***㈧大浴場の惨劇と焼き鳥㊁***
突然、脱衣場の方から悲鳴が聞こえ、何やらざわついていた。
嫌な予感しかしない。
もしかして、あの2人絡み? 越前さんは超有名な町奉行だから言いつけは絶対に守るから部屋を出ることはないだろうけど、ヨッシーの方は呑気だけど自由奔放。
ヨッシーと越前さんは主従関係だから、いくら越前さんが制したとしても、ヨッシーが行くと言えば無理に止めることは難しい。
慌てて湯船から出て脱衣場に向かうと、従業員の人がチョンマゲ姿のコスプレイヤーと酔っぱらった岸和田工業のラグビー部員とがお風呂で大乱闘になっているとか言って、警察を呼ぼうかどうしようかとアタフタしていた。
“思っていた通り!”
思っていた通りだけど、当たって欲しくはなかった。
おまけに警察沙汰なんて……。
「警察への連絡はちょっと待ってください!私の連れなので、謝ってきます‼」
どうせ喧嘩と言っても、社会人ラグビー部のマッチョマンを相手に、ヨッシーも越前さんも現代の標準身長以下でスリムな体形だからボコボコにされているに決まっている。
「止めて下さい! 私が謝りますから‼」
警察沙汰よりも、2人の安否の方が気になって周囲のことなんて何も見えずに男湯に飛び込んでいた。
「謝る?」
「楓どの……」
男湯の湯気の中から目に飛び込んで来たのは、私の予想を超えた凄惨な光景だった。
浴室に転がる何人かの痴態。
そのどれもが筋肉粒々たる堂々とした体躯の持ち主で、露になっているモノを含めて目のやり場に困る。
そして洗い場に正座する男たちを前に立つのは、当然の如く真っ裸の越前さんで、ヨッシーはその向こうの湯船の端に座り越前さんを見守っていた。
「あ……あの、何をしているのですか?」
「ああ、これは楓さん。どうかなさいましたか?」
裸の越前さんは、前を隠そうともせず私の方に振り向いた。
脱ぐと意外に細マッチョで、思ったよりも大きい(ナニが!??)
「あの、わっ私、喧嘩だと聞いて慌てて……」
「ああ。そう。この人たちが上様の髷に手を掛けたので少し打擲してやったのです」
「ちょうちゃく?……それで今は?」
「成人した男子として身に着けておかなければならない、規制や制約について彼らに説教をしていたのです。
「打ち首にするつもりじゃないんだ」
「まさか違う世界に来てまで、江戸の法度を適応するわけにもいかないでしょう」
さすが名奉行と言われただけあって、素晴らしい解釈!
それに説得力もなんたって天下の名奉行だから、あの荒くれ者たちで有名な岸和田組のラグビー部員たちも涙を零しながら越前さんの説教を静かに聞いていた。
一応騒ぎとしては大きかったものの、物品の損害や怪我をした人も居なかったし、大岡裁きで“両社手打ち”となり穏やかに事件は解決した。
「それにしても、腹が減ったのう」
喧嘩の発端となったヨッシーは、喧嘩にも裁きにも参加せずズーっと見ていただけだったのに、可笑しくて笑った。
「楓、何が可笑しい?」
「だって喧嘩の当事者が何もしないで“腹が減った”なんて」
「はっはっはっはっは」
ヨッシーは返事の代わりに、愉快そうにただ笑ったが、その視線が私の顔から下を見ていることに気付き急に恥ずかしくなった。
そう、女湯を慌てて出て男湯に駆けこんで来た私の格好は、裸にバスタオルを巻いただけの姿。
「キャーッ‼ エッチ‼」
エッチな格好をしているのは私自身なのに、人のせいにして男湯を後にした。
「炭火の香りがいいのう」
「これは焼鳥の匂いの様ですな」
「あらっ、江戸時代にも焼き鳥はあったのですか?」
私たちは匂いに誘われるがまま、小さな焼鳥屋の暖簾を潜った。
ヨッシーが話すには、日本での焼き鳥の始まりは今から1200年前の平安時代には既に“焼鳥”は餐宴料理として出されていたそうだ。
ヨッシーは幼い頃から英才教育を受けている徳川御三家出身だけあって、焼き鳥の歴史のことまで知っているとはさすが。
「それにしても、身が大きいのう!」
「鶏肉ですから」
「鶏肉とな‼」
「食べちゃいけないのですか??」
「……いや、構わん」
ヨッシーはそこまで言うといつものように笑ったが、越前さんに教えてもらったところによると、江戸時代にもシカやイノシシ、クマなどの肉は食べることが許されていたが、農耕用や輸送手段として使われる牛や馬、卵を産むために育てられている鶏、ペットとして飼われる犬や猫といった家畜を食べることは禁じられているということだった。
目の前にある焼き台の上で焼かれる焼鳥を眺めていると、私たちの時代と身分を越えてお互いの心の距離が縮まって行くような不思議な感覚を覚える。
「越前さんは、焼き鳥は食べたことありますか?」
「ああ、それはもう、しょっちゅう」
「そんなに!?」
「神田の明神様とか、湯島の天満宮様の境内とかでは、よく屋台が出ていますから市中見回りの際に食すことが多々あります」
「さっきの話しでは鶏肉は使ってはいけないと言うことでしたが、どんな鳥のお肉を焼いていたのですか?」
「江戸の焼肉と言えば、ヒバリやスズメが多いです。あとはハトやサギ、ウズラなんかも」
「どのお肉が一番好きですか?」
「私はスズメかウズラですね」
「俺は、この鶏肉が一番気に入ったぞ!」
いつの間にかヨッシーはオヤジさんに言って、ひと串先に貰って食べていた。
「上様!」
「大丈夫、家畜の肉を食べるのは、この見世物小屋の中の世界だけじゃ。さっさっ楓も越前も焦げないうちに早く食べろ」
ヨッシーはそう言うといつものように笑い、日本酒をグビリと飲む。
「これほど透明だと、まるで水と間違えて飲みそうじゃ。それにしても、焼き鳥はやはり酒に合うのう」
「いかにも、この炭火と焦げる油の香りが絶妙に日本酒と会いますな」
「はっはっはっ」
味ではなく、香りのことまで言う越前さんの解説に納得!
私たちもヨッシーの笑い声に誘われるように日本酒を飲み焼き鳥を摘まみ、そして一緒に笑った。
今日一日、思ったより色んなことがあり過ぎて酔いのまわった私は、いつの間にか越前さんの肩に寄りかかっていた。
「かえで、どの……」