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神託の空白地図  作者: 麒麟児
第一章 白い灯りは嘘
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第二十二話 逃げた道の先

本当に逃げた者の道は、最短じゃない。


追う側が嫌がる形で曲がり、狭くなり、息苦しくなって、それでも最後まで“自分だけは通れる”幅を捨てない。


石棚の裏に開いた北側補助路は、接続路というより裂け目に近かった。


大人が通るには低すぎる。

肩を斜めにし、肘を引き、頭を少しかがめてようやく進める幅しかない。

壁は削りっぱなしで白灰色の石がむき出しになり、本流のような整った継ぎ目も、白い灯りを流す溝もほとんどない。

代わりにあるのは、爪で引いたような細い印と、ところどころに残る布の擦れ跡だけだ。


「ほんとに子どもの道だな」


ヘルムが、気を失っていた護衛を半ば背負い直しながら低く言った。

悪態みたいな口調なのに、どこか感心も混じっている。


「違う」

サラは先頭のまま言う。

「子どもが“大人の道を使わないために”覚えた道」


その言い方が、妙に胸へ刺さる。


使えなかったのではない。

使わなかったのだ。

白い灯りの嘘を見抜いたあと、自分で別の道を選んだ。

それがミナだった。


エイルは壁の印を見失わないよう、ほとんど石へ頬を寄せるようにして進む。

三本線。

小円。

二重丸。

そして、今度はその脇に、短い縦線が一本。


また記憶がよみがえる。


秋の夕方、裏庭の柵。

ミナが得意げに小枝を振りながら言う。


――これは“しゃがむ”の印。

――そんなの覚えられるか。

――お兄ちゃんはすぐ背がつっかえるから必要なの。


思わず、口元が少しだけ動いた。


その一瞬を、すぐ後ろのセヴランが見ていたらしい。


「何か分かったか」


低い声で問う。

前を邪魔しない音量だ。


「ここ、少しかがむ場所です」

エイルは壁の縦線を指した。

「子どもの頃の……似た印で」


「似た印か」

セヴランはそれ以上は聞かない。

聞かないまま、自分の背をさらに低くする。

そういうところが、この男の人間味だと思う。余計な慰めはしないが、必要な動きだけは即座に合わせる。


ガイアスが前から笑う。


「ようやく司書が役に立つの、板についてきたな」


「最初から立ってただろ」

ヘルムが返す。


「いや、最初は“巻き込まれてる顔”だった」

ガイアスは平然としている。

「今は“奪い返す顔”してる」


その軽口が、意外なほど胸に残る。

からかっているのに、妙に本質を突いていた。


補助路はすぐにさらに細くなった。

壁が内側へ寄り、天井も低く落ちる。

サラが灯具を後ろへ少し傾けると、白い灯りが石の肌を斜めに滑り、その先の空間を一瞬だけ浮かび上がらせた。


そこで全員が息を止めた。


通路の先は、裂け目のように下へ落ちていた。


崖ではない。

だが階段でもない。

石の裂け目がそのまま細い縦穴へ続き、ところどころに人の足をかけるためだけに削った浅い段差がある。

その内壁を、白い灯りの細い筋がいくつも走っていた。まるで地下に埋まった星の根のように。


決め絵になる光景だった。


白い灯りが、縦の暗闇をひび割れみたいに走る。

その中を、子どもの細い足跡だけが下へ向かって続いている。


「……絵に描いたみたいだな」


ヘルムが呟く。

こういう時の率直な一言は強い。


「描いたんじゃなくて、残ったんだろ」

ガイアスが返す。

それから、裂け目の縁にしゃがみ込んだ。

「下は広がってる。飛び降りるな。右足から順に降りろ」


サラが付け足す。


「途中で左を見るな」


「またか」

ラウルの声が掠れる。


「今度は本当に落ちる」

サラは淡々と言った。


恐怖を煽るためじゃない。

事実だけを置く言い方だった。


エイルは裂け目の縁へ寄り、壁に残る印を見る。

三本線。

小円。

その下に、今度は短い波線。


「これ、滑る印です」


「分かるのか」


封印術師が初めて少し前のめりに訊いた。


「昔、川辺で使ってました」

エイルは答える。

「足をずらして降りる時の印です」


サラが小さく頷く。


「そう。飛ぶな、ずらせ」


まただ。

エイルの記憶がそのまま道を開く。

そして読者にとっても、ここは気持ちいい。

ただの謎解きではなく、“兄妹の思い出”が実際の突破方法になるからだ。


順に降りる。


サラ。

ガイアス。

エイル。

セヴラン。

ヘルムと護衛。

封印術師。

ラウル。


裂け目の途中で、エイルは一度だけ右手の壁へ触れた。

石の冷たさの下に、かすかな柔らかさがある。

自然の裂け目じゃない。

誰かが“ここだけは通れるように”削っている。


ミナだろうか。

それとも、もっと前からここを知っていた誰かだろうか。


下へ降りきると、空気が変わった。


湿っている。

けれど腐ってはいない。

長く閉じていた地下水脈の近くみたいな匂い。

そして、さっきまでの白い灯りとは違う、もっと淡い光が遠くで脈打っている。


部屋ではなかった。


地下の回廊。

いや、それも違う。

もっと広い。


目の前にあったのは、埋もれた街路だった。


石畳。

崩れた壁。

半ば沈んだ柱。

天井が落ちたのではなく、上の地層がそのまま屋根みたいに残っている。

地下に呑まれた都市の一角が、そのまま横倒しにならずに残っているように見えた。


誰もすぐには喋れなかった。


白い灯りは、さっきまでのような“点”ではない。

地面の割れ目や柱の継ぎ目から、薄くにじんでいる。

それが石畳の線をなぞり、遠くの曲がり角まで淡く続いていた。


「……接続路じゃない」


封印術師がようやく言う。

声が少しかすれている。


「接続路の下に、都市がある」


その一言だけで、スケールが一段跳ね上がる。

読者のワクワクも跳ねる瞬間だ。


ガイアスが苦く笑う。


「だから“路”だけ追うと足りないんだよ」

石畳を爪先で確かめる。

「村の下に埋まってんのは道じゃない。町ごとだ」


エイルは息を呑んだまま、街路の先を見た。


右手に半ば崩れた建物。

左に沈んだ広場。

その中央に、倒れた石碑。

そして、その石碑の台座にだけ、また見覚えのある小さな印が残っている。


三本線。

小円。

今度はその横に、星みたいな五つの点。


「これ……」


思い出す。


冬の夜、囲炉裏のそば。

ミナが木片へ点を打って、嬉しそうに見せてきた。


――ほし。

――星?

――ちがうよ、ここ。ひろいところ。だからほし。


星ではない。

広い場所の印。

ミナは、広場や空地を“ほし”で覚えていた。


「広場です」


エイルが言うと、サラがすぐに石碑の台座へ寄る。


「やっぱり」


小さく漏れたその声に、エイルは顔を上げる。


「知ってたんですか」


「ここまでは来たことがある」

サラは石碑の横へしゃがみ込む。

「でも印の意味までは読めなかった。だから毎回、少しずつ外してた」


その一言に、ガイアスが吹き出しそうになるのを堪えた。


「お前でも外すのか」


「あなたよりは少ない」


こういう殺伐とした中での、ほんの少しの言い合いがいい。

キャラの愛嬌と隙は、こういう差し込み方ならトーンを壊さない。


石碑の下には、何かが挟まっていた。


紙ではない。

薄い石板。

エイルが手を伸ばす前に、セヴランが一度だけ周囲を見回し、それから頷く。

触っていい、という無言の許可だった。


引き抜く。


軽い。

掌に乗る程度の薄い石。

表面には、まだ幼い字で、ひらがなが刻まれている。


こっちは くらい

でも ほんもの


胸が熱くなる。


白い灯りの嘘を見抜いたあと、ミナはこの地下の“本物の暗さ”を選んだのだ。

怖い。

痛い。

狭い。

それでも、嘘の白より本物の暗さを取った。


これが今の物語に必要な情緒だった。

温かい思い出の延長でありながら、今はもう冷たい地下でしか残っていない真実。


エイルは石板を抱えるように持った。


「本物……」


「そうだな」

意外にも、答えたのはセヴランだった。

声は低いままだが、少しだけ柔らかい。

「少なくとも、これは人が残したものだ」


神殿の誘導盤ではない。

白い灯りの偽装でもない。

ミナ自身の意志だ。


その時、遠くの街路の奥で、白い灯りが一つだけ、また点いた。


今度は“誘う”感じではない。

むしろ、誰かが今こちらへ気づいたみたいに、ひとつだけぱちりと灯る。


サラの顔が変わる。


「見つかった」


「何に」


ヘルムが問う。


サラは石畳の先を睨んだまま答える。


「保留室の下を見てるやつらに」


ぞくりとする。


神殿か。

接続路そのものか。

境界守とは別の何かか。

それはまだ分からない。

でも、ここからは“逃げた子どもの痕跡を追うだけ”では済まない。


石畳の奥、灯りの周囲で何かが動いた。


人影。

今度は小さくない。

大人だ。

白い外套ではなく、もっと黒に近い輪郭。


セヴランが短杖を上げる。


「伏せろ」


全員が即座に石碑と崩れた壁の陰へ身を落とす。

反応が早い。

この辺りは、もう完全に“攻略している隊”の呼吸になってきている。


エイルは石碑の陰から、息を潜めて先を見る。

黒い影は一人ではない。

少なくとも二つ。

石畳の向こうで、こちらをうかがうように止まっている。


「大神殿の人間か」


ラウルの声が震える。


「違う」

サラが即座に否定する。

「神殿なら白い灯りを隠さない」


その言葉の意味を考えるより先に、街路の奥から低い声が響いた。


「見つけるのが早いね」


男の声だった。

若くも老いてもいない、輪郭のない声。

響き方だけが妙に近い。


エイルの背筋が冷える。


“向こう”からこちらへ、初めて明確な言葉が届いた。

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