた。
「半年前に父が亡くなりました。そしてつい先月、なんと母まで、まるで後を追うように亡くなってしまったのですが、亡くなる前に母は僕に言いました。父はラモント男爵というのだ、と。そしてラモント男爵には正妻と娘がいて、僕は婚外子にあたるということ。そして、自分はお邸に顔を出すのは厚かましくてとてもできないが、僕はきちんと血を継いでいるのだから、もしかしたら名乗り出てもよいかもしれない、と言ったのです」
【2.証拠】
私は完全に困ってしまっていた。
そんな話、父からは一言も聞かされていない。今更見知らぬ者が異母弟として出てきて、私はどういった処遇を施せばいいの?
ただでさえ父の残した事業が多方面にわたって膨大で、その処理に追われているというのに!
私がトマスの話にすぐに何も言えなかったからだろうか、トマスは唐突に、
「ねえ、あの、エマ様。エマ様は僕たち母子のことを恨みますか?」
と聞いた。
私は急にそんなことを聞かれてどきっとした。
恨む? つまりトマスは私たちから父を奪ったということを言っているのだろうけど、今こうしてこの話を聞かされて、父を罵りたいと思うの、私は?
私はゆっくりと昔の自分を振り返った。
確かに私は父に溺愛されていたという記憶はないが、かといって愛されなかったという想いもない。
そう、普通。
普通だと思う。
世の中の父親っていうのがどういうものかあんまり分からないけど、父親というものはそんなもののような気もしたし。
私は自分に問いかける。
「一緒に食事して、おいしいね、と言いたかった?」
「子どもの頃、初めて馬に乗れたことを褒めてもらいたかった? 一生懸命に描いた絵を見てもらいたかった?」
「初めての舞踏会。新調したドレスを身に着けた私を見て、『さすがうちの子だね、かわいいね』と言ってもらいたかった?」
うん、そういうこともあった。幼い頃。微かにだけど、そんなことを思っていたという記憶がある。
でも、父は厳格で淡々とした人だったし、事業も忙しかったのならば仕方がないと思っていた。
それが、もしかしたら、父の人柄や仕事のせいではなく、別の母子に愛情が捧げられていたからだとしたら?
もし、トマスの方に分配されていた愛情分を全て自分が独り占めしていたら、私はもっと幸せだったのか……?
私は生前の父と母を思い出した。
二人は仲が良かったとは言えなかった。
母は3年前に病気で死んでしまったが、それより前も寝たきりの期間が長かった。寝たきりになっていたときも、母は父が病室に訪れるのをあまり喜ばなかった。
だからもはや二人でいるところを見ることは少なかったように思う。
母はトマスの母のことを知っていたのか? 私の知らないところで、父と母はすでにトマスたち母子について話し合い済みで、その結果母は父が病室に入ることを拒んだのか?
否、それはない気がする。
それなら母はその話し合いの「内容」について、亡くなる前に私に何かしら一言あるように思われるから。母は私のことは傍に置きたがっていたのだから。
そうすると、きっと母は具体的にはトマス母のことは知らなかったと思う。
でも、母は父を遠ざけていた。
それは仕事人間で家庭を顧みなかったことで怒っていたのかもしれないし、外の女の影だったかもしれないし、もともと母自体が父との結婚を望んでいなかった可能性とかも考えられる。
――ええ!
我が家はね、決して幸せな仲良し家族じゃなかったんですよ!
今までは、それは父や母の性質のせいだと思っていた。
でも、トマスはさっき『父とトマスの母は仲が良かった』と言った。
では我が家の関係が少し寒々としていたのは、本当は、トマスたちのせいだったというの?
――父よ、私はあなたが何を思っていたのか全く分からないのです。
どんな気持ちで他に家庭を持っていたのか。私たちに悪いと思っていたのか、それとも私たちにはもはや関心がなかったのか。
そして、トマスのことはどう思っていて、今後どうするつもりだったのか。
だって、亡くなるときに父は異母弟がいることを私に言わなかった!
ラモント男爵家に残された私が知らないということは、トマスたちのことは無かったことになるじゃないの!
トマスは今、後ろめたそうな顔をして私の前に座っている。
私は、自分でも頭の中が取っ散らかっていると思った。
私はゆっくりと首を横に振った。
いやいや、そんな話に振り回される前に、まずは確認しなくちゃいけないじゃないの!
私はしっかりとトマスを見て聞いた。
「ねえトマス、あなたが父の子どもだって、何か証拠になるようなものを見せてもらえないかしら? 例えば父があなたたち母子に送った手紙とか。もしくは何かラモント家に縁の物をもらってたりとか」
しかしトマスは縮こまるばかりだった。
「何もありません」
私は驚いた。
「そんなはずはないでしょ? 手紙の一つくらい」
「母は何かと遠慮がちでした。手紙は処分したのかも」
私の方がヒステリックな声をあげた。
「じゃあ、何? あなたは何の証拠もなしに、自分はラモント家の子どもだって言いに来たの。いくら何でもそれはないでしょう? それでは何も判断できないわ。あなたを父の子どもだと認めるわけにはいかないわ」
トマスはますます縮こまって背中を丸めた。
「確かにそうですね。何か父にまつわるもの、一つだけでも残しておいてもらえればよかったのだけど……」
【3.ジンジャークッキー】
そのとき、突然、トマスのおなかが「ぐー」と鳴った。
「あ、すみません……」
トマスが恥ずかしそうに顔を赤らめて下を向いた。
おなかが空いたのね。私もよ。そろそろお茶の時間かしら。
私はトマスが証拠がないと言うので呆れ返ってしまっていて、もう頭の半分はどうでもよくなっていた。
私は空腹に引きずられるようにお茶のテーブルを思い浮かべた。すると、トマスのことに対する集中力がぷつんと切れてしまったのを感じた。……そうね、早くお茶にしたいわ。
そのとき、私はふとトマスをお茶に誘うべきか迷った。
父の子どもである証拠がない以上トマスはラモント家には無関係な人だということになるので、お茶に誘う理由はないように思えた。
が、父の面影もあったこの少年をすげなく追い返すのも何となく気が引けたのだ。それに、彼は今おなかが空いている。おなかを鳴らせた人を目の前にすると多少の親切心なども芽生えるというもの……。
私は迷いがちな声で「お茶などいかが」と言った。
このもやもやした状況で、私にしては最大限の配慮といえる。
私はぼんやりとトマスは遠慮して断るのではないかと思っていたが、トマスはパッと顔を輝かせた。
「いいんですか?」
まあ、トマスは無邪気だったという事だろう。
私は軽く「そうか」と思うと、執事に「こちらの方もお茶をご一緒するわ。準備お願いするわね」と言った。
執事は「ご要望通り、庭でよろしいですか?」と確認をする。
私は肯いた。
「ええ、難しい話をし過ぎたもの。気分を変えたいわ」
お茶の時間がやってきて、私はトマスを伴い庭へ出た。
相変わらず天気は上々で、美しい青空にやさしい風が吹いている。
庭に用意されたテーブルの上には、刺しゅう入りの真っ白なテーブルクロスが凛とかけられ、香りのよいお茶が私のお気に入りの茶器に用意されていた。
そして私の大好物のジンジャークッキーや可愛らしいプチケーキ、フルーツたっぷりのタルトなどが並べられていた。
そのとき、トマスが「あっ」と小さく声をあげた。
私が振り返ると、トマスの目がきらきらと輝いていた。
「このクッキー、懐かしいなあ! そうそう、いつもこの形だった!」
トマスは無遠慮にジンジャークッキーを一枚つまみ上げると目を細めた。
私は目を見張った。
今トマスは懐かしいと言った――?
そう、なぜだか分からないけれど、ラモント家ではジンジャークッキーはいつも必ず白鳥の形をしていた。
長い首を丸々した胴にうずめている不格好な白鳥だが。シェフが手作りで形を整えてこの形にしている。
いつからか知らないが、私の記憶にあるジンジャークッキーは全てこの形だ。
「知っているの? この白鳥の形を……」
私の声は震えていた。
トマスは満面の笑みを浮かべる。
「ジンジャークッキーといえばこれでしょう? 父がよくお土産に持ってきてくれてました。エマ様はどこから食べるんですか? 僕はいつも頭から」
私は急に声が出なくなり、思わず両手で口元を覆った。
ジンジャークッキーは白鳥型だと思っている。この形のクッキーはうち以外では見た事ないのに!
もしかしたら、トマスは本当に弟なのかもしれない。
トマスは無作法にもそのまま白鳥のクッキーの頭をかじった。
「お父さんが言ってた。ふだんは仕事で忙しいけど、大昔、白鳥の泳ぐ池でボート遊びをしたことがあるって。ボートで白鳥にすっと近づいて行ったら、湖面でゆっくりしていた白鳥たちが危険を感じて慌てて飛び立った。小さな女の子が一緒に乗っていたから、その子が驚いて泣くんじゃないかとハラハラしたけど、そんなことは全然なくて、その子は逆にキャッキャっと喜んで手をぱちぱち叩き、ボートの上で立ち上がろうとするから、こちらが驚いて焦ったって。ボートがゆらゆら揺れて、あの時の背筋の冷える感覚は未だに覚えているって、そう言ってた」
【4.爵位を継ぐ】
私は息を呑んだ。
それは――、その話は!
小さい頃乳母から何度か聞かされた話だ。
「お嬢様だって小さい頃旦那様とお出かけになったことがあるんですよ。湖の方へね。二人っきりでボートに乗るというので、旦那様はたいそう不安そうな顔をしていらっしゃいました。まだ幼子のお嬢様と二人っきりで、しかも普段は面倒を見ていないので、何かトラブルが起こったらどう対処してよいか分からないと緊張してましたね。実際お嬢様は野生の白鳥に喜んでボートの上に立とうとしたとか。まったく肝が冷えたと仰ってましたが、お嬢様は可愛らしくきょとんとしたまんまで、ついには旦那様も笑っていましたね」
その話をトマスが知ってる――?
私はどういうことかと食い入るようにトマスを見つめた。
しかしトマスの方は私の動揺に全く気付いていなかった。
しみじみと何かを思い出すような顔で、
「この話もしばらく忘れていました。お父さんはボートの上の女の子の好奇心いっぱいの笑顔を本当に愛おしく思って忘れられず、その子の好きなジンジャークッキーを白鳥の形にしたと言っていました。今思うと小さな女の子ってエマ様のことですよね」
と言った。
私は気づいたら泣いていた。大粒の涙がポロポロと目からあふれて頬を伝っていた。
トマスはようやく私の取り乱しように気付いて「あっ」と短く声をあげた。
そして見るからに狼狽えて、
「すみません! 何か言ってはいけないことを言ってしまいました」
と頭を下げて謝った。
私はゆっくりとハンカチで涙をこすり取ると首を横に振った。
「知らなかったの。このクッキーが私に由来していたなんて。それほど、父の胸の中に私がいたなんて。父はそういうのを私に伝えてくれたことはなかったから」
「そ、そうだったんですか……」
トマスは恐縮したままだ。
「父はそんなクッキーをあなたにも食べさせたのね。私の――クッキーを。父が何を考えているのか、これまで私はよく分からなかったわ、でも――」
初めて知った、父の別な顔。
私はここ半年ほど空虚な時間の中を彷徨っていたが、ようやく久しぶりに人間の心を感じた気がした。
私は独り言のように続けた。
「ラモント男爵の爵位を継ぐかどうか迷っていたわ。ここんとこずっと父の遺した事業の片付けばっかりしていて、なんで私が父の後始末をとうんざりしていたの。血は繋がっていても、あの人は他人だと思っていたから。――でも、継ぐことにするわ」
トマスはどう返事をしたものか分からず、頷くだけで黙っていた。
私ははっきりと言った。
「トマス、あなたは私の異母弟なのか本当のところは分からないわ。でも、もう姉弟ってことでいいと思ってる。今の私はだいぶヤケクソみたいになってるのかもしれないけど。あなたたち母子が私の幸せを奪ったのか、私が虚しい日を送っていたのがあなたたちのせいだったのか、そんなことは分からない。でも、何でかしらね、今のところは恨む気持ちになってはいないのよ」
父がこの母子を愛した理由なんて、私たち以外の人間を家族にしたことなんて、私はどういう風に受け止めたらよいのか本当はピンときていない。
でも今私の胸にあるのは、父が少なくとも私を可愛がってくれた事があるという、何か人生への肯定感のようなものだ。
私はジンジャークッキーを手に取り、不格好なその形をゆっくりと眺めてから、それから幸福な気持ちでパクっと口に入れた。
鼻に抜けるジンジャーの香り、舌を喜ばすほんのりした甘み。
私は微笑んで、トマスにも「もっとどうぞ」とジンジャークッキーを勧めた。
(終わり)
本作をお読みくださいまして、どうもありがとうございます!!!
とってもとっても嬉しいです!!!
男爵の爵位を継ぐかどうか迷っていた女主人公のお話でした。
初のヒューマンドラマジャンルです。
いつもは主に異世界恋愛で書いているのですが、この作品にはマジで恋愛要素がない(愛人はでてきますが汗)ということで、ヒューマンドラマジャンルに投稿させていただきました。
ドキドキっ!
ざまぁなしのハートウォーミングを目指しました(*´▽`*)
もし少しでも面白いと思ってくださいましたら、
下のご評価欄★★★★★や感想などいただけますと、今後の励みになります。
すみませんが、よろしくお願いいたします!!!