序文
暗い路地裏から悲鳴が上がった。
しかしその声に気付くものはいない。そこは表通りから随分奥へと進んだ場所なのだ。
「ひ……ひっ……ばっ……化けもっ……!」
いかにもチンピラ然とした若者が引きつった声を絞り出す。もはや、しゃっくりか何かのようだ。
彼は何かに怯え、腰を抜かしたまま後ずさる。
――バシャ、バシャ――
水溜りを蹴りつけるように足音が近づく。
――いや、その何かが踏み付けているのは水溜りなどではなかった。赤黒く、生臭い。
血溜りだった。
若者の周囲には彼と似たような格好の人間と思しきモノが転がっていた。
あるものは全身がいびつな方向に折れ曲がり、
あるものは明らかに人体として色々なものが不足していた。
その血溜りは彼らの身体から提供されたのだろう。
「わっ……悪かった! 俺達が悪かったからっ……見逃してっ……くれっ……頼むっ! 金なら倍っ……いやっ! 三倍払うがっ」
若者が最後まで言い切ることはなかった。首が無くなっては喋ることも出来まい。
その惨殺現場を作り出した何かは静かに溜息をつくと、誰にともなく一人ごちる。
「馬鹿なクズどもだ。本当に救い様が無い。黙って俺の薬に貢いでいればいいモノを……」
酷くしゃがれた、虫の羽音のような聞き取り辛い声だ。
ジジッと音を立て何かの頭上の電灯が一瞬、明滅した。今の今まで消えていたが、最期の燃焼だろうか。
その一瞬が照らした何かはおよそ人類と呼べるものではなかった。おぞましい化け物、その一言に尽きた。若者が怯えたのも無理らしからぬ話だ。
口は大きく裂け、鋭く凶悪な牙が覗く。
その瞳は血のように赤く、蛇の瞳孔のように細い。
人型ではあるものの、全身の筋肉は恐ろしく強靭だ。
さらに、皮膚は暗い緑色をしていて、指には切り裂くことが目的であるような爪。
何より、こめかみの辺りからは空に向かって歪曲した、一対の角が生えていた。
――ピシャ、ピシャ――
怪物は血に濡れた足を気にすることも無くユックリと背を向け、歩き出した。後に残ったのは静寂と、凄惨な光景だけだった。
5分ほどの後、その路地裏に繋がるビルとビルの間から、一人の男が歩み出てきた。