表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神託の空白地図  作者: 麒麟児
第一章 白い灯りは嘘
15/25

第十五話 北側の嘘

村が嘘をつくとき、最初に狂うのは中心ではない。

たいていは、誰もよく覚えていない外側から順に、少しずつ形を変える。


井戸跡を離れて北へ回り込むにつれ、ヴァルセインの“偽物らしさ”はむしろ濃くなっていった。


焼け跡の家並みは一見しただけなら村に見える。

石垣があり、家の骨組みがあり、道幅も人が二人並んで歩ける程度には保たれている。

だが、その一つひとつが、エイルの記憶と微妙に噛み合わない。


本来なら畑へ抜ける細道があるはずの場所に、焼けた納屋がある。

納屋だった場所には、壁の薄い住居跡がある。

井戸から北へ向かうはずの緩い坂は、今は逆にわずかに下っていた。


どれも“間違いだ”と叫ぶほどではない。

だが、故郷を足場にして育った身体には、そのずれが骨の裏側で分かる。


「この辺り、前はもっと開けてたはずなんです」


エイルが低く言うと、ガイアスは先頭のまま肩越しにだけ返した。


「村そのものが配置を入れ替えてる」

それから少しだけ間を置く。

「いや、正確には“村に見えるように”入れ替えてる、か」


セヴランが周囲を見回しながら問う。


「北側に何があった」


「祠へ続く細道です」

エイルは答える。

「村の子どもはあまり近づくなって言われてた。……でも、家はこんなに詰まってなかった」


そう。詰まりすぎているのだ。


村北側の家並みは、本来ならもっとまばらだった。風が抜けて、冬は寒いと大人たちが言っていた。

だが今目の前にある焼け跡は、必要以上に家と納屋が密集している。村に見せかけるために、家の数を増やしたみたいに。


「数を盛ってるのか」


ヘルムが嫌そうに呟く。


「数というより、視線を詰まらせてる」

ガイアスは言った。

「見通しが悪い方が、入口は隠しやすい」


その一言で、全員の意識がまた“入口”へ戻る。


井戸跡の下に、ずれた四角い枠。

白い門の輪郭。

村の中心に埋め込まれた第一接続路。


だがセヴランはそこへ飛びつかなかった。

今はまだ、村の外装がどこまで偽装されているかを見極める段階だ。

その慎重さが、逆にこの場の均衡を保っていた。


北側の一角で、ガイアスが足を止める。


「これだな」


指差した先にあるのは、半分だけ焼け残った長い建物だった。

家というより、物置か作業小屋に近い。屋根は片側が落ち、壁板は黒く縮れている。

だが奇妙なのは、その焼け方だった。


正面はよく焼けているのに、裏へ回るほど煤が薄くなる。

火が回ったというより、“前からだけ焼いた”みたいな残り方だ。


封印術師もそれに気づいたらしい。

壁際へ寄り、板の継ぎ目に白粉を落とす。

粉は下へ落ちず、一部だけ横へ流れた。


「……ここもだ」

彼は低く言う。

「下に空きがある。井戸ほど大きくはないが、接続の痕が残ってる」


エイルは長屋の位置を見て、喉の奥に冷たいものを感じた。


「ここ、納屋じゃない」


「何だ」


セヴランが問う。


「祠へ行く道の途中です。建物なんてなかった」

エイルは壁板を見つめたまま言う。

「少なくとも、こんな大きいのは」


つまりこの長屋は、“あったもの”ではなく“置かれたもの”だ。

村北側の視界を塞ぎ、祠への細道を隠すために。


ガイアスが建物の周囲を一周しはじめる。

足元を見て、壁の傾きを見て、落ちた梁の向きを見る。

その姿は案内人というより、解体屋か盗掘屋に近かった。


「裏、見てくる」

もう一人の護衛がそう言って、建物の北側へ回った。


セヴランは止めなかった。

止めるほど離れてはいないし、見通しも完全には切れていない。

それに、ここで全員が一か所に固まる方が危うい。


エイルは建物の正面へ近づいた。

焼けた壁板の一枚、その高さが妙に低い。納屋にしては人の手の跡が多く、住居にしては扉がない。


指先を触れかけたところで、セヴランが言う。


「一人で触るな」


「すみません」


反射的に手を引く。

だがその一瞬で、余白視の奥に残像が浮いた。


壁ではない。

扉だ。

しかも外へ開く扉ではなく、内側へ滑る戸口。


「これ、壁じゃなくて」


言いかけた、その時だった。


建物の裏へ回った護衛の声が飛ぶ。


「おい、こっちに戸口が――」


そこで途切れた。


声が切れたのではない。

途中で“吸われた”みたいに、最後の音だけがきれいに消えた。


全員が動く。


ヘルムが真っ先に駆け、セヴランが短杖を抜き、エイルも反射的に建物の角を回った。

北側の裏手は狭い空き地になっていた。焼けた柵、崩れた石積み、灰の溜まった地面。

そこに人影はない。


さっきまでいたはずの護衛だけが、きれいに消えていた。


「……っ」


ヘルムが低く息を呑む。


足跡はある。

建物の裏手まで来た跡。

そこで一度立ち止まり、右へ一歩。左へ半歩。

そして、その先がない。


壁の前で終わっている。


まるで、壁の中へ入ったみたいに。


「扉だ」


エイルの口から出た。


建物裏手の壁板、その一面だけ焼け方が浅い。

しかも板の木目が、他の面と逆向きになっている。

正面で見た“置かれた長屋”の違和感が、ここで一気に形になる。


ガイアスが舌打ちした。


「やられたな。表じゃなく裏に口があったか」


「引き込まれたのか」

ヘルムの声は低いが、怒気が滲んでいる。


「いや」

ガイアスは足跡の終点をしゃがんで見る。

「自分で一歩入ってる。呼ばれたか、開いたか、そのどっちかだ」


エイルは壁板へ近づき、今度はセヴランの制止を待たずに指先を置いた。


ざらり、と感覚が裏返る。


木の板ではない。

薄い偽装の皮だ。

その向こうに、冷たい石の縁がある。

井戸跡の下で感じた四角いずれと同じものが、ここではもっと縦に近い形で立っている。


視界の奥に、裏手の空き地ではなく別の景色が重なる。

狭い回廊。

石の壁。

横へ伸びる白い線。

そして、その入口のすぐ内側で、誰かが転んでいる。


さっきの護衛だ。


生きている。

少なくともまだ、死体ではない。


「中です」

エイルは息を荒くして言った。

「すぐ向こう。倒れてる」


セヴランが一歩前へ出る。


「確かか」


「見えました」


ガイアスが低く笑う。

笑いというより、ようやく答え合わせが来た時の短い息だった。


「井戸は蓋だ。こっちが今の口らしいな」


封印術師が白粉を振る。

粉は壁板の前で一瞬留まり、それから縦長の輪郭に沿って沈んだ。


「接続面が立っている……」

彼は苦い顔で言う。

「横の路に対して、こちらは出入口だ。井戸跡のずれが本流なら、ここは迂回の補助口に近い」


補助口。

つまり、井戸跡だけでは出入りしづらい時に使う別口。

村の北側に偽装長屋を置いて、祠道ごと塞いでいた理由もそれで繋がる。


ラウルが青ざめた顔で後ずさる。


「戻りましょう。今ならまだ――」


「戻ってどうする」

ヘルムが振り返り、ほとんど睨みつけるように言った。

「中に一人いる」


ラウルは言い返せない。

だが、その顔には恐怖だけでなく、もっと別の焦りが混じっていた。

入られることそのものを恐れている顔だ。


セヴランは全員を見渡した。


「選択肢は三つ」

声は静かだった。

「一つ、この場で封鎖を試みる。二つ、撤退して増援を待つ。三つ、今すぐ入って連れ戻す」


誰も口を開かない。

けれど、答えはもうほとんど決まっていた。


増援を待てば、この入口はたぶんまたずれる。

封鎖を試みても、中にいる護衛は切り捨てることになる。

なら残るのは一つだけだ。


セヴランが言う。


「入る」


短く、確定の声だった。


エイルの心臓がひどく速くなる。

とうとう来た。

白門の向こう。

第一接続路の内側。

ミナが“保留”された場所に、今度はこちらが踏み込む。


「先頭は俺」

ガイアスが言う。

「こういう半開きは、入り方間違えると口ごと閉じる」


「中央に護衛一名と司書」

セヴランは即座に継ぐ。

「封印術師は私の後ろ。ラウルは最後尾、ヘルムがつけ」


その配置に、誰も異を唱えない。


ラウルだけが小さく言った。


「僕は……」


「最後尾だ」

セヴランの声は低いまま、完全に切った。

「勝手に列を離れるな」


ラウルは唇を噛んで頷く。


エイルは内ポケットの封書と地図片を確かめ、肩掛け袋の口を縛り直した。

戻れる保証はない。

だが記録を落とすわけにはいかない。


建物裏手の“壁”が、朝の光の中で少しだけ白く見え始める。

門が開きかけているのではない。

こちらが“入口だ”と認識したことで、偽装が薄れてきているのだ。


ガイアスが壁板の縁へ手をかける。

木を掴む動作なのに、指先は確かに別の感触を捉えていた。

彼は振り返らずに言った。


「入ったら、最初の十歩は絶対に振り返るな」


「理由は」


ヘルムが問う。


「村が外に残るからだよ」


ぞくりとする説明だった。

だが今は、その意味を確かめに来ている。


セヴランが短杖を握り直す。


「行くぞ」


そして次の瞬間、ガイアスが“壁”を横へ押した。


焼けた板張りのはずの一面が、音もなく薄れていく。

向こうに現れたのは、灰の空き地ではない。

冷たい石壁と、下へ半歩ぶん落ちる白い縁。

空気がひとつ、深いところから流れ出してくる。


ヴァルセインの外側ではない。

第一接続路の入口が、今、自分たちの前で開いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ