ファンタ・ズマ10歳 旅人より世界観を学ぶ
ズマ家は代々にこの土地で役人を勤めてきた。金もないし、権力もないけれど、由緒だけはある中流家庭。建国以来何回も領主は変わったけれど、それでもこの土地の代表として変わることなく雑務を忠実にこなしてきた。この国が存亡の窮地にでも立たない限り、食うに困ることもない。
私だって、このズマ家の一人娘だから、いつかはそれなりの容姿で生活能力のある男の人を捕まえて、この家業を受け継ぐ時が来るのだろうけれど、まだ子供だ。10歳になったばかりだ。
父さんが「ファンタ、お前もいつかは『家』というものに入る時が来る。自分の人生は自分だけのものではなくなる日が来る。父さんも、母さんもそうだった」と脅そうが、現実感のない話である。
母さんが「あんたは賢いし、体も丈夫だ。男ならば自分の人生を試すのもいいかもしれないけれど、分を弁えて生きることが、一番幸せなことなんだよ」と諭そうが、そもそもそんな気もない。
今は隣の家の洟垂れ坊主の子守をしたり、はす向かいのに建つ鍛冶屋さんとこのマチとお喋りすることの方が、ずっと大事だった。
世界は広い、らしい。
たまにこの町を訪れては去る、旅人達の一人から、ある時この町の外の話を聞いたことがある。
聞いた話では、この町と同じくらい広さの町が外には、100は下らずにあり、それぞれに領主様という偉い人がいるそうだ。その人達のさらに上に、王様というとても偉い人がいる。それが『国』というものだそうで、私の父も大げさに言えば、その『国』と『王』に仕えているのだとか言っていた。
王様というのは私の住む『国』とやらで一番偉い人だが、どうやらこの世界には『国』がたくさんあるらしく、世界で一番偉いというわけではない。
道理で考えれば、一番大きな国の王様やってる人(果たして『王様』というのが人なのか見当もつかないが。その時の私は人間より大きな犬を想像していた)が、一番偉い王様なんじゃないか? と思い旅人に尋ねた。
彼は非常に驚いた顔をして「君は賢いね」と言ったが、どこがどう賢いのかわからない。普通のことを言っただけなのだが。
旅人は言った。
「王様よりも偉い、<導者>様がいらっしゃるのさ」
なんじゃらほい、である。
旅人の話はそこから妙にわざとらしく、私の知らない言葉を使いだしたのでさっぱりだったが。
当時の私に理解できる言葉だけを組み合わせて言いたいことを補完したところ、こういうことだ。
世界は無限の神様達が作られた。
山も海も木も川も、牛も犬も蛇も鳥も。
けれど、そこで生きる人だけは作らなかった。
何故なら、ここには役目を真っ当した神様達が眠る場所だから。
御力を使い、お疲れになった神様は眠りにつく。そしてその魂は肉体を離れ、この世界に降りてこられる。
それは人の魂となり、生まれ変わり、この世に生を成す。人の寿命が終わり、その魂が天に召されると、神としての体を取り戻す。
ここは箱庭。
神々の安息の土地。
けれど、生まれ変わった時に、稀に神様だった頃の記憶を持って生まれてくる人達がいる。
彼らは、神様のまま、生まれ変わったのだ。
ならば、導いてもらおう。神を引き継いで生まれた彼らに。
この世界には、王様よりも偉い『導者』という人達がいるそうだ。
大層なことを言う割に、結局は王様の王様みたいなもんじゃないか。と私が感想を言うと、旅人はまた目を丸くして、にんまりと笑った。
「けれどね、『導者』というのは、血筋や生まれで選ばれるわけではない。彼らはある日、突然覚醒する。そう、思い出すというこらしい。ある日商人が、ある日樵が、ある日悪人が、ある日聖者が、自分が神であったことを思い出す。思い出して、神しか知らぬ知識と力でもって、人々を導き始めるのさ。ある者は神官となり、人々の信仰の対象となる。ある者は王と共にあり、国を治める。たまに王に成り変ることもあるけどね。ある者は力を欲しいままに振い、悪行を為す。ある者はそれを止めるために勇敢に戦う。ある者は、何も変わらず人としての人生を過ごす。導者は、自由なのさ。導くことも、導かないことも、いいのさ」
導者は、何をしてもいい。か。
なんだ、その甘やかされた子どもみたいなのは……、と口にしそうになったが、それを言うとこの旅人がまた変な顔をしそうなので止めておいた。
とにかく、私にとっては世界はこの町の端から端までだったのだが、そうではないという話は面白かった。その王様とか、導者とやらとも、会うことなどないだろうけれど、そういうものがあると知れたのはありがたい。
私は旅人にお礼として昼ごはんの時に取っておいたパンを分けてあげた。
それを行儀悪く口にくわえて、旅人は町を去っていった。
もう会うこともないだろう旅人よ、さようならどうか息災に。
さて。私の世界に戻ろう。
時間を潰し過ぎた。私にはこれから友達のマチと、どこそこのお兄さんとどこそこの女の子が怪しいだの、なんで肉屋の奥さんと宿屋のハンスが小川の茂みで寝転がっていたのかだの、どうでもいいことをたくさんお喋りしなければならないのだ。家事の手伝い? そんなのとっくに終わらせている。
待ち合わせ場所の、教会のある丘への入り口。
いた。あの所在なさげなおどおどしたいかにも守ってあげたくなるって感じの小娘が私の友人の……。
いや。あの挙動不審っぷりはなんだ? 視線は定まらず体も震えている。様子がおかしい。
駆け寄り、声をかける。
「マチ、どうしたの?」
「うひぃ!」
マチは「うひぃ」なんて言わない。
「へ、いや、あの……ひひ」
姿かたちは、マチだ。私の同い年の幼馴染。
なのに、目の前にいるマチは、マチの姿をした誰かは、まるで私のことを初めて見るような眼で……。
「あんた、マチじゃないの? ……誰?」
彼らはある日、突然覚醒する。
「わ、私ですか、私は株式会社エサカ営業課の堀池と申します、はい」
いや、誰よそれ。