***(十五)締めのクサヤ***
「まだ、お時間は御座いますか?」
「あっ……ええ……」
急に竹中さんに聞かれて、慌てて答えた。
「じつは、いいクサヤが入ったので、試していただけないかと思いまして」
「クサヤって、あの、魚を干した、あのクサヤですか?」
「そうです。もちろんコレは、私からのお願いですから、クサヤだけでなく、それに合いそうなお酒のお代もいただきません。……駄目、ですか?」
食べている時間だけ。
吞んでいる時間だけ。
その分、ヨッシーと越前さんと長く居られる。
初めてのタイムアテンダントの役目を無事終える安堵感よりも、何故か私は2人と別れる時間が近寄って来る気配に怯えていた。
だから竹中さんの申し出は、とても嬉しかった。
ただ、問題なのは、ヨッシーと越前さんの“時間”の問題。
遅れてしまうと、間に合わなくなってしまう。
「これだけ旨い寿司と旨い酒を用意して戴いたうえに、その店主からの願いとあれば、断る訳には行きますまい」
越前さんが答えを迷っている私の背中を押してくれる。
「それに、俺もマダマダ楓とは話しておきたいことが多すぎるから、コレは好都合。クサヤに勝る酒などそうそう無いと思うが、受けて立とうではないか」
ヨッシーの言葉が私の涙腺に触れる。
「あ、はい。宜しくお願いいたします」
炭火の匂いが、しばらくするとクサヤが焼ける臭いに変わってゆく。
その匂いを味わいながら、話が進む。
「贅沢だのう。この見世物小屋の世界は」
「そうですか? こう見えて、ナカナカ皆さん生活に苦しんでいるんですよ」
「それは、自業自得だな」
「自業自得?」
ヨッシーは将軍だから、そんなことが平気で言えるのだと、少し反感を持って聞き返した。
「例えば、食」
「食……と、言うと」
「この寿司屋は別として、コノ世界の味は、おおよそ濃い過ぎやしないか? これでは食の素材が本来持つ味が消されてしまう。味が濃いと直ぐに味に慣れてしまい食った気がしなくなるし、噛まなくなる。コノ世界の米は確かに甘くて旨い。だがその味を味わう前に、味の濃いおかずが、その甘みを消してしまっている。そして最も重要なのは、甘みは空腹感と非常に密接な関係があるということだ。よく噛んで食べれば少量でも甘みを感じ食った気がするが、ろくに噛みもせずに味の濃いものを食べていると少々の量では満腹感を得ることが出来ない。だからコノ世界の住民は沢山の量を食べなくてはならない、そしてそれ故に太ってしまい更に多くの量が必要となる。違うか?」
たしかにヨッシーの言う通り血糖値と満腹感は深い関係がある。
でも、そんなこと何で江戸時代の、しかも医者でもないヨッシーに分かるの?
「苦しい生活についてですが、私は家族構成にも問題がある様に思えました」
ヨッシーの次に越前さんが口を開いた。
「初日のお祭りの時からズーっとコノ世界の民たちを見てきましたが、どうも最小単位の家族構成になっているようにしか思えません」
最小単位の家族構成とは、核家族のこと? でも、なんでソンなことが苦しい生活と関係があるの??
「本来家族と言う物は、社会構成上の最小単位となるべきもの。そこには曽祖父が居て祖父母が居て父母が居て息子、或いは息子夫婦が居て孫がいる。つまり孫は幼い頃から大人の社会構成を目の当たりにしているから自然と年長者を尊ぶ精神が根付く。更に曽祖父から孫迄同じ屋根の下に暮らすということは、生活費の面でも負担はより少なくなります」
たしかに家賃は1軒分で済むし、離れて暮らす祖父母の面倒を見に行く手間と時間も省けるし、食事も皆で食べればいいのだから世帯ごとに調理するよりは効率的。
でも、プライベートな時間が制約されるのは少し困るな……。
「でも、どうして街を歩いていただけなのに、世帯の家族構成なんかが分かったのですか?」
越前さんの凄過ぎる洞察力は、ひょっとして何か特殊な能力を持っているのだろうかと思って聞いてみた。
「誰だって直ぐに分かります。祭りに来ていた者たちの多くは独り者の若い衆、そして街を行く人たちだって夫婦あるいは夫婦に幼い子供ばかりで、その上に居るはずの祖父母の姿は一緒に居ない。お年寄りはまるで独り身の若者のように個人単位かお年寄り同士でしか見かけませんでした。それに……」
「それに?」
「たまに上様や私に声を掛けて来る若者の言動で分かります」
「それは?」
「年長者である私たちに臆することもなく、平気で雑な言葉を掛けて来るではありませんか。幼い頃から祖父母と一緒に暮らして入れば、そんな言葉遣いをする者は江戸には居ません。居るとすれば親の居ない孤児くらいなものです」
あー……今の感覚から言うと、チョッとウザいかもって思ってしまうけれど、それは私も核家族で育ったからなのかも知れない。
両親は共に仕事で忙しかったから、たまに田舎の祖父母の家に行った時くらいかな、私が少し悪戯したときに起こるのではなく、道理として優しく導いてくれたのは。
話が一旦途切れたタイミングを見計らって、焼けたクサヤとお酒が提供された。
今回のお酒の器は、御猪口ではなく湯飲み。
「このお酒は?」
「静岡の白隠正宗です。米は先程出した燦然と同じ岡山県産の雄町を使用していますので、味の違いもお楽しみください」
燦然のスッキリとした吞み口とは違い、この白隠正宗はクサヤ独特の味に負けないドライな辛口だが、ほんのりとした甘さもありクサヤの味を邪魔することなく呑める。
帰りたくない今の私にはピッタリの、いくらでも飲み続けることが出来るこの酒を締めにチョイスしてくれた竹中さんもまたヨッシーや越前さんに負ける劣らずだ。
この物語は日曜日に最終回となる予定ですですので、明日(土曜日)も朝6時の予約投稿をします。
とりあえず私も金曜日の夜は、土曜の予約に間に合うように頑張ります!
最終回は、どうなる事やら(^^ゞ