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獣医禁書  作者: 深口侯人
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本当の自分

それは…、いつものように朝っぱらから顔の歪んだ”汚物”がやってくるところから始まる…。


“汚物”「おい!!お前!!掃除機、ちゃんと片付けれてねえじゃねえか!!こんな風に出っ張ってたら邪魔だし、つまづいて怪我するかもしれんだろが!!このボケ!!だいたい、お前は…」


つまづく奴が居るとは思えないが…、確かに掃除機がいつもの収納場所からほんの少しはみ出している…。

朝の掃除機がけは僕がよく担当している仕事だ…。

だからコイツ…、僕がやったに違いないと決めつけて確認もせずに怒鳴ってきやがった…。

しかし……。


(フフ…、フフフフフ…。残念でした…、今日は珍しく新人看護師がやったんだよ…。)

『…今日は○○さんが掃除をしたんです。』


気付いたらそう喋っていた…。

この時の僕はホントにどうかしていた…。

直後に「しまった!!」と思ったがもう遅かった……。

怒りの矛先は当然…、その新人看護師に向かって行くに違いない…。

病院内で一番立場が弱く…、怒鳴られるのにも慣れていない新人看護師に……。

そもそも…、彼女が掃除機をかけたのは…、僕が他の事に時間を取られて掃除機をかけるのが遅れていたからなのだ…。

僕の代わりに慣れない事をやってくれたんだし…、怒鳴られるのに慣れている僕が怒鳴られて然るべき場面だったのだ…。

でも……。


もう怒鳴られるのには耐えられなかったんだ…。

少しでも回避できるなら、そうせざるを得なかったんだ…。

事実を言っただけなんだ…。


でも………。


僕は仲間を売ったんだ………。


本来なら守るべき存在であるはずの後輩を…。

自身は慣れない新生活と”汚物”の豹変に戸惑っているにもかかわらず…、積極的に他人の仕事の手助けをしてくれる優しい子を……。

自分を助けてくれた恩人を………。


その後の事は詳しく覚えていないけれど…、”汚物”は僕を疑った事を謝るどころか逆に監督責任だの何だのと言って結局怒鳴った後…、その新人看護師も“拷問部屋”に呼んでいた…。

彼女は部屋から出てきた時には泣いていた様子だったが…、後ろめたさで彼女を直視できなかった僕には詳しい状況は分からなかった…。

周りの看護師たちは慰めと励ましの言葉をかけていたが…、僕はかける言葉を見失い…、逃げるようにして診療を続けていた…。


1年前に危惧した通りだ…。

僕は自分さえ助かるのなら…、平気で他者を生贄として差し出せる人間となってしまった…。

僕はこんなにも醜い…。

僕はもう腐りきってしまったんだ…。

いつからだろう…?

いつからこんな風になってしまったのか…?

今までの1年間を振り返ってよく考えてみると…、ある事に気付く…。


『最初っからだ……。』


思い返せば最初の頃からいつも文句や言い訳ばかり…。

良い環境ややるべき事は誰かが用意してくれるのが当たり前…。

そのくせ上手くいかない時の原因はすべて周囲のせい…。

大した努力もせず…、周囲や環境を呪うばかりで状況を改善しようともせず…、厳しい条件下で奮闘する悲劇のヒーローを気取っては自分に酔っていた…。

獣医になれるほど頭の良い自分…、動物を助ける優しい自分…、大学を出たばっかりでいきなり診療ができる自分…、劣悪な労働環境でもへこたれない自分…、変人ばかりの職場で頑張る自分……、“汚物”の批判など到底できない自分大好き人間だったじゃないか…。

診療においても…、なるべく失敗しないように…、なるべく怒鳴られないように…、”汚物”の機嫌を窺い…、オーナーの顔色を窺い…、できるだけ問題の起きにくい模範解答的な診療ばかりで患畜の容体は二の次……、いつも自分の保身ばかりで患畜の事など一つも考えていなかったじゃないか…。

僕の正体はこんなにも自分本位な人間だったのだ…。

履歴書に「周囲に気を配れる」とか「面倒見が良い」などと書いた事もあったが…、そんなのは心や時間にゆとりがあればこそ書ける戯言だったのだ…。

僕みたいに自分の事しか考えられないような奴には…、オーナーも動物も診療してほしくないだろう…。

僕は「動物を助ける」だの「命を救う」だのと言う資格のある人間ではなかったのだ…。

やはり…、僕は臨床獣医師失格なのだ……。

せっかく子供の頃からの夢を叶えたのに…、自分がそれに相応しくないと気付いた時の絶望感を想像していただけるだろうか…?

生きている意味を失うような…、これまでの人生が無駄になるような…、永遠に奈落の底へ落ち続けていくような…、そんな感覚だ…。

僕の中の何かが音を立てて崩れていった……。


…しかし、この事で逆に僕はある呪いから解き放たれることになる。

「せっかく夢を叶えたのだから、臨床を頑張るべきだ」という呪いから。

僕はむしろ、「臨床をやっていてはいけない」のだ。

命の現場はもっと高潔な人物が担うべきなのだ。

ちょっと勉強ができるだけの低俗な人間が居てはいけない場所なのだ。

となれば、僕のすべき事は一つだけ!!


(この病院を…、いや臨床を辞めよう!!)


麗らかな春の日差しが、僕の決断を温かく見守ってくれているような気がした…。

第二部・完。


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