***㈢注文の多い見世物小屋***
忠相の思惑に反して、見世物小屋のあるという裏通りに案内されるまで怪しい人影はなかった。
それよりも驚かされたのは、楓と言う女が見世物小屋と称した建物。
南町奉行である大岡越前守忠相にとって、江戸の町は自分の家の庭のようなモノ。
この裏通りには入った記憶は薄いが、江戸の裏通りと言えば倉庫や長屋などの粗末な建物が立っているはず。
しかし目の前に現れた見世物小屋と称する建物は、どこからどう見ても立派な屋敷だ。
「こ、これは、いったい……」
「あら、どうしました?」
武家屋敷とか商人や町の有力者の屋敷などの富裕層の屋敷は、犯罪のターゲットになりやすいので奉行たる職にある自分が知らぬはずはない。
「この場所に、このような屋敷はなかったはず! そなた、何者!?」
「普通の女よ。それに江戸の町は日々進化しているの。アンタが何の仕事をしているのか知らないけれど、このような路地裏に実際に暮らしていない以上たとえ南町奉行大岡越前様でもその進化には追いつけないわ。だから知らなくて当然よ」
「しかし……」
「まあ、よいではないか。まして今のオヌシは浪人であって、決して南町奉行大岡越前さまではないであろう?」
偶然にしても楓と言う女が浪人に変装している忠相の正体を見破ったような発言をしたことが吉宗には愉快でたまらなかったらしく、忠相の肩をポンと叩いて楓の尻を追うように屋敷の中に入って行く……いや、“ように”ではなく吉宗は楓の尻を追っているに違いない。
庭は殆ど無いと言っていいほど小さいが、玄関には看板が掲げてあり、楓が言ったようにチャンと『見世物小屋・山狐軒』と書いてある。
玄関は白い石で組んであり、実に立派なものだった。
そして引き戸には、『どうぞ遠慮なくお入りください』と書かれてあった。
「さあさあ、入りましょう!」
楓に催促され、吉宗と忠相は引き戸を開けて中に入った。
広い玄関には『草履を脱いで、どうぞタライの水で足を洗ってお上がりください』と言う札が掲げてあった。
3人は玄関の上がり框に腰掛けて履いていた草履と足袋を脱ぎ、それぞれ用意されたタライで足を洗った。
濡れた在血を手ぬぐいで拭き終わり玄関に上がると、その先の廊下は『殿方用』と『婦人用』のノレンが掛かった廊下が左右に分かれていた。
「ほほう、風呂屋みたいだな」
呑気に言う吉宗とは異なり、忠相は一抹の不安を覚えた。
ここで楓と別れることにより、私たちは2人きりになる。
もしも楓が……いや楓に仲間が居てその一味に私たちを襲う意図があった場合、一緒に行動していると仲間である楓ごと始末しない限り乱戦は必至。
相手がどのような剣術の腕前かは分からないが、この大岡忠助多少なりとも南町奉行として恥ずかしくない剣術の腕を持ち合わせているので賊ごときに易々とヤラレはしない。
しかし楓が居なくて獲物である私たちだけになった場合、襖の影から闇雲に槍で突こうが部屋に火を点けようが味方の損害無しに抹殺できると言う訳だ。
これは楓と別れる訳にはいかない。
一旦この見世物小屋とやらから抜け出し、再度入るにしてもその前に部下の者に調べさせてから出ないと……。
忠相は思案を巡らせていたが、いつの間にか吉宗が居ない事に気が付いた。
よもや1人で“殿方用”の通路に進んでしまったのではないだろうか……いや、将軍ともあろうお方が、そんな軽はずみな行動をとる訳がない。
「お~い、忠相も早く来い!」
そう思ったのも束の間、殿方用の通路の向こうから自分を呼ぶ吉宗の呑気な声が聞こえて来た。
忠相は意を決し、刀の柄に手を添えて一目散に暖簾を潜り抜け、吉宗の居る廊下の奥の部屋に向かった。
「あっ‼」
部屋に入ると、着ぐるみ剥がされた裸の吉宗が居た。
「上様!コレは一体何ごとで?」
慌てて忠相が聞くと、吉宗は壁の張り紙を指さした。
そこには、こう書かれていた。
“恐れ入りますが着ているものを全て脱いでください”
「これは、なんと言うことでしょう……」
「きっと着物では動き辛いのかも知れん。それとも見世物とやらは風呂の中かも……」
そう言うと吉宗は急いで次の部屋に向かって行ったので、忠相も仕方なしに服を脱いで追いかけたが刀だけは持って行った。
次の部屋にもまた張り紙があり、こう書かれていた“どうぞ特性のお風呂に入って体を温めて下さい”
見世物小屋に入り、何を見るのかは分からないが、それにしても風呂まで沸かしてあるとは何とも不思議。
子供のように湯船に浸かって燥ぐ吉宗とは違い、忠相の不安な気持ちは積もるばかりだった。
風呂を上がると、今度は張り紙が変えられていて、こう書かれてあった“壺の中にクリームを入れていますので、どうぞ体に塗ってください”
文字の書いてある張り紙の下には、備前焼の壺が置かれてあり、中には甘いバラの香りのするクリームが入っていた。
忠相は、壺に手を入れて体にクリームを塗り始める吉宗の手を掴んで止めさせた。
「どうした?忠相」
「上様、なりません!」
「なぜだ?」
「コレは恐らく……この廊下を進む先には恐ろしい怪物が居て、我々を食おうと待ち構えているに違いありません。だから服をはいでスープに浸からせて温かくなったところで体に味を塗り込んで……」
「そこで、パクリか!?」
「左様で」
「はっはっはっ」
何が可笑しいのか、吉宗は急に笑い出した。
「上様!如何なされました‼」
「忠相、そなたは本の読み過ぎではないか? なんとなく将来、その様な小説が産まれそうな気がして面白いわ」
「はあ、そ、そうですか……」
吉宗の言葉に、どう答えればいいのか悩んでいるうちに、その肝心の吉宗はいつの間にかスタスタと次の部屋に消えていた。
そして
「うえさまぁ~~~~‼‼‼‼‼」