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龍宮紅子、飲み会に参加する


 1


「来ちゃった……」

 呼ばれていないのに、勝手に来た女。

 龍宮紅子、参加。

 恋をしている少女のような笑顔でのひと言だった。

 身の丈百八〇センチのスレンダーでグラマラス。

 そんな体型を主張するかのような、ワンピース型のライダースーツは右肩だけが赤く、あとはシルバー。胸元までジッパーを下げていても、この場に揃っている全ての女性たちの中でも明らかに突出した胸の豊かさで、スーツの上からでもその大きさは自己主張をしていた。下には、ウィング襟の赤いカッターシャツが胸元まで顔を見せており、中央に寄って衣服で“谷間”を作っていた。鍛えた身体から作られた、くびれた腰。胸が大きくても、締まっているところは締まっているといったメリハリの効いた体型をしていた。仕事を終えてからすぐ愛車カワサキの1300CCに乗ってきたので、足首まである大きなウェーブを描いた黒髪を襟足でまとめている。そして紅子は、それは遡ること六月、ようやくアポがとれて雷蔵と響子に会ってお互いに話を交わした仲であり、護衛人カップルの知りたかった海淵龍海うみふち たつみの隠れ家、つまり虹色の鱗の娘たちを生贄の前日まで世話をする場所を交換条件付きで情報提供したのだ。その条件というのも、この私を口説き落としたら教えてあげても良いよ、といったもの。隠れ家を知りたいからやってみてよと響子に促されたガードが固い雷蔵は、これを拒否。俺は響子以外の女には興味がないからお断りします、隠れ家の場所は“こいつ”と一緒に探し出してみせますと響子の肩を抱いて紅子を拒絶したも同然な反応を見せた。これに対して、龍宮紅子は若干なんだか嬉しそうな顔を浮かべていて、鼻で軽い溜め息交じりに微笑みをあらわした、その矢先、この日たまたま非番で雷蔵の家に昼食にお邪魔していた稲葉輝一郎刑事と目が合って、そのまま互いに一目惚れしてしまった。ガードが固い女が、ガードの固い男(現職の強行課の刑事)に“ぞっこん”してしまったという。でも、百年近く独り身だった紅子が惚れてしまったのだから“そう”なのであろう。今や彼女は恋する乙女であった。二三年前のや摩魚たちに会って見せていたあのクールビューティーな印象は、どこへやら。

 そして先日、潮干リエたち陰洲鱒町の美しい妻たち四人と会って話したのは、先の六月の出来事ではなくて、一昨日の晩に恋人の稲葉輝一郎刑事を目的に雷蔵の家に仕事帰りで訪れたときに、彼氏が休みではないと聞いてちょっとだけ残念そうな顔を浮かべたら、雷蔵と響子から晩御飯をご一緒しませんか?と誘われたので「それじゃあせっかくだから、一緒にいただきます」とニコニコしてメンバーに加わり、居候のタヱも入れての四人で楽しんだ。そしてそのあと、ご馳走してもらったからということで、龍海の居場所の現在の状況を教えた。

 そんな過程は置いておくとする。

「輝一郎くんは、いる?」

 キラキラした頬を赤らめた笑顔で登場してきた紅子を見て、一番驚いていたのは福子とマキだった。それは七月のある日、仕事を終えて共に愛車のバイクをフェリーに乗せて町へと帰還していた中で、紅子が乙女の顔で好きな人ができたとマキに話していたから。その同じ七月に福子も、紅子と飲んでいたときに当人の口から惚気のろけを聞いた。しかし、残念なことに、今この場には稲葉輝一郎刑事はいなかった。

 そんな恋する乙女な龍宮紅子の目に、事務所の中の「惨状」が一瞬にして飛び込んできた。乱れた二人の髪の毛、上気した二人の顔、不十分な着衣、床に散乱している上下の白いレース柄の下着、床に落ちている一足の白いソックス、白いアクリル板のテーブルに置かれたベージュ色のシュシュ。おまけは、愛の営みを終えたばかりだと主張するように、響子の顔から露出している胸元にかけて白い肌を桜色に染めていたからだ。急いでカッターシャツのボタンを閉めていたので、ちょうど胸元から上は開いたままだったから、響子は片手で襟元までを押さえている格好だった。目線はというと、紅子に向いていた。変に生真面目な面がある紅子にとって、これは許しがたい状況であった。彼女の性格上、職場での「愛の営み」はあってはならない行為であり、空気と場を体液と“いかがわしい”気で汚されることはとても不愉快だったのだ。そのような紅子が一方的に判断した「惨状」を理解したくなくとも理解してしまったけっか、女の切れ長な眼は血走っていき、顔中と首筋にかけて青筋を浮かべ、鈍色にびいろの尖った歯を剥き出して口角を上げて、テーブルの先に立つ響子へと声をかけていく。

「何回戦まで、お済みですか?」

「まだ……、一回……」

 怒りを全面に出した相手を前にして、こう答えていく響子。

 大変に図太い神経の持ち主である。

 お互いに好きなものどうしという自信があったからだ。

 そう返した響子の表情を見た福子とマキは、ともに思った。

 ーうっわ! 響子ちゃんエロい!ーー

 修羅場ではないが修羅場と化した場で、観客になった。

 響子のこのひと言が、紅子の神経を逆撫でしてしまった。

 血走った稲穂色の瞳を見開き、尖った歯を剥いて声を荒げていく。

「“まだ”一回……? “まだ”だって? きさん! “まだ”ってなんじゃ! “まだ”って! お前、あと何回かヤルつもりだったんか! ここ、職場やろうが! おお!」

 と、手を伸ばして突っかかろうとしていたライダースーツの女を、福子は慌てて押し止めた。

「こら! 紅子! あんた長崎生まれ長崎育ちやろ! なんで四国中国の言葉使っとるんや!」

「福子さん、そこ、怒るポイントですか?」

 マキの的確な突っ込みを流して、紅子の怒りは増していく。

 その怒りに、響子が口を開いていった。

「うん。二回か、三回……かな」

「はあああ? 舐めとんのか、きさん!」

 稲穂色の瞳が、金色の光りを放ちはじめた。

 これには、さすがにギョッとして血の気を引かせた福子とマキ。

 マキも紅子を押し止めるのに参加する。

 女二人、黒い眼と尖った歯を剥いて声を上げていった。

「わわわわわわ! バカバカバカバカバカ! 紅子、アカンて! それはさすがにアカンて! ヤバいやろ! 今から“それ”使うのヤバいて!」

「こら、紅ちゃん! やめて! 抑えて! お願い抑えて!」

「あんた、人様の事務所血まみれにさらす気か! ええ加減にせえ!」

「響子さんの首、飛ばさないで!」

 そんなマキの訴えに、紅子は青筋を浮かべたまま。

「私は、そうするつもりじゃよ」

 と、一瞬だけ紅子の眼が黒眼と銀色の瞳に反転した。

 この変化を見逃さなかった四人。

 ー妖気。ーー

 これらを冷静に見ていた響子が、どうしたものかといった顔で困っていた彼氏へと優しく声をかけていく。

「雷蔵は先にシャワー浴びてきてちょうだい。“ここ”はあたしに任せて」

「ああ、分かった。お前がそう言うなら」

 そう返事して、雷蔵は事務所のシャワー室に足を運んだ。

 愛しい彼氏が奥へと行ったのを確認し終えたのちに、響子は紅子に再び顔を向けた。営みの余韻はいまだに残っていたのか、色気が増していた。乱れた黒髪も、それに拍車をかけていた。

 様子の変わった紅子を見た、響子の言葉。

「殺るんなら、さっさと殺れば?」

 なんだか、凄味も放っていた。

 このひと言に、紅子は驚きを一瞬見せたが、たちまち尖った歯を見せたまま口角を上げていく。瞳は銀色の強い光りを増していった。

「お望みとあれば」

 この二人のやり取りに、福子とマキは大口を開けて蒼白した。

「やめてや! 二人ともなにやってんねん! 響子ちゃんも挑発するのやめてや!」

「もー、響子ちゃんも紅ちゃんも、いい加減にしてください!」

「今日はみんなで一週間のねぎらいに来たんやろ? 血ぃ見るためやないやろ!」

「ここを戦場にしないで!」

 女二人からいまだに押さえつけられている紅子へと、響子のひと言が投げられた。

「いつまでグズグズしてんの? 早く殺ったら?」

 この言葉を聞いた紅子は口を強く結んで、襟足で結んでいた髪の毛を解いて足首まで下ろし、福子とマキを前方に力強く突飛ばして響子のもとにやった。そして、口角を上げて鈍色の尖った歯を見せた。このときの女三人、紅子の反転した黒眼と銀色の瞳をハッキリと確認した。両脇の福子とマキは、とっさに床に伏せて両手で頭を庇っていく。

「そんなに殺られたきゃ、まとめて殺ってやるよ」

 紅子の頭の後ろから、数本の黒く細い束が走っていく。

 福子とマキはとっさに頭を両手で庇って、床に伏せた。

 響子は軽く握った拳を顔の前に交差させて。

 紅子を除いた全てに極薄の青白い膜を張った。

 それはたちまち、青白い光りを失って馴染んでいった。

 白い光りを引き火花を散らせて、複数の斬撃が走った。

 響子だけでなく福子とマキまで容赦なしの殺意。

 まさに一瞬だった。

 本当に一秒か二秒経つか経たないか。

「…………は? え……?」

 一番驚いたのは、もちろん紅子。

 それから、福子とマキが続く。

 腹這いのまま、床に手を突いて上体と頭をあげて、まずは響子を見たあと事務所の様子を見ていったあとに横座りになって、じぶんたちの頬や頭を撫で肩を触り腰回りに太腿ときて最後は両手のひらを見ていく。

「あれ? 響子ちゃん、私、生きてる……?」

「え? みんな、切れて……ない? 嘘!」

 響子が交差させた腕から、紅子を睨みつけた。

「これが陰洲鱒の女たちの初見殺しの技だって?」

「な、なんで。なんで輪切りになっていないの!」

「あんたがいつまでもグズグズしていたからでしょ? あたしに時間を与えたことが原因よ。あんたもガードが固い女って聞いていたけれど、あたしのガードの堅さは世界一よ。わずかな時間があれば薄皮一枚分の闘気なんて、ぞうさもないわ。ーーーまあ、もっとも、あたしは常日頃から鍛練も兼ねてガードを作っているから、初見殺しの技なんてのも、あたしには意味ないけどね」

「うう……っ。うぐぐ……っ!」

 紅子は、銀色の光を強くしていく。

 鈍色の尖った歯を剥いた。

「人間のくせに人魚の私をコケにするとは、許さぬ。この使った娘からの殺意は本物だったんじゃぞ!」

 と、叫びと同時に放ってきた第二派の攻撃。

 今度は、倍の数の髪の毛の束が事務所の全てに斬撃を走らせていく。高い金属音を鳴らして、火花を散らし、白く強い光が福子とマキや事務所の床壁天井に書類棚や机にソファーなどの備品まで切りつけていった、つもりであった。そして、その中央に立っていた響子は、いつの間にか紅子の目の前まで移動してきていたのだ。エリア内に踏み入れた響子は、着地と同時に右手のひらを振りかぶって極薄の青白い光りの膜を紅子の顔に叩きつけたのちに、左手で口を塞いだ。最後は、間髪入れずに右の拳で紅子の土手どてぱらを殴って動きを止めた。すると、紅子は、黒眼と銀色の瞳の反転していた状態から白眼と稲穂色の瞳という通常の眼に戻り、出していた髪の毛を引いていき自身の黒髪へとおさめたあと、身体中からたちまち力が抜けていった。膝が抜けて落ちそうになったところを、響子から優しく支えてもらう。この様子をしばらく無言で見ていた響子が、静かに言葉を突きつけた。

「この勝負は、あんたの負けね。そして、あたしの勝ち」

 誰に向けての勝利宣言なのか。

 龍宮紅子に対してのではないことは確かであった。

 その間、福子とマキは再び自身の身体を確かめていく。

「また斬られてない……。マジで……?」

「わたくしたち、まだ生きている……」

 驚愕と一緒に感心を洩らしたのち、紅子が嗚咽した。

「ごめんけど、どいて」

 響子は紅子に肩を貸して歩きながら、呼びかけた。

 どうぞ、と二人の美女が手刀を流した先には、台所。

 サンキュー、と礼を返して流し台まで紅子を運び、響子は貸していた肩を外して彼女の隣に並んだ。鳩尾の辺りからナニかが上へと移動していき、それが込み上げてきたと思ったら紅子の長く細い喉を異形に膨らませて喘ぎとともにネバネバとした青白い物質が吐き出されていった。

「おげええええ! うえええぇぇ!」

「そうそう、悪い物を全部吐き出して。あなたは悪くない。あなたはなにも悪いことはしていないのよ」

 こう紅子の背中を優しくさすり、静かに語りかけていく。この間にも、紅子は粘度の高い物質を吐き終えた次は、濁った白い液体をびちゃびちゃと吐瀉していった。

「うげえええっっ! げほっ! げほっ! かはっ!」

「その調子その調子。頑張って紅子さん」

「ごほっ、けほっ! かはっ!」

 紅子が全ての不浄な物を吐いたところを見届けた響子は、頭を撫でていく。

「うう……。うええ…………! 響子、ちゃん、ごめんなさい……。福子、マキ、ごめんなさい…………。うええ……!」

 そして、今度は己の内側から溢れ出てきた悲しみ。

「うわああああん!」

 不本意とは言え、殺意を掘り起こされたわけである。

 紅子の背中を撫でたあと、人魚の二人に振り向き。

「福子さん、マキさん。シャワー浴びてくるね」

 「え? ええ、どうぞ。いってらっしゃい」

 と仲良く声をそろえて、響子を送り出した。



 2


 それから紅子は。

「うええ……。うう……っ」

 体育座りの膝をつけるかたちで座り込み、泣き出した。

 龍宮紅子は、ただただ泣くしかなかった。百年と二五年ほど生きていてこの女の背景は孤児ということ以外は未だ詳細は不明だが、戦時中と戦前直後はこの場にいる虎縞福子と磯野マキ、そして他は潮干リエと浜辺銀と黄肌潮と摩周ヒメと海淵海馬と磯野カメらと一緒に製造工場で働き、地元の長崎に帰還してきた仲で生きてきた紅子だった。孤児である彼女は双子の妹とともに、摩周安兵衛の弟夫婦の摩周刃之助とその妻の摩周七子に引き取られて愛情たっぷりに可愛がられて育った。そして、今までにいろんなことを見てきた。良いことも、悪いことも。先ほどの本人の意志とは関係はないが、殺意をさらしておいてなんだが、基本、紅子は殴る蹴るなどの争いは好まず生活を送りたいと考えていた女である。過去に大きな激昂したことがあったかどうか、あまりその印象が残っていないほどに、普段は物静かな女性であった。ただし、親しい仲間が傷つけられたときや、二三年前に脱出した摩周鱗子が付け狙われて命の危機に晒されていたときなどの例外をのぞいて、暴力または「見た瞬間“はい、さようなら”」のいわゆる初見殺しの技を使うときは使うが、普段は徹底してその使用を避けていた。彼女はもう、年齢的にも成熟した大人の女であったが、今のこの姿を見る限り、とてもそうは思えないくらいに少女だった。

 よって。正直、福子とマキはこの紅子の大いなるギャップに戸惑っていたわけで。百八〇センチの大女が、小さな女の子のような印象に変わっていた。

「ああ、もう、紅ちゃん。泣かないで」

「紅子。ほら、いい加減そのスーツ脱いで。それから泣きたいなら泣いていいから」

 女二人から紅子は立ち上がらされて、仕方なしにジッパーに手をかけていく。溢れて出てくる涙はおさまる様子はないようだ。まるで、妹ではないか。

「だって……だって……。私……、私……。うええ……」

「あなたがこんなに泣いているのって、久しぶりかも」

 そう言いながら、福子はシルバーのライダースーツをハンガーにかけて事務所の衣装がけを借りた。髪の毛を解いた紐を拾い上げたマキが、紅子の頭を撫でたあとに、軽くブラッシングしてからポニーテールにしてあげた。

「紅ちゃん。わたくしたちに、このようなあなたを隠していましたのね?」

 そう言いながら、彼女の頭を胸元に抱き寄せる。

 でも、そうすると。

「マキさん。あなたのその、ワンピース。汚れてしまうわよ」

 と、そう言う福子も紅子の頭を撫でていた。

「いいんです。わたくしの大切な人ですから」

 微笑んで返したマキ。

 そう。今日の磯野マキの格好はというと。薄いオレンジのワンピースに黒いベルトを絞めて、いつもの巻き髪は解いて、ハーフアップにして揚羽蝶の髪どめをしているといった、まるで、どこぞかのお嬢様みたいな姿であった。対する福子は、上はワインレッドのカッターシャツに、下は黒い膝丈のスカートで、薄い茶色の髪のセットは完全に下ろして、ポニーテールにしていた。百八五センチの身長と相まって、格好いい感じだった。

 これ以上はマキの服を汚してはいけないと泣きながらも判断したのか、紅子は彼女の胸元から離れて、響子の行った方向に顔を向ける。

「うぐぐ……。二人、とも……、シャワーから、帰って、こない……」

 拳に力を入れていく。

 切り替えも早かった紅子。

「響子ちゃん……、やってるんだ。二回、目……、やって、るんだ……。雷蔵くん……と。彼と、二回目を……楽しんで、いるんだ……。職場で……、職場なのに……」

 これを聞いていた福子とマキが、ああもうヤダという顔をした。

 紅子は、シャワー室のある方向を力強く指さし。

「私が、私が、みんなを殺そうとしたから! 雷蔵くん響子ちゃん怒らせてしまったんだ! 私が悪くないなんて嘘だ! じぶんの中から殺意を感じていたのを分かっていたの! でも、違うの! “そんなこと”は言い訳にしかならーーーー」

 皆まで言わせてもらうことなく、紅子の唇が塞がれた。

 誰が?

 福子の薄い唇が紅子の薄い唇を塞いだ。

 これにマキは、赤くなった頬を両手で持って驚く。

「ふ、福子さん! なにをなさっているんですか!」

 そんなときに、シャワーを浴び終えて着替えも済ませた雷蔵が戻ってきた。


 そして。

 新たな来客が招かれた。

 このタイミングでである。

「雷蔵ー! 響子ちゃーん! お疲れー!」

「雷蔵くん、響子ちゃん! 差し入れ持ってきたわよ!」

「今さっき会った謎の美女と意気投合しちゃって、そのままきたよ! あたしも差し入れ持ってきたから、今夜は飲み会しよう!」

「謎のツインテちゃんと仲良くなっちゃった! 今日は四人で飲んで発散しようね!」

 ニッコニコの笑顔で、尾澤菜・ヤーデ・ニーナと摩周ヒメが友達のノリで登場してきたではないか。久しぶりに雷蔵の事務所に足を運んできたニーナ、初対面のときからなんだか護衛人のカップルと意気投合してしまったヒメ、その女二人が各々の仕事の帰りに今日は週末だからと店で買ったおつまみと酒を持って榊探偵事務所に向かったときにパッタリと出会い、お互い初対面ながらも話が合って仲良くなっていた。そしてそのまま事務所に上がってきたわけだが。玄関から足を踏み入れた瞬間、福子の唇から紅子が唇を塞がれている光景を目に入れてしまった。

 仲良く一緒に驚きの声をあげる。

「ファーーー!!」

 危うく、両手の差し入れと一升瓶を落としそうになった。

 顔を赤くした摩周ヒメが、声を震わせていく。

「ふ、福子……。なにしてんの? ていうか、なにがあったの?」

「うひー。雷蔵のとこに来たら、美女どうしがキス……」

 ニーナも赤面して、戸惑っていた。

 そして女二人、当の雷蔵を発見。

 一緒に男に顔を向けて、同じ言葉を投げつけた。

「ちょっと、これどういうこと?」

「どうって……。俺も分からないですよ」

 雷蔵は、困った顔で言葉を返した。

 少し長めだったキスを終えたのか、福子が紅子の唇から離れた。名前の通り、顔中が真っ赤っ赤な紅子は福子を見上げていた。二人の身長差は、五センチ。高いのは福子。まるで彼氏のような顔で紅子を見つめながら、福子がひと言。

「お口がうるさかったから、塞ぎましたよ」

 実に、ご満悦。誰が?福子が。

 そして、先ほどまで激昂していたり泣いていたりしていた紅子は、不思議なほどにおとなしくなってしまった。それから、顔中を涙で濡らした紅子に、顔を洗ってきなさいと促して、洗面所に向かわせた。で、ようやく周りの視線に気づいた福子。

「え……? ここここ、これはいったい? なんで、なんで人が増えているの?ーーーあ! 雷蔵くん、いつの間に!」

 みるみる赤面してゆく毒のスペシャリスト。

 笑いを堪えている雷蔵。

 おつまみと一升瓶を手にしたまま、ヒメが突っ込む。

「なにやってんの」

「おおお口がうるさかったから……」

「やっっば。めっちゃ面白いんだけど」

「私のキスでことがおさまったんですから、終わりでいいんです! 終わり! はい、おしまい!」

 両方の手のひらをヒメとニーナに見せて、戸を閉めるジェスチャーをした。この福子を見ていたニーナが、ヒメに顔を向けて。

「あの赤と黒の服の人、めっちゃ可愛いんですけど。誰ですか?」

「ん? 彼女ね、虎縞福子って言って、毒の研究しているスペシャリストなの。ときどき訛りが出てくるところも可愛いんだよ」

「ハイスペック女子ですね」

「美人で、背が高くて、高学歴で。文句無しだよね」

 お互い名を知らないまま、ヒメとニーナは笑顔を見合せて話していた。そのときニーナの目に、いまだに床に散乱していた上下の白いレース柄の下着と一足の白いソックスと、テーブルに置かれたベージュ色のシュシュが入ってきて、一瞬にして状況を理解してしまった。

 雷蔵に顔を向けてのひと言。

「あんた、響子ちゃんとエッチした?」

「あら、まあ」

 隣のヒメが、頬を赤くした。

 答えを迫られた雷蔵は、赤くした顔で目線を外して後ろ頭を掻く。

「その通りだよ」

「わたくしと福子さん、夕方ごろに差し入れお持ちしてきますと、朝に伝えていたんですけど。ちょうど来たら、お二人とも愛を営まれてまして……」

 マキが雷蔵を指さし、ことの始まりを教えかけていたところ。

「もうええて」

 福子から手のひらで口を塞がれてしまった。

「痛いから、もうやめてくださる?」

 涙目で口を押さえたマキが、福子に訴えていく。

 尖った歯を剥いて、言葉を続けてきた。

「なんで紅ちゃんにはキスで、わたくしには手で叩くんです?」

 額には青筋が浮いていた。

 見上げているマキの頭を撫でていく福子。

「私たちが言うより、雷蔵くんと響子さんが言った方が良いでしょ」

「まあ、確かに……。そうですわね……」

 撫でられて恥ずかしくなったのか、マキは顔を反らして呟いた。

 これを含み笑いで見ていたニーナが、一升瓶を持った手でマキを指さして、ヒメに顔を向ける。

「あそこのお嬢様、可愛いくて面白いんですけど。誰ですか?」

「お嬢様……? ああ。あの子、磯野マキって言ってね。筋金入りのバイク乗りなの。彼女と福子ともども、響子さんと仲良しよ」

「バイク乗り? あの格好は、どこぞかのお嬢様にしか見えないんですが」

「そうね、そうよね。私も初めて、あの子のああいう服装を見たわ。びっくりしちゃった」

 ヒメも初めて見るマキの私服姿であった。


 洗面所から戻ってきた紅子。

 泣き腫らした目もとだが、心なしかスッキリしていた。

 しかし。

 福子に顔を向けて、しかめっ面になった。

「シャワー室から、喘ぎ声が聞こえてきた…………」

「おかえり。ーーー雷蔵くんなら、そこにいるでしょ」

 と、親指で雷蔵を指す。

 好青年に気づいた紅子。

「あ! …………改めて、お邪魔しています……」

「はい。いらっしゃい」

 笑顔で迎えた雷蔵。

 雷蔵は床に散乱していた響子の下着とソックスを拾い上げて、洗面所に向かった。洗面台の隣には全自動洗濯機があり、すでに入れていた自身の衣服とトランクスと響子の上着とスカートと下着とソックスを一緒にして、機械のスイッチを押して洗濯を開始させた。そして雷蔵が洗面所から戻ってきたその少しあとに、新しい衣服と下着に着替えた響子もシャワー室から戻ってきて姿を見せた。肩の下まである艶やかな黒髪は、ブラッシングしてきただけで、くくってなどはいなかった。

「あんたが洗濯機回してくれたの。ありがと」

 彼を見上げて笑顔になる。

 次は、周りの状況を確認していく。

「ニーナさん、ヒメさん。お疲れさま」

 ニッコリと笑って玄関でいまだに突っ立っていた女二人へと、手を振って挨拶していった。中へどうぞ、といった仕草をされたから、ニーナとヒメは事務所内に上がり込んでくると、それぞれが手にしていた“おつまみ”と一升瓶を白いアクリル板のテーブルに置いていった。

「福子さん、マキさん。お疲れさま」

 そう労われた福子とマキも、各々の差し入れを同じテーブルに置いていく。そして、ようやく、最後に紅子を見た響子。なんだが、先ほどの戦闘的な感じから視線が一変していたのだ。次に、紅子へと歩み寄っていく。



 3


「いらっしゃい」

 笑顔で紅子を改めて出迎えた響子。

 身長差は、十五センチ。

 響子が紅子を見上げる姿勢になる。

 これに対し、紅子は無言で目線を下に落として拳を震わせていた。さっきやっとのこさ、涙が止まったと思ったのに、親しく思っていた仲間を目にした途端に、再び泣き出しそうであった。これは、紅子自身も理解できないくらいの感情だった。それは、自慢の隠し球である初見殺しの技を、紅子の意識を保ったまま何者かに押されてしまい使ってしまったこと。そう、紅子自身にその風景を見せつけられたまま、何者かによって乗っ取られた上に殺人技をまんまと使われた。とくに悪人や犯罪者などではない、それどころか護衛人という一定のポリシーを持っていわゆる人助けを仕事にしている、どちらかと言えば善良な側の人である瀬川響子に対して殺意を抱き、目の前に立つ娘の首をはねようとした己の行動と考えは言い訳ができないくらい紅子自身が意識を持って見ていた。よって、紅子のこの震えは、自身のどす黒い負の面を見てしまった見せたことからきている。正直、響子の顔を見ることができないでいた。拳を握る力が、だんだんと強くなっていく。

 ふと気づいたら、響子の裸足は紅子の至近距離にいた。

 そして、首に両腕を巻かれて、胸元に頭が抱き寄せられた。

 響子は紅子の背中を優しく撫でながら。

「あなたって、妹みたい」

 次は、ギュッと頭を抱きしめた。

「あたしよりも百年以上も年上なのに、なんでこんなに可愛いの。ーーーでも、分かってほしい。あたしと福子さんとマキさんを殺そうとしたのは“あなた”、紅子さんじゃない。“私”、見たの。あなたの両目反転したのを。“誰かが”あなたを使って悪いことをさせようとした。ーーーだからもう、泣かないで」

 周りの女たち四人は、今にも泣きそうだった。

 でも、我慢した。

 これに驚きをしめしていたのは、雷蔵だけである。

 ーなるほど、事務所ここも響子たちも無傷か。ーー

 と、相棒であり弟子でもある彼女に感心していた。

 すると、なんだが空気が浄化されていったような感じで、事務所の中も本来のLEDライトの明るさを取り戻した印象だった。時間にしたらほんの数分だが、響子と紅子には数時間が経過したような感覚だ。やがて、響子は胸元から紅子を放して、後ろへ二歩下がった。そして、ニコッと微笑んだ。

「紅子さん、飲もうよ」

「そうね。そうしましょう」

 眼差しも普段のクールビューティーな紅子に戻っていた。

「なにか持ってきた?」

 という響子の問いに、玄関を出て踊り場の角に置いていた赤い一升瓶を持って再び部屋に入ってきて、瓶の底を手で支えて、柔らかい笑顔を向けて響子に見せていった。

「陰洲鱒町の老舗、海淵酒造の純米酒『赤龍せきりゅう』でーす」

「あ……。それ、消火器じゃなかったんだ」

「しょ、消火器?」

 ヒメの言葉に、紅子は動揺した。

 響子を除く女四人を見ていく。

 ニーナが追い打ちをかけてきた。

「ごめん。あたし、なんで消火器が二本あるんだろって思ってた。雷蔵、セキュリティすげーなと」

「ごめん、私も消火器だと」

「ごめん、わたくしも」

 福子もマキも消火器だと思っていた。

「ねえ、みんな酷くない? 海馬みまさんとこのお酒だよ? 『赤い龍』てアダ名のあった海馬みまさんのだよ? なんてこと言うの?」

 冷や汗をかいた紅子はまくし立てていく。

「というか、人様のお気に入りに対して普通そういう言い方する? なんでそういう言い方ができるの?」

 紅子から海淵海馬の名を聞いた途端に、ヒメと福子とマキの顔は暗くなった。ヤバい、殺されてしまう!と。ニーナが陰洲鱒の女たち四人を見渡していく。そして、不思議そうな顔をして隣に立つヒメに聞いていった。

「あのー、ヒメさん。海馬みまって名前が出てきてから、あなたと福子さんとマキさんが静かになっちゃったんですけど。赤い龍て呼ばれていたんですか? その人、元ヤンなんですか?」

「も、元ヤン? いやいや。その人はね、海淵海馬うみふち みまって言って海淵酒造の社長で、赤い目をしていてね、私よりも背が高くてとっても綺麗な人なんだ。けれど、彼女、“そういうの”が根っから嫌いな人でもあってね…………って、説明すると長くなるのよね。これはまた別の機会に」

「楽しみにしてます」

 微笑んで、ヒメに返した。


 それから、各々がペアになって四つのソファーに腰をかけていく。以下、時計回りで。

 響子と雷蔵。

 福子とマキ。

 紅子。

 ヒメとニーナ。

 白いテーブルには、皆がそれぞれ持ちよったお酒を並べていた。響子が雷蔵に頼んで、事務所の冷蔵庫から五〇〇と三五〇の生ビール缶を数種類と1ダース。残りの来客メンバーは純米酒や焼酎各種がそろったところで、やっとのこさで飲み会がスタートした。白い紙コップに酒を注ぎ、乾杯!お疲れさまです!と声を合わせた。皆がひと口酒を入れたのを確認した雷蔵は、切り出していく。

「今日は、初対面の人もいるから、皆さん自己紹介もかねて年齢もお願いします」

 さあ、楽しもう!の空気を一変して凍りつかせた男、榊雷蔵。

 瀬川響子だけはニコニコしていた。

 そして、構わずに進行していく好青年。

「時計回りということで、まずは俺から。榊雷蔵、二七歳。榊探偵事務所を経営していますが、本職は護衛人です。この仕事は十六のときから続けています。ーーーはい、次」

「いやいや。待って待って待って。ねえ君、今それ確認する必要ある? ちょっと無神経すぎない? オバサン怒るよ!」

「わたくしと福子さん、つい三年前にも言いましたよね?」

「ねえ、君さ。前聞いたこと覚えていないの? あり得ないんだけど」

「雷蔵くんさ、リモートで言ったこと聞いてなかったの?」

 福子とマキと紅子とヒメの陰洲鱒の女四人が雷蔵に向かって目と尖った歯を剥いていく。しかし、この護衛人の好青年にとってはどこ吹く風であった。彼の隣に座っていた響子が、困ったものねと顔をさせて、軽く肘で小突いた。これに気づいた雷蔵は隣の彼女を見たあと、再び三つのソファーに座る五人の女たちに顔を向ける。

「ええと。皆さん、資料に記されている年齢の割には見た目がお若くてびっくりですが、確認するために改めておっしゃってください」

「くおら! 雷蔵! その投げやりな棒読みはなんだ! 少しは感情込めんかい!」

「ねえ君。業務感丸出しすぎない? そんなんで女の子から年齢聞けると思ってんの? ねえ、思ってんの?」

「なによ、それ! お前なんでそんなに嫌がってんだよ!」

「雷蔵くん。少しは響子ちゃん以外の女の子に優しくしてもバチは当たりませんのよ? あと、面倒くせえって顔に出ていますけど! 隠すくらいの気づかいしてくれます?」

「響子ちゃん! これ、なんなの? 彼氏甘やかしすぎでしょ!」

 露骨な投げやり感にブチギレたニーナ。

 態度を改めない姿に火が付いたヒメ。

 本日、二度目の激昂していく紅子。

 響子以外の女へのあまりの無関心さに呆れたマキ。

 あんたの彼氏をしつけしろと福子。

 響子はニコニコ。

 面倒くせえなと頭を掻きだした雷蔵。

 隣の彼氏の態度を見て、さすがにこれはいかんなあと思った響子は、男の逞しい背中を優しく叩いて軽いため息をついた。そして、顰蹙ひんしゅくを浴びせている女たち四人に顔を向けて口を開いていく。今の響子の唇は、艶やかであった。シャワーのあとに洗面所で、クリアーのリップを引いてきたのかもしれない。

「福子さん。今気づいたんですが。そのマットな朱色の口紅素敵ですね。可愛い」

「……え?」

「マキさんも、そのパール系のクリアーオレンジの口紅可愛いよ」

「……は?」

「紅子さんのクリアーレッドのリップ、素敵ね」

「響子ちゃん……」

「ヒメさん。桜色のリップされていたんですね。可愛いです」

「あ、あら……」

「ニーナさん。それ、クリアーパールですか? ちょっとセクシーですね」

「もう。響子ちゃんったら」

 と、言い終えたあと立ち上がり。

「はい、次。福子さんから。お願いします」

 パンと手を叩いた。

「虎縞福子。鷺山製薬で毒の研究しています。百三八歳でーっす」

「磯野マキ。長崎大黒揚羽電電で広報部をしています。百二八歳でーっす」

「龍宮紅子。ジャガーモータースでバイク整備したり作ったりしています。百二五歳でーっす」

「摩周ヒメです。招き猫広告で広報部をしています。百二二歳でーっす」

「尾澤菜・ヤーデ・ニーナです。おおとり自動車産業で自動車作ってます。ちなみに、魔女です。あと、雷蔵と響子ちゃんと同じ護衛人もしています。二九歳でーっす」

 そして最後。

「瀬川響子、二二歳。雷蔵と同じ榊探偵事務所で探偵助手をしていますが、本職は彼と一緒に護衛人しています」

 これで閉めようとしていた。

 ところが。

「潮干ミドリ、二三歳でーっす。東京で十八から二一歳まで芸能人をしていました。よろしくね」

 いつの間にか響子の隣にパイプ椅子を引いてきて座っていた。

 両肩をすくめて、エヘッとした笑顔になり。

「来ちゃった……」


 潮干ミドリ。参加。




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