7月11日 ちなせん
久永千夏は、自らの選んだ教師と言う職業が、自分には向いていないのだろうと最近思っている。
千夏は、今年大学を卒業し小学校の教師となった。
一年三組それが彼女が初めて受け持ったクラスの名前だった。そして、苦難の始まりでもあった。
小学校一年生という、多感な年頃の少年少女達は、社会に出てすぐの何の経験も無い彼女が制御するには難し過ぎた。
新学期が始まると徐々に学級崩壊が始まり、月が変わらぬ4月末には、誰の目にも手の施しようの無いほど酷い状態になっていた。
学校がゴールデンウィークに入る頃には、千夏はすっかり自信を無くしていた。
この時、千夏はすでに教師を辞めようかと考え出していた。
元々千夏は、大人になっても教師になりたいとは思って居なかった、なら、何になりたいかとその頃問われば、なりたいものは無いと答えただろう。
ならいつ頃、教師になりたいという思いを持つようになったかと言えば。
それは高校時代の話だ、千夏には、松宮悟と言う彼氏がいた。
悟とは一年の時に付き合いだし、周囲からラブラブカップルとして暖かく見守られていた。
未来のビジョンが何一つ無かった千夏が、悟の教師になりたいと言う夢に共感し、共に目指したいと考え出すのも無理の無い話だった。
それから、二人は教師になるために共に勉強を始めた。目標ができた事でその効率は飛躍的に高まった。
そんな、関係が変化したのは、高校三年の夏だった、悟が交通事故にあったのだ。即死だった。
千夏は、一人になった。
残された千夏がすがったのは教師になると言う夢であった、せめて彼が叶えられ無かった夢を自分が叶えよう。
そう決意し、彼女は目標向かい進みだした。
その結果、何度か留年するものの、無事に教師になることができたのだが。その一年目でいきなり壁にぶつかった
そして、思ったのだ自分には教師は向いていないと、元々目指したのも、隣に居た悟の影響でしかない。
諦めるのならば、早い方がいいのかもそんな考えが頭をよぎる。
そして、せめて一学期が終えるまでは教師を続けようと心に決めるのだ。
そんな千夏の生活が一変したのは、ゴールデンウィークが終わってすぐだった。
ゴールデンウィークが終わると同時に一人の生徒が転校してきたのだ。
少年の名は北里慶一といった。
慶一は頭が非常に良く聡明だった、転校してすぐにクラスに馴染み、そして、瞬く間にクラスの中心人物になった。
それに伴い、学級崩壊も速やかに解消された、クラスの中心に居る慶一が積極的に千夏に味方し沈静化に勤めたからだ。
そんな、慶一に感謝しつつも、千夏は、ますます自信を失った、1ヶ月頑張って改善され無かったものが、たった一人にあっさり解決されたのだから当然だろう。
そして、そんなある日、千夏が一人で作業をしている時に、慶一に呼び止められた。
「久永先生、僕、あなたを一目見た時から、いや、生まれた瞬間からずっと好きでした、僕と付き合って下さい。」
千夏は突然の告白に驚くがすぐに思い至る、相手は小学校一年生だ、真剣に付き合うなどあり得ない。千夏は軽く流すように答える。
「いいよ、慶一くんが、大人になって、私がまだ、独り身だったら、付き合ってあげる」
「先生は今、付き合って居る人は居るの?」
慶一が問う。
「今は、いないよ。」
「なら、今フリーなんでしょう、付き合おうよ。」
千夏の答えに、素早く反応する慶一。年上の大人に憧れる年頃なのだろうと、軽く流そうとしていた千夏だが、慶一の言葉に何か違和感を感じ始めていた。
「慶一くんが、いっぱい勉強して、学校を卒業したら考えてあげるわ」
あくまでも、言うことを聞かない子供を諭すように優しく答える千夏に、慶一は少し、イラだったように声をあげる。
「話は変わるけど、先生は生まれ変わりって信じる?」
突然、話題を変かえた慶一をおかしく思いながらも、子供の言うことをだらうと気にせずに返す。
「そうね、生まれ変わりなんてものがあったら、素敵かもしれないわね。」
「ねえ、ちな、僕が松宮 悟の生まれ変わりだと言ったら信じる?」
「えっ!?」
'ちな'と言うのは千夏の高校時代のあだ名だ、唐突に言われた現実離れした言葉に千夏は混乱する。
あまりの事に思考が停止している彼女に慶一はさらに追い討ちをかける
「実感が湧かない?、なら、僕の知っている高校時代のちなのエピソードを言ってみようかな。」
そういって、次々と千夏の高校時代の話を語りだす、それも比較的恥ずかしい話に分類されるものをだ。
その内容が5つ目、高二の文化祭でメイド服を着た話になった辺りで、慌てて止めに入る。
その顔はすでに真っ赤になっている、相当恥ずかしかったらしい。
「わかった、わかったから、サトル、ストップ」
子供が自分に興味を持って欲しくて適当に、生まれ変わりなどと、言い出したのでは無いかと疑っていた千夏だったが、そんなものは自分と悟しか知らないはずの話を聞かされた時点で吹き飛んでいた。
「本当に、サトルなの?」
「本当さ、疑うのならもう少し思い出話をする?」
「それはやめて」
慶一は、千夏の瞳を覗き込むように見つめると、再び話を切り出した。
「ちな、改めて言うよ、僕の体は小学生になってしまったけれど、それでも良いなら、もう一度、僕の恋人になって欲しいんだ。」
そう告げる、慶一の表情が以前の悟と重なる。
「私で良かったら、何度でもあなたの恋人になるよ。」
自然とそんな言葉が口か紡がれた。
「ちな・・・」
「サトル・・・」
二人は見つめあい、互いの名を呟くように口にする、そうして、二つの唇が静かに近づいて・・・
「あぁー!!、久永先生と慶一くんがキスしてるぅー!!」
触れ合う前に、第三者の声が響き、その距離が遠ざかる。
「な、なに言ってるのかな、まどかちゃん。」
慌てて弁明する千夏。
「そうだぞ、ちょっと目にゴミが入ったから、ちなせんに見てもらっただけだぞ。」
冷静に答えを返す慶一、と言うより、
「「ちなせん??」」
不意に言われた聞きなれない言葉に反応する、千夏とまどか。
「久永 千夏先生、だから、ちなせんだよ」
当然とでも言うように、胸を張って答える慶一。
「それは、そうと何か用事があったんじゃないの?まどかちゃん」
慶一の言葉に目的を思い出すまどか。
「そうだった、ちなせん、ちなせん、川島先生が呼んでるよ。」
すぐさま、新しい言葉に適応するまどかに感心しつつ、答える。
「わかったわ、わざわざありがとう、まどかちゃん」
「行ってらっしゃい。」
慶一に見送られ歩き出す千夏の胸の中は、新たな生活への期待で満ち溢れていた。




