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フラッシュバック


 1


 場所と時を戻って、長崎市内の海淵龍海うみふち たつみの家。

 海原摩魚が誘拐されて、二週目も半ば。


 浴室の脱衣所で腰骨ラインのパンツをはいたあと、豊かな胸に合わせて作ってもらったブラジャー着けながら、龍宮紅子りゅうぐう べにこはいまだに火照りを覚えている顔を強ばらせつつあった。後ろ向きで、摩魚まなとは互いに背中合わせなのでそれぞれの表情は見られることなくすんでいる。背中のホックを掛けようとした手が止まる。

 ーこれって、聞いていた話と違くない? 摩魚ちゃん、セックスの経験がないて言ってなかったっけ? なんなの、あの!ーー

 すると、不意に。

「紅子さん、掛けてあげましょうか」

 と、後ろから摩魚から声をかけられたときにはホックが付けられていた。「ありがとう」と返して振り向いてみたら、海原摩魚うなばら まなも下着姿だったではないか。そして、彼女の薄青のレース柄の上下のデザインに若々しさを感じた。

 じゃなくて。

「あのー、摩魚まなちゃん」

「はい」

「ひとつ良いかしら?」

「なんでしょう」

 このままモヤモヤを溜めておくのは心身ともに良くない。

「あなた、先ほど性行為の経験はないと言っていたよね?ーーーけれど。その……、さっきの……は……」

 嗚呼、恥ずかしい。

 このような気持ちはミドリを担当した以来か。

「なんだか、その……“なれている”感じがしましたんですけど」

「はい」

 うわあ。言い切った。

 なんと屈託のない笑顔だ。

「男の人とはないけれど、女の子どうしだったら何回かの経験がありますよ」

「……は?!」

「え……?」

 美しい顔をみるみる驚愕させていく紅子を前に、摩魚は微笑んで続けていく。

「一昨年、長崎に帰ってきたミドリさんと一緒に港の遊園地でアルバイトしていたときに流れで“そう”なりました。彼女、可愛くって綺麗で。デートも楽しかったですよ」

「それは、どういった?」

 まともに言葉を出すことができない。

 そんな紅子の言葉の意味を理解して拾う摩魚が。

「最初は私もミドリさんもそれぞれ自分たちの普段着るオシャレ着で街を楽しんでいたんですが、そんな途中から街中の視線を感じるようになったんです。ーーー周りを見てみたら、案の定ミドリさんに視線がたくさん刺さっていて。私、やだなーやだなー怖いなーと思いながらも彼女を視線から庇うようにして歩いていきました」

 あんた男前すぎるやろと思った紅子。

 摩魚の話しは続いていく。

「二回目のときからは、私はボーイッシュな格好をして彼女とデートを楽しむことにしたんです」

「どんな?」

「目刺し帽を妹から借りて、Tシャツジーパンにサマージャンパーを羽織って髪を後ろにまとめて。端から見たらまるで男でした」

 そのときの妹「お姉ちゃん格好いい!」ともらった。

 摩魚はさらに続ける。

「ミドリさん、緑色のブラウスにスカーフ巻いて、オリーブ色の短めなスカートで。朱色のリップつけてて、とっても綺麗でした。ーーーあと、割れた暗い緑色のヘアバンドをセロテープで止めているのが印象に残っています」

 一昨年の様子を楽しそうに回想していく。

 それは、二人仲良く並んで商店街を歩いていたら、周りから「あのカップル、凄くない?」「美男美女だよな」などを耳にして、これにミドリは摩魚に目線を送って「あなたのこと、美男だって」さも嬉しそうに言うと、摩魚は立ち止まるなりに肘を横に出して微笑みながら「そうですか。ーー今日はどこまで行きましょうか。“お嬢さん”」と、これに腕を絡めたミドリが「じゃあ、角の喫茶店までお願いするわね。“あなた”」

 そのあと、角の喫茶店で軽食からデザートまで済ませて、ミドリはコーヒーを、摩魚は紅茶を楽しみながらお互いにひと息着いたところだった。

 ガラス張りの壁の景色と路面電車に向けていたミドリから、切り出した。

「ねえ、摩魚ちゃん」

「なあに?」

「あなた、前、私に虹色の鱗が痒みを持って身体に出てきていたって話していたじゃない」

「うん。まあ」

「“それ”ね、私にも出てくるんだ」

「え? なに? 私と同じ物」

「そう、あなたと私と同じ物」

 こう言葉を放ちつつ、彼女は摩魚の太股と内腿から腰周り胸元鎖骨二の腕、そして首筋へと視線を上らせていき。テーブルに乗せていた軽く握った摩魚の拳に自身の手を優しく重ねて目線を合わせると、こう言った。

「私の身体に出てくる虹色に光る鱗、見てみたいと思わない?」

 と、言い終えたときに頬を赤らめて目線を外した。

 すると、ミドリの手を両手で強めに握って腕相撲の形をとった摩魚が、力強くこう言った。

「ぜひ」

「ありがとう」

 と返したミドリの顔は、微笑んでいた。

 しかし、これはどう見ても周りからしたらイイ男が美人を口説いているようにしか見えない。だか、実際は逆。

 海原摩魚が潮干ミドリから口説き落とされたのである。

 それから。

 ーどーしよー。女の子どうしでしちゃったよー!ーー

 と、ホテルのベッドで目の下まで掛け布団を被せて赤面している摩魚が、潤ませた切れ長な瞳を横になって見つめているミドリに向けた。当のミドリは微笑んでいて、摩魚の頭を優しく撫でていく。

「摩魚ちゃん、可愛い」

 こう呟いて額に口づけをした。

 可愛いなどと言われた摩魚も、ミドリから目線を外してほんの一時だけ天井に移したのちに再び彼女に瞳を向けてこう言っていく。

「ねえ、私。今からミドリちゃんて呼んで良い?」

「いいよ」

「んふふ。ありがとう」

 そう言って掛け布団を胸元まで下げた。

 天井を見つめたまま笑みを浮かべて、摩魚まなは嬉しそうに再び口を開いていく。

「ミドリちゃん、本当に身体が虹色に光っていて綺麗だったよ」

「そう。嬉しい。ありがとう。ーーー摩魚ちゃんも、虹色の鱗が光っていて綺麗だったよ」

「ありがとう。嬉しい」

 しかし、なんだこれは。この押し寄せてくる感情は。

「あら、まだ少し時間あるわね。あと一時間くらい楽しみましょう」

「え? ちちちちょっと、もう一回てこと?!」

 驚く摩魚をしり目に、ミドリは掛け布団を剥がして覆い被さっていった。


 場所は変わって。

 長崎大学の写真部の部室。

 四年生の片倉祐美かたくら ゆみは、データに収めていた写真と現像していた写真との整理とチェックをしていた。百五〇という身長の小柄で痩身そうしんの眼鏡娘は、腰まである髪の毛を後ろにくくっていた。

 ファイルに収めていた潮干ミドリの写真と手元にある海原摩魚の、二人を付きまとって隠し撮りした写真を見ていたときのこと。ミドリが男と逢い引きした瞬間をスクープした一枚の他にも、ミドリと目刺し帽の男と一緒にホテルに入った出てきた数枚、商店街を彼女と目刺し帽の男が腕を組んで一緒に歩いている一枚などを見ていたとき、あることに気づいた祐美ゆみは息を飲んだ。この目刺し帽の男の目付きと、海原摩魚の目付きとが似ている。とくにこれ、ホテルから出てきたときの一枚は明らかにこちらを見ており、少し薄笑いを浮かべているようにも見えなくもない。たちまち目を見開いていき、ファイルの男と写真の摩魚を凝視し見比べていく。

 ーああーー! 帽子の鍔から見えるこのちょっと吊り上がった目の形、綺麗な輪郭、適度にプックリとした唇、高い鼻柱、衣服からうかがえるスタイルの良さ! どれもこれもうちの大学の姫様じゃないの!ーーーまさか、まさか私、今の今まで分からなかった! ミドリさんとのデート相手が摩魚さんだったなんて! なんてこと!ーー

 思わず椅子から立ち上がり、力強く拳を握って震わせていった。

「お前ら! 自由すぎるだろ!」


 “おめでたいわね、あなた。”

 嗚呼、あのとき、スクープしたと舞い上がっていた写真をミドリに突き出して映像撮影とインタビューを敢行したその当日に、撮影前に写真を確認させたときだった。

 ブーーー!と吹き出して大きく笑ったあとに。

「おめでたいわね、あなた。ーーーなにも“こんなこと”しなくても、陰洲鱒と私のことを知りたければちゃんとした形で質問に答えますよ。わざわざ隠れ忍んで撮って、つけ回して、私生活に土足で踏み入って……」

 だんだんと怒気をはらんできた。

 祐美は、なんだか己の身体が震えていることに気づく。

 ミドリの言葉は続く。

「あなたまで私の好きな人をおびやかそうとするのね」

 目付きが完全に怒りに変わっていた。

 錯覚だったのか。ミドリの瞳孔が金緑色に光るのを見た。

「二度と。こういうことはしないでいただきたいわ」

「はい。すみません」

 思わず祐美は、彼氏の深沢文雄と一緒に深々と頭を下げた。

 このときばかりは“かなり”恐怖を感じた。



 2


 衣服を身につけて浴室から出てくるなりに、後ろの摩魚へと「じゃあ、私少しお茶を飲んで帰ります」と笑みを向けて声をかけたあと、本当に縁側で腰を下ろして陰洲鱒の煎茶を飲んでいた龍宮紅子。明日も仕事があるから早起きしなきゃと暗くなった庭と景色を、ぼーっと眺めて、先ほどの出来事を考えていた。先の風呂場で、生贄の儀式の前に処女の身体を“ならす”つとめをはじめたとき、摩魚と口づけをした、その瞬間だった。

 紅子の脳内に点滅とともに二四年前の記憶がよみがえった。

 まるでクリアーのリップを塗っているかのように艶やかな摩魚の唇と紅子の薄く張りのある唇とが触れたそのとき、摩周鱗子ましゅう りんこと海中で口づけをした場面が点滅した。摩周鱗子とは、虹色の鱗の娘を生贄にする儀式から唯一脱出に成功した人物。そして、町の外の男と駆け落ちした女でもあった。そしてさらに、あの顔立ちは、海原摩魚と似ていると思ったとたんに紅子はみるみる目を見開いていき、声をあげそうになった口元を右手でおさえた。

 ーうそ! あの子って、あのとき小舟で寝ていた赤ちゃんだったの?! 摩魚ちゃんって、鱗子りんこの子どもだったの!ーー「どうしよう」

 と、最後は力が抜ける感じで言葉を洩らしていった。



 それは今から二四年前になる。

 無精髭が特徴的な茶色の三つ揃いを愛用している細身の青年と、摩周鱗子が赤子を抱えて紅子たちのいる長崎市内の大波止の喫茶店に集まっていた。鱗子は大変美しい女性であり、細面の輪郭にあるほぼ左右対称に整った造形をしていた。やや吊り上がった切れ長な目の中には、黒色の瞳を持ち、しかしその瞳孔は陰洲鱒の町民特有の縦に長いものだった。高く緩やかなカーブを画く鼻梁も美しかった。鱗子を含め、紅子も入れた美しい女性が数人集まっていた。そして集会場にしている当の喫茶店は、ガラス張りの壁で作られているために、外の通行人たちの視線が必然的に集まっていた。

 腕の中で眠る我が子を愛おしそうに撫でたあと、鱗子は切り出していく。

「私、哲司てつじさんと一緒に生贄の儀式から逃げ出したいの。この子、摩魚を連れて。ーーー好きな人を置いて消えるのなんて嫌。愛しいこの子を置いて消えるのなんて嫌。例え脱出に成功したとしても、教団の……いいえ、フナさんの追っ手にいずれかは捕まってしまう。だから、一緒に暮らせなくなるのも分かっているわ。でも、私はそんなことなんて嫌。哲司さんと一緒に摩魚の成長を見守っていきたい」

「その“あて”はあるの?」

 と、聞いたのは相席で向い合せに座る潮干リエ。

 黄金色の髪に緑色の瞳をした、長身の美しい女性。

 これに鱗子が返していく。

「大丈夫よリエ。こんな私にも信頼できる人はいるわ」

「なら、心配することないんじゃない?ーーーで。鱗子、預かってくれる人ってどんな人なの」

 リエの隣に座っている、摩周ヒメが聞く。

 ヒメは眉毛はないが、リエと並ぶほどの身の丈があり、足首まである黒髪が印象的な美女だった。そして、左手の薬指には結婚指輪がある。

「私の友達というか、高校生のときに恋人だった慶子って綺麗な人がいてね、今は魚屋さんで旦那さんと仲良く仕事しているのよ。その人が、二人で娘を預かってくれることを受け入れてくれたわ」

 こう自信あり気に語っていき、隣の哲司と目を合わせてお互いに微笑んだ。

「私は私なりに、鱗子さんとこの子を見守る手段は考えています。私だって彼女と娘を失いたくはありません。あの鮮魚店は信頼できます」

 こう、眼鏡をかけた無精髭の哲司が鱗子の後ろ頭を撫でながら言葉を出した。

 そして、隣のテーブルに美しい女が二人向き合うかたちで座っていた。そのひとり、虎縞福子とらしま ふくこから口を開いてきた。福子は薄い茶色い髪を七三分けにして、大きく波打ったようなウェーブにセットした髪型をしていた。美しい瓜実の輪郭に、切れ長な黒眼に銀色の瞳と縦長な瞳孔。そして文字通りに白い肌。魅惑的な“うなじ”を持つ細く長い首筋には、五つのえら。以上、福子は見た目の通り人間ではなかった。マットな赤いリップを引いた薄い唇を開き、語っていく。

「鱗子さん、あなた。じぶんでも分かっているでしょうけれど、陰洲鱒の町民特有の筋力や瞬発力などの特徴を持たないで生まれてきた人なのよ。言ってしまえば、そこら辺の一般人女性と同じ身体能力です。平均的なね。それは、人魚の私も“あなた”と同じ。そして、私の目の前の志田ちゃんも。人魚の中でも“ひ弱”な部類。ーーーだから、脱出するには危険が多すぎるのよ」

 志田ちゃんこと志田杏子。

 福子の相席の美女も、彼女と同じ人魚という妖怪であった。

 福子の語りは続いていく。

「あなたたちも知っている通り、私は……、私は虹色の鱗のたちを一時的に弱体化させるために、生贄になってきた娘たちにテトロドトキシンを打って……いいえ、打たされてきたわ。ーーーなので、その毒で常人と変わらない“あなた”がショックを起こして死んでしまうんじゃないかと思って気が気でないの」

 少しうつむき、ワインレッドの上着の袖口を指先で触りながら。

 最後に、福子は銀色の瞳を鱗子へと向けて。

「よって、私は“あなた”に毒を打たない。鱗子さん自身が鍛えた筋力と、紅子たちの協力でじゅうぶんだと思うわ」

「打った“ふり”をしてくれれば良いんじゃない?」

 リエとヒメの後ろの席から身を乗り出して楽しそうに口を挟んできたのは、浜辺銀はまべ しろがね。猫のような目をした、肩にかかるほどの髪をソバージュにしている細身の美しい女であった。しろがねは続ける。

「福子は福子なりにできることをすれば良いよ。ーーーねえねえ、駆け落ちを手伝うって面白くない。駆け落ちだよ駆け落ち。この二人のためにも、絶対成功させようよ。ね」

「なら、私としろがねが足止め担当ということで。教団の部外者だし」

 こうきたリエの言葉に、

「そうねー。私たち民間人だものね。フナ婆さん、やすやすと手出しできないよね」

 そう返した浜辺銀のあとに、福子から志田ちゃんと呼ばれていた人魚の志田杏子しだ あんこが言葉を挟んできた。艶やかな黒髪を持っている、美しい女であった。黒いタンクトップに灰色の作業用のボトムパンツがサマになっている女だった。

「なら、私の会社の知り合いに船舶免許持っている人がいるから、怪しまれない小舟くらいなら用意できますよ」

「志田ちゃん、ナイス!」

 と、リエは杏子を力強く指差した。

 ふと気づいたら、ギャラリーはガラス越しだけではなく店内にまでおよんでいたではないか。

「うるさいハエどもね……」

 ギロリと外のギャラリーを睨むリエ。

「ねえ、元ヤンみたいに見えるからやめて」

 隣のヒメからこう突っ込まれた。

「あまりにも人目が多すぎだわ。一旦お開きにしましょう」

 このように声をかけた紅子のを合図に、皆はそれぞれカウンターで会計を済ませて百貨店の立体駐車場に向かった。

 会計の際に「あなた、可愛いわね。私とショートメールから始めてみない」と店員の娘に声をかけた潮干リエの背中を軽く押した浜辺銀はまべ しろがねが鈍色の尖った歯を見せた笑顔で「ほら、また浮気の虫出てきた。なーにナンパしてんのよ。あとが詰まってんだからさっさと行った行った。ーーーいつも美味しいランチとお茶をありがとうね。はい、お代」こう支払ってリエの背中を押しながら店員の娘に「変な女に捕まっちゃダメだよー」と手を振る。「誰が変な女だ」「まあまあ、いいからいいから。帰ろ帰ろ」リエをなだめながらしろがねはニコニコしていた。


 立体駐車場の五階に停めてある自身の車に向かいながら並んで歩いていたリエとしろがね

 ソバージュをかけた女が、両肩出しの両腕を天井高く上げて伸びをしながら。

「んんー! 駆け落ちか。俄然やる気が出てきたわ。久しぶりに暴れてみっかなあ」

 と、言い切ったあとに欠伸する。

「へえー。珍しい」

 駐車場に差し込む日の光で黄金色の髪をキラキラと輝かせながら、リエが銀に微笑んでいく。そんな彼女の表情に思わず魅了されて、銀は頬を赤くする。たえられないゆえに目線を外す。

「あ、あたしに亜沙里が産まれたばかりだから、他人事じゃないと思ったまでよ。そういうこと」

 照れを隠して述べたのちに、シルバーのスポーツタイプの車のキーを開け「じゃあね」と先を行くリエに手を振った。リエも手を振って返した。

 そうして白いワゴン車のもとに着いたリエがキーを開けたら、隣の枠に赤いオープンタイプのスポーツカーと虎縞福子を発見。福子は、ワインレッドのカッターシャツに黒色の膝丈スカートが実に様になる女であった。リエが彼女に見とれないわけがない。対称的に、リエは白いブラウスに膝丈の白いプリーツスカート。ワゴン車のルーフに肘を乗せて福子に声をかける。

「喫茶店でのあなた、かっこよかったわよ」

「そう? ありがとう」

 心から嬉しそうに微笑んで礼を言う。

 そんな彼女に頬を赤くして一度目線を外したあとに再び向けて聞いていくリエ。

「打たないのは良いけど、なにか手段はあるの」

「ありますよ」

 実に自信たっぷりに断言した。

 自身のスポーツカーのキーを軽く上に投げて、縦に回転して落下するそれを胸元あたりで力強くキャッチする。

「私は毒のスペシャリスト。策はあります。鱗子さんにテトロドトキシンとはまた別の毒を打って、一時的にリエさんたちみたいな馬鹿力を付けさせます。もちろん、後遺症と依存症は残さないように調節することができるわ。これは私だけしかできません」

「ば……、馬鹿力って」

「私からしたら馬鹿力ですよ。でも、今回はこれを有効利用します。ひじょうに短時間でしか使えないので危険ですが。使う価値はありますよ」

 こう締めて赤いスポーツカーに乗り込んでエンジンをかけて、吹かして発車しだした福子へと、リエは念を押した。

「ねえーえ、福子! 本当に後遺症なんかないのー!」

 二、三秒考えてリエに顔を向けて

「酔っ払って“彼にお持ち帰り”されるていどかなー!」

 ニッコリと尖った歯を見せて、福子は自慢の車を走らせていった。

「へえー。酔っ払ったあとに“彼にお持ち帰り”、ねえ……。面白そうじゃん」

 ニヤリと呟きを漏らして白いワゴン車に乗り込んでエンジンをかけたあと、リエは自身の職場へと向けて走り出した。


 勤務先のジャガーモータースへと赤とシルバーに塗ったカワサキの1300CCを走らせながら、龍宮紅子は考えていた。

 ー確かに、例え脱出に成功しても、フナさんの追っ手がある。そうしたら私が連中をやるしかないか。ーー

 脱出に成功したあとは、摩周鱗子を長崎大村空港に行かせる手はずだが、磯野フナが手を回さないはずがない。偽りの信仰に盲信している陰洲鱒の町民か、彼女の同族の人魚を差し向けてくるだろうと予想していった。紅子にも鱗子の脱出時にすることがある。それは、鱗子が生贄として海中に飛び込んだときに、拉致しようとしてくる磯野一家の殿方を蹴散らして彼女を小舟まで連れて行く役目があった。以前からも、紅子は生贄になった虹色の鱗の娘たちを救出しようとタイミングを見計らって海に飛び込み、沈んでいく娘たちの手前まできたことはあるものの、あと一歩のところで娘たちは磯野一家の殿方たちに拉致されていった。その度に娘たちは紅子に気づくと、涙を流しながらも笑顔を向けて「ありがとう。さようなら」と手を振っていった。当然、陸に上がった紅子は毎回声をあげて泣いていた。

 しかし、この海中に飛び込んだときだけ唯一、儀式のさいちゅうに磯野フナから距離を置ける瞬間だった。

 ー今度こそ! 今度こそ、絶対に脱出させる!ーー



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