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胎動―青霄を駆ける―  作者: 七川
海を越えて
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船出②

 千熊丸は憂鬱な日々を過ごしている。三好家を継ぐ男子としての教えを日々受けながらも、それを発揮する場がないことへの不満が溜まっているのだ。

 父である元長がここ最近は勝瑞館に何度も出向いており、千熊丸にかまっている暇がないことも千熊丸の不満が解消されない原因であった。

 そんな千熊丸の楽しみになっているのが、弟たちにちょっかいを出すことである。弟たちを連れまわし、城内を歩きまわることが最近の日課であった。

 今日も次弟である千満丸を連れて城内を探検しているところだ。


「…うえ!兄上!」


 千満丸が辺りを憚る静かな声を投げかけてくる。


「千満丸、静かにせい!見つかってしまうではないか」


 せっかく台所まで忍び込んだのだ。千満丸が裾を引っ張っている。不安そうな表情が千熊丸のこわばった顔を覗き込んだ。


「もう戻りましょう、母上に怒られてしまうではないですか」


 千満丸が不安そうな声を上げる。


「見つからなければよいのだ!お主だって瓜が食べたいといったではないか」


 千熊丸には自信があった。瓜を食べるために厨房に人がいない時間を見計らってきている。それにもし見つかっても母にばれなければいいのだ。厨夫だって一回くらいは許してくれる。

 額に浮かんだ汗を拭い、千熊丸は瓜への一歩を踏み出した。


「千熊丸殿!何をなされているのです?」


 背後から聞こえたその甲高い声に、二人は身を震わせる。


「母上……これは——。」

「怒ってはいませぬ。何をなされているのかと問うております」


 千熊丸は今にも泣きだしそうな千満丸の手を握りながら後ろに隠す。足が地面についていないようにがくがくと震えた。


「う、瓜を食べようと」


 千熊丸は震えながら正直に白状した。母の大きく見開かれた瞳を見つめ、いよいよ覚悟を決めて唇をかんだ。


「其方は武家の子なのだから、そのような盗人のような真似をしてはなりませぬ。それにそこにいるのは千満丸でしょう。弟をこのような悪事に突き合わせるなど」


 千満丸の握る力が心なしか強くなっている。


「嫡子としての振舞いを学ばねば元服などまだまだ先ですよ」


 母はいつものように語気を強めて怒鳴ることはしなかった。


「殿が其方をお呼びです。千満丸、兄上の手を放して差し上げないと」


 母はそう言って千満丸を連れ歩いて行った。




「父上、お呼びと伺いましたが」


 千熊丸は母に言われた通り父の居室にやってきた。

襖を開けると、父はいつもと違い神妙とした顔つきであったが、千熊丸はそんなことを気にしていなかった。母にあまり怒られなかったことに加え、この頃かまってくれない父が自身を呼んでくれたことが嬉しかったからだった。


「父上!」


 千熊丸は満面の笑みを浮かべ、父からの言葉を待つことなく口を開く。武家の教育を施されているとはいえ、まだ十にも満たない童子であった。もうすでに母から説教をされたことなど頭の中から追いやってしまっている。


「まあまあ、まずは座れ」


父は千熊丸に座るよう促し、自身も目の前に座った。


「まだ、元服したいと思うか?」


 父は普段と違う丁寧ながらも鋭い声色で千熊丸に問いかけた。


「もちろんです!早く父上のお役に立ちたい!」


 千熊丸は勢いよくそう答える。とうとう元服を許していただけるかもしれないと期待したからだ。


「そのようなことでは、まだまだ元服は早いな」


 父は千熊丸のその言葉に乾いた笑いで返した。そしてこう続ける。


「千熊丸、お主には堺に行ってもらう」


 父のその言葉に千熊丸は目を泳がせた。胸のざわめきのみがその場を支配している。奇妙な沈黙であった。


「父上、それはどういうことなのですか」


 父が言うことなのだから聞かなければならないのだろう。しかし、まだ幼い千熊丸には何故自分が阿波を出て行かねばならないのか分からなかった。


「上屋形様がお主ら兄弟を堺に留め置くよう言ってきておるからだ」

「なぜ上屋形様の言うことを聞かねばならぬのですか」


 千熊丸の語気が強まった。父の言葉が理解できないからだ。胸のざわめきはまだ収まらない。


「儂とてお主を堺にやりたいわけではない。だが、少しは父の事情を汲み取ろうとせぬか。だから元服は早いというておるのだ」


 父のその物言いに、千熊丸はとらえどころのない底知れぬ悲しみと落胆を感じた。


「分かりました。弟たちとともに堺へ行きまする」


 世の中には不条理なことがあるのだ。自身の思いのままに過ごしてきた千熊丸は折れるということを覚えた。今の千熊丸に父の思いを汲むことはまだ早かった。


「それでよし、こちらに来なさい。」


 父はうんうんと頷き、自身に近づくよう促した。また、面白い話を聞かせてくれるのだろう。しかし、千熊丸はそのような気分にはなれなかった。

 千熊丸は父の居室を出てひたすらに歩いた。いつの間にか太陽が西の空に浮いている。沈んでいくその陽刺しは千熊丸の頬を赤く染めていた。


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