虹色の共鳴 part 1
浜辺銀の声は、三石琴乃さん。摩周ヒメの声は、沢城みゆきさん。脳内で想像して読んでもらえると楽しいです。
1
同日。
時間帯を遡って。昼前。
虹色の鱗の共鳴が二度起こった。
一度目は、今朝のタヱのハイドラとの一戦。
二度目は、ミドリがハイドラから自身を奪還したとき。
潮干姉妹らが虹色の力を使ったことによる、その持ち主の陰洲鱒の女たちの瞳と身体中から虹色の光ーーー島の荒神の螺鈿様から選ばれた“螺鈿の巫女”の力ーーーが引き起こされた現象は、朝方だけで二回もあった。本日、仕事に出ている者や大学に行っている者や保護されている者などなど、その身をもってただ事ではないと思っていたのだ。そして、教団の手によって失った娘たちの夢を見た女たちもいる。
以下、勤務先や大学など。
場所は、長崎市外。
㈱長崎大黒揚羽電電工業。
設計部。潮干リエ。
会社の医務室のベッドで、瞼を開けた。
緑色の瞳は少し潤んでいた。付き添っていた縁なし眼鏡がよく似合うソバージュ美女の設計部部長の八爪目那智から身を起こされていく。最近まで職場と自宅を取り囲んで精神的に追い込んで過度な疲労を起こしてその結果リエを鬱病にさせた各報道機関は、今や謎の銀髪女による連続無差別殺人事件と深沢文雄と片倉裕美の盗撮カップルの逮捕の報道で奇跡的なほどに解放されていた。マスコミ関係をまったく見なくなって、リエの精神も落ち着いて回復していた。その矢先での、二度の瞳の光と二度の虹色の鱗の出現を受けたのである。リエの意志に関係などなくだった。そんな彼女の制服は、いつもの暗い青色のベストと膝丈より少し上のスカートに、桜色のカッターシャツと桜色のリップと桜模様のヘアバンドという、鬱を患う以前の本調子の潮干リエの仕事着に戻っていた。六月ごろに無制限の療養休暇を社長命令で出していたのだが、執拗なマスコミ関係の群れが、新たに出てきた市内での連続殺人事件のスクープを追いかけたおかげで会社と工場の周りから撤退してくれたので、精神的にも二週間弱で回復してきた。おまけに、愛してやまない旦那こと潮干舷吾郎とのセックスレスまで解消もできて心身共に良くなった。その前にも、六月に地元の陰洲鱒町で彼氏とツーリングデートしていた龍宮紅子の迷惑違法路上駐車の通報もあったので、潮干家の前後からもマスコミ各社の車両が撤退して綺麗になっていた。以上のこともあり、翌月から仕事に復帰できますと七月に部長の那智に伝えて出勤して設計の製図に励んでいた、その矢先でもあった。
パイプ椅子に腰かけて傍らで心配そうに見ている八爪目那智に向けた顔は、なんだか気の抜けたボーウッとした表情をしていた。このような顔つきでもリエさんは綺麗だなぁと感心しつつ、那智は声をかけていく。
「リエちゃん。なにが起こったの?」
この質問に、潮干リエは緑色の瞳に涙を浮かばせてきた。
「娘がね、ミドリが夢に出てきたんです」
話す声も涙を含んでいるか。
「母さんただいまって、私にかたりかけてきたの。もうどこへも行かないから心配しないでってね、ミドリが夢の中で笑顔いっぱいで私に話してくるの。ーーーそして、もうひとりの娘、タヱちゃんも出てきたんですよ。それが今の両腕じゃなくて、ヒトの腕を生やして背丈が伸びて眉毛もあって、ミドリとそっくりに成長した姿で私に抱きついてきたんです」
「良い夢ね。素敵よ」
「ありがとうございます」
那智も泣きそうなのを堪えていた。
縁なし眼鏡を指先でただして話していく。
「今回の件だけどね。“私たち”は話し合いして、あなたたち陰洲鱒で起きていることがただ事ではないと判断したわ」
「ええ。私も、そう思う……」
「ここでひとつ提案なんだけど。リエちゃんたちがやることを終えるまで会社を休んでもらう、というのはどうかしら?」
「え……?」
目を見開き、口が少し開く。
「私も煉もさっきまで陰洲鱒についていろいろと調べてきたのよねー。時間的に短くて大変だったけれど」
そう言ったとき、医務室の扉が開けられて、新しい人物が三人入ってきた。腰まである明るく茶色い髪の毛をハーフアップにして蜘蛛を象った髪止めをした、黒目がちな長身美女、八爪目煉が那智の後ろに立ってリエに話しかけてきた。煉は那智の双子の妹。
「リエさん。これは“私たち”の決定よ。あなたとマキちゃん、そして潮さん。陰洲鱒の因縁の相手、蛇轟秘密教団を倒す絶好の機会だと思います。先代社長や先代の部長が見てきたけど、あなたたちはもう我慢する必要なんてないのよ。手加減無しで行って良いんじゃないかしら」
「そうだね。手加減無しで良いよね。陰洲鱒生まれの住民って、私たち常人の数倍の筋力と瞬発力を持っているそうじゃない? そんな力を持っていながら、今まで、今も耐えているのは辛すぎるでしょ。ーーー世間に嘘を吐いて無知な“坊や”たちを信者として招き入れて、マスコミと学会に協力させて教団ぐるみでリエさんたち、陰洲鱒の女たちを侮辱し続けてきたんだよ。もういい加減に連中に“ツケ”を払わせたって良いと思ったよ。私も煉も」
那智がそう言いきったあとに、広報部の磯野マキと通信設計部部長の黄肌潮もリエに話してきた。
「リエさん、わたくしにね、虹色の鱗が現れたんですよ。どちらかと言えば、教団に協力してきた側なのに、なぜかしらね……? わたくし、そのようなものを持てる資格なんてない方なのに、わたくしで良いのかしらと」
「あのあと、あたしも夢を見たんだよ。有子が現れたんだ。ただいま母さんってね。また、あたしと一緒に一服するために帰ってきたんだってさ。あの子らしいよ」
二人は見合せて笑顔になり、再びリエを見た。
緑色の瞳を人魚と人間の美しい合の子の美女に流して。
「マキちゃんの協力っていっても、今まで鱗の女の子たちを誰ひとり傷つけなかったし汚さなかったじゃない。それは、あなたの妹のカメちゃんも同じでしょ? あなたたち姉妹は、決して鱗の女の子たちを侮辱するようなことはしなかった。私だけじゃなくて、他の人たちもちゃんと見ているんだよ」
「ありがとう……ございます……」
鼻をすすりだした。
リエは微笑んでマキの手を優しく握った。
稲穂色の髪の三角白眼の長身美女に緑色の瞳を向ける。
「ふふふ。有子ちゃんは夢の中でも有子ちゃんなのね。ーーーこれはやっぱり、なにかしろと言われているんですよね? 虹色の力を、螺鈿の巫女の力を思う存分使えと」
「そうとしか思えないでしょ。那智と煉が言ってくれたように、あたしたちの、いいえ。私らの次の陰洲鱒の女たちの世代のためにやれと、そういうことで起こったことだと思うよ」
伏し目がちにして優しく微笑み、リエの肩に手を乗せた。
緑色の瞳をキリッとさせて決意した笑みを潮に向けた。
ここで、ちょっと記憶を巻き戻し。
「ん? “私たち”って、なに? 部長と煉さんたち会社の、とは違うんですか? ひょっとして、あなたたち姉妹の独断?」
このリエの言葉に、那智が「ん?」とした表情をしたあとに煉と見合せて笑顔になり、再びリエを見る。
「独断と言われたらそうかもしれないけど、ちょっと違う」
「リエさんたちの誰かが依頼をしてきたんじゃないかしら? 護衛人に」
「“私たち”は基本的に人様の受けた仕事にじぶんから関わるといった“おせっかい”はしない、してはいけない、といった方針なんだけどね。でもね、今回ばかりはあまりにもスケールが大きすぎてね、だからちょっと協力してみたくなったのよ。ーーー可愛い可愛い後輩のために」
「そう。可愛い可愛い後輩のために」
その言葉のあと、八爪目姉妹は「うふふ」と小さく笑った。
後輩?護衛人?
リエとマキと潮らが、たちまち目を見開いて驚いていく。
「あなたたち、雷蔵くんと響子ちゃんのこと知ってるの!」
リエの驚愕した声を聞いた八爪目姉妹が笑顔になる。
「知ってるもなにも、あの二人と同業者だもの」
「私たちの“本職”は護衛人。あと、隠密」
いつの間にかパイプ椅子から腰を上げていた那智。
「まあ、私たちは私たちで受けている仕事があるから、お節介ではないていどの協力ってね、リエさんたち三人を休ませることくらいかな」
「でも、今からフリーになる護衛人が出てくるから、その人たちが有無を言わさずに協力してくれるんじゃないかしら」
微笑んだ煉が、顔の横で手を合わせた。
これを聞いたリエはベッドから降りて立つと、マキと潮の横に並ぶ。そして、三人の陰洲鱒の女たちは八爪目姉妹に頭を下げた。那智と煉も三人に応えるかたちで、いいえどういたしましての感じで会釈した。
2
同日。こちらも昼前。
場所は変わり、長崎市内。
鳳自動車産業株式会社。
時津町整備工場。
設計部。浜辺銀。
工場の外にある医療の部屋のベッドの上で目を覚まして、ゆっくりと身を起こした。その傍らでは、設計長兼社長秘書の鳳麗華と整備士の尾澤菜・ヤーデ・ニーナがパイプ椅子に腰を下ろして心配そうに見ていた。三十歳になる、この家猫のように可愛らしさを持っている美しい女性は、鳳麗華と言って六代目社長の鳳太陽の妻でもある。百六八センチの長身に見合った細い身体と長い四肢、瓜の輪郭におさまるほぼ左右対称に造形された顔の中央を緩やかなカーブを描いて走る高い鼻梁と、同じ女でも吸い付きたくなるような愛らしい唇に、やや大きめなアーモンド型の目に焦げ茶色の瞳、肩甲骨まである黒髪をハーフアップにしてアゲハ蝶を象った髪止めをしていた。そして麗華は、先祖代々から武家の毒島家出身のお嬢様でもあった。制服は濃い紫色のベストに同色の膝丈スカート、インナーは黄金色のブラウスだった。
ニーナはいつものアンシンメトリーのツインテールではなく襟足でくくっていて、濃い紫色の繋ぎ着姿で、ヘルメットを両膝に乗せて座っていた。
浜辺銀は、ニーナと同席していた高嶺の花に気づいて、結婚していてもなお失っていない女としての華と香りに圧倒されてしまった。
銀の通常の勤務先は設計部本部が入っている、販売営業所も兼ねた鳳自動車産業株式会社の総合本部のある尾上町であるが、今日は整備工場がある時津町まで出張してきていた。自社製の自動車を整備や修理する際に設計図の確認や細部の指示を出すときに、社内の設計部部所の社員が呼ばれて時津町まで出てくることもある。そのような銀は大ベテランなので、総合本部での仕事の他にこの時津町整備工場によくお呼びがかかっていた。そして今日の彼女は調子が良かった。我が家の可愛いひとり娘が、亜沙里が半月前にマインドコントロールから解放されて、あるていどは自由の身になったことが大きい。亜沙里はもともと明るい娘で、洗脳されてからの“ひねくれて”挑発的な性格になっていた上に下着を身につけていないといった磯野フナを含む教団の人魚たちの教えに従っていたが、それらが解けた瞬間に明るく羞恥があり好戦的ではない前の亜沙里が戻ってきた。下着もちゃんと身につけるようにもなって、浜辺銀の心配事は大いに減った。そして、ストレスもほとんどなくなって、いつもの本調子を出せていた、その矢先の出来事が、二度の瞳の虹色の光りと身体中に虹色の鱗の出現である。正直、悪い気分ではない。そんなこともあって、寝起きのせいなのか虹色の力を引き出されたせいなのか、どちらか不明だが、銀は今は呆けていた。
可愛くも華のように美しい社長夫人の鳳麗華が、猫のような瞳でベッドの上のソバージュの美女を見つめて、話しかけていく。彼女は設計部の長でもあるため、設計部の社員たちに同行してきていた。そして虹色の共鳴によって気を失った浜辺銀を真っ先に介抱したのも、麗華だった。
「良かった。気を失っただけだったのね」
「ありがとう、麗華ちゃん」
気恥ずかしそうに笑みを見せて礼を述べた。
そう言われた麗華も笑顔になる。
すぐにこれをおさめて、銀に聞いていく。
「なにを見ていたの? あなたずっと、うなされながら男の人の名前を口ずさんでいたから」
この言葉に稲穂色の瞳に涙を溜めていき、少し声を震わせていった。
「あたしの旦那、青児さんが夢に出てきたの。お魚になる前のイイ男の姿でね、ただいまと、あたしに語りかけてきたんです。それを聞いて彼に抱きついて、夢の中で“おかえりなさい”って叫んで大泣きしちゃった。年甲斐もなく、泣いちゃった」
「銀さんを泣かせるなんて、色男ね」
「ええ。色男なの。あたしにとって青児さんは、この先もずっと、誰よりも色男なの」
実に嬉しそうに微笑んだ。
隣で半べそになっているニーナに目を向ける。
笑みを見せて、パイプ椅子の女二人と向き合うように身体を回してベッドに腰かける姿勢をとった。作業着姿のドイツ娘の魔女の頭を優しく撫でたのちに、目の前の二人に話していく。
「こんなことは初めてね。あたしの意志に関係なく目が光って身体中に虹色の鱗が出てくるなんて、もう、普通じゃないよね。だいたい、あたしの鱗は名前の通り銀色だったのにね、それが今日、虹色に変わって驚いちゃった。ーーーいったい、なにが起こったのかしらね」
「ただ事ではないことは確かね」
真剣な顔でこう言った麗華は、隣に座るニーナの頬を手の甲で優しく撫でおろした。
「泣かないで、ニーナ」
そう言われて、ドイツ娘は隣の若き社長夫人に顔を向ける。
珍しいことに、彫りの深い瞳に涙を溜めていた。
ニーナは普段から泣くようなことはない娘だ。
そのような若い魔女が鼻をすすりはじめていく。
「あたし、知らなかったんです。こんなに身近にいた人が、辛い思いを長い間していたなんて……」
「ニーナちゃん。あたしのために泣いているの?」
「仕事や雑談によく付き合ってくれていた“あなた”が、娘さんの、亜沙里さんのマインドコントロールでずっと悩まれていたなんて。そして、その亜沙里さんが、ずっと酷い目にあっていたことを、今まで顔にひとつも出さなかった」
「うふふ。あたしの思っていた通り、あなたはイイ子なのね。ーーーでもね。あたしはあくまでも“あたし”のことだから、外に出す必要もないのよ」
小さく笑って、ニーナの頬を両手で掴んで軽く揉んでいく。
「ごめんなさいね。麗華ちゃん、あたし、やることができたみたい」
と、笑顔でニーナを見たまま、言葉は麗華に向けた。
これを聞いて、軽い溜め息を鼻でついて、銀に返していく。
「だろうと思ってね、陰洲鱒のこと調べていたのよ」
「え?」
猫のような稲穂色の瞳を見開き、鳳麗華に顔を向けた。
こちらも家猫のように愛らしい顔を浜辺銀に向けて。
「一昨日の晩、新たにひとり鱗の娘が解放されたという知らせを受けたわ。これで、あなたのひとり娘に続いて二人ね。おそらく、連鎖反応の始まりになるわね」
「亜沙里の他に、洗脳が解けた女の子が出たの?」
「磯野カメが助け出したんですってね」
「え? カメちゃんが」
「この件は本人から聞いたほうが早いわ」
「そ、そうね。確かに……」
ニーナの頬を揉む手を止めて驚きを見せていた。
この二人を見つめて、美しい社長夫人は話していく。
「浜辺銀さん、尾澤菜・ヤーデ・ニーナさん。これは私の命令です。今から二人、休暇をとりなさい。そして、解決してしまうまで会社には戻ってこなくて良いです」
呆気にとられている女二人のうち、ドイツ娘に焦げ茶色の瞳を流す。
「ニーナ。旧世代と新世代の螺鈿の巫女たちを“しっかり”と護衛しながら手伝いなさい。任せたわよ」
「ありがとうございます。元締!」
一気に涙が引いたニーナは、キリッとした顔で声をあげた。
アホヅラをさらしていた浜辺銀だったが、我に返る。
「は? え? は?ーーー麗華ちゃんとニーナちゃん。あなたたち何者?」
この質問に、麗華は「うふふ」と笑う。
「鳳太陽の妻でもある社長秘書と設計長の本職の他に、私、もうひとつの“本職”もしていてね。そのひとつが護衛人なの」
「あたしも、同じく護衛人もしています」
ニーナへと続いたあと、麗華に戻る。
「そして、さっきこの子の言った通り、私は護衛人の元締もしていまーす。ついこの間、九州地方の担当を指名されたばかりで、まだまだ新米です。よろしくね」
ついこの間こと、五年前に九州地方を任されたばかり。
ニコッと浜辺銀に微笑みを向けた。
これにキュンときたソバージュ美女が、思わず目の前の女二人に抱きついた。
「麗華ちゃん、ニーナちゃん、ありがとう!」
3
こちらも同日。同じく昼前。
また場所は変わって、長崎市内。
招き猫広告㈱。
社内の医務室。
摩周ヒメは、ベッドの上で目を覚ました。
百八〇センチもある身長の女ではギリギリに近いサイズ。
天井のLED照明を見ると、輪郭はボヤけて視界がハッキリとしない。意識はあるが、夢で見ていたものにより衝撃を受けて、全身から力が抜けているようであった。そして、稲穂色の瞳にいっぱい溜まっていた涙は、一筋の線を引いて頬を伝って耳にからシーツへと落ちていった。
ライトグレーにシルバーの細い縦ストライプが引かれたベストと膝丈スカートの制服に、細いシルバーの線で菖蒲を描いた白いブラウスをインナーに着ていた。その制服も、全身から吹き出た汗によって皮膚に張りついていたが、べとついた感覚はしない。気を失っていた間に見ていたものは衝撃は大きかったが、不思議と心地よく懐かしい思いで充たされていたのだ。左手の薬指にある、婚約指輪が照明を反射して輝く。次に、右手を優しく握りしめられていたことに気づいて、ゆっくりと身を起こしていき、その者と向き合うようにベッドに腰かけた。ヒメは心配してくれて看護してくれていた女の顔を見るなりに、微笑みを浮かべた。その女はヒメほどではないが、背は高く、美しく年と皺を重ねた顔立ちで、緩やかに七三分けにした薄い茶色い髪の毛をしていた。ヒメが薄い茶色い髪の毛の女の手にじぶんの手をそっと重ねて、安堵の溜め息を出したあと、名前を呼んでいく。
「“紫”さん、ありがとうございます」
「いいえ。どういたしまして」
“紫”さんこと、尾澤菜・アメテュスト・プルート。
誕生石の紫水晶を名前にしている。
ドイツから日本に嫁いできた美しい女性であった。
プルートは彫りの深い切れ長な眼差しに青い瞳を輝かせて、ヒメの頭を優しく撫でていく。まるで我が娘のように愛しんでいき、ハスキーな声で話しかけていった。
「ヒメちゃん。二度の虹色の光と鱗はビックリしたわよ。あなたたちになにか大変なことが起こるんじゃないかしら。その前に、なにを見ていたのか私に聞かせて。お願い」
「夢に、昭次さんが出てきたんです」
「あなたの婚約者ね」
「ええ……。ーーー彼、戦地から奇跡的に生きて帰ってきて私と結婚を誓って婚約まで結んだ、その矢先だったの。アメリカから殺された。東京大空襲で残ったのは、昭次さんの婚約指輪をした腕一本だけだった。その出来事をいまだに夢に見ることがあったんですよ。でもね、今日のは違っていたんです」
「どう違っていたの?」
「これ、言うのが恥ずかしいのだけど。私と彼は裸になって心と身体を幾度となく交わしたんですよ。夢で。ーーーでも、気持ち良くって心地よくって、泣いたんです、私。そして、別れの言葉を聞いたの」
「どんな?」
「これから先、もう俺をヒメさんの中に止めておく必要はなくなったと。俺に代わる好きな人がいるようになったから、そろそろ出かけると言っていました」
「あらあら? 今まで一途だったあなたが、新しい好きな人ができたんだ? 私に聞かせてくれる?」
「もう……。紫さんったら」
そう言って、頬を赤く染めた。
「私よりも遥かに年下なんですけどね、素敵な人なの、彼。今までは表面上なだけの好きな人たちだったんですが、今の彼は違うんです。彼と話したり一緒にいるだけで楽しいし心拍数も上がっちゃうんですよ。抑えるのが大変」
「素敵じゃないの、そういうこと」
「ふふふ。だけど、彼には美人で可愛い彼女さんがいましてね。実は私、その彼女さんも好きなんです」
「その二人と相性が良いのね」
「はい」
「二人とも、私の知らない顔じゃないわね」
「全てお見通しだったんですか……。まいったなあ……」
眉を寄せて、ヒメは少し悲しい表情を浮かべた。
しかし、それに対して、プルートが力強い笑みを見せてヒメの手をギュッと掴んでいき、言葉を強めて話していく。
「私が今必要だと思ったからよ。あれこれ見通すわけではないわ。ーーーそれとね、あなたの新しい好きな二人とも私の“本職”の後輩で、逆にこっちが驚いちゃったわよ」
「そうでした」
真顔になって納得する。
プルートは続けていく。
「あなたも覚えていないわけじゃないでしょ? 二四年前に、私と麗子がヒメちゃんの友達の依頼を解決したこと」
「よーく覚えてまふ」
「そして、私の末娘だけどね。ただいま“本職”の見習い中よ」
「末娘……? “琥珀”ちゃんですか!」
バタ臭いけど可愛い顔立ちが思い浮かんだ。
“琥珀”ちゃんこと、尾澤菜・ベルンシュタイン・キティ。
誕生石の琥珀を名前にしている。
姉と一緒に自動車会社の整備で働いているらしい。
「キティったら、別に私の真似しなくたって他の道があったのにね。また心配の種が増えちゃった」
「微笑ましいですよ」
「あら。ありがとう」
満面の笑みで返したのちに、真顔になってひと言を向けた。
「ヒメちゃん。あなた今日から会社を休みなさい。じぶんの身に起きた現象で、ただ事ではないのを知ったんでしょう? なら、なおさらじゃない。あなたが、いいえ、あなたたち陰洲鱒の女たちがやるべきことを解決してきなさい。そして、終わってから会社に戻ってきていいからね」
「ありがとう。ありがとうございます。紫さん」




