***㈨バイキング㊀***
ホテルに戻り部屋に入ろうとしたヨッシーたちは案の定、カードキーを持っていなかった。
オートロックを教えていなかったこともあるが、だいたい江戸時代の人たちは家を出る時に鍵を掛けて出る習慣がなかった。
侍屋敷には必ず奥さまやご隠居さん、それに家事を手伝う女中が居るし、長屋の場合はご近所さんに声を掛けて出掛ければ十分。
日常的に鍵が使われるのは倉庫くらいなもので、あとは寝る時に部屋の中から戸が開かないように棒を掛ける程度。
悪いことをすれば必ず罰が当たると言うことを皆が知っていたのと道徳心が現代より高かったので、テレビドラマで見るような犯罪はそうそう起きなかった。
それは100万人の大都市である江戸の町に、今で言う警官に当たる与力や同心が24人と、岡っ引きを合わせても100人程度しかいなかった事からもうかがえる。
翌朝はホテルのバイキングでの朝食。
今度はカードキーを忘れないように確認すると、越前さんがチャンと持っていた。
「しかし、こんな紙切れで戸の開け閉めが出来るとは驚きだのう」
相変わらずヨッシーは呑気。
エレベータ―で2階のフロントに寄り、先に宿泊の会計を済ませてバイキング会場のある1階に向かう。
途中で一足早く来て朝食を済ませた昨夜のラガーマンたちがいて少し緊張したが、彼らはヨッシーと越前さんにペコリと挨拶して行き、私にはヒソヒソと「バスタオルのネーちゃんだ」と囁かれて恥ずかしい思いをした。
2階のロビーから、吹き抜けの1階にあるバイキング会場を見下ろす階段を使って下に降りる。
私は、この雰囲気が好きで、このホテルを選んだ。
「おおっ!これは何と豪華な‼」
直ぐにヨッシーが感嘆の声を上げてくれた。
「しかし、これだけ全部食べろと言われても……」
越前さんは、和洋中にデザートの数々が並べられた食事の数々に驚いていた。
「好きなものを、食べられる分だけ取ればいいのよ」
「好きなものを、好きな量だけ!? 民百姓だけでなく武士と言えども好きなものを好きなだけ食べることは出来ないというのに、この世界は何とも贅沢……いや無駄な……」
「いいから、いいから、非現実的な食事を楽しみましょう」
相変わらず越前さんは現実的。
「越前、郷に入っては郷に従えじゃ」
「はっ」
2人にトレーを渡し、私はエスコートに務める。
ヨッシーは、珍しい料理を見ては「コレは?」とか「味は?」と興味津々でナカナカ良い。
「これはマグロの薄切りか?」
「いいえ、生ハムに御座います」
「ハムとは?」
「豚のもも肉を調味料と一緒に塩漬けにしたものに御座います」
「肉の漬物か、コレは面白い!……この白いのは?」
「グラタンと言って、小麦粉を牛乳とバターでジックリと加熱して煉り合せたものに、西洋乾麺などの具材を混ぜ、仕上げに表面にチーズ盛りつけて窯焼きにしたものでございます」
「ナカナカこれも旨そうだのう。このエビや貝が乗った赤飯のようなものは?」
「パエリアと言いう、西洋の魚介類炊き込みご飯に御座います」
「なるほど」
そう言うとヨッシーは生ハムなど、自分が気に入った物を次々と撮れに乗せていた。
一方、越前さんはと言うと……。
姿が見えないと思っていたら、いつの間にかもうテーブルに着き、私たちの帰りを待っている様子。
そのトレーの上に乗っているモノを見て驚いた。
なんと、越前さんのトレーの上には、白ご飯にお味噌汁、それに焼いた秋刀魚に漬物が幾つか乗っているだけの実に質素なものだった。
まさに一汁一菜を絵にかいたようなトレー。
幾ら和食が良いと言っても、サケの切り身もあるし、筑前煮に出汁巻き卵焼きだってある。
ほかにもブリ大根に煮豆や納豆、ひじきの煮物に冷ややっこや豚汁、お寿司に天ぷら、お刺身に釜めし、お赤飯に切り干し大根に枝豆や海苔の他にもマダマダ沢山ある。
なのに、なんでコレッポッチなの??
「越前さん、どうかしました?」
「どうかとは?」
ヨッシーが戻って来るのを、食事に箸もつけずに待っている越前さんに聞くと、いつも通りの穏やかな声で返事が返って来た。
「だって値段はもう前払いで済ませているから、いくら食べても何を食べても構わないのよ」
「うん、それはココに来る前に楓どのが教えてくれたよね」
「だから……」
「だから?」
う~ん、やっぱり越前さんは面倒くさい。
この人本当に頭が良いのかしら?
「だから普通なら食べたいものを色々選ぶでしょう?」
「私は普通に朝食をとりたいだけですから、これで結構ですが」
「いや、だから、宿泊旅行の時くらいは贅沢したくなるでしょう?」
「贅沢ですか……」
続きを話すのかと思っていたら、越前さんは相変わらず穏やかな顔で私を見ているだけ。
“あーっ、面倒くさい‼”