有子姫と真海姫を回収:精神体編
1
月日を遡り。
今年の七月第三週の週末。
時間は昼間。
場所は、長崎市内。
松ケ枝埠頭の海岸線。
停まった赤いスカイラインから美女三人が出てきた。
ひとり目は、臼田幹江。
二人目は、片倉昇子。
そして三人目は、潮干ミドリ。
周りでは散歩や釣りを楽しむ人々。
時間的にはまだまだ昼間。白く眩しく輝く太陽が高い位置にあって、日の当たった白いところと黒い影のところとのコントラストが強かった。幹江と昇子の前に立っていたミドリは、腕をくるくると内と外に回したあと、腰に手を当てて右に上体を倒した次にその反対の左に倒したのちに、腰の後ろに両手をやって身体を反らしていき、最後は両膝に両手を乗せて屈伸運動を繰り返した。
入る前の準備運動である。
おいちにー、さんしー。
にーにー、さんしー。
両手首と両足首を振って、準備完了。
靴を脱ぎ、衣服も脱いで、薄い緑色のレース柄の下着まで脱いだ潮干ミドリは、細く白い裸になった。「ミドリちゃん、まだ脱げるんだ?」との幹江に「ギリ脱げる」と鈍色の尖った歯を見せたミドリ。脱いで綺麗に畳んだ普段着を幹江に預かってもらい、笑顔で手を振る。ちょっと心配そうな顔になっていた幹江と昇子。
「大丈夫。私は潮干ミドリだよ。必ず戻ってくるわ」
「待っているからね、ミドリちゃん」
「いってらっしゃい、ミドリちゃん」
昇子と幹江から声援を受けて微笑んだ。そのとき。
虹色に瞳を光らせて、身体の各所に虹色の鱗を出現させた。
そして、両手を前に突き出して海中に飛び込んだ。
小さな音を鳴らすていどの実に綺麗なダイブであった。
ミドリの話しによると、水深一万メートル以上はゆうに超えており、実際のところは二万メートルはあるのではないかと。二年前に一度その深さまで訪れたことがあって、二人の身柄を預けていたという。誰に?それは母リエの父親こと、宮崇龍ことクトゥルフに。なんという家系であろうか。旧支配者の血筋を引く孫娘たち、潮干ミドリと潮干タヱ。しかし、今はミドリ自身も精神体であるがゆえに光の力を全力では出せない状態なので、正直、無事に帰って来れるという保証はなかった。そして、幹江と昇子は車内で待機することとなった。これが上手く達成できた場合は、ミドリは二人を連れて夕方を過ぎるくらいに戻ってこれる。
2
それから。
昼の三時を回ったくらい。
一台のファミリカーが幹江の赤いスカイラインの後ろに停まり、身長二メートルの大女が車外に出てきた。その女は、切れ長な目は黒く、その中の銀色の瞳が輝いていた。天然の細かいウェーブがかかった艶やかな黒髪は肩甲骨まであり、七三に分けて、三の部分だけオールバックにしていた。並外れた長身で骨太と言っても、決して肥満体ではなくて、豊かな胸の膨らみを持ちながらも鍛え上げたその身体には、くびれた腰と適度に膨らんだ腰まわり、そのスレンダーな体躯と合わせてマーメイド体型であった。文字通りの白色の肌はキメ細かく、化粧乗りが大変良さそうであった。長い首筋の両側に五つの鰓、そして両側の肋の辺りに三つの鰓を確認できた。これは間違いなく“彼女”は雌の人魚であった。しかも、美しい女性でもある。その素晴らしいスタイルに合わせるかのように、太腿が半分も露出しているブルーグレーのミニスカートワンピースに、同色の革ベルトを腰に巻いていた。掛けていたサングラスを外して、頭に乗せた。
この美しい大女が不審者ではないと分かった臼田幹江と片倉昇子は、赤いスカイラインから出て、相手の全体像を確かめていく。そして、その美しさにみるみると瞳をキラキラと輝かせていった。
「はじめまして。臼田幹江です。よろしくお願いします」
「はじめまして。片倉昇子です。よろしくお願いします」
胸の高鳴りを感じていきつつ、二人は挨拶していった。
これを受けた二メートルの人魚は。
「こちらこそ、はじめまして。鰐恵です。よろしくお願いします」
こう微笑んで、挨拶を交わしてきた。
そう。現場に現れたのは、人魚の鰐恵であった。
「ミドリちゃんから聞いていた、幹江さんと昇子さんですね。本当、彼女が話していた通りの綺麗なお嬢さんたちね」
「いやいや、そんな。私から見たら、あなたの方が段違いに綺麗ですよ。ヤバいくらいトキメいています」
「はあーー……。マジで綺麗……。マーメイドって本当に魅力的ですね」
恵の言葉に、幹江と昇子は“どぎまぎ”して気持ちの爆発を我慢しながら返していった。このまま気持ちのまま素直に行ったら、恵に恋をしてしまいそうであった。これは、いくらなんでもイケない。
それから。
恵と幹江と昇子の三人は、各々の折り畳みチェアーを開いて車体の横で腰を下ろして話していた。赤いスカイラインの助手席と後部座席のドアにパラソルを挟んで、痛い太陽光から避難していた。
「へえー。君たちも知っていたんだ?」
「ええ。彼女から計画の話しは東京にいたときから出ていました」
ミドリが初めから死なないで教団と学会に風穴を空けてやるという計画に協力していたとの内容を、恵に話していた幹江。昇子もこれに乗っていた。
「日本の芸能界も、洒落にならないくらいまで悪化してしまったから、私たちが次の新しい世代に繋げるために学会と一緒に芸能界も崩壊してもらおうかなーって」
「カタクラメディアの崩壊が始まれば、これに癒着していたスポンサーやら国内最大の極東電信広告会社も各所キリスト教系施設もドミノ倒しで無理やり心中してくれるんじゃないかしらと。私たちとミドリちゃんは“そう”思って行動しているんです」
これを聞いていた恵は。
「ときにそのカタクラメディアって言ったら、昇子さんのところじゃないの? もしそうなった場合は、あなたも同じように叩かれるわ。あなた職業柄、日本人のミーハー気質を知っているでしょう? “前に習え”で昇子さんの事情関係なく一斉に叩きにかかるよ」
「心配してくれて、ありがとうございます。ーーーでも、なんやかんや言っても結局のところは『その他大勢』です。さんざん袋叩きにして焼け野原にしてしまったあとから気づく…………。日本人の大多数は常々“そうやってきた”んです。私は、これは直る物ではないと思っています」
「そう……。とても私にはできない覚悟を持っているのね」
「そうでしょうか? 私も幹江さんも、そしてミドリちゃんも。若さの勢いに乗って“仕返し”するためにただただ突っ走っているだけにすぎないんですよ」
「その“仕返し”って、あなたたちだけのためだけじゃないんでしょう?」
恵のこの返しに、昇子は語りを止めた。
そして、幹江が続けてきた。
「そうです。私たち三人も含めた、悪化してしまった体制から被害を受けてきた人たちの“仕返し”なんです。どす黒く光のいっさいを拒む暗闇と化した体制に、私たちが前に出てきて岩を投げつけて壁に“ヒビ”を入れてやろうと考えています。ーーーそれをしようとしているのは私たち三人の他にも、体制側に入って神経系の通う組織の脊髄から破壊を狙っている人もいます」
「組織を利用している人もいたのね。…………話しを聞いた印象だと、あなたたち、その暗闇と心中する気なの? 私はオススメできないし、なんなら引き止めるけど」
「そう仰ってくれるんですね。嬉しい」
「そんな。嬉しいだなんて。こっちが恥ずかしくなるわ」
「ミドリちゃんの芯の部分の考えは分かりませんが、少なくとも私は“そのつもり”です。私の命は、暗闇という巨大な化物を倒せる対価だと思っていますから」
「そう……。分かったわ。これから先は、あなたたちの世代だから。そこまでの覚悟を持っているならやり遂げることができると私は思うよ。頑張んなさい」
「ありがとうございます」
と、幹江と昇子は軽く頭を下げた。
3
痛い日差しも落ちて、パラソルを片付けた美女三人。
そうして、夕方を過ぎたとき。
「あ!」
と、声を上げた昇子の発見とともに、海面にいくつもの泡が吹き出してきた。恵と幹江と昇子は、椅子に腰掛けたまま身を乗り出して揺れる海面を見ていく。小さな連射からやがて大きな泡も交えた連続した吹き上がりと弾けを生み出していき、そしてそれは濁った緑色の海面に黄色く丸い影を浮かべてきた。次は、それの両側に黒く丸い影と薄茶色の丸い影も上がってくる。それぞれの丸い影は海面に近くなってきたとき、左右にゆらゆらと広がって型崩れを起こして、三つの脹らみになった瞬間に弾けて三人の女が顔を現した。
「ぶはあああっ!」
「ミドリちゃん!」
声をそろえて上げた、待機組の女三人。
駆け寄って出迎えていく。
潮干ミドリ、無事帰還。
「みんな! ただいま!」
そして、両側の女二人を上げて見せた。
長い黒髪の女と長い稲穂色の髪の女。
ミドリが海深くから連れてきた女二人は、恵の知らない顔ではなかった。それゆえに、彼女は驚きのあまり声をあげる。
「有子ちゃん! 真海ちゃん!」
「え? うそ!」
と、幹江と昇子はこれに仲良く言葉をそろえた。
「引き上げてちょうだい!」
ミドリの呼びかけで幹江と昇子は稲穂色の髪の女を、恵は黒髪の女を、二手に別れてそれぞれを慎重に引き上げていった。それは、虹色の鱗の娘として教団から蛇轟へと生贄にされて捧げられた、黄肌有子と海淵真海の二人であった。用意していた大きなバスタオルで美しい二人の裸の女性をくるんだあと、鰐恵のファミリーカーの後部座席へと乗せていった。
立ち泳ぎをしていたミドリが腕を伸ばしていく。
「みんな! 次、私! 私!」
「オーケー!」と、待機組の三人が一緒に答えた。
素っ裸のミドリをゆっくりと引き上げて、バスタオルでくるんで歩けることを確認して恵の車に乗せようとしたところ。「ちょっと待って」とミドリから静かに制止されて、女三人が顔を見合せたあとに、再び目の前の黄金色の髪の美しい娘を見た。「まだ、なんかあるの?」そう幹江から聞かれたとき、ミドリはニコッと微笑んで「実は、あとひとり見つけたの」と嬉しそうに手を上下にパタパタとさせた。そして、色白な裸にバスタオルを巻いた姿のまま、ミドリは弾む足どりで波打ち際へと向かい両膝を突いて身を屈めて海中に腕を伸ばしていった。ちなみに、ミドリのこの体勢は、下着を穿いていないお尻を恵たち三人に突き出していた形となる。
なので、当然。
「きゃあああ! ミドリちゃん! “ご本尊”が丸見えよ!」
赤くなった頬を両手で持った恵が、羞恥に慌てて黒眼をクルクルさせていく。海中を探っているミドリの姿に“たまげながら”、幹江と昇子も顔を真っ赤にさせた。
「もう! するんなら下着つけて!」
そう声を投げた昇子が、青筋立てて自身のジャケットを脱いでミドリの尻を隠した。そのような仲間三人の対応に気付きもしないミドリは、鼻歌を交えながら海中で腕を動かしていき、ついには“なにか”を掴んだ。鈍色の尖った歯を剥いて、「やりぃ!」とニンマリする。その次は片膝を突いた姿勢に変えて、“よいしょ”と両手で海中の手首を掴んで引っ張り上げていく。
「じゃんじゃじゃじゃーーん!」
セルフファンファーレを鳴らして、ミドリは海中から引き上げた長身の黒髪美女の胴体を抱きかかえて恵たち三人の方を向いた。新たに引き上げられた美女の顔を見たとたんに、恵はたちまち黒眼を涙で潤ませていき、口もとを両手の指で覆って、ああ!と歓喜を上げた。当然、幹江と昇子は知らない人物だったので「?」といった顔をしていた。自身よりも約十センチ高い裸の美女を抱きしめながら、ミドリはニコニコ笑っていた。
「サープラーーイズ! 龍留家で見つけたんだよ。この美女、よく見たら陰洲鱒の人だったの! 精神体があるってことは、肉体が残っているってことだよ! 凄くない? ねえ、凄くない? どんな人か知らないけど、私持ってきちゃった」
「ミミ、ミ、ミドリちゃん。その人……、その人はね……」
「うん?」
震える声と指でさしていく恵に、ミドリは顔を向けた。
「紅子のお母さんだよ!」
「え? うそ……?」
やがて、抱きしめられているうちに体温が伝わってきたのか、長身の黒髪美女が瞼を開けていく。
「う……ん……」
「あ。起きた」
こう呟いたミドリに気付いて、目をいっぱいに見開いた。
足が宙に浮いている感覚のまま、次は恵を見た。
そして、両手で自身の頬を撫でていく。
「私……、生きて……る?」
再びミドリに顔を向けた。
「リエちゃん。なんでここにいるの?」
「初めまして。私、潮干リエの娘のミドリです。よろしくお願いします」
「あ、あら……。礼儀正しい女の子なのね……。ーーーえーと。私は」
「あなた、裸やで。ええ加減、車ん中に入りましょ」
と、恵の呼びかけに、長身の黒髪美女は己の姿を確認した。
すると、たちまち顔を赤らめて豊かな胸の膨らみを腕で隠した。
「きゃあ! なに? どういうこと! 私なんで裸なの!」
「ほら、その人をいつまでも抱っこしていないで! ミドリちゃん早くこっち来なさい!」
潮干ミドリ、鰐恵からの注意を受けた。
というわけで。
車内後部座席に端から、黄肌有子、長身の黒髪美女、海淵真海。といった順に救出された美しい女三人がバスタオル姿で、恵のファミリーカーで待機していた。助手席には、同じくバスタオル姿のミドリ。周囲の状況と景色の変化に、後部座席の三人は驚きを隠せないでいた上に、混乱していたようだ。とりあえずは今の現場の松ケ枝埠頭から車両二台は移動して、臼田幹江が市内に借りているマンションへと来て、その駐車場に停めていた。車外に出てきた恵と幹江と昇子は、ファミリーカーの助手席側に回りこんで、ドアを軽めに開けていった。そして、恵が後部座席の三人に声をかけていく。
「みんな、おかえりなさい」
優しく微笑み、穏やかな声であった。
奥に座っている女から返していく。
「ただいま。ーーーとりあえず、一服したい」
こう、やや気だるそうに答えたのは、稲穂色の長い髪を真ん中分けにしている黄緑色の瞳を持つ三角白眼の美女、黄肌有子。黄肌潮の独り娘である。卵形の輪郭におさまる、左右にほぼ整った顔の造形に高い鼻柱。身長は百七五センチに達して、スレンダーながらも鍛えたおかげで身体は女性らしい膨らみがあった。長い四肢も特徴的。
次は手前に座る女。
「ただいま。うふふ」
鈴の鳴るような声で可愛く微笑んだのは、大巻の癖毛の長い黒髪と赤い瞳を持つやや彫りの深い鋭い切れ長な目の美女、海淵真海。海淵海馬の長女で、海淵龍海の妹である。百八五センチという身長も、母親の遺伝。色白な細面にほぼ左右対称に造形された顔の中央を走る、高い鼻梁。長い手足と、骨太ながらも細身な筋肉質でメリハリがあるところも海馬にそっくりだった。真海の一番の特徴でもある赤い瞳は、光りの当たり具合で金色に偏光するところなんかは、海淵家の女性のみに遺伝しているものであった。
そして、真ん中に座る女。
「ただいま」ーで、いいのかな?ーー
「おかえりなさい。龍子さん」
銀色の瞳をキラキラとさせて、恵は女の名を呼んだ。
龍子さんと呼ばれた真ん中の女は、両側を見ていき。
「潮ちゃんと海馬ちゃんが、可愛いままなんだけど。ーーーどういうこと? いったいなにが起こっているの? というか、今は明治何年?」
「その子たちは、二人の娘の有子ちゃんと真海ちゃん」
恵の言葉に、両脇の娘二人が続けてきた。
「黄肌有子です。よろしくお願いします」軽く会釈。
「海淵真海です。よろしくお願いします」軽く会釈。
そして。
「私は、龍宮龍子です。よろしくお願いします」
と、微笑んで両脇の娘二人と助手席のミドリを見た。
次に、恵へと顔を向けて。
「鰐さん。ただいま。もう一度聞くけれど、明治何年なの?」
「へ?」
「なんか、スッゴイ状況になってんだけど。でも、まだ明治なんでしょ? 伊藤博文は何期目?」
「今は令和やで。明治は四五年で終わったんや」
「え? 嘘?」
「伊藤博文は暗殺されて、今は石橋茂明いう人が内閣総理大臣をしているのよ」
「え? 嘘!」
「ちなみに。石橋総理の前は、織田市子さんが総理大臣に就任していてね。日本初の女性総理だったんですよ」
幹江が言葉を挟んできて。
「え? 女性初の総理大臣?」
「二期続いた人よ」
そう言って微笑んだ恵は、ミドリに顔を向けた。
「あなたたちのお部屋を借りれるなら、この人たちにシャワー浴びてもらって洋服を着せたいの。お願いできる?」
「ええ、どうぞ。構いませんよ」
後ろで見ていた幹江が、恵の背中に快く答えた。
4
ということで。
大家さんに断って、幹江は精神体の女四人と恵を招いた。
まずは有子から順に、真海そして龍子。最後にミドリ。
精神体の女三人は、恵から用意してもらった服を着た。
タンクトップにホットパンツまたは半ズボン。
その中でも龍子のは、緑と白の龍が尻尾を絡めて頭を寄せ合っているといった「ハート型」を作って中をピンク色にしたタンクトップと、デニムのホットパンツ姿という、若々しい格好であった。ここにいるメンバーの中でも、一番バストサイズが大きかった龍宮龍子。胸元から垂れるタンクトップの裾がまるで“だらしない”カーテンみたいにヒラヒラとクーラーの風で揺れていたので、見かねた鰐恵は指摘していった。
「上着の裾、肋の辺りで結んだら?」
「ん? ああ、そうね」
“おなか”を出す格好になって、胸の下で裾を結んだ。
そして、ミドリからもらった赤いシュシュでポニーテールにした。
「可愛い……!」
溜め息混じりに感心して、ミドリは感想を洩らした。
これをきっかけに、恵と幹江と昇子も、有子と真海も続けて同じ感想を呟いていった。頬を赤らめて、戸惑っていく龍子。
「か、可愛いだなんて……。いやだ、もう!ーーーでもこれ。どちらかと言えば、破廉恥で卑猥な格好なんだけど……」
「破廉恥、卑猥。ひっさびさ聞いた言葉ね」
愛らしくも懐かしい友に会えて、恵はニコニコしていた。
龍子は恥じらって皆から目線を反らしていたが、目の前に座る鰐恵を見て口を開いた。
「ねえ、鰐さん」
「なあに?」
「私、死んだ。……というか、じぶんで首撥ねたよね?」
「え……? まあ、……うん……」
龍子の言葉で過去を思い出して、悲しげになった。
恵の表情の変化を知りつつも、話しを続けていく。
「私、なんで生きているの? いったい全体なにが起こっているの? 説明してちょうだい」
「そういやそうだ。説明してくれ、ミドリ」黄緑色の瞳を流し。
「本当に、どういうことなの?」赤い瞳を向けた。
有子と真海から視線を向けられたミドリは、頷いて。
人差し指を立ててみた。
「説明しよう!」
これこれしかじか。
かくかくしかじか。
納得したような。
飲み込めていないような。
「へ、へえ……。私たちは死んでいない」腕を組む有子。
「んー。でも生きてもいない」鈴の鳴るような声で呟く真海。
「肉体が滅んでいないから、精神体というのが存在できるわけだ?」
いちおう復唱してみた龍子。
「そうでーす。有子さんと真海ちゃんの身体は、こちらのグラマラスマーメイドから匿ってもらっているの」
と、恵を手刀の先で“どうぞ”の仕草で指したミドリ。
グラマラスマーメイド。
私のことかいな?と言わんばかりに恵は黒眼を見開いた。
さらに、ミドリはニッコリ笑って顔を向けた。
「本当に、ありがとうございます」
どうやら本当に鰐恵のことらしい。
再び他の面々に顔を向けたミドリ。
「一昨年ね、有子さんと真海ちゃんの身体を見つけたとき、私すっごい嬉しかった。そして去年、私が生贄になって飛び込んだときに、恵さんたち姉妹から見つけやすいように潮の流れを考えて、お祖父さんに預かってもらっていた龍留家から持ってきたんだ」
ここで疑問に思った有子と真海。
「お祖父さん……? 安兵衛さんのこと?」
「ミドリの義祖父って、安兵衛さんよね?」
これに明るく答えていくミドリ。
「育ての親は安兵衛さんだけど、生みの親は宮崇龍。だいたい海底二万メートルくらい潜ったところに竜巻みたな移動式出入口があってね、そこから入ったら規格外に馬鹿デカイ巨石の宮殿というか家があるの。そこが龍留家。そこに私たちのお祖父さんが住んでいるんだよ」
「ミドリ、お前……」有子の真剣な眼差し。
「どうしたの?」
「危ない薬やっているか、オーバードーズしているのか?」
「やってるわけないじゃん」ムッとした。
「いや、なあに……。飛んで“あっちの世界”見てきたのかなー、なんて……」
「じゃあ、なんで“あなた”と真海ちゃんと龍子さんが“ここ”にいるわけよ?」
「そういやそうだった」
「でしょう」
「まあ、私と真海のことは分かったから、こちらの明治美女はなんなのさ?」
頭を掻いて納得する方向で収めた有子だが、自身の隣に座る龍宮龍子を親指でさして新たに聞いてきた。そんな有子に笑顔を向けたのちに、グラスを手に取って中の焙じ茶をグビグビと喉を鳴らして飲んでいく龍子。彼女の素晴らしい飲みっぷりに、他のメンツが目線を浴びせていった。グラスをお膳にカツンと置いて少し間を空けたあとに、龍子は切り出してきた。
「私が精神体なのは分かった、というか分かるしかない。でさ、今、明治何年だっけ?」
「さっき令和っつったやろ。あなた本当に紅子の母親やな。そっくりやわ」
「えへへー。ごめんごめん。ーーーじゃあ、私が死んでから何年経ったの?」
「百と二五年」
「ひゃ! ひゃく、にじゅう、ごねん!」
その現実に稲穂色の瞳を見開き、鈍色の尖った歯を剥いた。
前頭葉を超硬質な木槌で打たれたかの如く、龍子は衝撃を受けて、軽い眩暈を覚えていった。そして上体が揺らいで、隣の黒髪の三角白眼美女こと臼田幹江に支えてもらった。
「嗚呼……。なんてこと……」
「おっと、危ない」
「あ、ありがとう」力の無い笑みで礼を言う。
「いいえー。どういたしまして」
そう微笑みながら、幹江は龍子の姿勢を戻していった。
向かい側に座る鰐恵を見ていく龍子。
「ねえ鰐さん」
「なあに?」
「私、何歳だったっけ?」
「百二五歳のままよ」
「え? 本当?」
「もしも“死んでいなかった”なら、二五〇歳。私とあまり変わらない年ね」
「うふふ、ありがとう。でもなんか、いろいろと傷つくわー」
「なんでや?」
「女はね、ときには自身の年齢を考えたくないこともあるのよ」
「私に聞いてきたの、あなたでしょ?」
「そうでした」
「あなた、貿易商社の社長していたって信じられないわね」
「なにもかも燃え尽きて、私は今や平の一般国民です」
「私と妹たちの馬鹿旦那が破壊して火ぃ点けたからね」
「思い出した! あの四馬鹿兄弟! 島太郎さんと祝ちゃんと左子ちゃんを殺して私の会社を燃やした奴らだ!」
龍子は目を血走らせて、恵を指差して怒りに声を荒げた。
思わず両肩を竦めた恵。
そして龍子は指していた指先と腕を引いて下ろしていった。
「ここで鰐さんに言っても、どうしようもないわね……」
「仕返しの機会はないわけじゃないですよ」
「え? 本当?」
ミドリが挟んできた言葉に、龍子は顔を向けた。
「龍子さんの身体を探し出して見つけて、一体化すれば“あなた”を取り戻せます。そして、肉体と精神の力が衰えていなかったら確実に生前のときで戦えます」
「それ本当?」
「はい」力強く頷く。
「やだ……。どうしよう……。全てを失ったと思っていたのに、希望が見えてきちゃった」
稲穂色の瞳を涙で潤ませていった龍子は、さらに赤くなった頬を両手で持って言葉を繋げていった。
「もし本当に、身体を取り戻せたなら。娘たちに会いたい」
かつて無敵と言われた貿易商社の女社長のこの仕草を見ていたミドリは、頬を緩ませて穏やかな笑みでひと言。
「龍子さん、本当に可愛い。ーーーその娘さんたちは、どこかで生きているんですか?」
「ん? 私の娘は双子でね、名前は紅子と乙姫って言うの」
「へえー。紅子さんと乙姫さん……。ーーーん? 紅子って龍宮紅子のことですか? てか、双子だったんだ」
「そうよ。私は彼女たちが赤ん坊のときしか知らないから。今はどうなっているのか分からないの」
「だったら、よけい龍子さんの身体を探し出したくなっちゃった。そして、紅子さんに会わせたい」
そう決意した顔を、ミドリは皆に向けて宣言した。
緑色の瞳をした娘のこの言葉に、龍子は思わず腕を伸ばして彼女の両手を取り握りしめた。
「ありがとう、ミドリちゃん」
「どういたしまして」ニコッと微笑み返した。
「うふふ。可愛い」
二人のこの様子に他の面々が笑みを浮かべてお互いに見合ったのちに、蜂蜜色のセミロングをアンダーポニーテールにしていた片倉昇子が口を開いてきた。
「ねえ、ミドリちゃん」
「どうしたの?」
「龍子さんのことも予定に入っていたの?」
「ううん。全くの予定外だよ。龍留家で眠っていたから、せっかくだからそこの二人と一緒に。というわけで引き上げてきたの」
「は?」と、龍子は眉を寄せて目を見開いた。
今まで和んでいた温かい空気が、たちまち冷気を持ち出してきた。




