第4話 戦闘‐濃霧
濃密な殺意を孕んだ爪が龍斗の胸をかすめていった。
この回避は実力によるものではない。ほんの偶然で初撃が外れた、いわばビギナーズラックのようなものだ。だがその奇跡は長く続かないいずれはその爪は龍斗の肉体を深々と抉り取っていくだろう。
「リュートさん!」
「大丈夫だ!次も来るぞ!」
強がりを言ったが実際俺の痛みは尋常でない。今まで戦ったことなどなかったから痛覚への耐性がないからだ。
かなりまずい状況になった。
四方八方がこの虎が吹き出す濃霧に包まれて、ほんの数メートル先までも見えない。周辺の空気が冷やされているのだろう。ゾクゾクと悪寒が背中をなぞる。現状逃げることはまず不可能だ。
ならば、戦うしかない。
「このモンスターはまさかミスティックタイガー!?Bランク冒険者では歯が立たず、Aランク冒険者でも一対一だと命を落とすと言われているのに!なんでこんなところに!?」
エピックが慌てているが冒険者とやらの強さの相場がわからないのでいまいち恐怖が伝わらない。
なんにせよ俺らは立ち向かっていくしかない。
霧の中からは深いうなり声が響き、今にも背後から飛び掛かってきそうだ。
悠長にしている暇はどうやらなさそうだ。まずは戦力を確かめねばならない。
「エピック!君は何か魔法を使えるか?」
「私は火属性の魔法の〈閃光‐フラッシュ〉と〈火球‐ファイアーボール〉が、
それと神のご加護でお守りするバリアを纏える〈聖盾‐ホーリーガード〉の3つが使えます!」
もらった情報と自身の出来ることを噛み砕きながら頭の中で勝利への道筋を描く。
そして、わずか数秒にも満たない時間で彼の思考は一本の道になった。
まずは敵のある程度の居場所を確かめなければならない。
そう思った龍斗は己の指輪の中に魔力を流し込んだ。
すると洪水のように水の珠玉から大量の水が湧き出してきた!水に濡れた周囲の地面は湿地帯のようにビチャビチャになった。
湿った大地の上を歩くミスティックタイガーには霧を発生させて姿を消しても足音で自分の居場所が筒抜けになっていた。
スキル以外にも神から珠玉をもらった時にも俺はそういえばこんなことが出来たのを思い出した。
そのとき、再び頭の中でステータスが開かれた。
【水魔法スキル‐珠玉】
~新スキル解放~
〈放水‐スプラッシュ〉
ー多量の水を放出するー
あ、また新しいスキルを獲得した。使った後でスキルとして登録される魔法習得のパターンもあるのか。
それはそうとこれで虎のモンスターの大体の位置がつかめた。むろん逃げるためではない。
勝利のための確実な布石だ。
「エピック、さっき炎の魔法が使えると言っていたな?〈火球〉の魔法の力を出してみてくれないか」
「分かりました!リュートさんがミスティックタイガーの居場所を突き止め、私が魔法をぶつけるのですね!」
「いや、火球は飛ばさなくてもいい。手のひらの上で火球を留めておいてほしいんだ。あと聖盾とやらもかけてくれ。大丈夫だ、俺を信じてくれ。」
エピックが困惑しながらも聖盾の魔法をかけてくれて、手の中にバレーボール大の火球を出現させた。
火炎の熱が伝わってくる。この温度なら、俺の考えが成功するはずだ。
今は何よりこの鬱陶しい霧を払わねばならない。だから俺は簡単な科学の理論で薙ぎ払わせてもらうことにした。それでは、〈放水‐スプラッシュ〉!
俺はエピックの出した火球に、先ほど目覚めたばかりの〈放水〉の魔法を全力でぶっかけた。燃え盛っていた炎は水の力に押しつぶされて嘘のように蒸発していった。煙と化してしまった温風があたりに立ち込める。
「リュ、リュートさん何を!?」
全く予想できなかった行動を目の当たりにしてエピックが驚いたが、周囲の変化を見た彼女はもうひとたび驚くことになった。
霧が晴れていったのだ。あれほど深く白かった霧が、ほんの少し空気が白みがかっているくらいにまで減少していったのだ。
ミスティックタイガーも驚愕していた。自分の自慢の霧が一瞬で晴らされていったのだ。
己の一番誇っていた霧の魔法がいとも簡単に破られてしまったことで、まるで今までの自分の狩りを否定されたような気分になってしまったのだ。
なぜ霧が晴れて行ったのか?それは霧の発生する条件を知っていれば簡単なことである。
霧とは空気中の水分が冷やされたことにより生まれるものである。
ならばそれを打ち消す方法は単純だ。
朝の霧が太陽に照らされて昼には消えてしまうように、周囲の大気中の温度を上げてやればいい。
たったそれだけのことで大気の水分は溶けてしまい霧は晴れてゆく。
龍斗もそれを知っていて、ファイアーボールに水魔法を当てることで温風を発生させ
周囲の温度を高めたのだ。擬似的な天候科学の応用である。
周りが驚きの渦に包まれる中、唯一霧が晴れることがわかっていた龍斗は、事前におおよそ掴んでいた場所に容赦なく攻撃を浴びせにかかる。
「〈粘性‐スライミ―〉!」
スライムの力を吸収したことで手に入れた俺の新しいスキルだ。
スライムめいたネトついた液体が手から放出され、ミスティックタイガーの頭部に覆いかぶさってゆく!
「グロッロロロ!?グフーッ!」
ミスティックタイガーが苦しそうにうめく。顔にかけられたスライムが呼吸器に入ってしまったのだろう。
龍斗はスライムと戦った時、エピックからスライムは顔に覆いかぶさり窒息すると教えてもらっていた。
彼はそれを聞き逃さず、このような形で応用したのだ。
なんとか思いっきり息を吐くことでミスティックタイガーは間一髪のところで窒息を免れた。
が、息を整えようとする獣の視界の中に龍斗の姿は映っていなかった。その瞬間自身の背後から声がした。
「こっちだぜ、ドラ猫」
後ろを取った龍斗の手のひらには、血を求めんとする激流が凶悪に回転していた。
〈粘性〉を飛ばしたと同時に彼は走り出していたのだろう。
そしてミスティックタイガーが反応するより早く龍斗の〈水流切断〉が獣の身体を引き裂いていった。