***㈡謎のおんな楓(かえで)***
「確かに旨いが、チョッと出汁が辛いのう」
「はい。なにせ昆布は高級品ですので庶民には行き届いておりませんから」
(※この頃の北前船の航路は日本海を通るので、特に江戸では昆布は入りにくく関東ではカツオや煮干しで出汁を取るのが一般的でだった)
「しかしこのタコの方は、さすがにオヤジが薦めるだけのことはあって歯ごたえもあり旨い!絶品じゃ‼」
神田川の川辺に座り、串に刺してあるタコを食べながら吉宗が言う。
「はい。江戸の漁師たち……これは江戸だけではなく紀州でも他の地域でも同じなのですが、漁師たちは私たちがまだ寝ている時に漁に出かけ、私たちが起きる前には既に市場に運び込んでいます。そして私たちが目覚めた頃には、市場で買い付けた魚屋が店に戻って来る。ですから私たちは常に新鮮な物を食べることが出来るのです」
「つまり、旨い魚を、旨いうちに食わせるのだから、不味い訳がない。ということか!……しかし、余った物はどうする?」
「余ることはないでしょう」
「何故そう言い切れる?」
「漁師たちは取れるだけ漁をするのではなく、市場からの需要を見込んだ数だけしか漁をしません」
「さすがじゃ‼ 余って腐らせるのももったいないが、取り尽くしてしまって数を減らしてしまってはしょうがない」
「はっ、何事も、ほどほどが良いようです」
「忠相、お主も良い事を言うのう」
「上様こそ“一を聞いて十を知る”とは正にこれ。恐れ入ります」
「はっはっはっ。コイツめ、褒めても今の余は町人だから、何にも出ぬぞ」
「あ~ら、お兄さん、ご機嫌なこと。何がそんなに面白いのかしら?」
川辺に座り込んで串に刺してある煮物を陽気に頬張っていると、不意に女に声を掛けられて振り替えった。
声の主は、恐ろしく美人の遊び人風の女。
眼はキリっとした目ではなく、二重でパッチリした子供のような甘い目をしているのとは逆に、鼻は筋が通っていて生意気なくらいツンと立っている。
髪型は今流行りの兵庫髷や島田ではなく古風な根結いの垂髪だが、派手な着物に禁じられている袴を街中で堂々と履いている姿は艶やかで新鮮味がある。
背は男と見間違うくらい高いが、顔は小さく体も華奢だが尻は大きい。
歳の頃は20~30歳前後と言うところ。
見た目の判断に幅があるのは成熟したところと未熟なところが色々とチャンポンされているのと、相反する印象をあたえるそのいで立ちが女の魅力を更に引き立てていることは間違いない。
忠相が近寄ってくる女の分析をしているにもかかわらず、吉宗は鼻の下を伸ばして既に女のペースにはまっていた。
若い頃“暴れん坊”で有名だった吉宗には、もう一つ困った一面がある。
それは“女好き”。
女は既に上様の腕に自らの腕を絡め、その豊満な胸を押し付けていて、上様のほうも女の腰を引き付けるように抱き寄せている。
その光景を第三者的に見て例えるなら“欲情したバカップル”そのもの。
周囲の者たちも、そのように解釈しているのは丸分かりで、ニヤニヤと2人をエロ目線で見ている。
「上様!このような場所で、なんたる破廉恥な‼」
「あら、アンタ“上”って言うの?変った名前ね。私は楓よ、よろしくねっ」
女が上様に抱き着いたまま、上様のことを呼び捨てにした。
「こらっ女! チャンと“様”を付けなさい! それにこのお方は、お前ごときが軽々と抱き着いて良い身分ではないぞ!それに言葉遣いもタメ口ではなくチャンと敬語を話さぬか!」
「あ~んた偉い人なんだ……じゃあちょっと、見世物小屋で遊んでいかない?」
「こらっ!女! 私の言葉を聞いておるのか‼」
珍しく忠相がハラハラ&イライラしている。
公明正大で冷静沈着な南町奉行、大岡越前守としては決して見せたこともない狼狽えように、吉宗は可笑しくて余計ウキウキして女の言うことをなんでも許していた。
かくして2人は、女に誘われるまま見世物小屋へ向かう。
「この路地の向こうか? 狭い所に……しかも人気のない所にあるのだな」
「そーよ。だって人気のお店なんですもの。人通りの多い大通りに面していたら、人がごったがえして商売にならないわ」
人気のない裏通りと言う場所に一抹の不安を覚えた忠相は、右手を刀の柄に添えて周囲の気配を敏感に探る様に進む。
「いやん、もうエッチね!」
しかし吉宗は、周囲に警戒している忠相とは反対に、楓の腰に添えていた手を少し下にずらしてお尻をナデナデしていた。