虹色の共鳴 part 2
1
こちらも、同日。
ほぼ同じ時間帯。
お昼過ぎ。
虹色の共鳴の話しは続く。
場所は、長崎市内。
有限会社ジャガーモータース。
龍宮紅子は二度の瞳からの虹色の光りと身体に出現した虹色の鱗を受けて、覚えている記憶と覚えていない記憶が掘り起こされて蘇り、嘔吐を繰り返した末に社内の浴室でシャワーを浴びながら先の出来事を思い出していた。それは、戦時中から戦後の素敵な男たちとの肉体的関係の他に、暗く深い奥底に閉じ込められていた教団の男性信者たちと院里学会の男性学会員たちと雄人魚たちから辱しめを受けて身体を汚されていたことである。独り身が長い紅子は、もちろん自身を未だに処女だとは思っていたことはなく、その理由も、戦時中から戦後直後にかけて東京の工場で働いていた間に様々な男たちと恋をして付き合っていたからだ。前者の方は、今までの彼氏たちとのデートを重ねてからの口づけと家に招かれての食事と酒を飲み交わしたあとに、思い出の一夜を過ごしてきたこと。そして後者に至っては、紅子にとっても肝心な記憶を今の今まで封印されていたのである。ガードが硬い紅子は、現在の彼氏こと稲葉輝一郎刑事というガードの硬い男を好む傾向があるため、今まで付き合ってきた男性たちも当然のように身持ちの硬い者たちであるがゆえにその職業も、軍人にはじまり警察官や士官まで至っていたので彼女の男性遍歴に工場の同僚たちや近隣住民たちに驚かれていた。紅子はみずから男に声をかけずとも、その美しさから逆にアプローチをかけられていたので、仲良くなって付き合ってという流れであった。
正直、紅子は自身の出生の記憶すらなかった。
だが、今回の共鳴で思い出と共に龍宮家を知った。
その紅子は両親の顔も知らないで、孤児として摩周安兵衛の弟である摩周刃之助とその妻の摩周七子の夫婦に引き取られて双子の妹の乙姫ともども可愛がられて育った。そんな彼女が、妖術によって悪いことの肉体関係を持った時間を思い出さぬようにされていた事実にうち震えて驚愕と恐怖を感じていった。戦後直後までの彼氏たちとの素敵な思い出は良いとして、そのあとの戦後からになる、そう、それは、蛇轟秘密教団を町に建ててから以降の自身の身体を男信者たちと雄人魚たちと男の学会員たちから汚されいたという最悪の思い出も、虹色の光りの共鳴とともに蘇ったというか引きずり出されたのである。教団のメンバーには、幹部の鰐蝶之介と橦木交太郎、用心棒の野木切鱶太郎とその二組双子の息子たち、磯野波太郎を含めた磯野家の殿方衆、乳母太郎に乳母次郎、というおぞましい面々に身体を代わる代わる玩ばれていた中で、最後には必ず見知らぬ白髪の背の高い美しい雌の人魚が紅子へと裸で近づいてきて愛おしそうな顔と声で「私の紅子。あなたは汚されば汚されるほどに美しく輝くのじゃ。私のために、もっと輝いておくれ」と言い放って口づけをしたあとに身体を重ねてきた。そして、事を終えたときには決まって「私は紅子が好きじゃ」とライラック色を引いた唇から発せられる本意の声まで聞いたところまで、その記憶を奥深く奥底に閉じ込められていたのだ。
そして、そのような紅子を心配して医務室で待っている美しい女の社長がいた。親の代から引き継いできたジャガーモータース。豹の顔を模した家紋を持つ武家の出身である、豹紋波沙美は今年で三十歳を迎える。特徴的な赤毛は猫っ毛の入った天然シャギーは腰まであり、それを映えさせる色白な肌。細面の中には、ほぼ左右に整った造形の中心を走る高い鼻梁、瑞々しい唇、そして野生種の猫科を思わせる切れ長な目の中に輝く赤茶色の瞳。百七三センチもある長身に見合った、スレンダーながらもメリハリのある身体つき。全てが美しく、それらが豹紋波沙美を現していた。黒色をベースに、豹柄の入った赤色のストライプが斜めに走る繋ぎ服の作業着姿でも、波沙美は色気を持っていた。化粧っ気のない顔で、長い赤毛を襟足でくくっているという質素なものでも、その魅力と美しさは変わらない。
シャワーを終えた紅子が医務室に戻ってきたとき、波沙美は思わずパイプ椅子から飛び出して、駆け寄っていって抱きついた。
「紅ちゃん」
「わあ! どうしたんですか」
「ここまで、ここまで、あなたの泣き声が聞こえていたんだよ。父さんの代から働いていた“あなた”を見てきたけれど、こんなになった“あなた”を見たのは初めてだったんだよ」
その声には、涙を含んでいたか。
抱きしめている腕の力を強くしていく。
ほんの少し拍を置いて会話を再開していった。
「独りっ子だった私にとって、紅ちゃんはお姉さんなんだ」
このひと言に、波沙美の身体に腕を巻いて抱いてあげた。
そして、思わず洩れる小さな笑い。
「百歳近く離れているけれど、いいの?」
「いいの」
「いいんだ」
「うん」
背中から腕を解いて、肩に手を乗せて離れる。
紅子もそれに合わせて波沙美を解放した。
赤茶色の瞳が稲穂色の瞳を真っ直ぐ見つめていく。
「なにがあったのか、教えて」
「波沙美さん……」
これには当然戸惑った。
例え簡潔に要点だけをまとめて教えたとしても、伝わるのかどうか。薄い唇に震えが出てきた。
「あ、あのね、波沙美ちゃん……」
「心配しないで、要点だけ話して。私は私なりに“あなた”を導けるかもしれないから」
「そうね。分かったわ」
微かな笑みを浮かべて、鼻で軽く溜め息をした。
それから。
本当に要点だけを波沙美に話していった。
紅子は、恥ずかしいながらも、今でも良い思い出として引き出す戦前戦後の彼氏たちと素敵な一夜を過ごしてきたことと、全く覚えていなかった五十年四十年という教団と学会員の男たちと雄人魚たちから辱しめを受けていたことの記憶、この大きな二つを話していった。波沙美は紅子が知らぬうちに弄ばれていたくだりを聞いていたときは、顔に影が射してきていた。そして話しを聞き終えたとき、波沙美は作業繋ぎ着の後ろのポケットからベリーレッドのスマホを取り出して「紅ちゃんの言う“ソレ”について、うちのお客さんに思い当たる人がいるから、今からちょっと聞いてみるね」と紅子にひと言断って、電話をかけていく。
律儀に待つ体勢に入った紅子。
5コールほどして波沙美のスマホに繋がった。
「もしもし。お疲れ様です。ジャガーモータースの豹紋波沙美です。お時間はとらせません。ちょっと今、いいですか」
『あら、お久しぶり。お疲れ様。今から“わたくし”たちも上がるから、構わないですよ』
「ありがとうございます」
『いいえ、こちらこそ』
「では、さっそく。紅子さんから今聞いた体験について、お聞きしたいことがあります」
『え? 紅ちゃんの?』
「それが……………」
それから、豹紋波沙美は龍宮紅子から今しがた聞いたことを簡潔に要点だけを電話の相手へと話していった。次に、電話相手からの答えに「ええ。……はい。……なるほど、そうですか」「分かりました」などなどと返事をして、本当に手短に済ませていった。
そして。
スマホを後ろのポケットに入れて、紅子に顔を向けた。
「紅ちゃん。あなた、二重に妖術がかけられているかもしれないって」
「え? ウソ? マジ?」
驚愕して目を見開く。
これに頷いて、波沙美は言葉を続けた。
「素敵な思い出と一緒に嫌な記憶がそうやって掘り起こされたことが、まず第一段階の解放。そして、かけた相手がもしも抜け目なかったら第二段階の解放がある可能性が考えられるらしいよ」
「へえ……、そりゃまた。私に、ねえ……」
これは、マインドコントロールどころの話ではない。
自身の境遇と施された術に、感心と驚愕が押し合い圧し合いしていた。相変わらず上手く言葉にすることができず。そして、かけた電話の相手が気になる。
「波沙美ちゃん。さっき、誰に電話したの?」
「磯野マキさん」
「マキさんに?」
「ええ。彼女、半分人魚だから、なにかしら参考になることを聞けるかなと思って」
「あなたって、柔軟ね」
「うふふ。ありがとう」
妹のような笑顔を紅子に見せた。
一方その頃。
㈱長崎大黒揚羽電電工業では。
昼上がりの早退前に休憩所で潮干リエと黄肌潮と磯野マキがそれぞれ、各々の好きな缶コーヒーの味を嗜んでいたところ着信音が鳴り出したので、マキは膝丈スカートの後ろのポケットからオレンジ色のスマホを取り出して「ちょっと失礼します」と二人に断ったのちに電話に出てみた。
「あら、お久しぶり。お疲れ様。今から“わたくし”たちも上がるから、構わないですよ」
『ありがとうございます』
「いいえ、こちらこそ」
『では、さっそく。紅子さんから今聞いた体験について、お聞きしたいことがあります』
「え? 紅ちゃんの?」
『それが……………』
それからは「ええ、ええ」「はい……」と応じたあと。
「それ、妖術をかけられていたかもしれませんわね。しかし、聞いた限りでは術から解放されたようです」
『え。それじゃ……』
「でも、かけた相手が抜け目なかったら安心はできませんよ」
『ええ?』
「最悪、二重に妖術をかけている場合が考えられます」
『……はい』
「先ほどの、記憶が掘り起こされて嘔吐して解放されたのが第一段階だとすると、可能性として第二段階目の解放が起こり得ます」
『なるほど』
「現場を見ていない以上、お話しを聞いただけで“わたくし”が答えられるのはこれだけです」
『分かりました。ありがとうございます』
「いいえ、どういたしまして。お疲れ様です」
そう笑顔で答えて電話を切って再び後ろのポケットに戻したあと、缶コーヒーを片手にリエと黄肌潮に振り向いたその顔は、引きつりながらの笑顔とも恐怖ともつかないただし片方の口角は吊り上げられていた表情をマキは見せて、声を震わせて話していった。
「べべ紅ちゃんが、大変なことに、なっています……」
「え? 紅子が?」
「紅子が? なんで?」
女二人が緑色の瞳と稲穂色の瞳をそれぞれ見開いた。
場所は、ジャガーモータースに戻る。
作業繋ぎ着で赤みのある長く黒い髪の毛を襟足でまとめていた紅子に、波沙美が声をかけていく。
「ねえ、紅ちゃん」
「なあに?」
「今から、社長命令出していいかな?」
「え? なんの?」
「龍宮紅子さん」
「はい」
「ジャガーモータースの代表取締役である私こと豹紋波沙美からの命令です。あなたは今から有休を取って、あなた自身のことと陰洲鱒町の抱えている問題を解決してきてください。会社に来て働くのはそのあとからでも構いません」
「ど、どうして?」
真剣な面持ちで社長命令を出されて、戸惑っていく。
「私まだ、今日の業務すら手を付けていないのに」
「あなたの目の光りといい、身体に出てきた綺麗な鱗の光りといい、それが二回も起こった。おまけに、自覚なしに同意すらなしに妖術をかけられていたことが分かったんだよ。ーーーもう、仕事どころじゃないよね。今、優先させなきゃいけないのは“あなた”自身なんだよ。そして、紅ちゃんが生まれ育った町のことも。ーーー三十年間あなたを見てきて、高卒のときから一緒にバイクを作ったり整備したりしてきたんだよ。あなたが今大変な思いをしているか、そうでないかということくらい分かるようになったんだからね」
「波沙美ちゃん……」
「だから、今は、紅ちゃんの、じぶんのことを優先させて自身の身に起こったことを完全に終わらせてきて。そのあとでも良いから、私のところに戻ってきてちょうだい」
と、最後は頬を赤らめて目を半分ほど伏せた。
これらを終わりまで聞いていた紅子は、顔を緩ませていく。
「ありがとう。こんなに思われていたなんて、私嬉しい」
歩み寄ってきて、近づく。
「本当に私がしなければいけないことを優先させてきてもいいのね」
「うん。もう、あなたは、陰洲鱒町の女たちは我慢する必要がなくなったのよ。思いっきりやってきて」
赤茶色の瞳から強く見つめられて、紅子は顔を引き締めた。
「分かったわ。あなたが私にくれた有休、思う存分使って帰ってくるよ」
「ええ。いってらっしゃい」
こう言って波沙美が微笑んだとき、紅子も微笑みを向けた。
2
先にもあったが、龍宮紅子は虹色の共鳴のおかげで生みの親と出生とを知ることができた。
その夢は、紅子に百二五年前の出来事を見せた。
紅子と乙姫が生まれたときのことである。
母親の名は、龍宮龍子。
そして父親は、入婿の龍宮島太郎。
その龍宮家が、先祖の代から貿易を商いにしていたこと。
使用人を数名雇うほどに大きな家であった。
それゆえに、島の住民たちと顧客たちから「龍宮城」と呼ばれていた。そして、その数名の使用人の中に、磯野フナの本体でもある、白髪の背の高くて和装の美しい雌の人魚の鯉川鮒がいたこと。




