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事の顛末:虹子姫、摩魚姫の影武者になる編


 1


 事の顛末は、まだ続く。


 時を遡り。

 七月上旬。

 ノックされた扉を開いて、雷蔵と響子は来客を出迎えた。

「いらっしゃい」

 声をそろえる護衛人カップル。

 両方の拳を天井高く突き上げて、来客は喜んでいく。

「おっ邪魔っしまーーーっす!」

 有馬虹子、登場。

 仕事道具のほぼ一式と、着替えを持ってきていた。

「お二人を手伝い、というかサポートにきたよ」

 袈裟から赤いビニールコートの本革バッグを下ろしながら、虹子が要件を伝えていった。ドサッと音を立ててバッグを三和土に置いて、メタリックシャインレッドのキャリアバッグを「よいしょ」と持ち上げて、玄関から三和土に移動させた。


 有馬虹子ありま にじこ

 有馬鱗子ありま りんこ有馬哲司ありま てつじの次女であり、海原摩魚の実妹でもあった。母親の鱗子が、二三年前に教団の生贄の儀式から無事に脱出成功したときはすでに、虹子は胎内で二ヶ月目を迎えていた。そして、東京へ生活の移住と事務所を移設して、そのあとにアシスタントたちと再会してから一年と経たずに虹子を出産した鱗子。今どき、子連れの母親の漫画家というのは珍しくもなくなったので、鱗子は自身の原稿を持って都内の出版社への売り込みや面接には困ることはなかった。とりあえず大手出版社から回って、連載の枠が空いてないかどうかを訪ねていき、大手を回り切って中小の出版社『㈲二枚貝出版』で聞いたときに、社長の文蛤文彦はまぐり ふみひこは編集長の山車村だしむらしじみと鱗子を会わせた。文彦社長曰く「私は成人向けの漫画とゲームを専門にしていてね、君がここに来てくれたのは幸運だったよ」と、皺を刻んだ顔を綻ばせた。次に、このときまだ三五歳になったばかりの背の高い美しい女性、しじみ編集長は切れ長な眼差しを緩ませて「可愛くて美人な人妻の漫画家は、嫌いじゃないわ。絵柄もいまどき珍しいレディースコミックふうだしね。周りから目立つんじゃないかな。ストーリーも悪くないし、文句なしにエロいし。ーーーウチで採っても良いんじゃないですか、社長」と、最後は原稿を片手に文彦ふみひこ社長を見た。我が娘を腕の中で愛おしそうに抱きかかえている鱗子と、持ち込まれた原稿を片手に見つめている“しじみ”編集長に視線を交互に送ったのちに、文彦社長が「まあ、先月、ベテランが連載していた物がめでたく完結して、今ちょうど枠が空いていたところなんだよ。来月号までは空けておくから、良かったら君がひとつ短編を一本描いてきてくれないか。ーーーこの原稿を読んでみたらね、こっちは連載の形が良いと思ったんだ。だから念のため保留にしてほしい。よって、お試しとして短編を載せようと考えているんだよ」と、真剣な眼差しで鱗子を見て言った。これらを静観していた鱗子は、たちまち顔中を明るくさせて「ありがとうございます」と、社長と美人編集長に向けて深々と頭を下げた。そもそも、鱗子は十代のころから漫画を描いてきて同人誌をコミケで販売してきたために、文彦社長のこのような頼みは苦ではなかった。それから、掲載した短編が女性読者たちに好評だったために、持ち込んだ原稿を芯にして、鱗子は漫画の第一話を描き上げて連載を開始した。この漫画はもちろん、陰洲鱒町の女性たちをモデルにしてキャラクターデザインをした登場人物たちが色恋を軸にして活躍するという、群像劇の成人向け作品である。男性向けの月刊誌で連載を始めた鱗子の成人漫画は、口コミで女性たちに広がっていき、人気とファンを獲得した。そして単行本も売れて、鱗子は文字通り売れっ子漫画家になり、自らの願望を“かたち”にした。

 そのような母親を見て育ってきた虹子は、当然のように自身も漫画家を目指すようになり、母親の鱗子からとアシスタントたちから漫画のノウハウを教わりながら描いたり、ときにはコミケで発行した同人誌を販売したりなどの場数を踏んで、近年ようやく彼女も母親と同じく名前と性別を伏せてペンネームを使ってデビューした。母娘ともに同じ事務所の、スケイルオフィスでそれぞれの連載雑誌の漫画を描いている。アシスタントからプロになった女性スタッフもいて、事務所の皆で祝杯をあげたりもしてきた。有馬鱗子と娘の虹子ともに、突出した美しさを持っていたために、とくに虹子は都内の学校で小学校から高等学校まで卒業してきた中で、その美しさと色気から男子生徒たちや男性教師たちからのセクハラにあったり、最悪の場合となると、東京都の高校の生徒たちにはなにかと芸能人が多いゆえに大手事務所に所属しているタレントやアイドルや役者となったら、虹子へセクハラしてくる相手は“なにかと厄介”であった。なにせ、院里学会の学会員が多い芸能界。我が娘が明らかに被害者なのに、加害者とその事務所と親に鱗子が頭を下げなければならないという理不尽を味わってきた。そんな虹子が十九歳のとき、潮干ミドリと知り合い、お互いが同じ町の出身と分かり仲良くなった。このとき、女優の臼田幹江も同席していた。二つの事務所に籍を置いていたミドリは、うちひとつのマタタビプロダクションでグラビアモデルや少々過激なイメージビデオの出演もして稼いでいた。イメージビデオも、このマタタビプロの黒部菫社長じたいから「メインターゲットは女性」と掲げていたので、ミドリの希望と合っていたから、もちろん作品で絡むのは所属の女性芸能人どうしである。よって当然、有馬虹子もマタタビプロに入って、それ以後はこの事務所ではモデル活動をして、本籍のスケイルオフィスでは漫画を描いて活動をして、といった二足の草鞋わらじを履き続けることとなる。

 そうして。

 今年を迎えた二月に、鱗子が護衛人の榊雷蔵に正式に依頼。

 それは、一年前に長崎に帰郷したミドリが生贄になったと聞いたからだ。もっと早くから計画は練っていた。黄肌有子が生贄にされる以前から、今まで教団の手によって人身御供にされてきた虹の鱗の娘たちのリストを作っていたからだ。あと、教団とその関係者に関する資料も用意した。しかし、どこにこれを出して動かせば良いのかが分からなかった鱗子は、悩んだ。新たな世代の生贄を、黄肌有子に続いて海淵真海の二人目を出してしまって少し時が経ったころ、二年前に地元長崎でのロケを終えて帰ってきていたミドリから「なんか、福ちゃん(虎縞福子)の依頼で、町のみんなに聞いて回っていた感じの良いカップルがいましたよ。職業は確か、護衛人って言っていました」との情報を聞いた鱗子は「その二人の名前って分かる?」と質問をしたら、「えーと。榊雷蔵と瀬川響子。そう言っていました」と答えたミドリの顔は微笑んでいたことで、本当に感じの良いカップルだったのだろうと受け止めた鱗子。やがて、必要充分な情報を集めてまとめて書類と資料を完成し終えたときに、今度は潮干ミドリが生贄となり、己の無力さにうちひしがれて鱗子は大泣きしてしまった。二三年前に生贄からの脱出を手伝ってもらった割には、私はなにも出来ないのか、力と知恵を貸してくれた親しい友人たちに私はなにも返すことは出来ないのか。これにより、鱗子は一時的にスランプ状態に入り、しばらく漫画の筆を止めてしまった。そのような思いを巡らせて身体中と精神の力が抜け切ろうかとしていたときだった。新年を迎えて二月に入る一週間前、生前のミドリからもらっていた護衛人の榊雷蔵の名刺を思い出して鱗子は立ち上がり、電話をかけてみた。行動しないとなにも始まらないし、結果すら出せない。その依頼先の雷蔵の対応はひじょうに良かった。雷蔵は先に受けた仕事を終わらせるとのことで、その前に書類と資料を送ってもらえると良いことを鱗子に頼んだので、彼女はまとめた物を便箋に入れて長崎市へと郵送した。


 以上、そのようなことがあって、虹子は長崎に来た。

 なんだか申し訳なさそうな顔をした雷蔵と響子を見て。

「心配しないで。六ヶ月分入稿してきたし、リモートでも編集長とやり取りしてこちらでもネームを描くし、私に関しては大丈夫。できるだけ二人の手伝いするから、なんなりと私を使って」

 と、自信たっぷりな笑顔を向けた。

 雷蔵と響子は互いに見合せたあとに、虹子に顔を向ける。

「じゃあ、お言葉に甘えようかな」

「よろしく、虹子」

 仲良く親指を立てて、雷蔵と響子は要望を受け入れた。



 2


 八月の初日を迎えて。

 三人での生活も馴染んできだしたころ。

 榊雷蔵の家で留守番を兼ねた編集長との打ち合わせをしていたとき。実姉、海原摩魚が出血多量の大怪我をしたとの連絡を雷蔵から受けた虹子は、たちまち全身から血の気を引かせて蒼白になり、停めてあった赤色の愛車に乗って竹の久保町のとある病院まですっ飛ばしてきた。陰洲鱒町の生まれの者の血液は、一般よりちょっと特殊だとも母の鱗子から聞いていて知っていたので、迷いなく摩魚のために輸血することを希望した。

「有馬虹子です。ここに運ばれてきた、海原摩魚の実の妹です。輸血に協力させてください!」

「え!?」

 一同驚愕する、海原家の三人と浜辺亜沙里。

 続ける虹子。

「そこのご夫婦から姉を引き取ってもらった、私の母親が有馬鱗子です。母ともども感謝しています。よろしくお願いします」

「ええーー!」

 この驚愕する四人に、男性の担当医師と女性看護士が加わった。

 そうして、海原摩魚の緊急手術と輸血は無事成功を迎えた。


 その日の夕方。榊家で怒鳴り声が響き渡った。

 その前に。リモートで、長女の摩魚が怪我をして入院したところまでは良かったのだが、そのあとの担当した男性医師から「彼女、奇跡的に精神面ではいたって健康なんだけれども、肉体的な疲労と消耗が大きかったみたいよ。術中に昏睡状態に入ってしまったわ。私の予想だと、二週間くらいで回復してくれるんじゃないかと思うの。それ以上だと最悪の結果になるわ」と、そのままの見解を伝えた直後に、鱗子が大泣きしはじめた。そのような我が母の目の前で、ーーと言ってもリモートによる画面の向こう側の東京都になるが。ーー虹子はブチギレた。美しい顔を鬼の如く変えて、青筋を浮かばせて歯を剥き、血走った両目に涙を溜めて、虹子は怒りと悔しさと悲しみをマゼコゼにして雷蔵に向けて激昂をぶち当てていった。

「お前、護衛人だろ! なにやってんだよ! お前が目を離した隙に、姉さんは大怪我して昏睡してしまっただろうが! あんたプロだろ! なに護ること失敗してんだよ! ふざけんな! それと、なに母さん泣かしてんだ! 私はもう見たくなかった! それなのに、それなのに、お前ときたらよ! 人助けする仕事のクセして、なにしてんだ!」

「虹子……。お願い、もうやめて……」

 リモートの向こう側から、母親の諌める声が聞こえてきた。

「雷蔵君は、なにも悪くないのよ……。なにも悪くないの……」

「母さんこそやめてよ! 失敗したヤツ庇うことない!」

 雷蔵を力強く指さして、鱗子に顔を向けて叫んだ。

 指していた腕をゆっくりと下ろしながら、再び雷蔵に顔を向けていった。そして、虹子に殺意が宿った。

 誰に対しての?

 理不尽にも、榊雷蔵に対してだ。

 黒い瞳を虹色に光らせて、虹子は拳を力強く握った。

「姉さんと母さんを傷つけやがって。私が分からせてやる!」

 彼女からの怒鳴りに今まで驚きドン引きして口を閉ざしていた雷蔵と響子は、この言葉を聞いたとたんに、別物の緊張感が生まれてきた。立ち上がったのは、雷蔵。ともに立とうとしていた響子を静かに制して、立った青年は虹子に向き合い、拳を握りしめていった。その眼差しは、怯えが消え去って、相手を曇りなく真っ直ぐと見つめているといったもの。

「やるのなら、受けて立とう」

「馬鹿野郎だよ、お前は」

 あとには退けなくなっていた虹子。

 瞳の虹色の輝きが強まり、径の大きいリングピアスが浮いていく。同時に、雷蔵は顔の前で腕をクロスさせて、身体中に青白い光を灯していった。その彼氏の後ろで響子も立ち上がると、同じように顔の前で腕をクロスさせて、身体中から青白い光を極薄の膜にさせて放射状に放った、その瞬間、虹子の身体全体から多数の虹色の光の刃が走ってきた。このとき「やめなさい! 虹子!」との、母親の声を聞いたかもしれない。しかし、無情にも放たれた多数の光の刃は、雷蔵だけを狙って飛んできた。瞬く間に飛び散る火花と、雷蔵と部屋中に走る光の刃。だが、狙った全ての対象が切られていなかったのである。この結果を見た虹子は、怒りから未知のモノに対する驚きの表情にへとみるみる変わっていった。

「うそ……。なんで切れてないんだよ! なんでお前だけじゃなくて、部屋のもなにもないんだよ!」

「闘気で膜を作ったからだ」

 と、雷蔵はそのひと言だけを返した。

 突然、青年の二の腕が肘で小突かれた。

「馬鹿! なに得意気に決めてんの! あんたがガード張れる範囲って、じぶんとそこのノーパソと机までじゃない。あとの全体は“あたし”が保護したんだよ! 見てなかったの?」

 響子から注意と指摘をされて、雷蔵は後ろ頭を掻いていく。

 この様子に唖然としていた虹子。

 液晶画面の向こう側では、母の鱗子が笑いだした。

 そして、虹子には二人に対する尊敬の思いがわいてきた。

 自身の技が通じなかっただけでなく、無傷でもあったこと。

 この場合、屈辱感などの負は出てこず。

 虹子は感動に震え出した。

 で。そのような虹子を知ってか知らずか。気恥ずかしそうに頭を掻いていた雷蔵は、手を下ろして、虹子を見た。

「まあ、そういうことだ。俺は、こうして弟子でもある相棒に助けられている。響子の防御力に関しては、俺よりも遥かに桁違いに強い。ーーーそして、君の気持ちはよく分かった。鱗子さんを泣かせてしまったことも悪いと思う。これは、俺の過失もある。申し訳ない」

 そう言って、虹子と液晶画面の向こう側の鱗子に頭を下げた。

 「はい、こちらこそ。うちの虹子が、どうもすみません」

 と、リモート画面の鱗子も、雷蔵と響子に頭を下げた。

 当の虹子も、気まずそうに気恥ずかしそうに会釈した。

 そうして。

 さあ、切り替えて業務を続行しようかとしたとき。

「ねえ、響子。今から彼氏“借りて”良い?」

 というふうにきた虹子の要件に。

「え? 今から?ーーー雷蔵。この際せっかくだから、虹子と軽く手合わせしてみたら」

「そいつは良い。君の体術に興味はある」

 響子の提案を受けて、雷蔵は心なしか楽しそうな顔を浮かべていた。これを画面から見ていた鱗子。

「心と身体を通わせる良い機会ね。虹子、ひと試合してきたら?」

 予想に反して皆が良い反応をしてくれてきたので、虹子は戸惑いだした。

「え……、いや……、その……。“そっち”の借りるじゃなくて……」

 少々頬を赤らめての虹子の返しに、一番早く察したのは響子。

「あなた、まさか」

「うん……。“女”として、雷蔵ちゃんを“借りたい”なあって。さっきした失礼なこともある、し……」

 ぶーーっ!と吹き出した雷蔵と響子と鱗子。

 三者三様咳き込んでいき、その一番に電光石火のごとく上体を起こして歯を剥いたのは、鱗子だった。

「ああああんた! いくらなんでも母さんの前で人様の彼氏に向かって“ヤりたい”ってのは、あんまりでしょ! なに考えてんのよ!ーーーもーー、母さん恥ずかしい!」

 と、両手で顔を覆って。

「うちの娘が、本当にすみません」

 雷蔵と響子に頭を下げた。

 虹子も顔中を真っ赤と赤にさせていた。

 ここで、雷蔵がひとつ咳払いをして。

「ええと。君は依頼人の身内だ。なので、そういう頼みごとは、はじめから受け付けられない。ーーーだけどその代わり、今まで通りに俺と響子を手伝ってくれるかたちのままでじゅうぶん返してもらえるよ」

「そーそー」

 雷蔵の言葉に、響子はニコニコして相づちを打っていく。

 隣の相棒とアイコンタクトしたのちに、雷蔵は再び話していった。

「話しは変わるが、君の姉が長期入院と知られるのは正直マズイ。逆恨みとはいえ、相手は院里学会だっただそうだ。あと、今年の生贄のターゲットに亜沙里さんが上げられているけれども、摩魚さんの可能性も高いなあ」

 長崎大学での出来事を思い出して、続けていく。

 ただし、片倉祐美と深沢文雄の顔はハッキリと見ていない。

「逃げていた奴の呼びかけひとつで、連中から邪魔されたよ。あれは『肉の壁』というヤツだな。俺、あんなの見たことなかったよ」

「凄い統率がとれていたよね。なんか次号令がかかったら、アイツらまたあんなことするよ」

 響子もキャンパス内のことに驚いていたのか、雷蔵に同意していった。この二人に、鱗子も続いてきた。

「関係のない人たちが巻き込まれるのは、嫌ね」

「摩魚さんが早期退院したことにすれば、どうですか?」

「別人を使うってこと?」

 雷蔵の提案に、鱗子は下唇を噛んでいく。

「なんで影武者使うの?」

「“本物”から注意を逸らして、被害を少なくしたいと思いまして」

 雷蔵は、鱗子の疑問に無駄を削ぎ落とした簡単な答えを出した。そして、この場にいる女三人は、確認不要なまでに理解して、言葉を失っていった。しかし、ここで新たな疑問が沸き出てくるのが人というもの。

「物凄い名案だけど、摩魚さんみたいにお姫様のように桁違いに美人な女の子っていたっけ?」

 切り出してきた響子をきっかけに、鱗子が続いてくる。

「まあでも、今どき百七〇センチの女性て珍しくないし、長身美女を探せば見つかるんじゃない?」

「そうだよ。姉さんと似た綺麗な人、探さなきゃ」

 そして虹子と続いて、最後は雷蔵で閉めた。

「しかし、この影武者になるには“ちと”過酷だぞ。例え見つかっても、当人が了承してくれるかどうかだよ」

 このあと、沈黙に入ってしまう四人。

 そのうちのひとり、虹子が雷蔵から見つめられているのに気づいて、頬を赤く染めて顔を反らした。そして、虹子に刺さる視線が雷蔵のだけではないことに感じて、再び前を見てみたら、好青年の隣の響子からのと、あとひとつは液晶画面からの我が母親のであった。

「なになに? 私になんかある?」

「いた!」雷蔵と響子と鱗子の一同にそろった叫び。

「え!」

 やや吊り上がった目を見開き、驚愕していく。

「虹子さん! 君だ、君!」

「摩魚さんにそっくりで、お姫様みたいに綺麗な人って、この場には“あんた”しかいないでしょ!」

「そうそう! あんた、摩魚の妹じゃない。適任でしょ、適任!」

 雷蔵からはじまり、響子に続いて鱗子で閉めた。

 思わぬ御指名に、虹子は両手で頬を押さえて声をあげていく。

「ええぇーーーっ!! マジかよ!」

 有馬虹子、二二歳。漫画家そしてファッションモデル。

 影武者初挑戦。



 3


 同日の夜。

 榊雷蔵御一行、海原家を訪問。

「有馬虹子です。改めて、よろしくお願いします」

 今度は、深く頭を下げて、家族一同に挨拶した。

 雷蔵が海原慶子に話していく。

「お電話した通り、彼女が摩魚さんの代わりをつとめてくれます。なので、担当の医師せんせいが言っていた二週間を目安にして、ここでみんなと暮らしてもらえたら良いと思いました」

「安心して。私たちは、この子を嫌いではないの。病院に来てくれたときの、あの態度を見たら摩魚に対する思いは本当だと分かったわ」

 慶子は、一家を代表して答えていった。

 夫の徹哉と次女の“みなも”の表情も、見る限り歓迎していた。

「ありがとうございます」

 と、雷蔵と響子と虹子は一緒に頭を下げた。


 八月の二日目。翌朝。

 起きて洗顔したあと、寝間着姿のまま八畳のフローリングに入ってきた虹子。テーブルを囲んで、海原一家は先ほど朝食を終えたところであった。重ねた食器を台所に運んできた海原みなもが、いまだに寝間着姿の“姫様”へと声をかけていく。

「おはよう、虹子さん」

「おはようございます」軽く会釈。

「お姉ちゃんの服を持ってくるから、なにか朝ごはんでも食べてて」

「え? いいんですか? 本当に勝手に取って食べますよ?」

「あたしは義理の妹、あなたは実の妹。妹どうし仲良くしましょ」

「ああ……。ありがとう、ございます」

 こんなにアッサリと受け入れてもらった上に、西日本の端で同い年の友達がまたひとりできそうだと感動していった虹子の、やや吊り上がった切れ長な目の黒い瞳がうるうるとしだした。

 朝食を終えたときに、みなもから提供された摩魚が普段から着ていた外出着を借りてみた。虹子はスカートよりもパンツスタイルを好む女性であるが、摩魚も同じパンツスタイルを好む女性であった。後々、みなもにたずねてみたら、摩魚のクローゼットにはスカートは一着も無いと答えていた。それから試着してみて、背格好がほぼ同じだったので、なにも問題はなかったのだが。あることが、ただひとつ。

「おっぱいキツイ」

「あーー」

 まじまじと虹子の胸の膨らみを見ながら、みなもは感心していく。そう、有馬虹子のバストサイズは小ぶりと言えば小ぶりであるが、実はハッキリとした大きさと膨らみがあって、まるでカップブラを着けているかのように適度な張りと綺麗な形をしていた。そしてそれは、みなもも“それなりの”膨らみと形を持っていた。

「今日だけ、あたしのブラを貸すから、まずは今から街の美容室に行こうか」

「美容室……?」

「虹子さんの髪の毛、顎のあたりくらいまでしかないでしょう。お姉ちゃんのは腰くらいだったから、それに合わせるんだよ」

「そうか。なるほどね」笑顔で納得。

 それから。

 みなもが常連で通う街の美容室で、エクステを付けて髪型を似せてもらったあとは、彼女の愛車に乗せてもらって移動していた。助手席の虹子は、運転席でハンドル操作をしている“みなも”を嬉しそうに見つめている。その美人ドライバーが、黒い瞳をチラッと隣に流して、再び前方と全方位に注視していった。

「そのピアス、あなたに似合って綺麗だけど、あとで外しておいてね。お姉ちゃん、一度も耳に穴空けていないからさ」

「え? そうなの?」

「うん。なんか、金属アレルギー発症するから、腕時計もゴム製かプラ製のしか着けられないのよ」

「それ、うちの母さんも同じこと言ってた。ーーーじゃあ、私だけなんだ。ちょっと違うの」

「お洒落をより“たくさん”楽しめるって、良いことだと思う」

「そうね。ありがとう」

 微笑んで礼を述べたのちに、車が走っている向きに興味がわいてきた虹子。

「そういえば、今どこに行っているの?」

「今から?ーーー響子と雷蔵さんに会いに行くんだよ」


 同日の昼間。

 昼食も兼ねて、みなもと虹子は護衛人の二人と会っていた。

 浜の町商店街の大きな十字路の近くに位置する、日本国内最大の珈琲喫茶店『イリヤ』の浜の町支店店内に、四人が集まっていた。ちなみに、イリヤはもともと『煎り屋』と書く。店内奥の角の席に、雷蔵と響子ペア、みなもと虹子ペア、といった向かい合わせにしていた。皆はそれぞれ、サンドイッチとコーヒー各種を注文してテーブルに配膳していた。雷蔵と響子は、サンドイッチひとつにエスプレッソとアメリカン。みなもと虹子は、サンドイッチ二つにカフェオレとアメリカン。

「ねえ、大きくない?」

 サンドイッチの大きさと厚さに驚く虹子。

「だから二人ひとつで良いっつったじゃん」

 みなもは、隣の美女に口を尖らせて突っ込んだ。

「無理だったら、残りは俺が食べますよ」

 と、雷蔵の思わぬ気遣いに、なぜか感動していく目の前の美女二人。いただきますをして、各々が食事にとりかかる。護衛人の二人は、サンドイッチを仲良く半分に切って楽しみはじめた。

 見せつけかよ!

 そう眼を細くしていく、みなもと虹子。

 ナイフとフォークを使い、ひと口サイズに切り出して口に運んでいった虹子。咀嚼して口の中で味を堪能していく。口を閉じて“もぐもぐ”しながら、隣を見る。

「美味しい」

「美味しいね」

 まるで、妹ができたかのような笑顔で、みなもは相づちを打った。咀嚼したサンドイッチをコーヒーで流し入れながらの良い雰囲気の昼食が進んでいたさいちゅう、ここで響子はようやく虹子の胸元に気がついた。

「虹子、色っぽいんだけど」

「ん?」

 アメリカンで口直しをしたときに、そう指摘された。

 それは、鎖骨から胸まで前をV字に開けていて、スカイブルーのレース柄のブラを見せていた。上は七分袖のデニムシャツに、下はデニムのパンツという身なりの虹子。

「全部閉めたら苦しいから、ちょっと楽にしているだけ」

「まるで見せブラね」

「暑いしキツイから、仕方ないね」

 響子との会話を楽しんでいた虹子に、雷蔵が口を挟んできた。

「その胸も、摩魚さんとシンクロすれば問題なくなるんじゃないかな」

 たちどころに、食事の手が止まる女三人。

 雷蔵は構わず続ける。

「君はもう、摩魚さんのうつわになる準備はできている。だから入り込みやすいと思うよ」

「それは分かったけど、なんで私の胸と関係あんの?」

しろになることでだな、器の肉体は精神の影響を受けるんだよ」

「え? そんなことあり得るの?」

「あり得るというか、起こることもある」

「スゲー」感嘆していく。

「昼飯が終わったら、君を摩魚さんのところに連れていく予定だから、そのときに彼女に触れるといい」

 憧れていた姉のお見舞いができるだと?

 虹子は、この雷蔵の言葉を聞いた瞬間にそう思った。

 クソデカサンドイッチをいつの間にかペロリと平らげていた“みなも”が、カフェオレで流し入れたあとに切り出してきた。

「お姉ちゃんに成りきるなら、大事なこと教えておくね」

「うん」半分を食べ残した虹子。

「海原摩魚は今もバージン。過去に男の人とデートを二回して、怖くなって逃げてきた。男性とのキスは無し。あとは、“あたし”もあなたのお母さんが鱗子さんで、お父さんが哲司さんなのを知っているんだけど。虹子さん、明日から代わりに大学へ行ってくれるんでしょ? だから、教授と会ったら間違っても“お父さん”て呼んじゃダメだからね。ーーー大事なことだから覚えていてね」

「分かったわ」

 虹子は、覚悟を決めた顔で頷いた。

 直後、雷蔵が顔の位置で挙手。

「君の半分、良かったら食べるよ」

「あらーん。雷蔵ちゃん、ありがとー」

 満面の笑みで、虹子は顔の横でピシャリと手を叩いた。


 同日、ほぼ同じ時間帯。

 浜の町商店街の浜屋の前。

 片倉祐美が、青黒い地に銀色の線で『INRI』と十字架を描いたスマホを取り出して、慌てて電話をかけていく。

『はい。片倉日並です』

「もしもし、母さん。祐美です」

『あら。どうしたの?』

「昨日、あたしが突き飛ばした摩魚がね、もう退院していたの」

『おや?』

「顔、見られちゃった」

『ヤバいわね』

「でしょ! どうしよう、母さん!ーーーあの女、妹と妹の友達が彼氏を連れて一緒だよ。文雄を追っかけていた、あの悪いカップルだよ」

『話しは分かったわ。母さん、今からちょっと予定を変えるから、次は私がかけてくるまで待ってて』

「うん。分かった。お願い」

 目に涙を溜めたまま、祐美は電話を切った。



 4


 同日、時間帯はほぼ同じ。

 場所は変わって。

 市内某所。

 『CLUBクラブ LUNAルナ LIONライオン FISHフィッシュ』店内。

 昼間は軽食屋だが、夕方近くの時間になったらダンスミュージックをガンガン響かせるクラブに変わる店であった。その店内奥の三角席に、長身の美女が三人会談していた。彼女たちの身分からだと、会合と言ったほうが適当か。三人がそれぞれ、定食を取っていた。

 まず、一人目。

 鯉川鮒こいかわ ふな。身の丈は百八〇センチもある、長身で細身の美しい人魚。切れ長な黒眼に銀色の瞳、文字通りの白い肌。首筋に、五つのえら。艶やかな長い白髪をハーフアップにして、ミノカサゴを象った赤い髪留めをしていた。白地に灰色と菫色でぼかめした小袖に、白地に銀色の細い線で鱗を描いた帯で締めている。

 次に、二人目。

 片倉日並かたくら ひなみ

 月刊敷島の編集長。百七七センチの長身美女。赤黒い艶やかな髪の毛を真ん中で分けて、大巻のパーマをかけていた。細く切れ長な目に、大きめな瞳は赤褐色。青紫色の三つ揃いのスラックスに、白色のシャツをインナーに着ていた。この彼女は、パンツスタイルを好む人物だった。

 最後は、三人目。

 鯛原銭樺たいはら せんか

 約百七〇センチの長身で、狐顔の美女。艶やかな長い黒髪を、七三分けにして襟足でくくっていた。陰洲鱒町で町議会議長を勤めている。そして、曾祖父の鯛原銭市郎たいはら せんいちろうを初めにした、三代目の世襲議員。二人の娘を育て上げ、長女の市夏いちかに政治家のノウハウを教えていた。葡萄色のツーピーススーツは、膝丈のスカート。インナーは、水色のシルクシャツ。


 日並ひなみはエスプレッソのマグカップを片手に、青紫色のスマホの通話を切ってテーブルに静かに置いた。そして、溜め息をひとつ。

 この一連の様子を見ていた鯉川鮒が、横目で見ながら、箸でほぐし取った鯉の煮付けの身を口に運んだ。甘醤油がよく浸みた白身を咀嚼しながら、心を許した“協力者”に聞いていく。刻み生姜がピリッときいて、相変わらず甘辛で旨い。

「娘さんからか?」

 あとは、口を閉じて咀嚼を続ける。

 鯉川鮒から銭樺へと目配せしたあと、細く切れ長な目を半分ほど伏せた。

「うちの娘がね、突き飛ばして怪我させた“虹色の鱗の娘”から、顔を見られたんだってさ」

「娘って、どっち? 祐美ゆみちゃんなのか?」

 白飯を箸で運び、口内の白身と合わせて咀嚼していく。

 “人魚姫”の、もごもごする姿に愛らしさを感じた日並。

 それには、銭樺も同じ。

 話しを続ける日並。

「私の期待の星、祐美よ」

 若干、気の抜けた感じで正直に答えた。

「生贄の予定を変えても良いかしら?」

「誰に?」口を開いた銭樺。

 ダージリンで、口内のバターライスを流し入れる。

「誰によ?」もう一度、押してみた。

「浜辺亜沙里から、海原摩魚に変えたいの」

「それってまさか、娘さんを守るため?」

 この質問に、黙って頷く日並を見た銭樺は、クリアーパールを引いた唇の端を上げた。表情筋が常人よりちょっと特殊な銭樺では、珍しい大きな表情であった。

「あなたも母親ね。嫌いじゃないわ」

 口内の白身魚と白飯を煎茶で流した鯉川鮒は、会話を銭樺から続けた。

「まあ、なあに。生贄を誰に変えようが、私たちにはなんの差し支えもない。過去に、行方不明の原因を探り回った愚かな小娘どもじゃ。どのみち八人とも生贄として消えてもらうから迷いは無用じゃ」

 “人魚姫”の回答に、驚き目を見開いていた日並だったが。

 ゆっくりと元の細く切れ長な目に戻して、口角を上げた。

「あら、いいの? 教団には、あなたと同じ人魚の女の子がいるんじゃなかったの?」

「玲子のことじゃろ。ーーー私は甘くない。例え同種であろうが、あの小娘は陰洲鱒いんすますの“人間”じゃ。“けがれ”と一緒だよ。もし生贄で都合が悪ければ、行方不明にさせて人魚として顧客に売るまでよ」

「容赦ないわね」

「当たり前じゃ」

 最後に残っていた一枚の沢庵漬けを、箸で摘まんで食べて、口を閉じてコリコリポリポリと鳴らしていく。親しい“協力者”二人からの目線を感じながら、鯉川鮒は日並に銀色の瞳を流した。咀嚼音が小さくなったところで、話しかけていく。

「で? どうするつもりじゃ? お前さんが、直接手を下すつもりか?」

「私にれっての?」

「誰が殺せと言うた。ーーー珍しい。意外と動揺しておるの」

「ごめん。娘が“お縄になる”のは見たくないから」

「銭樺は、どう思う?」

 り潰して噛み砕いた沢庵漬けを煎茶で流して、狐顔の美女にたずねた。お前はもう解答を分かってんだろう?な眼差しを鯉川鮒に刺したのちに、銭樺は口を開いていく。

「第三者にやらせるのが一番ね。手を汚したくないんでしょ? だったら外部に依頼したほうが早いわよ。どっちにしろ、生贄になって消える女の子なんだし、殺さなくてもいいんじゃないの」

「と、いうわけじゃ」

 銭樺から日並に顔を向けて。

「外国に頼んでみるか。誘拐させるように言ってみれば良い」

「鮒さんとこの“なんでも屋”みたいなのが、どこの国にあるのさ?」

 この二人の会話に、葡萄色のスマホを片手に割って入ってきた銭樺が、画面を見せてきた。

「検索してみたらね、人助け以外もしてくれるアンダーグラウンドなお仕事がアメリカ合衆国にあったんだけど。ーーーその名も『リベロー』ですって」

「あったんだ。マジか……」

「見つかって良かったのー、日並」

 呆れ驚く日並へ、鯉川鮒は笑みを向けた。

 それから、リベローへと電話をかけていった日並。


 一時間後。

 日並はスマホを切って、テーブルに静かに置いた。

「依頼を受けてくれるって。国際線ですっ飛んでくるそうよ」

 エスプレッソをひと口飲んでマグカップを置いたあと、日並はもうひと言。

「あと、祐美にも連絡済みよ。心配するなって」

「いい心がけじゃな」

「本当、いい心がけね」

 鯉川鮒と銭樺から微笑んで同意された。

 そしてのちに、ジェシカ・ルビー・ボンドが弟二人を引き連れて来日し、海原摩魚の影武者になった有馬虹子を誘拐することとなる。



 5


 同日。

 少し時間が回って昼間。

 場所は浜の町商店街から移動していた。

 榊雷蔵は、響子を助手席に虹子を後部座席に乗せて、ダークシルバーの愛車で竹の久保町のとある病院まで来ていた。駐車場に車を停めて、降りて、受け付けでお見舞いしにきたことを伝えてから、目的の病室へと向かった。部屋番号を確かめて、個室に入っていく雷蔵たち三人。

「綺麗……」

 病床で眠り続ける海原摩魚を見た、虹子の第一声だった。

 それは、その言葉通りに、化粧を完全に落としているとはいえ、摩魚はまるで眠り姫のような美しさを出していたのだ。ベッドで点滴を打っている姿は、やはり痛々しさがあった。足元からベッドの下へと垂らしている透明の細いゴムチューブが二本あり、その受け皿となっているのが、尿と便べんを分けて入れられる四角いバケツの中に、透明のチャック付きのジップロックみたいな袋が二つあった。これを発見したとたんに、辛い現実を突き付けられた三人は、一瞬だけ悲痛な面持ちになった。昏睡状態から覚めないが、身体は生理現象を起こし続けている。

「摩魚さん、お見舞いにきました」

「摩魚さん。今日はね、三人できたの。あなたに会いたがっていた人だよ」

 雷蔵と響子が、“眠り姫”へと話しかけていく。

 少し引いた場所で待機していた虹子を、響子は手招きした。

「おいで虹子。あなたのお姉さんに話しかけて」

 もう、すでに涙目だった虹子。

 声も震えていたか。

 摩魚の耳元に唇を近づけて、話していく。

「姉さん。私の姉さん。有馬虹子です。あなたとようやく会えて、私は嬉しい。今ね、嬉しすぎて気持ちが揺れてたかぶって、言葉にするのがやっとなんです。でも、話しかけたい。あなたは私にとって、たったひとりの姉です。だから、姉さんを守るために、今から私が“あなた”の代わりをつとめます。そして、あなたが完全に昏睡から目覚めたときは、私は私に戻ります」

 ひと通り思いを告げて、摩魚の耳元から離れた。

 これを見ていた雷蔵が、感心する。

「凄いな。君は呪術ができるのか」

「いいえ、違う。私はただ、憧れていた姉に話しかけて約束を交わしただけ。そんな器用なことはできない」

「そうか。分かった」

 口を強く結んで納得したのち、雷蔵は再び開いた。

「君は今から海原摩魚さんだが、その前に、もうひとつだけ虹子さんのことを聞きたい」

「なあに?」笑顔。

「昨日の口ぶりで、男性経験があると思っていたけれど。どうなんだ?」

「あるよ」さも当然な表情。

「マズイな」

「なんでよ?」

「いや。あれだ。ボロを出さないように気をつけてくれ。俺からの頼みだ」

「あーーー」なんとなく納得。

「分かってもらえたなら良かった。ーーーじゃあ、よろしく。“摩魚さん”」

 すると、虹子の瞳が僅かに虹色に点滅して、極めて薄い人影が重なっていった。

「はい、よろしくね。雷蔵くん、響子ちゃん」

 これを見た瞬間に、護衛人カップルは目を見開いて緊張した。

「早すぎるな。ーーーいや、お見事」

「今の、本当に摩魚さんだった」

 雷蔵と響子の言葉を受けて、虹子は微笑んだ。


 そして。

 翌日。八月の三日目。

 海原みなもとの買い物を楽しんだ、その日の晩に。

 片倉日並と鯉川鮒が雇った魔法使いのジェシカが現れて。

 海原摩魚の代わりに有馬虹子は誘拐された。

 ちなみに、潮干タヱと磯辺毅が会ったのは摩魚ではなく虹子。



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