十二
「馬鹿な……」
鬼は愕然とした様子で自分の胸を貫く腕を見下ろしていた。
「何故……右腕が使える……」
鳴海は右腕を引き抜き、鬼から一歩身を引く。鳴海という支えを失い、鬼が地に仰向けに倒れる。
「お前が『断空』の正体に気付いてるだろうって事はなんとなく分かっていたさ。だからワザと分かってないふりをして、油断を誘った。案の定、左腕の『断空』をかわして勝利を確信したみたいだな。ま、こっちも痛い目見た訳だが」
右腕をブラブラと揺らしながら言った。銃創から零れる血が装甲の隙間より溢れ、地面に赤い花を広げていく。持ち上げることすらも辛い。
「後は、肉を斬らせて骨を断つってやつだ。右腕はこれ以上動かせそうにないがアンタを倒せりゃそれでいい」
「……何故だ」
空を見上げ、鬼が静かに呟く。
「何故そこまでして戦う。高い礼金でも貰っているのか。命を投げ打つほどの」
「違う」
鳴海は鎧の武装を解除しながら言った。正に影のように、黒を濃くした鎧鬼はずるり、と鳴海から剥がれ落ち彼の影へと溶けた。
「俺が“五月”だからだ」
「……?」
「“伏し名”って言ってな。五月は後で当てられた字だ。その本来の意味を隠す為に」
上着を脱ぎ、傷口よりも肩に近い位置に縛りつけ、鳴海は静かに語りだした。
*
陰陽寮から下される指令に従って妖を駆逐する。かつて退魔を生業とした幾つかの集団が存在した。鳴海の祖先もそうした退魔士の一族の一つだった。
ただただ鬼を屠る、そのためだけに生きてきた一族は名字を名乗らなかったし、必要ともしていなかった。しかし、その生業から“殺鬼”と呼ばれていた。
そう、“サツキ”、だ。
彼等は山奥などにひっそりと里を作り、陰陽寮からの指令が下ったときのみ、姿を現し鎧鬼という強靭な『兵器』で以って妖と戦い続けた。
しかし近代になり、世界規模の戦争が相次ぐようになってくるとその力に眼をつけた時の権力者たちは彼等の力を戦争へ利用しようと企み始める。
殺鬼の力はあくまでも妖と戦う為の力。当然許されないことと拒絶するが、権力者たちは里の子供たちを人質に取るような形で協力を迫ってきた。
それを救ったのが当時、対妖用組織の構成、運用の指揮を執っていた安倍、その人だった。
細かな話は割愛するが、里の危機と殺鬼の投入による戦争の更なる混乱を収めた彼女は殺鬼の一族と仕事の関係を超えた強い絆で結ばれることとなる。
その際に里を捨て、彼女の協力の下で日本全国に移り住んだ一族は、一族の誇りと使命を忘れぬよう“五月”と改めて名字を名乗り、妖と人知れず戦い続けた。
その後長い時が過ぎ去り、全国に散った者のほとんどは断絶したか廃業したかのいずれかだが、現在でも妖と戦っている生き残りの一人が、鳴海と言う訳だ。
*
「安倍さんには一族としての恩があり、“五月”の名には一族の誇りと使命がある。だからこそ、俺は戦う。勿論、俺にも個人としての目的があるが、私利だけで戦いはしない」
地に倒れる鬼を見つめ、ふう、と溜息をついた。
「アンタは、何故妖に堕ちた? アンタは頭がいいし、やりようなんて他にいくらでもあっただろう。何故堕妖するほどの悪に染まった」
鬼は何も言わずに空を見上げていたが、やがて静かに、弱弱しく口を開いた。
「それも当ててみるがいい……。俺の正体を、暴いたように」
「……」
「一つ、忠告だ。貫く信念が、あるのはいいことだが……、妄信し過ぎない、ことだ。それは目を瞑っているのと、変わらない……。貴様自身が、闇に落ちるぞ……」
途切れ途切れに話す。もう終わりが近い。
「それでも、闇に堕ちても、俺たちはお前らを屠る。それだけだ」
それだけは変わらない。鳴海は“五月”が重ねてきたものを信じるだけだ。
「ふん……。決意は固い、か……。ならば、精々、俺のようにならんよう、足掻け……」
少しずつ、鬼の体が黒く染まってきた。先ほど鳴海が鎧鬼を解除した時のようにだ。
「あばよ、鬼野郎。向こうで会わねーように精々気をつけるさ」
鳴海の皮肉に口の端を歪めた鬼は静かに目を閉じた。完全に闇色に染まった鬼の体はやはり、鳴海の鎧鬼の如く、溶けるように、しかし、影ではなく地面へと消えていった。
後には何も残らなかった。
これが妖と化した者の末路だ。
この世に痕跡を残さず消えてしまう。
人の道を外れたものは、世界に跡を残すことが許されない。
外道の成れの果ては即ち、無。
唯一つ、
鳴海の胸中には、
苦い思いだけが残された。