二
携帯電話で適当に暇つぶし用のサイトを見ながら時間を潰していた鳴海だったが、その車の接近には直ぐに気が付いた。この時間に通学する学生は少ないがそれでも聞こえるざわめきが上がったからだ。
黒塗りのセンチュリー。日本が誇る高級車だが、窓ガラスがスモーク張りで中は見えず、どちらかと言うとジャパニーズマフィアのボスが乗ってるような雰囲気の車が近づいて来たのだ。
その車は鳴海の目の前に停車し、後部座席のパワーウィンドウを下ろした。中から顔を出すのはいかつい顔した大親分か、カミソリみたいな若頭か。周囲にいた学生達も気にしてない風を装いながらも横目でチラチラ、興味を隠せてはいなかった。
「待たせたのう」
が。窓から顔を出したのは日の光を照り返す黒髪が眩しい、可愛らしい少女ではないか! 長い髪、切り揃えた前髪、窓から覗く肩を見るに着ているのは着物か、じつに愛らしい。周囲の者達は最早その驚愕を隠さずジロジロと眺め始めた。
「いえ、全然。ところで……」
「んむ。流石に視線が眩しいの。早う乗りや」
そう言って少女はドアを開けると奥に詰めた。
「ありがとうございます」
鳴海が乗り込みドアを閉めると、間を置かず車は走り去ってしまった。後に残ったのは多くの謎を残されて混乱ばかりが支配する静寂だけだった。
*
市内を適当に走るように言われ、運転手は国道に向け走り出した。とても丁寧な運転だ。
「今度から待ち合わせの場所はちと考えんとのう」
黒髪の少女は思案顔でそう言った。彼女が鳴海が連絡を取った相手、安倍だ。幼い容姿をしてはいるが無論訳あり。その実、鳴海よりもずっと長生きをしているし、運転手の付いた高級車を簡単に動かせる位の権力を有している。が、その話はまたいずれ。
「流石にあの視線は恥ずかしいと言いますか……」
鳴海も苦笑いで答えた。
「ま、それは置いといて。まずはお前さんの話から聞かせてもらうかの」
本題に入る。鳴海も居住まいを正し、口を開いた。
「ネットで、しかもほんの一部で騒いでる程度みたいですが。最近この辺りで起きてる連続殺人、アレが怪物の仕業ではないかと、噂になってます」
「……ふむ。やはりの。いやな、ワシもその件でお前さんに連絡しようとしとったのじゃよ」
「では、やはり?」
「んむ。妖絡みの事件ぽいのう」
安倍は話が長くなることを見越していたのか、傍らに置いていた鞄(クマの形をしたリュックだ。ビジネスバッグは容姿に合わないから嫌いらしい)から缶コーヒーを二つ取り出し、一本を鳴海に放った。無糖の缶だ。因みに本人のものは加糖にミルクのカフェオレみたいなやつだった。
事件の始まりは一つの薬物捜査からだった。ある警察署の管轄で一人の薬物中毒者が逮捕された。取調べを進めていった結果、今までに捜査されたことのないルートから出回ってるものらしく、販売ルートの洗い出しから捜査が進められていった。
多少面倒な所があったものの、捜査自体は何ら変わるものでもない。所轄の刑事達は捜査を進め、遂にばら撒いてる売人の内の一人の取引場所を突き止めた。
日も暮れて、夜の蝶が舞い踊る時間になった頃、取引が始まる。場所は廃ビルだ。
現場の近くに刑事達が潜み、売人が現れるのを待つ。
だがいつまで待っても現れない。自分たちに勘付かれたのか。刑事達が焦りを感じ始めた頃、一人が気付いた。
血の匂いだ。
周辺を警戒しつつ現場を探ってみると、やはり見つかった。柱の陰にもたれるように転がった死体が。
調べてみるとやはり件の売人だった。取引のもつれで殺されたのか。仕方なく刑事達は捜査を続行することになったのだった。
「と、まぁこんな感じでの。ここまではよく有ることじゃ」
「じゃあそこから先はよく無いことなんですね」
「んむ。その通りじゃ」
刑事達は捜査を続け、関係ある売人達を有る程度ピックアップし始めていた。前科のある者を、刑事達が持つ自らの情報源から、各々の方法で疑いのある者を絞っていったのだ。
そんな折、殺しの事件が舞い込んだ。殺人と薬物では捜査部署が違う。だが、以前の捜査で死人が出ていたことで情報が伝わったのだ。
「あ、こいつ俺がマークしてた奴だ」
一人の刑事がそう言った。
被害者は以前に薬物の所持と販売で逮捕暦のある者だった。
ここに至り二つの殺人と新たな薬物販売ルートの事件が結びつくことになった。すぐに合同捜査本部が設置されることになる。
「じゃがの。進展しない捜査とは裏腹に、事件が手に負えない方向に向かっておることに気付いたのじゃな」
捜査本部の方針は薬物をばら撒いてる売人の上部を捕まえて、関係ある人間から犯人を搾り出す。そのためには先ず売人を押さえる。だが、売人を押さえようとしてもことごとくが殺されていったのだ。
更に、事件は恐ろしい発展をしていくことになった。
「これ……マジで人間がやったのか……?」
「ゴリラかよ……。」
行われてゆく殺人が段々と人間離れしていったのだ。
ありえない程にに捻じれる体。
明らかに引きちぎられた四肢。
五指の食い込んだ後のある陥没した頭部。
そのどれもが素手の痕跡を残しながらも、素手の人間では不可能な破壊状態だった。現場慣れした刑事達も胃液が込み上げるのを感じるほどに。
「ここで、人間ではない何かが関与してると判断した上層部によって、捜査は切り上げ。危険じゃからの。で、ワシらにお鉢が回ってきたわけじゃな」
「なるほど……。話を聞く限りだと怪力自慢の奴が関わってる感じですね」
一区切り付いた所でコーヒーを啜った安倍に習い、鳴海もコーヒーを一口含み言った。話に聞き入ってすっかり飲むのを忘れていた。手から伝わる体温によってか、すっかりぬるくなっている。
「んむ、恐らくは鬼の類じゃろの。で……これが捜査関係書類じゃ。今までの捜査で分かったことがまとめてある。そこから先はワシの所で調べとるでの、何か分かったら知らせようぞ」
鞄から書類の束を取り出して鳴海に渡すと、運転手に鳴海の住んでるアパートに向かうように指示する。
車は市街地を離れ一路、住宅地の更に外れに向かった。
「相変わらずへんぴな所に住んどるのう。ワシら持ちでもっと高いマンションに住んでもいいんじゃよ?」
「大学生ですから。近くの公園で騒いだりしても近隣住民に迷惑かからなくていいんですよ」
それに、と付け加える。
「万一直接に妖が襲って来ても誰もいませんから。色んな意味で安心でしょう?」
鳴海は落ち着いた雰囲気の笑みを、しかし見る者が見ればどこか底冷えのするような、そんな笑みを浮かべた。