女神ハイドラ戦序盤:タヱの朝帰り編
長い長ーーい一日のお話しの始まりです。
第二部の最終決戦まで続く予定です。
この話しの戦闘シーンのBGMは映画『バオー 来訪者』のサントラから「死闘」を当てて書きました。よろしくお願いします。
1
榊探偵事務所で開かれた飲み会が無事に終了して。
その翌朝。
青い賃貸マンションから出てきた潮干タヱと新島悟。
悟のメタリックブルーの車のトランクから、タヱが黒い折り畳み式自転車を取り出して広げて地面に立てて、自転車の横に並んだ。
彼に笑顔を見せる。
「私の自転車まで、ありがとうございます」
「なあに、おやすい御用だよ」
「悟さん、今からお仕事ですよね?」
「いや。今日は非番だ。あるとしたら、署から呼び出しを食らわないとな」
と、彼女に優しい笑みを浮かべた。
お互いに名残惜しい。
タヱはいつの間にか身長が五センチ伸びて百六五センチと大きくなったが、悟はより大きくて百九〇センチの身の丈であった。彼が大きすぎるために、タヱを含めた背の高い女性はどうしても小さく見えてしまう。これはしょうがないことであった。だが、これに関してはこの二人にとってはあまり関係はなかった。タヱは少し爪先立ちになり、悟は少しだけ上体をかがめて、軽い口づけを交わした。そして離れて、笑顔を見合わせて手を振って別れの挨拶をした。新島悟は再び青い賃貸マンションに戻っていき、タヱは黒い折り畳み式自転車を触手で“手押し”して駐車場から出ようとしていた。すると、その先のゲートに隠れるようにカメラを持つ小柄な人物を発見。スタンドを立てて自転車を置いて、その小柄な影へと目がけて猛ダッシュした。おさらいしておくと、ご先祖たちが『深き者』と交配してきた結果、陰洲鱒町の町民の筋力とスタミナは常人の数倍を有している。日ごろは加減して生活を営んでいるが、己にとって害をなす存在と判断した場合に限ってのみ、手加減無用を実行する町民たちだった。なので、陰洲鱒町生まれ陰洲鱒町育ちの潮干タヱもその例外ではなく、町民特有の“それ”を実行した。逃走していた小柄な人物は、ゲートからわずか五〇メートルのところで急ブレーキをして半身に構えて立ち止まり、デジカメを片手に眼鏡をただして黒いワンピースの触手の娘を睨み付けていった。先を行ったと思っていたのに、あっという間に先回りされて通せんぼをされたのだ。黒い瞳の目を血走らせていく。そして、歯を食いしばり眼鏡の奥の目つきを鋭くしていった。夏物のスカジャンの白いインナーに光る十字架が、タヱの目に入ってきた。白い両腕の触手を真横に広げて、逃げられないように構える。稲穂色に輝く瞳の目が、鋭くなっていく。
長い沈黙だった。
三秒か四秒ほどの長い沈黙だった。
睨み付けたまま、タヱは口を開いていく。
「片倉さん。あなた、なにをしたか分かっているの?」
これ以上は逃げても無駄と判断したのか、片倉さんと呼ばれた小柄な人物はデジカメを下げて構えを解いて普通に立った。そして、タヱも構えを解いて素立ちになる。
触手の先端部を器用に丸めて先細りさせて、デジカメを指した。
「それ。それで私たちの“なに”を撮ったんです? 潮おばさんからも聞いたけど、私の母さんも盗撮したんだ? あなた、人のプライベートを覗いて撮ってなんのつもり?ーーーあと、週刊春秋読みましたよ。あれはなに? ちゃっかりUSBに移してデジタル保存していたんだ? おまけにさ、YouTubeに動画までアップしててさ。あんた、私の姉をいったいどこまで侮辱する気なんだよ」
鈍色に尖った歯を剥いて、口角を下げた。
「片倉裕美。約束破ったな」
稲穂色の瞳が、金緑色に光りはじめた。
片倉裕美。長崎大学四年生。写真部所属。
以前、タヱたちと構内で対面したときに、生前の潮干ミドリに取材を敢行しておさめたVHSを手渡したときに裕美は「他には流出させない」と、タヱと約束を交わしたはずであったが。写真部の部室でミドリと摩魚を盗撮した写真を整理していたときに、ミドリが男と一緒にデートやホテルから出てきた物をよく見たらそれは男ではなくて、ボーイッシュな格好をしていただけの摩魚だったことに気づいて、己に落胆とミドリと摩魚に対する怒りによりタガが外れてしまったようで、勝手な思い込みと勝手な逆恨みにより約束を破って週刊誌にネタを売ったのだった。そんな片倉裕美の首からは、十字架のネックレスが下がっている。
裕美の肩が小さく震えてきた。
泣いているのか?
「ふふふふ。母娘そろいもそろって、相手の性別関係なくヤりまくってさ。あんたたち、自由すぎるんじゃない? しかもあなた、なに? それ? 人の腕じゃないじゃんか。あたし今、あなたの手を初めて見たよ。なにそれ? まるでイカの化物だよ」
「やめて……」
「大学構内で会ったときと姿が変わっているしさ。たった二週間だよ? 人間、二週間で成長しないよね? タヱちゃん、あなた分け目あったっけ? なかったでしょ。人の道理に反することばかり起こすわ、あなたの母さんとミドリさんは同性とヤるわ。ーーー汚れているんだよ! あんたら、汚いんだ! 極めつけに、あんた、化物みたいな腕しやがって!」
「やめろ!」
タヱの雄叫びとともに、裕美の手元からデジカメが弾き飛ばされ、そして、触手の先端部を横に丸めた拳みたいに作られた物を、裕美の顔に触れる寸前で止めた。タヱの遠く後ろでデジカメが落下したのと同時に、裕美は力を抜かして腰も抜けて車道に尻餅を着いた。タヱは金緑色の光りをはなったまま、鈍色の尖った歯を剥いて青筋を顔に立てていく。
「私に、人を殺させるな」
そのひと言のあとに、構えを解いて、光りをおさめて稲穂色の瞳に戻した。アスファルト舗装の車道に尻を着いて脅えている片倉裕美を見下げて、潮干タヱは艶やかな唇を開いていく。
「あんた。摩魚さんの盗撮常習者だろ。私の姉だけでなく、話しを聞いたら大学内でも外でもホタルちゃんと真海さんも盗撮していたそうじゃないか。陰洲鱒の女たちをなんだと思っているの? あんたらとなんら変わらない人だよ。それとさ、あんたに誰も今まで言ってこなかったというか、言えなかったのってさ。大手新聞社の日昇新聞の創業者、朝日昂の御子息の次女、月刊敷島の編集長の片倉日並の長女さんだったから怖くて諌めてくれる重要な人が出てこなかったんだよね。ご丁寧にも創業者から代々の院里学会の学会員だって? 宗教四世じゃん。あと、父親が大手芸能事務所と大手報道機関のカタクラメディアの社長である片倉暁彦でしょう? それ以前に日昇新聞より巨大過ぎて、周りのみんな怖がっていたんじゃないの?ーーーそれと、盗撮常習者は、あんたひとりじゃないよね?」
そう言うと稲穂色の瞳をマンションのブロックと金網の塀に流して、鈍色の尖った歯を見せると、口角をあげた。
「私が気づいていないとでも思ったのか? 出てこい。深沢文雄!」
名を叫ばれて、ブロックと金網の間から眼鏡姿の男が顔を覗かせた。その男とは、長崎大学四年生放送部所属の深沢文雄。タヱから気づかれていたのを知り、文雄の顔は青ざめて脂汗を浮かべていた。放送部の眼鏡男を睨み付けながら、タヱはさらに言葉を投げる。
「私がカマをかけたら、あんた、面白いくらいに嘘八百をペラッペラと得意気に喋ってたよな。その場で腹抱えて笑いたかったけど堪えたよ。なーにが、大手芸能事務所などから嫌がらせを受けて仕事を減らされていただよ。姉、ミドリは好かれていたぞ。学会関係の事務所と所属芸能人以外の人たちから好かれていたんだよ。姉は恋人もいた。黒髪の美しい女の人だ。その姉の恋人の彼氏は“ろくでなし”男でね、ミドリを敵にしていたんだ。その男がなにやったと思うよ? 総勢二〇名の半グレ引き連れてミドリを強姦してあわよくば望まぬ妊娠をさせようとしていたのさ。結果どうなったかって? 二〇名以上の馬鹿野郎どもを返り討ちにして再起不能にしてやったのよ。ーーーお前、私の姉をストーキングしてていったい今までなにしてたんだよ?ーーーというか。そこでいつまでもコソコソやってないで、いい加減に金網をよじ登ってこっちへ来い」
さらに言葉を強くした。
「いいから来い」
動揺しながらも、命令された通りに金網をよじ登って降りてきた深沢文雄。汗で眼鏡が曇っていたようだ。片倉裕美の隣に並んでタヱを見た。盗撮仲間と並んだことにより、文雄に威勢がついたらしい。
「なんだよ。お前こそ偉そうにしやがって、この金髪淫売女! だいいち、僕と裕美が盗撮した証拠がないじゃないか! お前、身体じゅうに鱗生やしてイカみたいな腕しやがってさ! なにが虹色の鱗だよ! ミドリも真海もホタルも摩魚も鱗生やしやがって、お前たち本当に人間かよ! 化物じゃねえか!」
タヱに向けて力強く指をさしていた。
「もとから汚れているクセに、お前の母親なんかいい年して清純ぶって白い服着やがって! 何人の同性とヤったんだよ! 汚いお前たちに俺ら学会の社会的制裁してやってんだよ! ありがたく思えよ、この淫売女!ーーー汚れている女をさらに汚してなにが悪いんだ。ホタルなんかちょっと驚かしてやろうと思って、友達と後ろから抱きついただけで悲鳴あげて殴りやがって。汚い生き物のクセして調子こいてんじゃねえっての! 俺たちはただ、お前たちの正体を暴いてやるために撮っただけだ。やましいなら隠してんじゃねえぞ! それに隙間から撮られたってのひとつやふたつで、ピーピーと五月蝿いんだよ! クソ女が!」
これら文雄の魂の叫びを黙って聞いていたタヱが、静かに口を開いていった。
「あんた、ホタルちゃんにそんなことしていたのか? 最低だな。ーーーそれとさ。私の母さんは単純に白が好きなんだよ。清純ぶってとかって、ずいぶんネジ曲がった頭してんな」
ここで、片倉裕美の横槍が入る。
「なにが最低だよ! じぶんたちの日ごろの汚い乱れを棚にあげて、あたしたちを最低呼ばわりだって? ふざけるのもいい加減にしたら? 真海もミドリも摩魚もやましいから鱗を隠してたんだろ?」
「鱗は生えっぱなしじゃないんだ。持っている本人の気持ちが現れるんだよ。不快に思ったときは絶対現れない。あと、気の合う鱗を持つ同じ仲間との快い共鳴だ。そして、大切な人と通じ合っているときと仲間たちのことを思ったときに、私たち陰洲鱒の女たちの鱗は現れるんだよ。隠しているわけじゃない。だから、自慢することでもないし、悪いことでもない。そして、汚なくなんかない」
そしてタヱは、鈍色の尖った歯を剥いて口角を上げた。
「ひとつ言わせてもらって良いかな?ーーーその、棚にあげてってのは、あんたら片倉裕美と深沢文雄のことじゃないの? 放送部と写真部で見たよ。写真もバッチリ押さえたし。そこの“坊や”の自慢の部室にさ、長い髪のウィッグとスカートがあったんだけど? 普段から“それ”で、なにしてんだよ。女装趣味?ーーーそれだけじゃないよね。あんた、女子トイレに二人で入ってカメラを仕掛けてたんだろ? 鍵穴に通せる細いカメラをさ。調べてみたら、医療用機器のカメラだったよ。さすがは医療機器メーカー御曹司だね。メインユーザーが医療関係以外に、盗撮盗聴、そして諜報機関なんだってね。こんな馬鹿高いカメラを苦もなく用意できちゃうなんて素敵。そして、父親から代々の院里学会の学会員なんだってね。宗教二世かよ。仕掛けた場所も、ちょうど洗面台と鏡のある後ろの個室のドアノブの鍵穴じゃないか。ちゃんと覗くことを前提にしてんな。いい加減にしろよ」
稲穂色の瞳の目付きも鋭くなる。
「あとさ。深沢文雄の女装って盗撮だけじゃないよね。お隣の彼女さんとイチャイチャするとき、たまに女装しているでしょ。あんたらの後ろに立っている磯辺毅さんに写真を撮ってもらったから、私のは嘘っぱちじゃないからね。ちゃんと押さえたネタだから安心して」
顎の先でクイとやった先には、いつの間にかトレンチコートの蛙男こと磯辺毅が突っ立っていた。片倉裕美と深沢文雄の背後も取って、これで盗撮カップルの逃げ場はなくなってしまった。すると、やけっぱちになってしまったのか、文雄と裕美がともに声をあげていく。
「イカの化物女に蛙男だと? やっぱりお前ら陰洲鱒は化物ぞろいじゃねえか! 女装して忍び込んで撮ってなにが悪い! お前らみたいにコソコソしている化物を世に晒してやっているだけだろ!」
「そうだよ! 文雄の女装のなにが悪いのさ! 女の子の格好した彼とやっててなんの罪になるんだよ! 言ってみろ! 言えないなら黙って口閉じててよ!」
タヱが二人の口撃を聞いたあとに、黒いワンピースの後ろのポケットから金属製の細い機器を取り出して、顔の位置まであげて見せた。触手の先端部を器用に使って、機器のスイッチを切った。
「いろいろとペラペラと喋ってくれて、ありがとう。お二人さん、みっともなかったよ。貴重な証言がここまでタップリ録れるなんて思ってもみなかったねえ」
細い録音機をポケットにしまいこんだあとに、今度は右側のポケットから右の触手で黒いスマホを取り出して目の前の二人に突きつけた。
その画面には。
110番とRECの表示が。
「もうすぐ令状を持って、あんたらのもとに来るけど。良かったねー、念願の銀色のブレスレットを付けられるよ」
スマホの通話を触手の先端部で切って、再びポケットにしまう。
稲穂色の瞳で、文雄と裕美を睨み付けた。
「私があんたらにできるのは、ここまでだ。今までやってきた“ツケ”をキッチリ払ってもらうからな」
そのとき、盗撮カップルを挟んで立っている磯辺毅が小刻みに震えて脂汗を吹き出していたのに気づいて、タヱはゆっくりと後ろに向きを変えてその先を確認した。そして、目を見開いていく。と、言ってもこの陰洲鱒の娘に限っては驚愕してはいなかった。むしろ、口もとに微笑を浮かべていたからだ。
嬉しそうに呟いていく。
「見つけた」
そう言った先には、銀髪の長身の美しい女性が立っていた。
しかし。
「みみ、ミドリ、さん……、生きて、いた、んだな……?」
毅のやっと絞り出した言葉を、タヱが否定していく。
「いいえ。アレは私の姉に似ているけど、違う」
そう。見た目はタヱの姉である潮干ミドリと似て美しい女性だったが、別人であった。相違点がいくつかある。ミドリは黄金色の髪の毛だが、こちらは銀髪。ミドリの七三分けの分け目は右側だったが、こちらは左側。ミドリは胸の大きさは母親のリエと同じカップサイズはAだが、こちらは大きな膨らみでBくらいか。だいたい見分けがつきそうな感じであったが、その他大勢からだとどっちでも一緒なていどで、ミドリもこの銀髪の女も同じだと言うであろう。だが、しかし、タヱは許さない。私の姉の振りをして人々を意図も簡単に連続して殺害してきた女、という以上のものでもない存在だった。それから、この銀髪の女の服装が、一週間以上前に長崎県警署内の視聴覚室のモニターで見たのと変わっていた。コイツ、また殺人を重ねたのかと思い、触手の先端部を横に丸めて拳を握り締めるようにしていく。その銀髪の女は、青いデニム生地のブラウスに青い膝丈のデニムスカート。ナイロン生地のグレーのスカーフを肩にかけて襟で結んでおり、唇にはクリアーのリップを引いていた。それらを含めて、なによりも変わっていたのは視聴覚室のモニターで見たときは十七歳の潮干ミドリの姿だったのが、今は見る限り、二三歳の潮干ミドリの年相応の色気と美しさを兼ね備えて成長をしていた姿となっていたのだ。
ーあの銀髪、わずか一週間以上で姉さんと同じくらいに成長したのか。何者なの?ーー
と、自身のわずか一週間でのバージョンアップを棚にあげていたのは、ご愛敬といったところか。その目線の先の銀髪の女がタヱに微笑みを向けて、艶やかな唇を開いていった。
「探したよ、潮干タヱ。そして、会いたかっただろ? 私だよ。潮干ミドリだ」
話す度に、鈍色のではなく銀色の尖った歯を見せた。
わざとらしいこの言葉を聞いて、タヱは否定していく。
「あんたは姉のミドリじゃない。誰だ? お前?」
「ふふ」
こう笑って、銀色の瞳の目を緩やかな弓なりにさせて。
「バレちゃあしょうがないね。そうだよ、私はあなたの姉、潮干ミドリではない。胚瞳羅だ。ーーーはじめまして」
2
女神ハイドラ。
胚瞳羅こと盃戸蘭。
海淵龍海の隠れ家から、つい先日に逃げ出した女。
そして、潮干ミドリの身体を奪った因縁の女。
その神が、潮干タヱの前に現れてきた。
タヱは後ろを見ずにトレンチコートの蛙男へ声をかける。
「磯辺さん、あなたは逃げて。この女神の相手は私じゃないとつとまらない。あなたは強いけど、神が相手じゃ殺されかねない」
「わわ、分かったんだ、な……」
そうひと言を残して、毅は跳躍するとどこかへ消えた。
気配が去ったのを確認して、タヱは言葉を続ける。
「神が私になんの用かしら?」
「あなたを奪いに来たのよ」
「姉の身体と私のとでひとつにするつもりね。ずいぶん手間のかかることするじゃないか。なんなら直接、母さんに会えば良かったでしょ?」
この言葉に少し沈黙したのちに、ハイドラは話していく。
「あなた、じぶんが人間ではないことをいつから知っていたの?ーーーあとね、私を殺す気? あなたの母親は強すぎるから嫌です」
「もう、ずっと前から気づいていたよ。半神半人だって」
「ほうら、ね。こんな日本の端に神の子。旦那ともども来た甲斐があったというもの。ペルセウス以上に面白いものを見せてちょうだいよ」
「ダゴンとハイドラか。夫婦そろってご苦労なことで」
強気な笑みを浮かべて言うタヱを見て、ハイドラは「ふふ」と笑ったあとに、後ろで怯える盗撮カップルに銀色の瞳を向けた。
「あなたの後ろの二匹、邪魔ね。不愉快だわ」
「“これ”でも人間なんだよ。今から法の裁きを受けるかもしれないから、見逃してやってくれないかな」
「うわあ、優しい。ーーーあなたは“これ”を殺さないけれど、私は殺…………!」
と言いつつ、腕を上げて後ろの文雄と裕美を指でさそうとした。
「危ない!」
タヱがこの声と一緒に踵を後ろに振ったと思ったら、文雄の横っ面を蹴って金網に当てて、次はそのまま横に一線足を真っ直ぐと蹴りやって、裕美の顔にぶち当てた。あっという間に同時に二発の蹴りを出して、盗撮カップルを気絶させた。この行為を見せられたハイドラは銀色の瞳を見開いて「ええ……」といったドン引きした。指しかけていた腕を下ろしながら、女神は聞いていく。
「あのさ、なにしてんの?」
「緊急避難」
「いや、私から見たらただ蹴飛ばしただけ…………」
「緊急避難だよ。ーーーあんたが人差し指を向けてきたから、危険を感じて民間人を避難させたの。分かる? その指先から危ない物を出して“この二人”を殺すと思ったから、やむを得ず早急な方法をとったの」
動揺していく女神ハイドラ。
「いや。いやいやいや。どっからどう見ても、お似合いのカップルを蹴飛ばしただけでしょ? ていうか、あなた、私をなんだと思ってんの。指先からビーム出すとでも? 無理です」
「うん。私たち陰洲鱒の女とキャンパスの女の子たちに迷惑かけてキモかったから、ムカついたから蹴ってやった」
「…………」
「蹴り一発ずつなんだから、慈悲深いほうだよ。私は蹴り足りないけれどね」
「あのさ、タヱちゃんさ……」
呆れて次の言葉が出せない女神をしり目に、タヱは金網に触手の両手をかけて力を入れていった。すると、ブチブチブチと音を鳴らして金網を引き裂いていき、真ん中に大きな穴を開けて、器用に足の指で文雄の襟足を摘まんだ。すると、細身とは言ってもある程度の体重のある成人男性をその足の指先で襟足を摘まみ男の身体を軽々と持ち上げて、横に振った。ヒュッと投げられた文雄はキレイに金網に開いた穴を通過して、駐車場に多少乱暴に落とされて転がった。タヱは続いて裕美の襟足も同じように足の指先で摘まんで持ち上げてヒュッと横に振って、金網の穴を目がけて投げ入れて駐車場に落としたのだ。そのあとに「あー、やだやだ」としかめっ面になって、足の指先を黒いワンピースの裾で拭いていった。このようなタヱの行動を不思議そうに見ていたハイドラが、質問をしていく。
「ねえ。あなた、さっきからなにしてんの?」
「ん? 癪だけど、コイツらを避難させた」
「なんで?」
「なんでって、あなた。今からやり合うことに巻き込まないためでしょ? 生きて裁きを受けてもらわなきゃ。“アレ”らが学会員だろうがなんだろうがタダでは死なせてたまるものか。逃げ場を少なくしてやる」
「ははは」
「ははは」
「あははは」
「あははは」
「わははは」
「わははは」
「あはははははは…………憤怒!」
女神ハイドラ、片手を高くかかげて空気中に銀色の光りの玉を生み出していき、それが手のひらの上で回転していくと同時に数本の灰色の細い煙の渦を作って巻いていった。そして、車道に足を広げて踏ん張り、その銀色の光りの玉を振りおろしていく。
銀髪の女神が叫んだ。
「連続噴火!」
アスファルトに叩きつけられた銀色の玉が触れた瞬間、それは膨張して赤く白く変わり、回転して大地を抉りながら真っ直ぐとタヱのもとに突き進んでいった。アスファルトを捲りあげて火を噴き山脈を築き上げていくさまは、海底山脈の噴火のようだった。迫り来る連続噴火を、タヱは迎え撃つかのように片足を前に出して上体を屈めて触手の両腕を広げて顔を前方に向けた。そして、稲穂色の瞳が虹色の光りを放ったそのとき。
首、両肩、肩甲骨、上腕、胸、肋、腰、外腿、脹脛。
と、上から順に虹色の鱗が光りとともに出現した。
鈍色の尖った歯を剥いて、地を蹴って走り出していく。
寸でのところでハイドラから放たれた玉をかわして、壁伝いに走り、女神に接近する手前で壁から跳躍した。突き進んだ噴火の玉は、ガードレールを破壊して川の向こう岸の石垣を溶かしてめり込んで消失した。銀髪の女神の頭上高く飛んだタヱは、宙返りしてその身を捻ってスピンさせていき、脳天を狙って踵を交互に蹴りだしていく。
「だりゃあああ!」
「憤!」
ハイドラが両腕を頭上で交差させて連打の踵蹴りを防いだが、手加減無しの陰洲鱒の女の力は桁違いだったせいか、衝撃が下に突き抜けて両足がめり込んでアスファルトを窪ませた。予想以上の力を受けて、銀髪の女神は銀色の尖った歯を食いしばる。
思わず、青筋が浮いた。
「ぐぬう……!」
そのまま踵で押し潰そうとしてきた頭上のブロンドヘアの娘を、両腕をグンと突き上げて弾いた。タヱが宙で身をひねり、片膝を突いて着地する。ハイドラは両腕を交差させたまま手刀にして、今度は手の甲の空間の上で大きな白い光りの玉を生み出して赤い炎の細い筋を渦巻かせていった。天高くかかげて、タヱを目がけて灼熱の玉を振りおろしていく。銀色の尖った歯を見せて、口角をあげた。
「灼、熱、玉!」
投げられてきた灼熱の玉に対して、タヱは触手の両腕を顔の前で交差させて踏ん張っていく。瞳の虹色の光りを強く輝かせて、身体中の虹色の鱗も光り輝いていかせた。そして、直撃してしまうのかと思われた刹那、触手の両腕を力強く真横に広げて灼熱の玉を左右に引き裂いた。半分に断たれた白い玉はそれぞれ金網ブロック塀と民家の石垣に衝突して、半球の形に溶かして消失。
こうした、タヱの身体に出現した虹色の鱗によって、変化が起こっていった。
同日。
ほぼ同時刻。
それぞれの勤務先または大学で。
長崎大黒揚羽電電工業㈱。
設計部。潮干リエ。
「くううっ……!」
製図の途中で、突然に目の苦痛を感じたと思ったら。
緑色の瞳が虹色に光り出した。
「リエさん!」
桜色のカッターシャツを透けて、両肩から虹色の光りを放った。
胸元から脹脛にかけて虹色の鱗が光り輝いていく。
全身の苦痛に床に跪いて肩を押さえて座り込んだ。
「リエちゃん!」
駆け寄ってきた設計部部長の八爪目那智に介抱された。
同じく、広報部。磯野マキ。
パソコンの液晶画面で作業中、両目と両肩に痛みが走る。
銀色の瞳は虹色の光りを放ち。
オレンジのカッターシャツを透かして虹色に光っていき、苦痛に喘ぎながら両肩を手で押さえていった。
「ああ……! いっ、痛い!」
「マキさん!」
「マキちゃん!」
一緒に作業していた広報部部長の八爪目煉によって介抱される。
同じく、通信設計部。
通信設計部部長。黄肌潮。
製図の途中で苦痛を感じ、両目を押さえた。
指の隙間から虹色に光り出した。
「あぐうう……! な、なんなの!」
黄土色のカッターシャツから透けて虹色に光りを放った。
椅子から跳ねるように立って壁に寄りかかったと思ったら、大きく身体を反らせて横に倒れこんだ。
「潮さん!」
「どうしたの! 潮さん!」
招き猫広告㈱。
広報部。摩周ヒメ。
液晶画面でレタリングしていたとき。
強く虹色に両目を光らせて、勢いで椅子ごと転倒。
白いカッターシャツの両肩から光る虹色を両手で押さえた。
「あうう……! 痛い! なに、これ!」
脹脛まで虹色の鱗が現れて光り出した。
床で身体を丸めていく。
「ヒメちゃん! ヒメちゃん!」
「ヒメさん! ちょっと、誰か!」
鳳自動車産業株式会社。
設計部。浜辺銀。
「うああ! 痛っ!」
製図の手を止めて、両目が虹色に強く光り。
両手で押さえた両肩からも虹色の光りが放たれていった。
脹脛まで虹色の鱗が浮き出て光る。
椅子に腰かけたまま、大きく痙攣して身体が反った。
「銀さん!」
「銀さん!」
㈱ジャガーモータース。
整備工場。龍宮紅子。
「なんなの! これ!」
作業準備を終えた直後、両目が虹色に光り輝き。
赤黒い作業着の隙間から虹色の光りが漏れていった。
身体じゅうに走る痛みに両肩を手で押さえてしゃがみこむ。
「ああ! 痛い! あぐうっ……!」
「紅子さん!」
「紅ちゃん! どうしたの!」
二代目社長の豹紋波沙美が駆け寄ってきて介抱した。
タイヨウエレクトリック長崎工場。
製造部。磯野カメ。
「わたくしに、虹色の鱗が……!」
作業開始前の、機械の点検を終えたときのこと。
橙色の作業着の隙間から虹色の鱗が現れて、光り出した。
銀色の瞳も虹色に光り輝いていく。
全身を駆けめぐる痛みに二の腕を手で押さえてしゃがみこんだ。
「痛い! 痛い!」
「カメちゃん!」
「誰か! カメちゃんが!」
海淵酒造。
代表取締役。海淵海馬。
陰洲鱒町の鋳造工場でのこと。
「ああ! 駄目! 痛い!」
赤い瞳を虹色に光らせて、赤いインナーの隙間から光りが漏れていく。膝丈スカートから下の脚の脹脛まで虹色の鱗が現れて、光り輝いていった。身体中を駆けめぐる苦痛に手で両肩を押さえて、壁に寄りかかった。急な事態だと察知した夫の海蔵が駆け寄ってきて、海馬を介抱していく。
長崎大学。
漫画研究部。摩周ホタル。
部室でシナリオを書いていたところ。
身体中の痛みを訴えて椅子を引き、虹色の鱗の出現とともに座ったまま丸まった。瞳が虹色の光りを発していく。
「ああう……! こ、これって、まさか!」
「ホタルちゃん!」
「なにがあっているの!」
四年生の真嶋聡子らに介抱された。
海淵龍海の隠れ家。
“家”の八畳間。浜辺亜沙里。海原摩魚。
「なに、これ! 痛い!」
「うああ! ぐうう……っ!」
虹色の光りを瞳から発しながら、身体中の虹色の鱗の出現とともに苦痛に喘いでいた摩魚が、隣で同じように苦しむ亜沙里の変化に気づいていく。
「あ、亜沙里! あなたの鱗の色!」
「え! 嘘! 虹色! なんで?」
そう、亜沙里は白銀から虹色の鱗へと変わった。
そして。榊雷蔵の家。
八畳間。潮干ミドリ精神体。
「おっはよー! かーれし!」
「あはは。朝から元気だな」
雷蔵の後ろから抱きついた精神体ミドリにも。
頸椎への締めつけが強くなって、白く長い脚を腰に巻きつけた。
羽交い締めであった。
脱出不可能と言われる絞め技だ。
当然のように雷蔵は苦しんでいく。
「うぐぐ……! ちょ、ちょっとタンマ! 朝から、これは……!」
「うわあ! ミドリ! なにしてんの!」
驚愕して目を剥いて駆け寄ってきた響子。
究極の絞め技をしていた黄金色の髪の女も苦しんでいた。
鈍色の尖った歯を剥いて、眉間に強く皺を寄せている。
緑色の瞳から虹色の光りを放った瞬間、吹き飛ぶように離れて畳に背中から落下した。そして、服の隙間と首筋と脹脛まで虹色の鱗を出現させて光り輝き、両肩を手で押さえて丸まって痛みを訴えていく。
「くああ! い、痛い! 誰! 誰が力を! あぐうう……!」
「ミドリ! どうしたの!」
「ミドリさん! なにが起こったんだ!」
そして、場所を新島悟の住む青い賃貸マンションに戻す。
灼熱の白い玉を縦左右に引き裂いたのちに、ハイドラを目がけて走り出した。女神も、タヱを迎え撃つために地を蹴って飛んだ。身をひねっての蹴り上げから頭を沈めて足を地面すれすれで横に振って、ハイドラの軸足を払った。足払いを受けて宙に浮くも、身体を丸めて受け身をとり、立ち上がってすぐにタヱの脳天を狙って踵を振り下ろしてきた。銀色の瞳が強く発光して、踵を蹴り落としたと同時に揺れてアスファルトをへこませた。
いない。
潮干タヱは、どこだ。
顔に風が当たるのを感じたときはすでに遅く、踵が顔面に迫っていた。とっさに腕をクロスさせて防御したものの、ほぼフルパワーのタヱの蹴りの威力が予想以上に強すぎて、駐車場のブロック塀を破壊して金網を変形させてぶち破った。背中から地面に激突する。痛さに喘いで咳き込んでいく女神ハイドラの隣で、タヱは片膝を突いて着地するなりにダッシュして自身の黒い自転車に颯爽とまたがり、ペダルを回して賃貸マンションの駐車場から脱出していった。
自転車で走るタヱと入れ代わるかたちで、複数台のパトカーが現れてきた。やっとのことで起きて立ち上がったハイドラは、息を切らしてひとつ呟いた。
「ああ……。久々に、コレ、は、キツイ、なあ……」
遠いところからくるパトカーたちを目撃。
「やっっべ」
お縄になるのは御免だとばかりにその場からダッシュして地を蹴って跳び上がり、民家の屋根やビルの屋上で八艘飛びをしていき逃走した。
深沢文雄と片倉裕美。
令状付きで現行犯逮捕。
3
同日。
再び榊雷蔵の家。
虹色の光りの共鳴が起こってから、だいたい二〇分経つ。
黒い自転車が到着して、黒いワンピース姿の女が降りた。
前カゴの黒いバッグを取り出して玄関に向かった。
「ただいまー」
潮干タヱ、帰宅。
「あー。疲れたー」
確かに。神との一戦を交えたあとならばである。
あと、新島悟と営みの件もあった。
板張りの廊下の先から「タヱちゃん帰ってきたね」と、瀬川響子の声が響いてきた。響子さん声だけでも可愛い人だって想像できるよねと、そう考えると顔がほころんで微笑む。先の八畳間の障子戸が開いていたから、そこへと入っていく。
「雷蔵さん、響子さん。ただいま」
「おかえりなさい」
と、雷蔵と響子から声をそろえて迎えられた。
そして、もうひとり。
「タヱ、おかえり」
「ひいいぃ……っ!」
稲穂色の瞳と鈍色の尖った歯を剥いて、肩をすくませた。
私は思っていた以上に疲れていたのか?
しかし、どっちの“疲れ”なんだろう。
ほぼフルパワーでやった女神との一戦での方か。
悟さんと明け方までヤってたの方か。
もう、どっちでもいいや。
なんで姉さんがいるの?
ハイドラは完全に退けてきたはず。
まさか。まさか私より速く先回りしてきたとか!
卒倒しそうになって必死に意識を引き戻した。
後ろに片足を引いて身体を支える。
「しし、潮干ミドリ、さん、ですか?」
「え? 潮干タヱの姉のミドリだよ」
対する姉は、緑色の瞳を“きょとん”と見開いて返した。
顔中に脂汗を噴いた妹のもとに近寄って、頭を撫でていく。
「妹との対戦ゲームで負けてムキになってブチギレて泣いたミドリちゃんでーす」
「あ。間違いない。私の姉さんだ! 私の姉さんだ!」
飛びついて抱きしめた。
稲穂色の瞳に涙が溜まっていく。
感動の姉妹のご対面。
おや?
「ん?」
一気に涙が引いていった。
姉の肩を触手で持って引き離す。
ミドリはニコニコとしていた。
「んんん?」
抱きしめた感触に違和感を覚えて、ちょっとごめんなさいと断ってからブラウスの襟元を触手の先端部で器用に摘まんで引いて、覗いてみた。すると、その隙間に広がっていたものは、遥か広大な銀河系宇宙。艶の消えた暗闇を下地にして赤だの紫だの青だの橙だのが混ざりあった箇所があったりなかったりしている中に、散らばる白い点は星たちか。天の川を発見した。私の姉さんは、身体に宇宙を飼っているの?と思っているうちに、なんだか引き込まれそうというか魂を吸い込まれてしまいそうになったような感覚を味わい、姉の肩に触手を乗せたまま頭を下げて「おうええぇ……!」と嗚咽する。そして顔を上げて見せたのは、引きつった笑顔。
「本当に私の姉さんなんだけど、なにかがか違う」
「精神体だから」
「はい?」
「精神体」
少しの間が空く。
姉の肩から触手を放して。
「な、に、そ、れ?」
「ん? 私の大事な身体はね、ハイドラという糞女に奪われちゃったんだ。ムカついたから奪い返してやろうと思って、そこの彼氏と響子に昨日依頼したんだよ」
「え! ハイドラなら、もう会ってきたよ」
「な! なんですと!」
緑色の瞳を見開いて、鈍色の尖った歯を見せて叫んだ。
お膳でくつろいでいる雷蔵と響子も驚いた。
その妹に、女神に会ってみた感想を聞いていく。
「どうだった? どうだった?」
「なんかね。姉さんと私の身体を奪ってひとつにするって言ってた」
「え? 姉妹丼?」
「なにそれ?」
「あのね、親子丼ていうジャンルがあるよね。その中に母娘丼があって、さらにその姉妹丼てのがあるんだよ」
「ねえ、今度姉さんの本棚見せてよ」
「え……。いや、ちょっと、それは……」
「東京から帰ってきたとき、さらに段ボール箱が増えていたよね? 持ったときめっちゃ重かったんだけど。私が見せてって言ったとき、顔真っ赤にして怒ってたでしょ。あれ、エッチな本しか入っていなかったの?」
妹から指摘を受けて、ミドリは顔中を真っ赤にした。
「ねえ、タヱちゃん。もうやめて……、お願い……」
「あ。ごめんごめん。ーーーそうそう。ハイドラだった」
「ハイドラ、ハイドラ」
みずから墓穴を掘ってピンチに陥っていたが、軌道を戻した。
「で、で。どうだった? 私と似てた?」
「姉さんに似てて美人だったよ」
「え……。や、やだ、もう」
熱くなった頬を両手で持った。
タヱはニコニコとしていた。
「うん。本当に姉さんにそっくりで綺麗だった。でも、県警のモニターで見たときより成長していたよ」
「どういうふうに?」
「私よりひとつ上の、二三歳になっていたんだよ。今の姉さんは、私と同じ二二歳だけど、“あっち”は二三歳年相応の色気があったかな。けど、姉さんの身体を盗った割には違う点がいくつかあったんだ」
「色気?」
「色気」
「違う点って?」
「姉さんは母さんと同じ黄金色の髪の毛だけど、ハイドラは銀髪。これも母さんと同じ、というか私にも出てきたけど、右側の七三分けなのに、ハイドラは左側の七三。まるで鏡写しみたいだったよ。これも姉さんは母さんと同じ緑色の瞳だけど、ハイドラは銀色だった」
「へえー。けっこう違っていて見分けつきそうだね」
「あと、もうひとつ違いがあってね」
「どこどこ?」
「姉さんと母さんはペタンコだけど、ハイドラはおっぱいがあった」
「あ?」
浮かぶ青筋。
「許さん。絶対に許さん」
鈍色の尖った歯を剥いて決意を固めた。
「おのれえー。神と言えども、Aに敬意をはらえないとは、許すまじ」
カップサイズのことである。
ミドリが妹の胸元に注目した。
「あなた美人になって、なんか“おっぱい”しぼんだ?」
これにタヱは怒るどころか胸元で触手を合わせて、ピョンピョン飛んで喜んで笑顔になる。
「ありがとう!ーーーそうそう。私ね、先週から身体に変化があってね。なにもかもが母さんと姉さんに近づいてきているんだよ! こんなに嬉しいことって、今の“手”が生えたとき以来!」
飛び上がって喜ぶ妹を、姉は嬉しそうに見ていた。
そして、いつの間にかミドリの後ろに回り込んだタヱ。
下から触手を滑らせて、服の上から姉の微かな胸を掴んだ。
「もうすぐで、“ここ”も同じになるはずだよ」
「ああ……っ。タ、タヱちゃん……、やめ、て……。お願い……」
顔中と耳まで赤く染めて、ミドリはタヱに懇願した。
この姉妹仲むつまじい様子を見ていた響子が、含み笑いで。
「あんた精神体だよね? 性感帯あったっけ?」
「ない」
即答。
「ないよね」
「ないよ」
「あたしと雷蔵がしたことって、食べ飲みできるように加勢したくらいでしょ」
「そうそう。でも今のは気分気分」
「そっか。気分ね」
いまだに精神体の姉の胸を掴んでいるタヱに顔を向けて。
「タヱちゃん。シャワーなりお風呂に入ってきて」
「わかりました」
と、鈍色の尖った歯を見せて微笑んだ。
4
タヱはシャワーで戦いの疲れを流したあと、湯船に浸かって八畳間に戻ってきたあと、雷蔵が作った朝食を全員でとり終えて片付けたのちに、各々が好きなお茶でくつろいでいた。
雷蔵が話しはじめていく。
「タヱさん。帰ってきたところで悪いけど、ミドリさんの身体を取り戻す依頼に協力を頼みたいと思っているんだ」
精神体の姉を見て響子と雷蔵に目線を戻した。
ちょっと驚いた顔になる。
「いいんですか?」
「ああ。君が良ければ」
「協力したい! 姉さんが完全に帰ってくるんだもの」
お膳に身を乗り出して稲穂色の瞳をキラキラとさせた。
妹の様子を、隣で頬杖を突いてニコニコと見ていたミドリ。
雷蔵の横で紅茶を飲んでいた響子も話しかけてくる。
「あたしも解決は早いほうが良いと思っているよ」
「そうだな。俺もそう思う」
座布団で胡座をかいている二人が顔を見合わせた。
そして、ニッコリ笑う。
向かい側で横座りしていた潮干姉妹もお互いを見てニコッとした。
「そういえば、場所はパワースポットならどこでも良いんだな?」
「そうそう。昨日の晩打ち合わせした通りでお願いね」
確認してきた雷蔵に、精神体ミドリは身を乗り出して微笑んだ。
今にも目の前の好青年に口づけをしそうな感じである。
斜め前のミドリを見てそのあと隣の彼氏に大きな黒い瞳を流した響子が、紅茶をひと口啜ってお膳に置いたあと口を開いた。
「ハイドラのヤツ、今朝、タヱちゃん嗅ぎつけてきたんでしょ? 次は警戒するんじゃないかな」
「そうですね。私、陰洲鱒の力を手加減無しで使っちゃったから、簡単には出てきてくれないかもです」
このタヱの言葉に、ミドリは目を見開いた。
「あの共鳴って、タヱだったんだ」
「え? どうしたの?」
「私ね、今朝、そこの彼氏に後ろから抱きついたら突然目が痛くなって光ったんだよ。あと、全身に虹色の鱗が浮かんできて痛みと光りがきたんだ」
「え。そうなの? 凄い!」
稲穂色の瞳を見開いて、口もとを両方の触手で覆った。
再びお膳に触手を置いて。
「あ。姉さんはそのままでいいんですか?」
「因縁の相手だからね。引かれてくるはずさ」
雷蔵の言葉を聞いて、ミドリは呟いた。
「なにそれ? 蛾みたいじゃん」
「強い光に引き付けられるんだ。似たようなものだろ」
「まあ、いいけどね」
ミドリの納得を見て、雷蔵は話しを続ける。
そんな姉に、おや?と思ってしまうタヱ。
「でだ。ーーーどうやって女神を誘い出すかだ」
「あんたがハニートラップになれば良いじゃん」
「え? 俺が?」
隣の響子から思わぬ提案を出された。
「ミドリと適当なパワースポットでデートしていれば、ノコノコ現れるわよ。奴さん、意外と単純そうだし」
「デデデ、デエト」
顔を真っ赤にしたミドリ。
雷蔵は後ろ頭を掻いた。
「デートかあ。そんなので来るかねえ」
「来るよ。あたしが保証する」
と、彼氏の肩に優しく手をやった。
そして、彼女に顔を向けて微笑んだ。
「ありがとう」
打ち合わせは続く。
「仮にハイドラから身体を奪還できたとして。お前、飲み会のときになんか言っていたよな? 全部取り戻せたら二人を助け出せるって。ーーー誰と誰だよ?」
「うふふ。なーいしょ」
こう微笑んで顔の前で両手の人差し指を交差させて「✕《バッテン》」を作ったミドリを見た三人が三人、可愛いと思ってしまった。
ひと休みしたあとは、ミドリの身体を奪還開始だ。




